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『ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~』のこと。



 幼いころ、全日本プロレスが好きだった。
 そのころにはもう、ジャイアント馬場というひとは第一線を退いて、でも現役でリングには上がっていて、のろのろした動きがモノマネ芸のネタになるような存在になっていたのだが。

 大人になってもプロレスを観続けていて。

 派生した団体も観るし、社長がなんどか変わってしかしいまだ存続する全日本プロレスも観ていると、ジャイアント馬場御大の命日は、私自身の誕生日の翌日。そのせいもあり、歳を重ねるたびに、馬場さんの逝った日だ、と数えるようになっていった。

 そんなこんなで、今週。

『ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~』

 という興行が打たれた。
 観た。

 いまも、頭のなかに王者の魂が鳴り響いている。王者の魂というのは、そのひとの入場テーマ曲である。勇壮な曲。そういう曲が一日中なにをしていても、仕事中も頭のなかに流れているというのは、私自身の状態が勇壮に保たれているからで、そういう状態にひとをしてしまうプロレスという競技の力をあらためて感じずにいられない。

 競技、と書いたけれど、この興行でもっとも時間を割いてリングを使ったのは、アブドーラ・ザ・ブッチャー引退セレモニーであった。

 ブッチャーというのは、尖った靴を履いてヒトを蹴りこれは自分の足の一部だから反則ではないと言い張ったり、パンツのなかに隠し持ってきたフォークで相手を刺すが相手は血が出ずに刺し返されて自分は大流血といった、悪役なんだかなんなんだかよくわからない立ち位置で全日本プロレスを湧かせた選手だった。

「あれは私のはじめたスタイルだった」

 と、インタビューでブッチャーが話していた。その引退セレモニーに、ブッチャーと同様に頻繁に来日して全日本プロレスを湧かせていたアメリカのレジェンドレスラーが出てきてブッチャーを褒めちぎりお得意の「フォオォォ」という、知らないひとにはなにがどうたのしいのかわからない雄叫びをあげて、でも両国国技館に来ているようなひとたちの大半は知っているので「フォオォォ」と声をあわせて返しながら、大きくうなずいた。

 WCWでありNWOといった略称はいまでも私を熱くさせるが、それも敵対する超お金持ち軍団というシナリオあってこそだった。プロレス界に革命をもたらした「エンターテインメントスポーツ」団体は、育ちすぎてスター選手のギャラが払えなくなるという間の抜けた終焉を迎えて身売りする。そうして名を変え、動物保護団体に難癖つけられてまた名を変え、世界最大のプロレス団体へと躍進して、むかしの選手を買い戻し、ふたたびそのシナリオに手を染めた。超大金持ちがやってきて団体を買うだのと発言され好き勝手やられる!! という壮大なセルフパロディである。大金持ちで、口が悪くて、いい奴ではないけれど、愛すべきキャラクターを演じた、そのときの男が現アメリカ大統領。ブッチャー自身の言葉を尊重するならば、ブッチャー以前に「愛すべきヒール」などというカテゴライズはなく、だとすればそれそのものを演じて結果的にアメリカ国民に受け入れられ、いまでもけっしてベビーフェイスではないヒール寄りの姿勢のままの男を大統領にまでならしめたのだから、日本の全日本プロレスというものが発した世界への波が世界そのものを変革したといってもかまわないところであろう。

 アブドーラ・ザ・ブッチャーは、もう何年も前に引退を表明していて、七十代の二百キロは体重があろうかという大男が、トレーニングをやめたら当然のごとく、特注の車椅子に乗っての来日となった。私といっしょに三歳の息子がリングを見つめていた。ブッチャーが引退を表明したのさえ彼が生まれる前の出来事で、動いて吠えていた彼の姿を知っている私でさえ、スチール製の運搬車のような車椅子に服なんだかも判然としない布を巻きつけて座る圧倒的な肉塊に傷だらけのひたいな好々爺の首がのっかっているそれは怖じ気づく物体だったのだが、三歳男子は逆に凝視していた。

「おれ、おじいちゃん?」

 そこからか。まあわかるが。あああれはヒトで、おじいちゃんだ。おとうさんも、あんなにおでこがボコボコになったあんなに大きなヒトはほかに見たことがないが。

「なにやってんの」

 その不思議なおじいちゃんを中心に、だれひとり戦うことなく全員が笑顔で、プロレスのリング上に立ち並んでいる。さまざまな団体をテレビ観戦している息子は、三歳にしてキャンプ場プロレスだってプロレスだと理解しているが、ちゃんとしたリングの上でみんながなごやかなひとときをすごしているからこそ、違和感をおぼえたのだろう。

 あのおじいちゃんは、もう戦えなくなったからプロレスをやめることにして、だからみんなが、ありがとう、と言いに集まってきているんだ。

「なんで、ありがとう?」

 その質問に、なぜだか私は潤む。それでも言葉をさがして、いちばん近いのはこうだろうと思ったことを言った。

 あのおじいちゃんは戦っているときすごかったのだよ。

 すごい、という表現を突きつめていくといろいろあるが、三歳に伝わるように選んだ、それで正しい気はする。すごいなあ、あのひとはあのひとの人生を使い切ってやがるなあ、といった感嘆。若くしてあんなにおでこがジグザグの傷痕だらけになったら、故障して引退することになってもバイトの面接も受けられないだろうに、と考えてしまう自分と、さらにその傷を目の前でひろげて血を噴くブッチャー。

 黙ってブッチャーを遠い目で見てしまった私に、彼がぼそっと言う。

「戦っているところが見たかったなあ」

 おお。三歳が、なんだかちゃんとしたことを言うようになったじゃないかと感心しながら、三歳ゆえにそれがお世辞などではなく、きっと本当にそう思っているのだろうと信じて、おまえは世界で最後に生まれたブッチャー好きかも知れないなと肩を抱いた。

 良い時間だった。

(そのあと流れた現役時代のブッチャー映像に、あーこういうのねと息子が目を背けたシーンは割愛しよう)

 その後の試合で、三歳大好きSANADAも登場し、私は歴史を想い。マスカラス・ブラザーズがご高齢ながら毎年のように日本には来ているけれど、年々足腰は弱ってきて、ついにこの大会では一ミリもフライングしないフライングクロスチョップという難解な技を披露するも大歓声。三歳も、なにあれ、と逆に笑っていたので、またプロレスの奥深さを体感して潤む。

 メインイベントで、新日本プロレスのエース棚橋弘至と、全日本プロレスの現王者宮原健斗が対戦するも、終始、歳上の棚橋先輩を立てる姿勢を崩さなかった宮原に、全日本プロレスにジャイアント馬場の教えが消えていないことを再確認して、個人的には大好きなのにヨシタツが、棚橋から受けとったエアギターをなぜだか膝でたたき折って観客にブーイングを受けたのが、いかにも彼ってそういうところがあるよね、でもアメリカも新日本も離脱した果てに全日本だからイキイキとしている彼こそ「辞めなければ陽が当たる」トンカチはトンカチなりに全員ヒーローで、よりどりみどりだからこそだれもがだれかを応援できる日本のプロレスの最先端なのかもね、と優しい気持ちになったりして充足した。

 この文脈で想い出すのは適切ではないと感じながら、馬場全日本が時代を変えていったまさにそのあたりを舞台にした映画『チョコレートドーナツ』の、適切な続編を観た気もしていた。先週、ここでドーナツの話をしていたことも関係はある。ただ、そのナイーブなテーマをあつかう映画を真正面から語ろうという気はなかった。

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 誰も欲しがらないから

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 映画『チョコレートドーナツ』

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 背が低くて太った知的な障害がある子供をゲイのカップルが愛して家族になろうとするが、その邪魔をしたところでなんの得もないはずのまわりの人間全員が彼らの敵となる。実話をもとにした、ほんの少し前の世界の雰囲気が描かれている映画だ。

 そんなのはナンセンスだ、いまはもうそんなことはない、と言いたいが、どっこい世界はさらに複雑になっているようにも感じる。今週、テニス界の女帝マルチナ・ナブラチロワが、トランスジェンダーの女性選手が女子競技に出場することに批判的な発言を繰り返していることに関して、世界では賛否両論だった。

 一方、日本人で初めて性同一性障害を公表した、いまも公的な性別は男性なプロレスラーは、昨年、女子王者のベルトをしれっと獲っているけれど、この国では大喝采しかなかった。

 ジャイアント馬場が力強く語った「プロレスのリングでおこなわれることはすべてプロレスである」(だから細かいことを言うな)、の精神と、同じくそのひとが言った「プロレスラーは怪物でなければならない」という教えは、あくまで団体の長だったそのひとが集客のために徹底したかった社訓ではあるのだろうが、結果として、外人を鬼と呼んでいた国で、奇声をあげながらフォークで日本人を刺す黒い呪術師などという通り名を持つ巨漢を愛らしいわと心底思えてしまう人々を増殖させ、まあプロレスなんだからどう見ても男の体格だけれど心が女子なのだから女子王座獲ってもいいんじゃね、などということさえ考えずに、女子プロレスのリングで戦って勝ったやつが女子王者になるのは当然だと受け止める、大ざっぱなファンまでもを育てた。

 サッカーのファン同士がとっくみあいのケンカをするような光景を、日本のプロレスファンのあいだで見たことがない。ジャイアント馬場と全日本プロレスに慣れた国民は、おじいちゃんが重いものを持ち上げただけでチケット代を払って観に来たかいがあったと手をあわす始末である。

 と、いう意味で。
 終わるものあれば、はじまるものがあり。
 今週、うちの三歳男子が声がひっくり返るほど笑っていたのは、平和な日本のプロレスをさらに推し進めひろげている団体DDTプロレスリングの両国国技館2Days興行であった。

 紅白歌合戦出場歌手の新メンバーにパンダが選ばれたり、肛門が爆破されたり(おしり爆発すんの、とものすごく集中して観ていた)。小鹿とアブドーラ・ザ・ブッチャーが「別のおじいちゃん?」というのは、私を笑わせたり(おじいちゃんということ以外、どこも似ていない)。某モンスターハウスのひとの自宅が破壊されかけた件に関してはネットニュースでも一定レベルの話題になっていたけれど、私が、おお、と思ったのは、一日目のマッスル興行ではなく、過去にもプロレスの最前線て、もしかしてここではないのかなと私を唸らせたDDT本体の興行。

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『ラリアートとキス』の話。

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 世界においても、凶器を使うプロレスというのは、映画になるほど、奇異でドラマチックなものではある。

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映画『レスラー』の話。

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 ホームセンターでも昨今は照明器具といえばLEDで、蛍光灯は本体はもう売っていなくて替えだけが売られている現状ながら、日本の凶器レスリングの老舗、大日本プロレスではいまも直管蛍光灯デスマッチというのが花形である。あれは、割れると、ぱんっ、ときれいな音がする。細かく砕けるので大ケガもしにくいし、うらはらに、わざとケガをさせようと思えば断面でざっくり斬ることもできる便利アイテムだ。

 とはいえ、うちの三歳も「あれでしょ」と天井を指さすも、そこに光るのは直管蛍光灯型のLED照明で「あれは割れないよプラスチックだし」と言えばよけいに混乱するだけで、そういう世代が今後の客層だと思えば、直管蛍光灯百本デスマッチが盛り上がるか否かという以前に、それが題材で成り立つのかという根源的な問題が立ちあらわれる。

 トランスジェンダーはルールの逸脱なのか、男性同士の口づけは暴力にまさる凶器なのか、割れるガラスのなくなった世でガラスが割れるのはリアルであり続けられるのか、などの命題を抱える現代プロレス界において、またしれっと、そういうものが提示されていた。

 プラスチック・ロボット。

「あ、ロボっとー」

 と、三歳男子も認めた、ロボットは、俗にいう収納ケースで成り立っていた。

 こういうの。

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 誤解のないように。上に表示されているのは有名どころの超頑丈で優秀な非のうちどころのない製品です。が、DDTプロレスリングで昨年から登場しているそれは、謎メーカーの妙に薄っぺらいそれ。たぶんどこかのPB(ラベルから特定しようと試みたが、果たせなかった。こちとら関西勢なもので。関東のショップさんのものだろう、きっと)。

 プラスチックの衣装ケースを、あのロボみたいに組む。

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 三歳がロボと認めるほどロボに見える。そしてすぐ壊れて、リングに置かれ、その上に選手が落とされる。

 砕ける。いい音がする。断面もギザギザで刺されば流血もしそうだが、なにせこっちの認識よりもさらにぺらっぺらのプラスチックケースらしく、昨年からなんども登場しているが流血は記憶にないまま両国国技館である。

 蛍光灯がガラスからプラスチックのLEDに変わって、調達しにくくなり、割れもしない一方、ずいぶんと前から世界中にありながら、いまになってハードコアアイテムとして巨大会場で観客を沸かす衣装ケース。

 映画『レスラー』で、ホームセンターでいま売られている商品でどうやって流血しあえるかを検討するレスラーたちの姿は、いまもやっぱり変わらず、最先端は衣装ケースだ。ジャイアント馬場が逝って二十年。同じ刻、同じ国で、世界中のプロレスを生まれたときから観てきたけれど「衣装ケースかあ」と、私を感心させる。終わりそうにない。実際、キャンプ場プロレスがプロレスで、そこもリングで、馬場御大の言葉が正しくリング上で起こることのすべてがプロレスであるならば、地上が、いや宇宙が、すべてプロレスである道理だ。あした宇宙人がやって来たら、そいつの持っている奇妙な形の光線銃を使って打投極を成し、おお、と観客を沸かせるのがプロレスラーなので、日本も馳浩あたりを派遣すべきであろう。いや、その日の朝に就職活動の解禁がどうのとニュースで語っていた元大臣が、王者の魂興行に姿を見せて、パンツ一丁になりはしなかったけれど、こっちは過去を知っているから黄色いパンツでくるくる回すひとだと思ってニヤついていた、その空気がまた実に平和そのものだった。

 なんでも飲み込めるし、なんでも「たかがプロレス」にしてしまえる。逆説的な言いかたになるが、プロレスで国民を湧かせたひとが、同じ手法で大統領になってしまったやりかたは、この国ではありえそうもないことにも安心した。大ざっぱというのは、逆から見れば醒めている。そうでありながら、悦んでいる。

 ひとことで言えば、粋(イキ)、である。

 良い時代だったと涙し、ぜんぜんいまからもだな終わらねえなと感嘆もした。とっちらかった内容になっていますが、徒然と書いたらこうなった。充実したプロレス一週間だったという話でした。尖った靴を履いて相手を蹴っ飛ばすことで世界を微笑ませ熱狂させた、ブッチャーのその先が、いまも続いている。フォークが衣装ケースになり、流血もしていないのに、あきらかに進歩している。ある種の答えが、そこにあるような気が、ひしひしとしたのです。

B07NVQYZ43


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