
ラムネのビンを割った想い出がない。
ガラス玉を炭酸の圧力で内側から、ガラスビンの口に押しつけて封をする。
それを店頭にある棒で押し開ける。
閉じるため、開けるために、なにも足さず、なにも引かない。
究極のリサイクル容器。
プラスチックのリサイクルなんて、集めて溶かしてまた作って。
なんて非効率的。
コーラもビールもシャンパンも、ぜんぶこのコッドネックボトルにしてしまえばいいのに。
だがしかしそのビンは、世界から消えつつあるそうだ。
輸送途中に栓が勝手に開く。
そういう問題もあるが、発展途上国ではさらなる難題。
ガラス玉を取るためにビンを割る。
ガキどもの存在が大きいらしい。
この国だって例に漏れず、昭和を生きていた者の共通記憶として、
「やったよなあ」
という話をまわりで聞くのだが。
いやまったく。
ラムネを飲んだ記憶はある。
ビンを返していたのだろうか。
返すものなのだから正しい行いだが。
そうすると駄菓子屋などの、店先でビン一本飲みきっていたことに。
……そんな記憶もない。
家で飲んで酒屋さんが回収?
確かに瓶ビールは配達されていた。
頭のなかを探すが……
ラムネビンと、我が家の台所が結びつかない。
可能性として。
ときおり銭湯に連れて行かれた。
そこでなら。
飲み、返す。リサイクル。
ありうることのように思う。
だが、なんにせよおぼえていない。
私にとって重要なことではなかった。
祝いの席のシャンパン同様、シュパンッ、と栓を開ける。
その瞬間だけの飲み物でいいのだ。
と、思い返しながら。
幼い息子のラムネビンに、
冷蔵庫にあった別の炭酸飲料を入れ、さかさまにして数十秒。
写真では出ている小さな泡も、
やがて消える。
また開けられる状態になる。
新品のように激しい音は出ない。
でもガラス玉が音立てて落ちると、子供は子供だましに笑う。
昭和より貧乏臭い。
にしても。
ここに生きるリサイクルの極みよ。
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このやりかただと、栓を抜くときに爽快な音が出て白い煙が、というところまではいかない。ビンをカシャカシャ振ってやると、けっこうきつく締まる。でも当然、それだけ炭酸が抜けているということで。たいした容量もないのに、気も抜けた砂糖水を、わざわざ飲むほどに、シュパンッ、に価値を置くかどうかというところ。
私は置かない。
なので、もっぱらコッドネックボトルをただのコップとして使っている。単にサイダーを注いで息子に渡す。シュワシュワちょうだい、と駄々こねていた子が、とりあえず黙る。
書いてみて、なかなかに渋いおこないだと再確認した。息子がいつかブログで幼い日のラムネビンの想い出として、これを書いていたら涙もろくなっていなくても私は泣くだろう。
でもまあ、そもそもラムネビンの想い出がほぼない私は、つまり単純明快に、そういうものを買ってもらっていなかったのだ。実家に残っているオモチャの量を見て、いまさら思う。
けっこう渋く育てられていたんだ、私。
なので我が家の先祖代々からの伝統ということで。
それはさておき、さっき、さらっとサイダーと書いたが。以前にツーリング先で巡り逢ったサイダーの聖地。
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『寝る前にオレオを食べるダイエット』の話。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本邦を代表するシュワシュワ水は発売当初のネーミングが「シャンペンサイダー」である。
アサヒ飲料さん公式に、画像がある。
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「三ツ矢」の歴史|アサヒ飲料・・・・・・・・・・・・・・・・・・
コルク栓のシャンペンボトルでもない。ビールだ。ガラスビンに、王冠。栓抜きで開ける、当時にしてもひねりのないパッケージ。ビールで培われた炭酸の圧力に負けないビン製造技術というものがあったので、それを流用したのだろう。
つまり、なにが言いたいかといえば。
日本における甘い炭酸水飲料は、ほぼ最古からサイダーだった。
じゃあ、ラムネってなんなのか。レモネードである。コッドネックボトル入りのレモネードが神戸で売り出され、本物の外人から直輸入でレモネードの発音を聞いた神戸人は、
「れもねぇ? ラムネか」
と、大ざっぱなノリで和訳した。
で、その後、世界中でコッドネックボトルは廃れていったが、なぜだか日本にだけ息長く残った。諸説あるが、圧倒的なシェアを握っていた大阪のビン職人によるラムネビンの製造が、オリジナルよりも優れていたために輸送中に勝手に開栓されたりといった事故が少なかったせいだという説を私は推したい。この国では、まが玉を磨いていた昔から、貝もガラスもなんだってまんまるく加工してきた。昔読んだプラモデル戦士のマンガで、究極まですべすべに磨きあげた平面と平面は接着剤を使わないでも密着して離れないという技を活用してガンプラを作っていたので、私も一生懸命真似たが、くっつかなかった。でも日本国大阪の職人は、二十一世紀まで開かないラムネビンの玉を封入して口を絞る御技を手に入れた。マンガで描いてもいいほどに神である。
そんなわけで、ラムネは日本独自のものである。
ラムネビンに入っているサイダーがラムネ。
ということは、私はもっぱらコカコーラ社のあいつをそれに詰めて飲めと息子に渡しているけれど。

それもコッドネックボトルに入れられた時点でラムネだと呼べなくもない。
日本独自といえば、豆腐とラムネは仲良し。どちらも中小企業の事業活動の機会の確保のための大企業者の事業活動の調整に関する法律(中小企業分野調整法)に基づき中小企業で独占的に生産されている。
大企業が作って売ってはならない。
アサヒ社製のラムネも、コカコーラ社製のラムネも、日本では販売できない。しかし、うちではビンを使い回して大企業の飲料を買って入れ替えて飲んでいる。中小企業の事業を保護する尊い日本の法律を破っているとはいえないにしても、かなりグレーな運用。
反省しよう。
というわけで、シャンメリーを三本買ってきた。
シャンメリーも、中小企業分野調整法に基づき中小企業で独占的に生産されている。
私は輸入物のシャンペンを開けよう。これもよく知らないメーカー製のものを適当に。勢いで適当に酒を頼む人種が世界の経済を回しているといっても過言ではない。シャンパングラスにシャンメリー(これも中身はサイダーと呼べる。奥深いサイダーの世界)を注いで、息子と乾杯する。
インディーがあってメインがある。中小企業のおかげで、サイダーをラムネとも呼ぶような多様な食文化体系が、この国には生き残っている。ビールの酒税が上がったら発泡酒を生み出してしまう技術大国で、やろうと思えば大企業がラムネ文化もシャンメリー文化も新しく生み出したサワピー(仮)みたいな名前の、ラムネよりももっと珍妙なボトルに入った味はサイダーと変わらない新飲料ジャンルを創造して、縮みゆくばかりの子供向け市場を奪うことだってできるだろうに。法の隙間を突いてインディーの畑も刈ってやろうという巨人が現れないのは、美徳というものが、ここにはまだ生きていることのアカシではなかろうか。
いろいろあるし、楽園ではないし、近々滅びゆくのだとしても。今年も終わりかけている、今夜はまだ滅んでいない。幼子がラムネもシャンメリーもシュワシュワだと呼ぶ(正確には、シャンメリーのことは「煙の出るシュワシュワ」と呼んでいる。ビンの口から立ちのぼる炭酸の白い雲を見たから。色のついた炭酸飲料はスパークリングと呼ぶ。仮面ライダービルドのスパークリングフォームで学んだ)のを間違っちゃいねえなと笑いながら乾杯するくらいのおだやかさは残っている、継続中の静かな土地で。
メリークリスマス。
あなたを含め、この世界のなにもかもを愛している。
それが許されていることに乾杯する。