最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ

『好きの理由』のこと。




 でも、その居心地のよさに甘えるのは、なんかちがう気がして……

B071ZRKW5Q

 TVアニメ『サクラクエスト』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「おおらかなひとね。
 あたし
 あなたみたいなひと
 好き」

 みたいなことを、よく言われる。
 仕事に身の入っていない店員なので、多少の公共的規約の逸脱などは個人的我が身に降りかかる害のないかぎり、かなり平気でするから。

 空港で、長い行列ができているから新しいゲートを開けたはいいものの、職員がきちんと誘導しないので、先に並んでいたひとを無視して後ろに並んでいたひとが新しいゲートに並び、全体としては処理時間の短縮になるはずなのだけれどその場に不満がうずまく、というのはよくある。

 よくあるが、その職員が自分にとっての外国人であったりすると、睨みはしても、言語で文句を言うというような面倒くさいことは、ほとんどのひとがやらない。だって言葉が通じないがわめいている入国者がいた場合、高確率で並んでいた列から引き抜かれて悪くすれば別室へ連れて行かれる。悪くすればそうなるが、良くしたところで他のひとを抜かしてクレームをつけたひとが前に行くことなんてありえないわけで、言えば言うだけ損になるだけなのだから。

 そういうことを考えると、ルールにゆるい、ということを「おおらか」であると捉え、その特性を有する人物を好ましく感じる人物というのもまた「おおらか」でないと成り立たない。

 犬を連れて入ってはダメだけれど、ほかに客もいないし、そんな赤子を抱くように犬を抱いているひとに、その犬を外に置いて入店しろと言うことはないと私が判断したとして、だけれど、犬にバッテンのシールが貼られたドアを、犬を抱いたままくぐっていいかと問うほうも問うほうなのは間違いない。まったくひとけのない電車でも……いや、だからこそ、優先座席に座ることは、ためらうべきなのである。

 あなたが良いなら、私に損はないので、見て見ぬ振りをする。

 というのが、私に備わっている「おおらか」らしい。

 でもだとすると。
 そんな私、そんなあなた、そういうおおらかなひとが「好き」、という表明は、正しいことだろうかと思う。

 新しいゲートを開けたけれど、あなたは後ろに並んでいたでしょう、前のひとを抜かしてこっちに来てはいかんよ、と言われなかったから抜かしてやって来たロクデモナイ相手を、職員の側は好むわけがない。抜かされたひとがクレームを言わないにせよ、みんなで自分のことを睨むのだから。言葉が通じないのでうるさく言わなかっただけで、そこは全員で融通しあってうまくやるべきところを、なんで行列ができていたからそれを解消しようとした私が睨まれる事態になるのよさという話だ。

 理不尽だ。でも事実、恋愛関係においてもそういう方向性は、ままあるような気がする。

 おおらかなあなたが好き?

 もしくは、こうでもいい。

 やさしいからあのひとが好き。

 そりゃ、自分の毛布に入れてくれて、そこで寝ることも許してくれる相手を猫は好むだろうが、ヒトにおいてそれは、いかがなものか。

 好き?

 いや、ぼくの、あたしの、居心地のよさの表明だよね?

 おまえのなかってすごく気持ちいい。

 というセリフは官能小説にありがちだし、むしろ積極的にカマしていくべき視点ではあるが、リアルには、え、もしかしてぼくってそれできみに好かれているの? という疑問も生む。相手が巨乳好きだったりして自分が巨乳であればなんとなく武器という感じもして納得できなくもないが、ないほうが好きだとか、短い髪が好きだとか、女好きとか男好きとかいう、あるのかないのかといったあんばいのストライクゾーンになってくると、そこを起点にしての「好き」は、かなり危うい。

 そんなことはわかっちゃいるにしても、黒髪の美しさに恋をする和歌というのが多いのも事実。かつては、恋する相手の顔はすだれの向こうで見えなくて、詠んだ歌が綺麗だとか、実際に見たことはないけれど黒髪が素敵だという噂だからそこを褒めた歌を贈ろうといった、ほとんどバカげたことがおこなわれて、しかもそれでちゃんと結ばれたりしていた。

 『サクラクエスト』は、さびれた商店街を、ひいては町そのものをリブートさせようと奮闘する乙女たちのけなげを描いた作品だが。私は観ながら、自分の生まれた兵庫県相生の商店街と、和歌山でいまも商店街の花屋を営んでいる義父母のことを思わずにはいられなかった。どちらの商店街も、さびれきっている。しかし近ごろ、和歌山のほうには多少のニュースめいたことがあった。

 今年のゴールデンウィーク中に、和歌山県内主要観光地を訪れた観光客数が、統計をはじめて以来の最多を記録したのである。どこかの観光地にひとが増えたという話ではない。すべての集計地で、もれなく過去最高だったのだ。それすなわち、和歌山中によそからひとが集まってきたということ。しかし、アニメのような美少女観光大使が大活躍したからではない。

 令和である。

 万葉集である。

4043574061

 万葉集に詠まれた和歌浦という場所にちなんで豊臣秀吉の建てた和歌山城が、和歌山という土地の名の由来だと言われる。とても奇異な話だ。もとの和歌では若浦と記述されているのに、和歌に詠まれたから和歌浦と呼ばれるようになり、その有名な和歌浦を見下ろす山が和歌山と呼ばれ、その和歌山を有する土地すべてを和歌山と呼びはじめた。

 潮が満ちて鳥の鳴く、なにもない海のことを詠んだがために、その土地に名がついてしまった。あそこが万葉集で読まれた和歌の海辺ですってよ、旅してみましょうかしらん、と観光客が集まりはじめて……令和になって、リブート。

 ところで『サクラクエスト』でも悩ましいところだったが、観光地に観光客が増えても、商店街はなんら潤わない。和歌山フィーバーなどと報道されても嬉しくもないどころか虚しくなってくる。和歌山城は観ても、見上げる土地に棲もうという者はいない。近々高確率で津波に飲み込まれると予測されている土地でもある。

 万葉集に限定して言えば、そこで詠まれている黒髪の歌は、けっこうなまめかしい。目につくのは、長い黒髪の女性が、自分自身の髪について詠むパターン。あなたのふれた私のこの黒髪を私はさわらないでおく、だとか、あなたを待って私の黒髪が雨に濡れたり凍ったり、だとか。

 そういう歌を目にすると、これって日記みたいに書いていたのか、贈るために書いていたのか、と思わずにはいられない。贈るためだとすれば、贈られた側は、おれが髪撫でたから洗わないとかっ、おれのこと待って凍えましたとかっ、わざわざ伝えられているおれってなに? という話。単純に怖い。

 おおらかなあなたを好き。

 も、似ている。
 なにか怖い。わざわざ好きと表明されているのだが、それって結局、いかにあなたのその振る舞いが私にとって居心地がよいかをわざわざ伝えてきているので。

 そのまま許容し続けないとダメですよ?

 微脅迫。

 わざわざ、他人に好きと表明するのって、そのままでいなさいという意味を含む。「今日は髪を編んでいるんだね」ならば「うんなんとなく気分で」というところだけれども「今日は髪を編んでいるんだね好き」では、あしたもそのままでってこと? ほどいたらあなた好みになんかって意味になる? などなどの深読みが可能になって鬱陶しい。

 好き、と他人に言われたい。

 でも、理由付けをされたくない。
 好きなら、ただ好きでいて。

 こっちもこれはこれで微脅迫ですけれども。

(視点がとっちらかっているので補足すると「今日は髪を編んでいるんだね」のあとには、切り取ってジップロックに入れておきたい、と言ってくれたらいい。それは別に好きがどうのと表明されているわけではないし、あなたのいま履いている下着を脱いで売ってくださいというほどの中身への興味もなく、女子校に侵入してだれのでもいいから体操服を盗むひとに私は似ていますという趣旨の表明なので「この変態」と返せばそれでいい。発言者も言ったからといっておさげを切り取ってぼくにくれるだろうなどという期待はしていないはずだ。つまり「好き」という言葉を「好き」以外の意味を込めて使われることに齟齬を感じる。「おおらかなひとね」のあとには、黙って私の手を取って小銭でも握らせるといい。日本のたいていの小売店でチップを受けとることは規律に反するが、私はおおらかなので目をつむるだろう。本来の意味でのあなたが好きという意味を含まない好きなどというただの言葉をもらっても嬉しくもないどころか虚しくなって、ああ、おおらかになんてしないでこいつに厳しく当たるのだったと後悔さえすることがあるというのが今回の趣旨でした)

B07CZQWNSK


TRACKBACK http://yoshinogi.blog42.fc2.com/tb.php/789-0e7d8bcf