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『素敵なウディの映画』のこと。



感動して、なんていうか。
しあわせにしてもらったってことですよね?
それって、なくならないじゃないですか。
なにがあっても。
ずっと大事で、ずっと残るものじゃないですか。
なにがあってもかわらない。

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テレビドラマ 『これは経費で落ちません!』

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 ウディ・アレンの回想録『Apropos of Nothing』。

「この本は、アレンの仕事とプライベート両方の人生が詳細に綴られており、映画、舞台、ナイトクラブ、執筆における彼の作品も書き表しています。また彼は、家族や友人、愛情の対象となった人々との関係にも触れています」

 四月に出しますよ、と三月の頭に宣伝を打つ。今月、ついこのあいだの話。その直後。

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 アメリカ・セクシャル・スキャンダルの闇をあばくバットマン、ローナン・ファローが、噛みついた。

 ローナンはウディの息子。

 血のつながっていない親子、というフレーズは、そんなのは親子の絆に関係ないという美しい方向で語られがちだが、ウディ・アレンの周囲では真逆。

 ローナンの姉は、七歳のときに、おにいちゃんのオモチャで遊んでいなさいと言われて遊んでいるあいだに背後から陰部をまさぐられた、という記憶をもとにウディを訴えたことがある。

 ローナンがキレる。

 おねえちゃんに事実確認をおこなわないで義父が勝手に書いた美しい想い出語りの本を出版するなど許せない。

 ローナンの『Catch and Kill』の出版作業と、ウディの美しい自伝のそれが、同じ出版社で同時進行されていたと知り、今後あなたたちとは仕事をしないと言い放つ。

 出版社の社員が賛同してデモ行進までする。
 ストライキがおこなわれて、朝のニュースになる。

 私は、それを見た。

 ウディは、その件に関して捜査を受けたうえで裁判は棄却になっている。だがしかし、あのとき問題にならなかったことが、いまは問題になる。パワーを持つ男が、他人の尊厳を踏みにじる行為に、世は敏感になった。ええ、あのウディ・アレンが、そんな話で義理の娘に訴えられた過去があるの?

 アシェット・ブック・グループは、ウディの本を出さないことに決めた。

 私は読みたかった。
 ウディが、ぺらぺらと自身の人生を過剰なまでに美しく語る文章は容易に想像できる。このおっさんは、と苦笑しながら読むことになる。そのあたりを、本人も計算し尽くしておどけてみせていたことだろう。読めないので、完全に想像でしかなくなってしまったわけだが。

 私は、彼が好きだ。

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『素敵なウディ』のこと。

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 ほぼ毎年、作品を公開し続けてきたウディ・アレンの記念すべき長編第五十作目が、2019年に公開されるはずだったが、記念すべきことに公開は見送られ、世界でいちばんだれもが出たがる映画を撮るひとと呼ばれていたそのひとの映画に、記念作に出演した俳優たちまでもがツバを吐いた。いまや世界中の俳優が、ウディの映画には出ないと言う。

 ちなみにウディ・アレンの現在の妻は、彼の娘だ。

「セックスと死だけは信じられる。どの作品だったか忘れたが、ウディ作品の名言だ」と、上のブログで私は書いている。そのとき2005年。内縁関係の女優ミア・ファローと、ウディが親権争いの裁判になったのは1993年。その裁判のなかで、七歳の娘の陰部に、という話はすでに出てくる。

 そもそも彼女とウディが別れることになったのは、ウディが22歳の娘の裸を撮影しているのに、彼女が遭遇してしまったからだった。なにをしているのとんでもないと彼女は怒るが、その前の21歳のときに、ウディは娘と肉体関係を持っていて、つまりそのヌード撮影会は恋人たちの蜜月の光景だった。

 その後、ウディは、もと義理の娘だったひとと35歳差をものともせず結婚して養子を育て、いまは八十代と四十代のカップルになり、いまもちゃんとセックスできているのかどうかわからないが、うまくいっているように見える。

 もちろん、親権争いに巻き込まれた、ローナンたちも、ウディ・アレン作品に出演した彼らも、世界中の俳優たちも、そんなことを知らないわけはない。

 今年は現実世界での開催が見送られることになったが、昨年のE3で、ゲームの話をしながら、けっきょくウディの映画につながってしまった。

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『Halo Infiniteの真実の一年後』の話。

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 『それでも恋するバルセロナ』は、ざっくり言えばパワフルな男性画家が、タイプの異なるふたりの女性の両方と寝てやると言って本当にそうなる映画。そういうストーリーでありながら、ハッピーなラブコメディである。その映画の彼女も、そういうウディがそういう映画を撮ると知って出て、ヒットして儲けたのだが。彼女もまた、ウディと仕事したことを後悔している新作の収益を寄付する、と発表した。

「なぜ#MeTooはウディ・アレンを見逃すのか」

 それが、この件の蒸し返されるきっかけであり、#MeToo運動に、あえて異論を唱えるのはバカのやること。

 ウディ・アレンを擁護するひとたちへ、と、彼女、彼らは言う。もっともなことを言う。私も異論を唱える気はない。

 ウディのつきあいはじめた女優には14人の子供がいて、そのうちの何人かに手を出したあげく、本当の愛を見つけて結ばれた、とか。質の悪いギャルゲーのシナリオのようであるが、そばにいると手が出ちゃうよね愛ってそこからはじまるよね、というのはウディ作品の根底を流れる、ヒトは考える葦ではなくて生々しい動物で制御が効かないからやっちゃえそれがヒトだ、という論に添ったものでもある。

 しかし、現実生活もそうだと、倫理的にはクソ野郎だ。
 しかし、そのクソ野郎の映画を私は好きだ。

 十五年前のブログで書いたことを、いまさら蒸し返して書きなおすのもおかしなことをしていると思うけれど。

 『素敵なウディの映画』。

 これなら許されるか。

 別に許してもらう必要はないことのように思うものの、歌うたうひとが不祥事起こして干されても、やがて復帰するのは、よく見る光景である。薬物で捕まったフォークシンガーが、このあいだテレビで感動的な母の歌をうたいながら赤裸々に己の人生を語っていたが、もちろん事件のことは話さなかった。みんな知っている。しかし、彼は歌い続け、その作品はまた受け入れられて、テレビのゴールデンタイムで特番が組まれるところまでもどる。

 あの件について省いて、なに美しく人生を語ってやがるんだと噛みつかれることはない。

 だがしかし、35歳下の、もと養女だった女性とならんで困った顔をする映画監督は、85歳になろうとしている。妻は、もと養母だった彼女に暴力を受けたと言い返すが、14人も子供がいたら、そんなこともあるだろうと世間は流す。実際に彼がクソ野郎であっても、虐待される養女を本気で愛してしまった心やさしい男だろうと、私は正直、どっちでもよくて、ただただ、いま起きたことではなく過去起きたことでいま干される85歳の監督が、最新作を凍結されて、四本の映画制作契約を破棄されたというニュースに、いやそれってもうウディの映画が観られないってことやないのん、と嘆いている。

 アメリカで吊されたウディが、『それでも恋するバルセロナ』のスタッフと組んで、スペインでの撮影をはじめたという話が流れているが。なんだかんだで恋愛を描かせたら、という作風で女性人気もあったウディが、弱者をもてあそぶクソ野郎認定されたことで、話題にすることを躊躇する観客は世界中で発生するだろうし、話題に出せない映画を観る人種は、極端に少なくなった地球だから。撮っても、世に出ない可能性はある。実際に最新作がそうで、それが公開されなかったのは、みんながすでに知っている過去のスキャンダルが原因で、配給会社はそれ込みで売るつもりで買ったのに、風当たりに負けた。

「なぜ#MeTooはウディ・アレンを見逃すのか」

 ツイッターが滅ばないかぎり、たぶんもう、ウディが人生のなかで、なにかを発表するたびに、そのハッシュタグが流れてきて、ええ、五十作も撮ってる偉大な監督が! と新たに驚くひとから、そのことはたっぷりと世間に蒔き直され、話題にされる。そんな監督の映画を売るというのは、なかなかに勇気がいる。

 冒頭引用したドラマのセリフは、原作の同じ回にはない。自分の娘ほどの年齢の女性にうつつを抜かしてダメになったと陰口を叩かれる職人が、実は──という内容だが、原作では職人本人が最後まで真実を口にすることはないのに、テレビドラマでは大会場で堂々と己の口で宣言する。そのドラマのウケは、非常によい。

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「経理さん、領収書見て変な顔してたから。さっき、うっちゃんと話していたでしょ。うっちゃんはあたしとたっちゃんを引き離そうとして必死なんですよ。経理さんだって疑っているんじゃないですか? あたしとたっちゃんが不倫しているんじゃないかって」

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青木祐子 『これは経費で落ちません! ~経理部の森若さん~』

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 原作では、彼女と彼女のないしょ話のなかでだけ明かされることが、公共放送でのドラマ化にあたり「実はそうではない」という、職人の潔癖さが世の全員に伝わるように改変された。この国でも、いま、それはそういうふうでなければならないからだろう。他人の、特にモノ作るヒトのスキャンダルは、世間一般全員の共有情報で、作るヒトに好ましくない事実があれば、作品も瞬時に価値を失う。不倫を疑われた職人は、すべてのひとの前でみずから口を開き、すべてのひとに潔白を認めてもらわなくてはならない。

 そういう場に、もと娘であった妻と現れてしまうのがウディである。ほら見ろここに愛はある、私は潔白だ、というアピールになると思っているとしたら、世間の風を読めなくなっていると言わざるをえない。

 えない。

 のだけれども。ハリウッドに背を向け、世間の風に反するあたりを描き続けてきた職人ウディの生きざまとしては、なにやってんのウディと苦笑しながら──いや、あいつはクソ野郎かもしれんから、好きとか言わない。金輪際言わない。作品に出てくれと言われたら出るかもしれないが、ぜったい言われないので気にすることはないし。ただ、まあ、ふわっとそういう気分になることはあって、ふわっとまた、なんどめかの彼の作品を観返すことはやめられないと断言できる。あれはやめられない。

 素敵なウディの映画は好き。
 中毒だ。認める。
 なにがあってもかわらない、というところはどうでもよくて、観たら私がしあわせになれるのだから。私の愛玩物として、捨てる気はない。

 がんばれウディとも思わないけれど、願わくば、ここに来て人生なんてクソだとヤケになったウディ・アレンの、毒まみれた新作が生まれでもしたら、きっとニヤニヤしながらしあわせになれるので、期待はしている。

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