最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ

『これほど昏い場所に』の話。( 2 )





 実に七年ぶりのディーン・クーンツ邦訳が出版された経緯については、前回に語り済み。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『これほど昏い場所に』の話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ちなみに新刊。七年ぶりのせいでAmazonさんもぼおっとしてしまったのか、ハーパーBOOKSがそう表記しているのか、作者名をこのところは「ディーン・クーンツ」としていたのを「ディーン クーンツ」としてしまい「ディーン・クーンツ」作品を新旧順に並べても、最新刊として表示されない。

(逆に「ディーン クーンツ」で検索すると、「ディーン・クーンツ」時代をスルーして「ディーン・R・クーンツ」名義の作品にヒットするため、二十年くらい書いていなかったひとが突然に新作を発表したみたいなリストになる。ふっと新刊はまだかいなと「ディーン・クーンツ」を検索したかたが新刊を見逃す可能性がおおいにあるので、そのうち改善されると信じたい)

 そして、その新作。
 男性向けによっている、と前回書いた。

 公式サイトが、こんな感じだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Jane Hawk 公式サイト

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 オリジナルのジェーン・ホーク・シリーズのペーパーバックカバーでは、デコルテをあらわにして動物の革とおぼしきもので作られたジャケットを羽織り、ウェーブのかかったブロンドは胸にまでたれ、アゴを突き出し挑戦的な気配の女性が写っている。

1984817493

 それが邦訳ハーパーBOOKSの一冊目では、こう。

4596550964

 首まで覆うコート。襟にとどくくらいのブロンド。発砲寸前なオートマチックに、荒野の上空を飛ぶヘリコプター。

 キャラクターを前面に出したオリジナル。
 言ってはなんだが、ある種のミスリードを狙ったかのような日本版。
 ある種の、というのは前回も書いたが、ディーン・クーンツを知らないのみならず、翻訳娯楽小説というものさえ初めて手にするような層に向けての仕掛け。

 『ブラックリスト』を連想させようとしている。

B075MNR6MF

 『ブラックリスト』のシーズン3で、ヒロインのFBI捜査官エリザベス・キーンは、子供ともども、殺されかけて逃げまどう日々となる。彼女自身は、彼女を追い詰めようとする謎の結社の正体を知らない。どうやらそこには、彼女のなかでは記憶もあいまいな、彼女の父親の存在が絡んでいるようなのだが。

 という日本でも大ヒットしてテレビの地上波放送もされている人気サスペンスドラマのシリーズを、同じくFBI捜査官である女性ジェーン・ホークを主役にした小説シリーズに重ね合わせて売るのは、賢いやりかただと思う。だがしかし、実際に『これほど昏い場所に』を読み進めると、それは本当にハーパーBOOKSのミスリードなだけだろうかと疑いはじめずにはいられない。

 『これほど昏い場所に』ヒロインのFBI捜査官ジェーン・ホークは、夫の自殺が殺人ではないのかと疑がったとたん、子供ともども、殺されかけて逃げまどう日々となる。子供を安全な場所に避難させ、敵の深層へと単身乗り込む彼女のまわりには敵か味方かわからない奇怪な人物があふれかえり、どうやらそこには、彼女にとってもっとも謎な存在でもある、彼女の父親の存在も絡んでいるようなのだが。

 かつて『ベストセラー小説の書き方』のなかで、書く者はそのまえに読者たれ、読んで読んで読みまくれ、と説いた師が、いまこの世紀に、ややこしい父親をもって夫を奪われ五歳の息子を抱えて悪を討たんとする休職中の美人女性FBI捜査官の物語を書くというのに『ブラックリスト』を観ていないというほうが現実味がない。豪邸に映画館のようなホームシアターがあるのに、全米視聴率ナンバーワンをうたうドラマは「いや観ていないなあ、似ている? 気のせいじゃない?」などと言うことを恥だと思わなくなっているとしたら、それこそもうあのディーン・クーンツとは別人だ。

 絶対に観ている。そのことをハーパーBOOKSも理解したうえでの、あの装丁。
 そしてもうひとつ。

 邦題。

『これほど昏い場所に』

 原題は『The Silent Corner』。似ているニュアンスではあるけれど、本作においては、物語る前に、クーンツ師みずからが、わざわざその言葉に関する説明を記述している。

 サイレントコーナー=沈黙の場所。それは、インターネット電子網を自由に動きまわりながらも、だれにも跡をたどられない者の居場所。

 つまり『The Silent Corner』は、サイバー要素の強いサスペンス劇で、いかに敵から「電子的に」隠れる=「沈黙の場所に居続け」ながら、敵に近づいていくかというジェーン・ホークの物語なのである。

 ほら、おかしい。
 だって、サイレントコーナー=沈黙の場所、と前文で訳してある。ならばタイトルも『沈黙の場所』でしかるべき。原題の『The Silent Corner』が、インターネットとリアルな地上の、というダブルミーニングかもしれぬということを明確にしたいのであれば『沈黙の場所で』でいい。

 『The Silent Corner』を『これほど昏い場所に』と訳すのは、かなりオリジナルとは違う意味が含ませてあるように感じるのではないか。

 のではないか。と書いたのには理由がある。新規読者はそう感じるかもしれない。なんか雰囲気のある、あまり使うことのない「昏い」なんていう言葉が含まれているのは、きっとダークなお話なんでしょうねと受けとるのかもしれない。

 だ、だが、だがしかしっっ!!

 これは完全にハーパーBOOKSから私へのメッセージだ。というか私を含めた隠れ信徒へのである。隠れる必要はないが、なにが好きと訊かれてディーン・クーンツが、と答えて「え?」なに、と思われないシチュエーション以外は存在しないのだから、実質隠れているも同然。

 隠れキリシタンに逆さ十字で蜂起をうながし、シシレオーのキーホルダーでトライガーの君に気づいてもらおう作戦。

 私は気づいた。
 そして読み、ああなるほど、と、あらためてうなずいたのであった。

「これ……『心の昏き川』……」

 文春文庫。白石朗、邦訳。
 書いたヒトもちろん、ディーン・クーンツ。

4167218380

 1994年の作。
 二十五年前。
 四半世紀の昔。

 邦題に関しては、かつての作品でクーンツ師自身がチェックを入れているということを明言していたから、今回もそうであるはずだ。そうであるならば、但し書きとして、この一文が添えられていただろう。

「この「昏き」という文字は一般的にSilentの日本語訳として使用するものではありませんが御作『Dark Rivers of the Heart』の邦題でDarkに対しても同様に一般的ではないながら使われていた表現です」

 師は、ニヤリとしたに違いない。

「心に巣くう過去を表すのに使った文字を、今回の悪意の静けさに対しても使うということかい。この前後のひらがなは?」

「形容しがたいほどに「昏い場所」ながら、そこにも昏くないものが宿っている。もしくは生まれ出でる、というニュアンスです」

「希望だね」

 いや、まったくの私の妄想だけれども。『心の昏き川』が『これほど昏い場所に』の原形であることは、信徒であれば疑いようもなく気づくことだ。邦題でそう匂わせていなくても、物語のなかで、これ見よがしに師も告げている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 彼はジーンズのポケットから、壊れたカメオのロケットを引っぱり出した。女性の横顔がソープストーンに彫り出され、銀の楕円に埋め込まれている。左端に蝶番が半分だけ付いていた。まだしっかり蓋ができて、銀の鎖に吊り下げられていたころは、誰か愛する人の髪の毛がこの小さなケースに収めてあったのだろう。
「ママが前にここへ来て、また行っちゃったあと、川でこれを見つけたんだ。石の上に打ち上げられてた。この人、ママに似てるよね」
 とりたてて似ているところはなかったが、それでもジェーンは言った。「たしかに、ちょっとね」


 ディーン・クーンツ 『これほど昏い場所に』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 川で見つけた、ソープストーン。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ただのソープストーンですよ。雉子と龍。あなたのは、その両者のパワーが必要です。雉子と龍。繁栄と長寿のシンボルです」
 チェーンをもってメダルをぶらさげながら、スペンサーはいった。「お守りですか?」


 ディーン・クーンツ 『心の昏き川』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 謎の中国人にもらった、ソープストーン。

 どちらも、物語の進行にほぼ関与しない。首からさげたソープストーンのおかげで銃弾が防がれて九死に一生を得たりしない。それどころか、主人公たちが、身に着けたそれに愛情を注ぐ様子が描かれない。

 クーンツ師には、そういうところがある。

 感情に訴えかけるようなアイテムを出してきて、しかしそんなものは窮地で役に立ちはしない、使えるのは自分自身だけなのだ! みたいな描写を好む。そういう師だからこそ、刻まれている模様は違うにせよ、主人公がどちらもソープストーンを身に着けて「昏き場所」へと赴く描写は、偶然であるわけがない。

 『心の昏き川』の主人公はスペンサー・グラント。ロス市警の捜査官だったが、いまは心に流れる過去という昏き川に起因する正義感に駆られ、犬を連れてランドクルーザーに乗って、とある女をさがしている男。

 『これほど昏い場所に』の主人公はジェーン・ホーク。敵に知られずインターネットを使うため訪れた図書館で、熱心にポルノ・サイトを眺めている男に出逢う女。あとで知ることになるのだが、男は、図書館が有害なウェブサイトを子供には見られないようにブロックしても、言論の自由があーだこーだと鍵を外してしまう連中から、また鍵を取りもどすといった些細なことまで個人的におこなっている、いわば行きすぎた善意のひとだった。男の心には過去という昏き川が流れていて、彼はひとりででも、少しでも世界を善き方向へ傾けようと戦っている。

 ディーン・クーンツは、過去に、さまざまなペンネームでさまざまなものを書いていて、そのうち出版されたポルノを自費を投じて買いあさっているというのは有名なエピソードである。自分で書いたものを自分で買い集め、過去を消している。

 一方、別のペンネームで書いた冒険活劇の何冊かを、クーンツ名義で書きなおしてもいる。師、曰く、生きているかぎり、直す機会があれば気に入っている作品は直すとのことだ。

 そういう意味では、SFサイバーサスペンスというものは、もっとも書きなおしたくてたまらないジャンルに違いない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「何メガあるんだ?」スペンサーはたずねた。
「メガ単位じゃないわ。ギガよ。十ギガ」


 ディーン・クーンツ 『心の昏き川』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 いまこの文章を書くだけに使われている極東島国の私のデスクトップでさえギガを越えてテラだ。アジア生まれの薄型折り畳み携帯電話がアメリカに上陸したうんぬん、という描写もある。四半世紀前。図書館にワールドワイドウェブ接続されたワークステーションは存在しないどころかローカルネットワークさえなく、司書は木の繊維を漉いて作られた紙を繰って幾万冊のなかから目当ての本をさがす職人だった。

 科学の力を使って主人公たちを追い詰める敵の恐ろしさを描くのに、この二十五年は手直しするといったレヴェルのことではなかろう。

 そして『心の昏き川』は、いまだクーンツ信徒のあいだでは、ひとつの伝説として語られる作品であり(ゴジラが登場することもあり、日本人たる私にとっては特に思い入れもある)、師自身も気に入っているはずだ。

「ガラケー前時代を、いまに? 書きなおしたほうが早くね」

 リメイクというか、リニューアル。
 いやあ、それにしてもおもしろいなあ『ブラックリスト』。

 あれ? 『心の昏き川』のスペンサーくんは、あとでヒロインを救いに現れる正義の味方的立ち位置にしたほうが、こういうテレビドラマっぽくね。謎のヒロインが主人公のほうが……映画化とか。いや、『オッド・トーマスの霊感』『フランケンシュタイン』に続く小説シリーズとして、まず書けちゃうんじゃないのん。

 そんな感じで書きはじめられたことを、確信しています。

 というあたりで、以下次回。
 やっと本編について語る……かなあ。
 けっこう、主要なネタをバラすとだいなしな構成ではあるので、いじりにくい。これもまた師が、この四半世紀で(いまだに)学んで進化したという部分なのでしょう。昨今のサスペンスドラマでは、視聴者の裏をかくというのは大事な要素ですから。時代に合わせる、小説職人の芸を堪能できる『これほど昏い場所に』。

 あ、もちろん、それには過去作を読まないとダメですよ。過去を知り、いまを知る。ディーン・クーンツに歴史あり、われ歴史に学ばんとす。


4167218372


TRACKBACK http://yoshinogi.blog42.fc2.com/tb.php/776-e332be73