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WhiteRack

ジェッソが家にたくさんある。
アクリル画の下塗材である。
下地なのでとにかく白い。
そして粗い。
下地というと、なめらかが良い気がするが、画用紙を思ってもらいたい。
つるつるでは絵具がのらない。
そこそこざらざらで、そこそこ吸い込んでくれなくては。

ところで写真は台所の洗剤入れ。
たぶん100均で買った。
ステンレスではない。
アルミニウムでもない。
鉄だ。
それを台所で使う私が間違っているが、すぐ錆びる。
見苦しいし、錆が進んで朽ちても困る。
ペンキを塗ろうと思った。
思って気がついた。
ジェッソがいっぱいあるのだから、
それで塗ればいいのでは。

そこそこざらざら。

汚れやすい。

そこそこ吸い込む。

水廻り使用に向かない。

でも気にしない。
汚れたらまた塗ればいい。
錆もカビもまた塗ればいい。
ジェッソはいっぱいある。
そうしていまも使っている。
あきれるほどにすぐ汚れる。
内側から錆が浮いてくる。
醤油やソースどころか、お茶くらいでも染みこむ。
だからまたジェッソを塗る。
全体にぼてっとしている。
重ね塗るから。
ひどいところはカッターで削る。
そうするとまたすぐ錆色が滲む。
また白く塗る。

ふと。
化粧だとつぶやく。
塗っても塗っても滲み出る、内なる身の錆を隠して、演じるために役者は顔を塗る。
だがしかし、隠しきるならば仮面でいい。
いやいっそ中身を替えてもいい。
化粧にとどめるのは、逆説的ではあるものの、内なる錆が滲み出す余地を残す、そのためではないのか。
捨てられない。
耐水ペンキで美しく仕上げない。

朽ちてくれればいいのに……

つや消しの白をまた塗る。
いつまで続けるつもりだ。
おまえなんか別に、愛しむものでさえない。
ならばなにを愛でているのか。
……惜しんでいるのか。
過ぎた時間をか。
惜しむのにまた重ねているのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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 『とかげの月 / 表紙』を見ていただければわかるように、私は暗い画を描くことが多いので、使用頻度はブラックジェッソのほうが多いのですが。

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 白にせよ黒にせよ、ジェッソさんは塗ったら下地の隠れることペンキの比ではなく。そりゃあもう気持ちのよい真っ白真っ黒具合。

 ジェッソはアクリル樹脂エマルションに顔料を加えたもの。余談だがホームセンター系ペンキ屋界隈ではエマルションと呼ぶが、絵描きアーティスト界隈だとなぜかみんなエマルジョンと発音するし表記も濁点がつく。と、書いてしまうとエマルジョンと発音するのがこっぱずかしくなってきたのでエマルションと書こう。エマルションとは、本来まざることのないふたつのものをまぜてしまった白濁液体のこと。ロマンチックかつエロい。マヨネーズである。水と油をちからわざで白濁させてまぜる。

 アクリル樹脂エマルションは、文字通り、アクリル樹脂を水とむりからにまぜたもの。恐ろしい話だ。アクリルですよ? アクリル板のあのアクリル。ガラスみたいなものだ。それを水にまぜる。これにより筆でアクリルをどこかへ塗りつけることが可能になり、水が乾くとアクリルだけが残る。紙に塗れば、紙の上にガラスのようなアクリルの層が残るのである。また余談だが、いまの一文、私のワープロ辞書は「神に濡れ場」と変換した。私をなんだと思っているのか。たとえ「神」も「濡れ場」も私の書くものにとてもよく関連しているにしても、どっちも直接的にはほとんど使わない単語のはずだ。予測変換に悪意を感じる。ATOK、かしこすぎて相棒としての好感度が低い。そこまでかしこいならもう一段階の気をまわせ。

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 革に絵を描くときにもジェッソは下地として使われるが、生きている革と呼んでもいいヒトの皮膚にも定着する。先日、両膝を機械に変えるために休場することになった伝説の怪奇派レスラー、グレート・ムタのペイント(最近はほぼマスクのような造形になっていたが)も、リキテックス社のアクリル絵の具だったらしい。彼もまた伝説のレスラー、ハヤブサ選手も、リキテックス以外のアクリル絵の具は目に染みる、とブログに書いていたので、なんらかの成分的な差がアクリル絵の具各社製品にもあるようだ。目に染みないから固定客がつく、ということを狙ってリキテックスさんが開発をおこなったとは思えないが、意外とプロレスラーでなくても、塗料の類を目にツンとこないとか良い匂いとかいうところで選んでいるユーザーは多いのではなかろうか。

 そんなもの肌に塗ったら毒だよと言いたくなるが、かつて舞台役者たちは、純白にしてジェッソのように肌色を覆い隠す鉛入りのどうらん(おしろい)でペイントしていた。鉛中毒でバタバタヒトが倒れても、白の発色がいいからと使い続けたのだった。

 薬屋界隈では有名な話だけれど、ステロイド剤を同じ箇所に使い続けると皮膚が薄くなるという副作用は、ほんの少し前まで、かなり多くのユーザーに化粧品的効能として利用されていた。顔に塗るのである。皮膚が薄くなる。肌色が白く抜ける。血管が透けて見えるほどにだ。毒である。副作用だ。しかしそれでもあえて顔に塗る文化というものがあった。

 肌に塗る毒というニュアンスではまったく違う事例だが、このあいだの探偵!ナイトスクープで、皮膚呼吸しないと死ぬというのは嘘だということを証明するために、首から下を土に埋めて放置されているひとを見た。

 映画『007 ゴールドフィンガー』で、ボンドの倒れている間に全身に金粉を塗られて皮膚呼吸できずに殺されるシャーリー・イートンを思い出す。

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 撮影現場には緊急事態に備えて医師が呼ばれていたそうだが、彼女は一日中、金粉を塗られてベッドの上だったにも関わらず、映画の設定とは違って死ななかった。

 ナイトスクープで土に埋められたひとも死ななかった。

 ヒトは、皮膚呼吸なんてしていないのだ(厳密にはしているがどうでもいいくらいに微量)。

 ただ、ナイトスクープのひとは、尿意をもよおしたが、土のなかではできないことに苦しんでいた。圧力なのかなんなのか。それが事実だとすると『北斗の拳』で、首から下を埋められて、頭に不規則に一滴ずつ水滴が落ちてくるという拷問が描かれていたが、あれだって水滴にイライラして気が狂う前に、おしっこが出ないことで中毒症状を起こして気を失うだろう。

 そういえばシャーリー・イートンも、その撮影の日に関係ないひとが大挙して見学に来たことをなげいていらっしゃった。いや、たぶん彼女が金粉塗料を塗られて死ぬかどうかを見に来たのではなくて、彼女が金色にせよ裸でおっぱいが出ていたからだと思うが。

 見えている皮膚を全部ジェッソで白く塗ったプロレスラーというのは多くいる。彼らはその状態で戦うが非常に元気だ。全裸に白塗りで踊るダンサーも多くいる。むかしから、皮膚呼吸ができなくてもひとが死なないことなどみんなが知っているはずなのだが、007では死ぬ。

 なんの話かと言われると困るが、また汚れてきた白いラックをジェッソでまた純白に塗っているあいだ、私はいつもヒトの肌を塗りつぶすことを考えてしまう。皮膚呼吸を気にする必要はないのだし、あの、『アバター』みたいに。

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 肌を好きな色にペイントするひとたちというのは、なぜ現れないのだろう。それはたぶん、そういう方向性で絵の具を開発しているひとがいないからだ。肌にきれいに定着して覆い隠せて、とある光線を当てると砂のように全身から剥がれ落ちる塗料があれば、化粧品として利用されるにちがいない。

「へえ、今日は全身ショッキングピンクだね、可愛い」

 服の話ではなくて、素肌も全部。
 さあ会議をはじめましょうか、リキテックスさん。

(私はホルベインさんのジェッソの匂いが好きです)




 私の勤める店でレジを打っている彼女は、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンでも働いている。同級生だとか、後輩だとか、けっきょくそこへ流れ着いて、いまもそこにいるという知人は多い。あれはひとつの都市だ。大阪に住んでいると、職場はキタ? ミナミ? ああUSJ? という会話が自然なほどである。

 そういう大阪で子供を持つと、伊丹の空港に飛行機を見に行ったり、大阪湾に浮かぶプラレール博を見に行ったりするのと同列で、USJに行くことになる。私は、ここではなんども話していることだが、行列のできる美味しい料理店と、待たずに入れる美味しくない料理店があったら、帰って自分で料理することを選ぶタチだ。かろうじてどっちかといえば待たずに入れる店を選びたいが、食べて、まして飲んだりして、帰るまでの時間が、それはもう待ち時間だからやっぱりイヤだ。

 行列が嫌いだ。と公言しているのに。いや、だからか。よい友人から、USJの招待券をいただいたりする(長年のUSJ勤務だとそういうものも貰えるそうだ。大阪のチケットショップではときどき見かけるので、売ることもできるのだろうに)。あなたが人混みきらいなのは知っているけれど連れて行ってあげなさい、とか言われる。ありがたい。ありがたいが、思わず言い返す。

「まだ二歳なんだけど」

 で、たいてい、あの都市にだれかを招待せずにはいられないようなひとは、あそこの魔法にかかってしまっているひとだ。くだんのレジの彼女は、働いているユニバーサル・スタジオ・ジャパンでコスプレするためにレジを打っている。コスプレして遊びに行くうえに働きたいのだとか。

 そういうひとたちは、決まって言う。

「ユニバはだれが行ってもたのしめるから!」

 まあ、招待してくれるっていうんだし。あそこは広いから、なににも並ばずにひとつの都市として散策をするだけでもいちにち潰れる。そしてもちろんいちにちいるのはしんどいから、お昼を食べてから行くことにした。午後のUSJ散歩だ。なかなか優雅な響きではないか。

 開園当時は違ったのだが、いつのまにかUSJは飲食物の持ち込みが表向きは禁止となった。とはいえ、持ち物検査などはないし、外国のかたが大多数なので、いちいち「そこ、ポケットから出したチョコレート食べない!」などと怒られたりはしない。熱中症の問題もあるので、水筒の持ち込みは公式に許可されているし、赤ん坊連れならば離乳食もOK。そのあたりの拡大解釈によって、ペットボトルはふつうにみんな持って歩いているが、USJには公式のコカコーラ社の施設も入っているから、他社製品はもちろん、USJ外で購入したあらゆるペットボトルにはカバーをかけることが推奨される。ペットボトルも覆ってしまえば水筒あつかいということである。

 そういうゆるい飲食物持ち込み禁止なのだが、散歩しながらものを食べる習慣というのもないし、園内で売っている飲食物は二歳児にはパンチの効きすぎたものばかりなので、入場の前に、食べたいだけのおやつを与えた。例の地球儀の周辺では、そういう親子連れをよく見る。実のところサンドイッチでもつまみながら、天気のいい日に地球儀の前で次々にポーズを決めて写真を撮っている観光客を笑いながら見ているだけで時間がつぶせるくらいである。

 というか、うちの子は「ユニバーサルシティ」駅を降りてすぐのところにある寿司屋のくるくる回る魚オブジェに捕まって動かなくなった。

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 駅前はダンサーたちもいて、エキセントリックな土産物屋やワンピースやドラゴンボールのショップもあったりするので、理性の育ちきっていない二歳児は、ややもするとUSJに到達する前にいちにちが終わってしまいかねない。そりゃ開園前から並ぶひともいるわけだ。

 そんな試練を乗り越えて、なんとか昼すぎくらいに入場したところで、ここ一ヶ月、息子に与えた作品を観てみよう。

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 『スパイダーマン』。サム・ライミ監督の。ほかはいい。とにかくこの第一作は観ておくべきである。スパイダーマンが生まれ、プロレスに参戦し、苦悩する。最近、元新日本プロレスで元WWEであるヨシタツ選手が、全日本プロレスにレギュラー参戦していて、赤と青の衣装にスパイダーマンのオーバーマスクで登場するから、息子はすっかり仮面ライダービルドスパイダーマンヨシタツという連携で魅了されて全日本プロレスファンにもなった。よろこばしいことだ。私もヨシタツは好きだ。サム・ライミ・スパイダーマンは聖書だ。

 『ミニオンズ』

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 CMもバンバン流れていて、最近の外国の方々のUSJお目当てはハリー・ポッターであり、クールジャパン。とはいえ、二歳児はハリポタに興味を示さず(私もあまりハマっていない)、ファイナルファンタジーやモンハンなんて高度なゲームができるわけもなく、名探偵コナンは謎解きだし。自然とミニオン・パークを目指すことになる。USJでもめっきり怪盗グルーは見かけないので『ミニオンズ』でよかろうと観せたら案外ハマった。

 あと、スヌーピーはマクドナルドのハッピーセットでもらったオモチャで、セサミストリートは、ほかのキャラはともかくUSJがなぜかエルモをやたら推してくるので(ゴーカートやすべり台が、ことごとくエルモ)、エルモは認識させたほうがいいかと教えた。

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 そしていざ、具体的に入場したUSJでどこに向かおうかと検討したとき、パンフレットの数字に愕然とする。

 『アメージング・アドベンチャー・オブ・スパイダーマン・ザ・ライド 4K3D』も『ミニオン・ハチャメチャ・ライド』も、付き添い者同伴でも102cm以上ないと乗れない。

 二歳。うちの子、大きめですが、それでも身長100cmない。

 せっかく事前学習させたのに、乗れるライドがないなあ。と、ぶらぶら歩きながら、身長制限のないアトラクションがいくつかあったので、行ってみる。入り口でおねえさんに、この子も行けますかねえ、と訊ねて、ひとりで立てるなら大丈夫ですよと太鼓判を押されたにもかかわらず『バックドラフト』と『ターミネーター2:3-D』を断念。消防車好きなのに。ロボット好きなのに。両方とも、本会場に至る暗い廊下で大泣きをはじめて離脱せざるをえなかった。うーむ。こりゃ三十分もある『ユニバーサル・モンスター・ライブ・ロックンロール・ショー』なんかも無理そうだ。行ったことないけれど、まだ映画館も早いんだなあ。プロレス会場も暗転したら泣くのか……

 やむなく、暗い通路を通らない屋外で身長制限のない『ジョーズ』に行ってみる。船乗るよぉ、鉄砲撃つよお、という言葉に誘われて、観せていないのでジョーズがなんなのかをわからないまま、大人数を一回でさばくため行列というほどでもない列に並び、次々出発する船に手なんか振っている(ちなみに、この並んでいるあいだ息子を肩車したらスタッフさんに注意されました。よろけて池にぼっちゃん、とかいうのを想定してでしょうか。でも持ち上げないと柵が邪魔で船が見えないのです。この教訓は、すぐあとにも我々にのしかかってきた)。

 そしていざ船に乗り込む。ここまではご機嫌でした。ただ、やはり危険防止のためでしょう、身長制限はないが、船の端の席には大人が座らないといけない。もちろん膝に抱いたりしてもいけない。で、息子の身長は100cmない。水面にジョーズの背ビレが現れてうひょうぉ、となるところで水面もヒレも見えない(見えてもジョーズを知らないので、だーだん、だーだんだだだだ、の曲に合わせて背ビレが迫ってくる恐怖を理解はできないでしょうが)。目の前のお兄さんはなぜかショットガンを撃つ。が、向こうのほうで爆発音はするが、なにが起きているのかは大人に挟まれて座っている二歳児には見えない。そしてラスト。間近での大、大爆発。本物の炎、黒煙。

 ええ。大泣きしました。

 いやあ、たのしいなあUSJ。この子の脳裏にはなにが記憶されているのだろう。たのしい船に乗るよお、と着いていったら大爆発だったのに自分は泣いていて、まわりはみんな笑っている。ジョーズやっつけたよお、ってそのジョーズってなに?

 仕方がない。
 あきらめて、大人がつきあう方向で行こうか。本当にかろうじてなのですけれど、身長92cmを息子はクリアしていた。そうすると、空を飛ぶスヌーピーに大人といっしょに乗れる。『フライング・スヌーピー』は、たのしんだ。ユニバーサル・ワンダーランドのエリアは行けるな、と思ったのもつかの間、92cmで乗れるコーヒーカップや気球が空を飛ぶようなアトラクションには、激しく首を振って乗車を拒否。スヌーピーは手のひらサイズのオモチャで遊んでいたかいがあって信頼に足るが、キティちゃんやエルモには不信感があって、回ったり飛んだりなんてとんでもないらしい。

 ここで乗り物はあきらめて、本格的に散歩モードになる。

 スヌーピーやチャーリー・ブラウンのパネルと記念撮影をして、その先にあったのが……これ。ボール・プール。

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 魔性の池。いや本当に、なんど引き剥がしても、ここにもどる状態に陥る。なにがそんなにたのしいのか。初見の他人の子とボールをぶつけあったりして、見ているこっちは気が気でない。女の子に抱きつくのやめろ。

 中央のすべり台では、上下にスタッフさんがついて、けっして子供たちがぶつからないようにしてくださるのですが、息子はなんどもすべり台をさわりにいってさわると上の子がすべることができないからおねえさんにやめなさいと言われ、やめなさいとだれかが言われたら、もちろん別の子がおねえさんにやめなさいと言われたいがためにすべり台をさわりにいくという無限ループ。そこらの保育所よりもずっと大人数を二人で監視してあしらっている。休憩は何時間後ですか。もう何時間、そうしてすべり台の上下で緊張を強いられているのですか。

 ユニバーサル・ワンダーランドのエリアには、屋外も室内もすべり台がいくつもあって、そのすべてにスタッフさん(クルーさんと呼ぶのが正式ですか)がついている。ひとつの都市であり、雇用の源であり、それゆえに他人の子をあしらうという、どんな都市にもある仕事がここにもある。いや、多くの都市では公園のすべり台に監視員なんていないから、ここが魔法と夢の国であることの彼らが証左なのだ。お金もらっているにせよ、この世でもっとも善良なる妖精に近いひとたちだと思う。保育士だって、さわるなと言ったものに子供がなんどもさわったら怒るが、妖精さんは微笑んでやめようねと言い続けるのである。

 そのあたりで日も暮れてきたので、外も散歩しようよとボール・プールからまた大泣きするのを(そういうボール遊びができるところは近所のデパートにだってあるからなにもUSJでそれに没頭しないでもいいだろうと子供に通じない話をしながら)引き剥がして、歩き出す。

 スヌーピー乗ったねえ、となんども言うので、あれはたのしかったのだろう。ときまさにイースターということで、そんな写真もあちこちで撮りつつ、恐竜エリアで、乗ることはできない『ザ・フライング・ダイナソー』が多数の悲鳴を乗せながら頭上を通過していくのでまた足が動かなくなったり。見たことがないものをいっぱい見て不思議がっているというのは、いちにち中感じた。それは確かに、あの国に行かなければ得られない非日常の摂取だった。

 ミニオンとの写真は、帰ってからもなんども見ている。

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 ニューヨークエリアの路地裏で、クモの糸でぶら下がっているスパイダーマンと写真を撮るべく行列ができていたので、身長制限でライドには乗れなかったが、これなら撮れるよと誘ってみたものの、日も暮れた路地裏の感じがまた怖いらしく、遠くから怖々覗くのがせいいっぱいだった。

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 それが、なんというか、翌日から「スパイダーマン会ったねえ」を連発するようになった。遠くから見ただけだったがゆえに彼のなかであれは本物のサム・ライミ・スパイダーマンになったのだ。まさに二歳の虚構と現実に境目なし。まさに二歳のユニバーサル・スタジオ・ジャパン。そこらじゅうに転がっている魔法のひとつを、ちゃんと拾って帰ってきた。もちろん、事前にUSJに行くならこれだけは観ておけとスパイダーマンを摂取させておいた私の功績でもある。

 忘れないように、トミカを買って帰った。

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 うん。二歳×USJ。ありはあり。自分でチケットを買っていない散歩気分のなせるわざなところはあるかもしれないが。あなたの言うとおり、ユニバはだれが行ってもたのしめる。それなのに私は私自身で二歳児を連れて行くことは、けっしてなかったはずだから。彼があの日に得たもののほとんどすべてがあなたのおかげです。誘ってくれてありがとう。愛してる。

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世界イチの親子になろう!|パークの楽しみ方|ユニバーサル・スタジオ・ジャパン™|USJ

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 公式のキッズの年齢別おすすめアトラクション表も、三歳からになっているし、大きめの二歳で乗れるものはあるものの、そこにたのしみを置きすぎて訪れると乗れないのばっかりじゃない、となるので、おおらかに、外国語飛び交う広大なファンタジー公園で時間を潰すくらいの感で行ったらよろしいかと。開園前から行列とか、疲れるだけですって。


 前回のお話。

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『保育園落ちなかった』の話。

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 ということで。

 多くのみなさまにとって、そんなこたあどうでもいいよヨシノギ、という話題でしょうけれども。きっと来年も、春のちょっと前に私と同じように、どうしたものかこの窮地はと天を仰いで、なんでもいいから指針よ降ってこいと願うだれかがいるに決まっているので、そんなあなたに、いまの私は一声かけずにいられないということで、こういうことを書いておく。

 と書いたところから一年後、また春が来たところの未来は今な日記。

 結論から申し上げますと。

 自宅から徒歩三分の市営保育所に当選し、この春から通うことになりました!!

 わあーぱちぱち。
 保育園というのは抽選ではなく点数制で、あれこれ詳しくは書けませんが、我が家の場合、近所の大都会保育園には正攻法ではまず無理というのが昨年のお話。

 それが一年後に、転所してもよろしくってよとなったのは、もう間違いなく「下り方向の電車に乗って三十分の小規模保育所に一年通わせた」ことでの点数ボーナスが上乗せされたから。とりあえずどこかに通わせたら一年後に転所は通りやすいよという話は聞いていたのですが、点数制なのにそのあたりが、どこがどうなったら何点になって当確になるのかは、その年々の応募人数によっても変動するからおおやけにされていない。

 しかし今回の出来事から推察するに、無理だろうなあ、と思いつつも、駅前の我が家の近所のほぼ空きのない大きな保育園を第一希望に書いてみたら通ったということは、かなりの大量得点が上乗せされるのでしょう。あくまでうちの自治体での話なのですけれども。月に定期代が一万円かかる往復一時間のところに通うおかげで、家のなかに殺気立った空気が漂うことだってあるにはあったわけで、そのあたりをなだめておかないと市役所に殴り込んでくる向きだってあろうことは容易に想像できるから、こういうことになったのかもしれません。

 そういう話なので、昨年と同じようなニュアンスになってしまうのですが。

 まだ見ていない方角を、見るだけ見て。とりあえず来月のために新しい靴を買ってもいいくらいの方策がなにか見つかるかもしれない(めっちゃ靴底がすり減るような策であるにしても)。その先のことは、またそのとき考えたらいいんじゃなかろうかい、という私のようなのを、お勧めはしないが、これはこれで回っていないこともなくはない、というのを伝えておきたかった。

 やってみたら、思ったよりもそこそこ回った。昨年の春よりも、だいぶんと心もちはラクである(そりゃそうだ一時間が十分弱になって定期券だって買わなくていいのだから)。ということなどを後日談としてお伝えしておくことにします。

 二歳男児が、電車好きになったのは、毎日の電車生活でのよいことだったかもしれない。好きなものが多ければ人生はたのしい。あしたから、毎日は電車に乗れないのだということをどこかのタイミングで気づいて大泣きすると思われるものの(保育園で、お別れ会を開いてもらったが、いまのところ卒園転園お別れの意味がきちんと理解できているとは思えず、最後の日にも泣かなかった)。

 そんなもんなあ。
 受け止める心の余裕がいまの私にはある。
 お迎えに行ったついでに近所を散歩でもして帰ろうか、というくらい。
 四月。春だ。