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『かわらず善なること』の話。



「地震や放射能。テロや暗殺。楽園なんかじゃない」

「なら、あんたの笑顔で少しでも良い世界にしなよ」

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映画『少女は異世界で戦った‐DANGER DOLLS‐』

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 少女は異世界で戦った。

 広島に落とされた原子爆弾をきっかけに、争うことの愚かさに気づいた世界は、アメリカ大統領の主導によって銃の根絶を果たす。

 しかし、だからといって犯罪がなくなるわけではない。

 犯罪者は刀を持ち、警察も帯刀した。

 ……という世界観によって、少女アイドルたちが抜刀して悪を討つというストーリーを成り立たせつつ「志穂美悦子の遺伝子を探せ」と謳ってアイドル女優たちに吹き替えなしのアクションを演じさせるという。

 おもしろくないわけがない。

 実際『DANGER DOLLS』のタイトルで世界上映され、ディスク化され現在アメリカのアマゾンで19人のカスタマーレビューで四つ星。アマゾンさんで映画を物色することがあるかたならば、大作とは呼べない規模の外国映画でそれだけの反応があること自体、注目に値する出来だと読めるだろう。

 そういう意味では、ガンアクションでも成り立つ物語を日本刀アクションに仕立てた作戦が功を奏した。アイドルがアイドルを演じている図式と、いっさい血の流れない日本独自の殺陣(たて)文化は、決してほかの国では撮れない画の連続だ。

 くだんのアマゾンレビューでも「The absence of blood is a bit odd at first」(血の欠如を最初は奇妙に感じますが……)と書いているかたがいるので、大河ドラマがオンデマンドで世界中に配信される時代になっても、時代劇作法というのはいまだ世界でエキゾチックジャパンであり続けているらしい。

 時代劇ではおなじみの、女優露天風呂入浴シーンがあるのも、オンセンニッポンイキタイデスネー、なガイジンを増やしているに違いなく、オリンピックだ万博だ、本当にひとは集まるのかという懸念で夜も眠れない偉いひとたちは、クールジャパン予算を削るどころかいまこそ『少女は異世界で戦った』的な作品を量産して世界に発信するべきだと思う。

 そんな思いで私は今年のアニメ『あかねさす少女』にも注目していた。

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 『少女は異世界で戦った』同様、異世界でもうひとりの自分自身に出会うことで「こちらに在る」自分の存在意義をあらためて考えさせる仕掛けに、戦うことの意味をからめて少女たちを苦悩させるキャラデザは世界で売れる日本の桂正和。

 おもしろくないわけがない。

 のだが。ご存じのとおり、テレビアニメと同時に展開された『あかねさす少女』オンラインスマートフォンゲームはアニメ最終回と同時にサービス終了を発表。近年まれに見る撃沈であった。

 なにがいけなかったのか。

 同じ懐古趣味戦闘風味並行世界少女群像劇である『少女は異世界で戦った』に、あって『あかねさす少女』には、なかったもの。

 ではない。逆だ。

 『あかねさす少女』は可能性は無限にあると言い続けた。思い通りにはならないが、覚悟さえもてば、ひとは自由にはなれると。

 一方の先行『少女は異世界で戦った』。

 銃がなく、原子力がない。
 ないから刀で斬りあうしかなく、エネルギー問題が解決しない。

 ある、世界を異世界として描くことで、戦う少女は異世界の自分たちに吠えることが可能になる。放射能とテロの時代。それを否定して隣町と刀で戦争していた世紀のほうがよかっただとでも言うつもり?

 ここで生きるしかなく、可能性はこの枠組みのなかにしかない。

 少女のひとりが、異世界の自分と入れ替わろうとする。仲間が止める。

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「でも、その子はアリサのおかげで平和な人生を生きてこれた。あたしたちは向こう側のあたしたちに、天国をあたえたんだよ」

「自分は地獄に落ちた。そういうこと?」

「そう。だれかが戦わなきゃいけないなら、笑顔で生きてる、あたしじゃない。もう手が血で染まってるあたしたちだよ」


映画『少女は異世界で戦った‐DANGER DOLLS‐』

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 この考えかたは、同じく血の流れない時代劇風の殺陣をファンタジーに応用したシリーズ『牙狼』にも生きている。

 剣と鎧といえば和よりも洋の騎士をモチーフにしているはずなのに、牙狼シリーズの英語レビューは、そこへ日本らしさを見ようとする視点にあふれる。「defender」というのが、その源泉にある。戦士ではなく、守るもの。擁護者。

 確かに日本のサムライというものは、義のために戦うというイメージがあるにはあるが、この国に棲んでいる身からすると、義というのは愛するものたち=国を守るこころざしというよりも、現代に続くサラリーマン根性、上に立つもの=国への忠義の意味あいが強い気がする。

 ときまさにこの元号での最後の正月。いかにも王様然とした名称のかたが入れ替わるたびに時の呼び名が変わるという国。その名を叫んで突っ込んできた兵士たちにサムライを重ねた年代だと、自分の得にはまったくならないのに自分の命を投げ出す戦いかたというものは、禅の真髄のように映ったのやもしれず。

 ただ、最近では、日本の時代劇でさえ、個人的な愛を叫んでいる。偉人でさえ、滅私奉公な精神でお国のために働かれては、尊敬も共感もできない。偉大なことを成し遂げて、この国のいしずえを作ったにしても、できればそのひとは個人的な愛のために命を張ったのだということにしておいて欲しい。

 『北斗の拳』であってほしい。
 ユリアぁぁ、とか、エイドリアぁぁン、とか。
 日本は近年、ヲタク文化を積極的に国外へと拡散してきた結果、ヘンタイという語句を世界共通語にした。語源としては日本産の尖りすぎたエロコンテンツを指す意味だったけれど、最近ではヘンタイニホンジンという、ひとくくりで捉えられている。

 日本人はHENTAIだ。
 すべからくフェチである。
 偏愛のために死ねる民族。
 カミカゼという歴史は理解しがたかったが『マクロス』シリーズを観れば、美少女歌姫が戦士たちの生き死にを左右するという世界観が理解できる。

 『牙狼』しかり。

 最新の『神ノ牙-JINGA-』では、ヒーローが、悪なる存在になってしまった人間から「悪」そのものを切り離して人間に戻すという新機軸で描かれている。

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神ノ牙 –JINGA-

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 と書いてみて、最近の仮面ライダーもそうだと思い当たる。

 そういうコンテンツをばらまいて、世界ではさらに理解が広がるはずだ。

 2018年。日本では十人以上の死刑執行があった。二桁を数えるのは実に十年ぶり。対照的に、世界では毎年のように死刑制度そのものを廃止する国が増えている。

 今年の執行は特に、宗教団体のトップ級を次々に、という形だったため、世界中で、それはかえって悪を神格化するのではという論調の記事が書かれた。

 だがしかし、クールジャパン文化を摂取し続けている国外の識者においては、納得できる出来事だったかもしれない。

 「悪」を切除すれば「善」は維持される。

 それを成すのが、現代日本の、子供ばかりか大人にまで熱狂される、ミニスカの少女戦士であり、仮面のヒーローたちである。

 今年の死刑執行が多かったのは、改元の年である翌年には執行不能だという判断があったからだとされる。あのかたがあのかたに代替わりされる神聖な年には万歳を叫んで悪を斬るなどということをしてはならない。

 してはならない。つまり忌みごと。その仕事は善の維持のためにおこなわれるのだけれども、その執行者は、穢れた存在になる。

 でもだれかがやらなくちゃなら、あたしがやる。
 あたしってもう穢れているから。
 穢れていない異世界のあたしがなにも考えずに生きていけるように、あたしが穢れ続けることのどこに矛盾があるっていうの?

 『神ノ牙-JINGA-』では、善を守護するために小さなものを斬って捨てるのはやむをえないと言いのけたヒーロー御影神牙に、悪役であるはずの前世のジンガが言う。

「それを悪というんじゃないのか」

 毎年、雨宮慶太筆の『牙狼』年賀状をいただく。額装して、リビングに年々増えていく。今年もいただくことになっている。また増える。悪を斬る騎士の画を、我が家では一年中、視界の隅で捉えている。

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 フィクションである。
 しかして、神棚の位置にあり、我が家に神棚はない。
 正月はいつもより忙しいくらいで、休みのない職種だ。でも初詣には行く。世界が平和になどと祈らない。個人的な幸せを祈る。

 どこかでだれかが、悪を斬っていてくださいと願う。
 それで私は善でいられますのでと。

 嫌な生き物。
 なにを書いているのだろうか年の瀬に。
 失礼した。

 よいおとしを。
 また来年。
 かわらず愛しています。
 と言う。私がかわらずいなければ愛もない。
 私は私の見ている世界しか知れない。
 知るものにつき想うしかできない。

(わかって就いているし、ふだんは苦に思うことはないのだけれど、元号かわるから何連休というのを公的に決めるのに、正月も関係ない職種のひとはやっぱり関係ないというのは、心がやさぐれる気はするこの年の終わりだったりする。他の祝日はともかく、国の元号が変わるぞみんなで祝えというならば、国民全員ではないというのはどういうことだ。建て前で政治と切り離してはいるけれど、切り離すということは逆説的に宗教であることを認めているので、宗教的儀式に全員が邁進する安息日は、あらゆる経済活動を止めて祝うべきだ。個人の自由というならそれですっきりだが、政治が祝日を決めるなら、今回のそれが、私を退けているのはどういうことだ。仲間はずれかよ。全員断食すべき。対外的にもむしろあの国やっぱ底知れねえとなって経済的にも有利に働くかもしれない。メタボもちょっと解消されて国民総健康になるかもしれない)

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