最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ

『楽園の贄』のこと。

 順天堂大学医学部の丸井英二教授らの分析で、興味深い事実が判明した旨、新聞で読んだ。
 記事によるところを端的にまとめると。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 日本の大都市で70年代以降に男の赤ん坊が産まれなくなっている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 まとめすぎたか。
 補足。そして語弊がある。
 男児は生まれている。
 ただ、その割合──産まれてくる男児と女児の比率──が、減少しているという、というお話しである。以前から、日本全体で見た男児の出生率が低下していることは知られていたが、統計として都会で男児が減ることがこうしてはっきりわかってみると、ちょっとショッキングでホラーな事実に見えてしまう。

 しかし、データを詳しく見てみると。もっとも減少がいちじるしい都道府県として取り上げられている私の住む大阪でさえ、1971年に女児ひとりに対し男児1.077人だったのが、2004年には1.046人の割合にまで減少したというだけのことなのだ。

「それでも女の子のほうが数少ないんじゃん」

 という感想を単純に持ってしまいそうな数字ではないか。

 もちろん、実際にはそうではない。もともと、男児は女児に比べて死にやすい。丈夫な女と虚弱な男、そのバランスを是正するためには、産まれた段階での数は圧倒的に男のほうが多くなければならないのである。これが1:1に近づいていく。その理由はわかっていない。

 エコ戯言と片づけられない過去の出来事としては、1976年7月10日、イタリア・セベソで事故により多量のダイオキシンが放出されてしまった痛ましい事故がある。736名が高濃度汚染に晒されたとする地域で、事故後、七年間のうちに産まれた74人のうち、男児は26名であった。

 そういった例と並べてみると、今回の統計は、日常的な汚染地域と化した日本の大都市で、人類が滅びつつある証左のように見えなくもない。世界的に若い男ほど精子数が減ってきているらしいといった記事を読むと、汚染地域で貝や魚がほとんどメスになってしまったりする環境ホルモンの脅威が、いよいよ人類に実際の脅威となって襲いかかって来たのかもしれないと死にたくなる。

 別のデータとして、全体では自然死産率(中絶を含まない死産)の割合が減っているのに、男児の自然死産率は上昇を続けている、というものがある。このことについてもはっきりした確定説はなく様々な仮説が立てられている──が、私の直感で(!)書くなら、もともと丈夫な女は医療事情の向上でもはやほとんど死ぬことはなくなり、そのせいで、医学の進歩をもってしても、もともと数撃って率上げる方式の男がどうしても亡くなってしまうそのわずかな数の占める意味を増しているというだけのことではないのかという気がする。

 ここを突き詰めていくと危険思想になりかねないが、生物進化の仕組みとして、どんなに医学が進歩しても、根本的に「弱いオスが死ぬ」という図式があるからわずかづつでも進化が促進されるのではなかろうかという達観に至る。

 死ぬために生まれるオスは進化のための贄として必要なのである。

 昆虫界には『オス殺し現象』と呼ばれる現象がある。これは、出生率に偏りは見られないのに、成体では異常にメスの多い集団が形成されてしまう現象で、主な原因としては悪性微生物などの増殖により、オスのほとんどが大人になる前に死んでしまうような状況に陥っても、メスにはほとんど死者が出ないという経過による結果だ。重要なのは、しかして、その種が滅ぶことはない。ということである。大々的なオス殺し現象が発生したところで、「一匹のオスもいなくなる」事態にならない限りは問題にはならない。

 集団内に男がひとり生き残っていれば、あとは女で種は回るのである。

 ──まあ、その残ったひとりが精力旺盛でないとか、相手を選り好みするとか、ボーイズラヴとかだったりすると悲劇だけれど、ほかの男が全滅する世界で生き残ったひとりならばきっと来る者拒まずなバカマッチョに違いない。いや単なるイメージだが。

 そういう観点で今回の統計を眺めていると、夢想が膨らむ。

 産まれる男女の割合が大都市になるほど1:1に近づいていく。これは、大きな都市の環境が悪化しているせいではなくて、単に近くに病院もあるし入院して出産する人も増えて、産まれたての男児が虚弱であることさえも種として克服してしまった結果なのではないだろうか、と。そして、そう考えるならば、先のオス殺しの件を思いだし、本当にこの減少は1:1の割合で止まるのだろうかと逆の畏れを感じ始めてしまう。

 医学の進歩で男が死ななくなった、そのことを人類という種が種の共通認識として理解まではせずとも「感じ」、その全体意志として「別に男の子を多く産まなくてもいいんじゃねえのこういう時代なら」と決定したから──だから男児の出生率が減少したのだとしたら──「種の意志」なるものが本当に存在するのなら。

 男どもは、もっと競って死に、もっと限りなく「最強のひとり」に近づくまで減らしたほうが進化は促進されるはずだ。実際には、世界でひとりだけの男という図式では種の全体数が減少していくので、町内にひとり、マンションでひとりくらいの割合が必要だろうか。そのひとりの男が決して死なず、医学の力で老いの進行も遅らせることができるなら、男:女の割合は1:100でも全体出生率2.0を越えることは充分出来る。種は繁栄するのである。

 とかそういうことを「種の意志」が考え始めたり、あげくに「最近はクローン技術とかもあるらしいじゃない?」などと考えてしまったら──いよいよ「もともと死ににくい女」だけで種を構成しようと目論んでもおかしくはない。

 最近、その手をニュースを読むたびに思う。
 人類には天敵がいなくなった。
 敵のいないリングなどままごとだ。
 そんなリングで強い選手が育つわけはない。
 まして地球連邦となった唯一無二の人類には、切磋琢磨し追いつき追い越し競い合う他団体の存在もない。
 ──思うのだ。

 これ以上の進化は必要か?

 必要ないならば、生け贄も必要ない。
 生まれた全員がただ生きれば良い世界で、出産率の男女差などなくなるのは当然だ──

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「あたしは機械としかつきあえない人間なのかも」
「いっとくけど、ないがしろにしたものは衰えてくるのよ、ルーシー」
「たとえばあたしの体ね」
「心と魂はどうなの? まずそれからはじめましょうよ」
「冷たいわね。あたしの健康のことはどうでもいいみたい」


 パトリシア・コーンウェル 『神の手』

predatorpredator

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この世界は弱くても生きていける楽園になったのだから。

 なったのに。

 ルーシーの脳には腫瘍ができている。
 彼女の体から筋肉が落ちたのは病のせいだ。
 だが、叔母の目にはそうは見えない。
 ないがしろにしたから。
 退化したのだとしか思えない。
 あとで叔母は悔いるのだ。

 それは病のせいだったと知って。
 しかし、彼女は責められるべきではない。
 
 進化? 必要ないから?
 
 この世界は弱くても生きていける楽園になったのだから?

 なったのに。
 今朝、通勤途中に道路にぶちまけられた血を見た。
 四階から飛びおりた男子高校生が即死だったという。
 高校生の息子を持つ同じ職場の彼女が、もうあの道通りたくないわと眉根を寄せながら、言った。

「流行っているらしいから。うちも心配」

 私は思わず鼻で笑って、返してしまった。

「流行りで死ぬんだ?」

 彼女は真顔で、そんなものよと答えた。
 最近の子ってそんな感じよ。
 彼女の脳裏には自分の息子の顔が浮かんでいるのだろうに。
 私は、肩をすくめて、そうなんだ、と言うしかなかった。

 死なない世界。
 弱い男も種に認められ「もうこの世なら数多く生まれさせなくても良い」と出生率が丈夫な女と同じになりつつある世界。
 敵のいない世界で、自ら死ぬ子。

 楽園てそういうものかもなあ、と、ふと思いました。
 進化のための贄だった男は。
 楽園では、闘わなくてもよいなら、ほかのなにをすればよいのだろうか。
 死ぬ以外に。

 愉しんで生きればいいじゃない?
 子を産む道具となって?
 この世は楽園だ空しすぎるぜと呟きながら。

 飛びおりた彼の気持ちがまったくわからないわけではないというのが、どうにもヤなんだよな。
 楽園の贄。
 それってそもそもいらないものだ。
 だから愉しくないと死ぬんだろう。 
 つまんないから死ねるのだ。
 楽園の贄。
 愉しむことが死活問題なんて──
 空しすぎるぜ。

 それともこれは単なる病のせいか?
 滅びへの順調なスタートダッシュ?
 健康体とは言えないにしても。
 人類という種はそれほど病んでいるか?

 しかし、彼女は責められるべきではない。
 病であることは確定していない。
 知らないのに疑うというほうがどうかしている。
 とりあえずは、ないがしろにしたから衰えたのかもと疑ってみよう。
 鍛えたら改善するかも。
 やってみる価値はある。
 他にやることがないなら、心構えとして。

 淡々と生きる強さを持ちたいです。
 楽園ではソレこそがハードボイルド。
 明日も生きるんだ?
 愉しくもないのに?
 カッコイイっ!!

 ホントに思うよ、そう。
 それがとても強くて格好良いことに思える。
 自殺流行りの楽園にて。
 

TRACKBACK http://yoshinogi.blog42.fc2.com/tb.php/93-4f77787e