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『これほど昏い場所に』の話。



 1945年7月9日。

 いまが2019年の三月なので、ざっくり言って、七十五歳に手が届いたということになる。日本では後期高齢者に分類され、自動車運転免許証の更新のさいには、認知機能検査を受けなさいと言われる年齢になった。

 そのひとが、2017年に一作目を発表し、立て続けに第二作目も。翌年、三作目と四作目。そしてこの五月に五作目という、驚異的な速度で刊行しているシリーズは、すでに数年先のぶんまで出版契約が成されているということで、どうやら師が2015年までの十年ほどをかけて七作発表した『オッド・トーマス』シリーズを冊数では越える勢いである。

 師、だ。

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『Dean Koontz師のサイン本』の話。

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 日本語のディーン・クーンツWikiはざっくりしすぎていて、熱烈信徒を自認する我が『とかげの月』の文章をデータとして求めてこられるかたも多く、おかげさまで布教の一角を担い、いまでも師の生筆『オッドトーマスの霊感』は我が家の家宝として崇められている。そんな私にとって、今回の出来事は一大事。

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 最新邦訳の本の帯。
 しかしスリラーの帝王がもどってきて書いているのはスリラーというよりはサスペンスである。怖くはない。というかもともと師の作品群は、怖かったためしなどいちどたりともないのであるが。

 『オッド・トーマス』と『フランケンシュタイン』という映像化されたシリーズで、どう考えても師は二十世紀当時よりも稼いだはずで(豪邸に移り住んだのもその後だったし)、そのときすでにカムバックを果たしていたと見るのがクーンツ好きの視点だが、世間一般的にはそうではないらしい。

 スティーブン・キングとロバート・R・マキャモン、そしてディーン・クーンツをまとめて御三家と称し、日本ではモダンホラー小説という呼びかたで一世を風靡した。今回の「カムバック」は、そこでクーンツ読書遍歴を喪失してしまった人々に向けての……

 と分析したくなるけれど、たぶん違う。

 第四作まで邦訳された『オッド・トーマス』シリーズの、その四作目の発刊が2010年の暮れ。そして第一作が映画化されDVD発売は2014年。2016年にはオッド・トーマスを演じたアントン・イェルチンが事故死するというショッキングな出来事も重なったが、続刊はなかった。ハヤカワ文庫でいつでも出せる状態にあるのではと推測するが、映画化作でありながらシリーズの発刊を途中で断念というあたり、相当な失速があったのは想像に難くない。

 その時点で、ディーン・クーンツ、七十歳越え。

 信徒ではあるが、確かに、いま読み返しても『オッド・トーマスの予知夢』について書く私の文章も、複雑なニュアンスではある。

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『オッド・トーマスの予知夢』の話。

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「『オッド・トーマスの霊感』これは文句なくだれもに全力でお勧めしたいシリーズ第一作にして、完全に完結した一冊としても読める名作である。以後の『受難』『救済』『予知夢』は、生まれ出でてしまったエンターテインメント小説界の無垢王オッド・トーマスに、ムチャブリをかけてあたふたさせ、そのさまをみんなで眺めましょう。という趣向である。人気の出た実力もともなっているベビーフェイスに対し、いかにもあつかいにくいイロモノキャラや冷血非道なヒトデナシ、そしてついにはこの世のものではない化け物までもを焚きつけて、それをオッド君がどうやってさばくのかをたのしむ……否、その無茶な世界と対戦相手たちとの紆余曲折な死闘の果てに、オッド君がどう成長するかを父みずからが予測もなく書き進めたのが、二冊目以降だと表現できる。」

 ……我ながら、褒めているのだろうかこれは。

 とてもいい主人公が生まれてみなさんにも祝福を受けたので、彼のその後を書いてみることにしました。という方向性が隠しきれない。その場合、本来は危惧すべきことがある。生まれたキャラはみんなに愛でられるすでにみんなの子。どこかのアニメのように『2』の監督が替わって「私のサーバルちゃんと違うっ」というような論争はないにしても、作者が同じならばすべて受け入れられるというものでもない。

 そして正直、小説『オッド・トーマスの霊感』続編のなかのオッドくんよりも、映画『オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主』のアントン・イェルチンのほうが、読者の抱くオッドくん像に寄りそっている。レビューも絶賛。クーンツ師も同じく絶賛していたので、わかっているならなぜ続刊でそのほんわかオッドくんを激烈な目に遭わせる方向性で行ったのか。

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 これには、師の小説作法というものが大きく関わっているように思えてならない。それは本当に私が師を師と呼ぶいちばんの教えだと感じているのだけれど。

 キャラクターは勝手に動き出さない。

 そこを徹底しろと、ずっと言われている。書きはじめたら主人公が勝手に動き出すなどという表現をするモノ書きがいるので、それを鵜呑みにして名前をつけただけの主人公を事件の真ん中へ放り込めば小説が書き進められると考えるひとたちがいるが。あれは天性の資質を持つひとが自覚なくできていることであって、私は違う(おまえらはもっと違う)、と。

 師は、主人公から脇役まで、小説に出てこない設定までもをまず詰める。背景が緻密に埋め尽くされてこそ、それによって実際に「生み出された」キャラクターだけが活き活きと動きはじめるのであるという。

 インタビューで、師は「オッドが読者に受け入れられるとは思わなかった」と明言している。「My name is Odd Thomas. I lead an unusual life.」という一文だけを啓示として受け、最初の三十ページを一気に書き上げたという。そんなことはこれまでなかったというのがオッドくんを神格化するための追創作の一種なのかどうかは置いておいても、およそオッドくんが師の作品の主人公らしくないのは紛れもない。けれど師の予想に反し『オッドトーマスの霊感』を出した年、それまでで最多となる五万通のメールが届いてしまった(師は過去に出版社にファンレターを雑なあつかいをされて以来、自作にメールアドレスを掲示している)。

 そりゃあ続きを書かざるをえず。
 でも、天から振ってきたかのように書きはじめた一作目。ダークヒーローではないうえに超能力者で、ほんわか青年だとか。お調子者で皮肉屋な、ディーン・クーンツの仕事場で作られたとは思えない造形。
 書き進めるにはまず、第一作の舞台である、小さな町を離れて……

 結果、私は、それを褒めることになった。

 毎日、書斎に出勤して決まった時間から決まったように小説を書く、職人であるところのディーン・クーンツは、逆説的にキャラなんて動かなくても、職人技によって読めるものが書けてしまうのだった。

 まさに、かつて肉弾凶器だったプロレスラーが七十歳を越えて、ドロップキックも撃てずコーナーポストに登ることもできなくなったけれど、充分に間を溜めたまったく痛くはなさそうだが味わい深いチョップひとつで大会場を沸かせてしまうように。

 ディーン・クーンツがジャイアント馬場に似た現役感を持っていることは端から見ていてもわかる。すなわち、行けるかぎりは仕事場へ行き、そのときできうるだけのことは演じて観客を沸かす。

 戦えなくなった、と自身に認めることを許さないだろう。生涯現役、という言葉は美しいが、かつてロケット砲に喩えられたドロップキックを放っていたひとが、ロープにもたれて片脚を軽く上げるのさえ一苦労というていなのを、ただ微笑ましいだけで眺められるひともまたいない。演じる側もわかっているのだ。老いの哀愁さえも現役を続けてきた自分ならではの武器のひとつで、できることをすると誓ったのなら、それを提示するのも職人の技だと。

 メールいっぱい来たから続きを書くよ、キャラはぜんぜん動かないけれど、なあに、舞台を変えてあっと驚く展開を詰めて、何冊か書けるさ。

 ファンサービスといえば聞こえはいいが。
 そういう局面へ、クーンツ師もいよいよ……
 目を閉じて天を仰いだのをおぼえている。

 というところで。
 今回の一大事に話をもどす。

SilentCorner01

 スティーブン・キングとロバート・R・マキャモン、そしてディーン・クーンツをまとめて御三家と称し、日本ではモダンホラー小説という呼びかたで一世を風靡した。今回の「カムバック」は、そこでクーンツ読書遍歴を喪失してしまった人々に向けての……

 と分析したくなるけれど、たぶん違うと言い切りたくなるのは、なにせ今回の出版元は、ハーパーコリンズ・ジャパン。レーベルは、ハーパーBOOKSだから。

 邦訳小説を嗜まない向きにはぴんと来ないだろう。しかし、そんなあなたも二十世紀を生きたのならば、ハーレクインという響きには、ぽっと頬を染めずにはいられないはず。

 ハーレクイン。

「恋は、本屋さんに売っている」

 あながち誇大広告でもないほどに、中毒者を出した出版社。小学生男子だったころには、同級生の母親がハーレクインかタカラヅカにハマっているというのは定番だった。いま思えば、その後の世代でボーイズラブに手を出しはじめた層を、当時は一手に担っていたのだろう。象徴のように、コンビニエンスストアには男性向けエロ小説とハーレクイン文庫が並んでいた。

 そんな、世界で恋を売ってきたハーレクインが、堅実に辞書などを売る出版社と合体して、日本でもハーレクインからハーパーコリンズ・ジャパンに社名を変更したのが数年前のこと。どちらかというとハーレクイン寄りの世界に棲む私などは、そのニュースに「もったいないことを」と感じたりもした。せっかく世界でロマンスの王国を築いたのだ。親になった世代としても、娘がBLとハーレクイン社のティーンズラブレーベルのどちらかを収集しはじめるとすれば、断然にハーレクイン社のロゴが本棚に並んでいたほうが安心である。その社名を変えてしまうなんて……

 だが継いでのニュース。ハーレクインからハーパーコリンズに社名を変えると同時に、立ち上げられた文庫レーベルの方向性に、手のひらを返して拍手する私がいた。

 ハーパーBOOKSは、世界で売れたエンタメ小説を日本で展開していくと断言したのだ。スティーブン・キングやトム・クランシーでさえ売れなくなったこの国で、いまいちど勝負をかけてくれるという。通勤電車で文庫本を開いているのが私だけということも多くなってしまった島国で、いまから洋モノを主軸に打って出るなどというのは、まさにハーレクインのやりかただ。ハーレクインは、書き手と、翻訳者を自社で育てまくって世界を制したことで知られる。そのノウハウがあれば、むしろこの国には、余地があると踏んだのかもしれない。

 世界でヒットした映画は日本でも客が入る。だが、ベストセラーになった娯楽小説の類は、売れない。売れないから大手も二の足を踏む。読むヒトがなお減る。だれも期待しなくなる。ますます出ない。最悪のスパイラル。

 だれもが頭を抱える地上でも、しかしモノ書きはモノを書き続け、読み続けるモノたちもいる。ボーイズラブという新興勢力に奪われた本好き女子が再び伯爵だヴァイキングだという男たちと恋をする女子を描くハーレクインに舞いもどることは考えにくく、かといってハーレクインボーイズやハードコアハーレクインなどというレーベルを立ち上げてはブランドの失墜。

 その立ち位置で、最良の一手だった。
 ハーレクインはハーパーコリンズに社名が変わりましたが、ハーレクインはブランドとして変わらず存続します。そして新たに生まれるハーパーBOOKSは。

 男性にも、もちろん女性にも興奮を与える各種ジャンルの海外作品をお届けするレーベルとして唯一無二の存在となる!

(でもまあ、ハーレクインが存続して大きな柱のひとつである以上、こっちはどちらかといえば男性向けにすり寄ってゆきましょうか)

 キーワードが揃った。

 海外ベストセラー作家。日本にも一定のファン層がある。新規にも読みやすい。軍事、歴史などのジャンルではなく男性向けエンタメが書ける。

 あ、はい。ちょっと歳食ってますけど、彼どうでしょうか。多作で、かつては別名で男性向けポルノも書いていて、映画化ドラマ化もされてカルトなファンを持つうえに、いま現在進行形で、いつドラマ化されてもおかしくないサスペンス小説のシリーズをハイペース刊行している。

 ディーン・クーンツ。

 ハーパーBOOKSにベストマッチ。

 というわけで、本邦七年ぶりの師の邦訳文庫が出版されるはこびとなったのですが。ここまででこんな分量になってしまったので、その内容と感想と考察は、私もシリーズ化します。
 以下次回。

 ネタバレする気満点で書くので、未読のかたは、先に読んでおいてもらえれば話しやすいんだけどなあ、買わないかなあ。売れないと次がないを散々経験しているので、心の底から買ってほしいなあ。

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 いま生まれた文庫が二十年も前のムーブメントを引っ張り出して言う「帝王の帰還」は、もちろん新規読者に向けてのものに違いない。ここから海外娯楽小説を嗜みはじめるあなたが不安になるように。

「帝王さん? 還ってきたの? その名前ぜんぜん知らないけれど、だったら新参者として読んでおかないとならないもの? 教えてくれてありがとうハーパーBOOKS」

 なんて、まんまと買うように。
 だって当時も、ディーン・クーンツが帝王だなんて呼ばれていた記憶は、信徒である私の記憶にもない。あれは犬好きの陽気で調子乗りなオッサンだ。スリラーの帝王だなんて、ちょっと本邦でご無沙汰だからって盛ったイメージを売ろうとしすぎではないかしらん、という気はする。怖くないよ。最初にも書いたが、あのひとの書くものはスリラーでさえ怖くない。本人が、この世でいちばん(モノを書くひとにとっては、なおのこと)ユーモアが大事だと言っているくらいなので、間違いない。


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