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『ムーンライト』の話。




ぼくはもういちど
自分のなりたい自分をさがすよ
時間はかかるかもしれないけれど
たとえ若宮アンリのからだでも
若宮アンリのこころを
しばることはできないんだ


テレビアニメ『HUGっと!プリキュア』

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 プリキュアサーガが、十五年で初の真性男子プリキュアを登場させたという歴史的な今週。

 息子(三歳男子)が生まれて初めて「おとうさんこれも録っておいてほしい」と言ったのが『HUGっと!プリキュア』で。観るのならばと関西ではサンテレビさんが毎朝歴代プリキュアを放送しているし、うちはテレ朝チャンネルも入るし。ものすごい勢いでプリキュアを摂取しはじめた男子が、祖母と出かけてガチャガチャでプリキュアを買ってと言ったらしく。

 祖母が私を見てため息をついたのは、幼子が熱を出して保育園に行けなかったりしたときにたびたび来ることで、我が家の本棚の半分以上がいわゆるボーイズラブもので埋まっているのが、嫁ではなく生んだあたしの息子のものであると気づいてはいることの証左だったりするのですが。

 しかし実際のところ、仮面ライダーを観ていると流れるCMは男の子向けで、プリキュアを観ていると女の子向けだけであり、最初の段階で「プリキュアは女の子の観るもの」とシャットアウトしてしまえば、めっちゃ仮面ライダーとスーパー戦隊には詳しいのに、同じ時間に続けて放送しているプリキュアにまったく関心をしめさず、ガチャガチャだって知らないキャラなのだから欲しがらず、男子かくあるべきという男子ができあがるのかもしれない、録っておいてと言われても否貴殿男子也と答える父親だって多いのだろうと考えたりもした今週だったのですが。

 『HUGっと!プリキュア』では毎週「なんでもできる、なんでもなれる」を合い言葉に、帝王切開でもママ産んでいなくてもパパだとか、いじめっ子の存在を描かずにイジメの連鎖を語るなど、三歳児には奥深いテーマで切り込んできて、あげくに男の子でも着たいならウエディングドレスを着ればいいプリキュアにもなれる、まで至った。だが実のところそのほとんどを、三歳児は理解していない。

 理解しないままに夢中。
 なに言ってるかわからないけどマニアックなこと立て板に水でしゃべる博士くんにもれなくぽぅってまう女子みたいに。

「ぜんぜんわかんないけど熱く語っていらっしゃるぅ」

 横で観ていて、夜、いっしょに風呂に入ったときなど、そういえばプリキュアさあ、という話をする。案の定、理解していない。していないのだけれど、決まって言う。

「かっこよかったなあ」

 そりゃ良いことだと、思う。思うが、即効性はない。カッコイイということの定義もあいまいだからだ。いっしょに女子プロレスも観ることがある。とてもよくある。三歳男子は、プリキュアの影響なのか、典型的アイドルレスラーをユビさしては「あれかわいいよねえ」と同意を求めてくる。ツインテールが弩ストライクらしい。私は、女子レスラーは少し斜に構えたクセのある選手が好きなので、そういう選手はたいてい、般若の面をかぶって入場してきたりするのだが、おとうさんはあのひとが好きだなあ、と言うと「かわいくない」と返される。「強そう」だから好きだと言うと、鼻で笑われる。

「だって女の子でしょう」

 三歳男子が薄笑いながら言う。お前はプリキュアになにを学んでいるのか、強かろうが心が広かろうが、けっきょくのところプリキュアがフリルな衣装のかわいらしい女子だから魅了されているのにすぎないのかと、哀しくなりかける。

 まったく失礼な話だが、昨夜もFNS歌謡祭を観ていて、ショートカットになったmiwaに「あら可愛いじゃない」と言う周囲に対し、可愛くない、という謎の主張を続けていた。ポリコレ的に難がある発言極まりないのみならず、どうやらmiwa本人でなく髪型の変化を的確に把握して「ロングヘアーを切っちゃうなんてもったいない」といういかにも「俺の女だったら許さない」思考での発言である。若宮アンリ回を観て直後に。ショートカットにした女性にボーイッシュで素敵、という表現もポリティカルコレクトネス釘バットで殴られるのかもしれない昨今。ただ素敵と言え、性にからめて外見を語るな、カワイイは世界語。カワイイだけ思ってろ。異論は認めない。

 いや私が三歳男児に思ってもらいたかったのはそういうことではなく、miwaが可愛くないならばそれはそれでよい。しかし、本人の意志で外見を変えてみましたというひとに対して、カワイイとかカッコイイとか以前に、思い切ったねクールだね、と拍手するのが(本当にしたらバカにしているみたいなので心のなかだけで充分だとは思うが)、対他者として感じてもらいたいところであった。

 とある映画を思い出す。

 2016年のアカデミー作品賞を受賞した『ムーンライト』。アカデミー賞が白人ばかり受賞していると叩かれ、同時に差別発言も容赦ない大統領がアメリカに誕生したタイミングで、黒人男性と黒人男性のラブストーリーを黒人男性監督が撮っての受賞。歴史が獲らせた、というような文脈でニュースになることが多かった。

 なんとなく他の男子に馴染めないな、と思いつつ育って高校生になった主人公シャロンが、からかわれる。

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なんでジーンズが細いんだ?
女みてえなジーンズだ
キンタマが苦しいってよ


映画『ムーンライト』

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 舞台は、マイアミ・リバティシティ。ゲーマーからすると、リバティシティと聞けば『グランド・セフト・オート』。

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 ゲームのリバティシティは架空とされているが、映画を観るかぎり、どっちも大差ない。性と暴力の大安売り、カタカナで言えばセックスアンドバイオレンス超大作。いや『ムーンライト』は超大作とは呼べない。ドラッグに溺れ料金の安さとフェラチオの上手さで客を取る母親に、自宅にいられると邪魔だからと危険な町に放り出されて育つ、黒人少年の純愛劇だ。

 珠玉のラブストーリー、などと銘打たれたりもしているから、バレでもなんでもなく、幼なじみの黒人ふたりが、いつか結ばれる話。

 実は、この映画を観た直後、私は「マッチョのつくりかた」という方向性でブログを書きかけた。上手くいかなかった。シャロンは幼いころからオカマと言われ、でも青年期にブカブカのラッパーパンツにドレッドヘアな同級生には同調せず、キンタマが窮屈そうなジーンズを選んで履いた。もうそれだけでイジメのターゲットになるのがわかりきっている地区でだ。クールなことである。

 だがけっきょく、シャロンはマッチョになる。良い意味ではなく。

 荒れた町に育つ、父親のいないシャロンへ、父親代わりに接したのは、あろうことか、シャロンの母親にドラッグを売っている男だった。

 『ムーンライト』は、少年シャロンの主観的な世界が描かれていて、彼が関心のないものは色あせるし遠く聞こえる。そのため逆に、心揺れた瞬間がハレーションを起こすまでの極彩色で描かれるのが、観ている者にとっても刻まれる。

 大人の男に、海で泳ぎを教わった。そうだうまいぞ泳げたじゃねえかと言われたことは、ゴボゴボうるさい水の音と少年には聞こえない大音量の音楽とともに、少年の基礎になる。

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よく聞け
黒人は どこにでもいる
覚えとけよ
世界中にいるぞ
最初の人類は黒人だ


映画『ムーンライト』

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 父親代わりの売人が、そのあと、映画のタイトルの意味を言う。

 生まれ育った黒人だらけのキューバで、近所のばあさんに、ブルーと呼ばれた。月明かりの下で、黒人の子供が青く見えるからだった。

 そしてシャロンに、自分の道は自分で選べと言う。

 その時点で、少年には、なんのことやらさっぱりだった。ただ、なに言ってるかわからないけれど世界の話を言い聞かせるように喋る売人のおじさんに、ぽぅってまっていた。

 同性が性の対象になるひとは、世界中にいる。なんなら血液型のAB型のひとくらいにいるそうだ。

 シャロンの気になる子、ケヴィンは、思春期にシャロンとキスをした流れで、手コキでイカせてまでくれる。だがその同時期にケヴィンは女の子ともつきあっていたし、ゆくゆくは子供まで持つ。

 ケヴィンが同性愛者ではない、という見方をするひとは、一定数いるだろう。私はそうだ。自分に置き換えていえば、セックスは重要だと思うから、他人のセックスに口は挟みたくない。

 荒くれた町で細いジーンズを穿きつらぬくシャロンはクールではあるが、現実的にはいじめられっ子であって、友だちも自分くらいしかいない。同性異性問わず、セックスの相手なんていないに決まっていて、でも思春期におけるその性欲を持てあますやるせなさはわかるうえ、どうやら彼の心は自分に向いているらしい。

 少年のころ、チンコの見せあいをした。父親がいなくて母親もいないに同然のシャロンのは、少しみんなと違っていて愛らしかった(注・映画のなかでは見せあうだけで感想は言及されません。私の妄想です)。触れることに抵抗はない。

 ヌイてあげたあと、ケヴィンはシャロンから見えない位置で、地面の砂で手を拭う。美しいシーンに描かれているが、友人に好意をよせられたこと自体はうれしくて、できるかぎりのことをした男の態度ともとれる。

 他人のセックスに口を出さないということは、対象が自分自身であった場合、セックスが大事であるがゆえに、相手の好みに合わせて自分の意見を封じるということになる。

 個人的な意見としては、この映画のラストシーンのケヴィンの表情は、ある種の妥協を幸せのために選択した男のそれに見えた。

 悪い意味ではない。幸せなのだから。

 前述の通り、私は最初、細いいじめられっ子が、やがてマッチョになる心理的な流れを追おうとして、失敗した。

 シャロンは、ある日、キレる。

 妥協。断念。あきらめ。
 言い換えると、選択。

 父代わりのおっちゃんに習ったこと。自分の人生は自分で選べ。そして、いじめられっ子は、細いジーンズを脱いで、カラダを鍛えはじめる。荒くれた町で、銃を持ち、父代わりだった男と同じ商売に手を染める。

 黒人は世界中にいる。
 世界中のオフィスには、いろいろな黒人がいるが、世界中のプロレスのリングには、偏った黒人がいる。
 スラム街で、そうでなければ生きていけない、黒人のスタイルを模している。

 シャロンの中身はなにも変わらないが、陽の光の下では、マッチョであることが黒人社会でたやすく暮らすための選択肢だ。泳ぎを教えてくれた彼、おまえは泳げる人生を選べと言ってくれた彼と、そっくりの黒人にシャロンはなっている。

 ムーンライトの下でだけ、黒くない肌の別人になる。

 教えられたとおりになった。それを選んだというのか。あのまま細いジーンズを履き続けて、陽の光の下でもケヴィンを見たら頬を染める大人の男にはなれなかったものだろうか。

 ……とても難しいと、感じる。
 男の子がプリキュアになる。
 なれるからがんばれ、と言っているうちは、壁が高いどころか天井が閉じているから応援している。

 考えてみれば簡単な話をややこしくしているようでもある。月の明かりの下の、青い肌の自分が本当の自分なのだとしたら、それを陽の光の下で他人に見せないかぎり、受け入れられるひとにも愛してくれるひとにも、出遭いようがない。

 だから見せろ。なんでもできる、なんでもなれる。

 いや、見せるほうが先なのか? 言いかたが難しいが、私は他人のセックスを尊重するあまり、たいがいの嗜好を、ふうんと流せる。それに自分がつきあうかどうかということはまた別の話として、知るぶんには、他人の青い面がどうであろうと逆に興味がない。だからといって、私が、私のほうから声高に、なに聞いてもおどろかないから言ってみなよキミも! などと言うのもおかしな気がするのである。

 理想として、突きつめると。
 着たいからドレスを着ている男の子に、可愛くないと思える世界のほうが開かれているはずだ。それはこっちの見た感想なのだから。かといって、それを口に出して言うことはない。あらあ、似合っていないけど本人が好きなのねえ、と流すのが究極の素晴らしき世界なのか。

 一方で、アンチトランプ旋風のなかであったにせよ、アカデミー作品賞。『ムーンライト』のメッセージも、万人に受け入れられたと言っていい。

 自分を好きな子を拒否る気がなくてキスしてみてさらにできると思ったら手コキしてイカせてあげるのは、ちゃんと愛のはじまり。

 三歳男子の息子に、父親は言う。
 聞こえない、この書斎で。

 自分の人生を自分で選ぶと言うけれど、それって流されていく自分を止めない勇気を持つということ。月明かりの下でだけ自分を出して、それで愛が得られるなどというのは、だから夢。プリキュアは正しい。なんでもできるし、なんにでもなれる。マッチョになりたければ鍛えて金のネックレスをすればいい。ただしそうするとマッチョ好きがまわりに集まるので、強制的にマッチョを演じ続ける羽目になる。

 要約すると。

 miwaが、ばっさり髪を切って可愛いわねとまわりが評しているときには、可愛いくないと思っても発言するな。保守的な発言に聞こえるだろうが、それが大人になるということだ。

 きみが大人になってツインテールの黒髪であればだれでもイケるというセックスがまだ続いていて、それをまっとうするならそれだって幸せだとは思うから口は出さないが。先輩の大人として忠告はしたい。受け入れてくれるから愛する、というのは、長続きしません。

 感想。

 『ムーンライト』のふたりは。
 長く続かないと私は思いました。
 それはそれで刹那の幸せではあるのだろうが。

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(むかし手でなぐさめてあげたもやしっ子くんが再会したらプロレスラー級マッチョになっていて、そいつが頬を染めてまだキミのことが、などと言ったら。流されるのやむなし。でも、マッチョじゃなくて違和感ないまま大人になっての再会だったら、ふたりはもっと立ち位置を安定させてつきあえたはず。幼少期に父代わりに出遭ったのはさいわいだったが、マッチョ的に道を切り拓けと学んだのは良かったのか悪かったのか。打破せねば滅する道もフィクションではないリバティシティが舞台だというところは、年間自殺者数万人の島国に暮らす父親としては考えさせられた。道を選んだりしないでもおまえはおまえで生きていきゃいいさ、と、脳天気に言えない世界の在りようにまず手をつけねばならないのだろう。奇跡的に登場するヒーローやヒロインに期待しても、それはむずかしい)





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