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『恋愛花電-A.F.L.-』の話。

「ぼくは、ここできみの住む本当の世界を、ずっと夢見ながら生きるしかない」


 吉秒匠 『恋愛花電-A.F.L.-』

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 吉秒、戻ってまいりました。
 今回は厳しかった。
 さしあたって、あとになって指摘されると困るので、自己申告しておくとタイトルの『A.F.L.』という表記は『L.O.L.』からパクりました。考え込みながら壁を見つめていたら、そこにそのゲームのポスターが貼ってあったので。ああ、それがいいや、って(ちなみに『L.O.L.』は「LACK OF LOVE」の略で「愛の不足」と訳せるが、たぶん「LOL」という表記が英語頭文字スラング(『ネットフォースエクスプローラーズ』に詳しい(笑))の「laugh out loudly」=「笑っちゃう」の意味も含ませていると思われる。坂本龍一氏の音楽とあいまって独特のシニカルな雰囲気を醸し出し私は大好きだがクソゲーと呼ばれることも多い)。

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 あーあと作中で『お姉チャンバラ』をパロって『お嬢チャンバラ』という大ヒットゲームをねつ造していますが、それも事前に大声で言っておこう。吉秒匠はXbox360を応援しています! 『お姉チャンバラ vorteX ~忌血を継ぐ者たち~』も! D3パブリッシャーさんは太っ腹なのでこれで許してくれるだろう。

 最初は『あぷらばっ!』というタイトルで書いていたのですが、やっぱり『ぱにぽに』とか『まぶらほ』いう意味不明ひらがなタイトルというのは萌え美少女あってのものだと思い、もちろん萌え美少女は私の小説にも出てくるがこれで語ったように、やはりあの雑誌では違うかな、と考え直し、ラストシーンにも手を加え、結局のところ、四分の一ほどをいったん完成してから書き直したのでした。

panipanimaburaho

 カットしたのは、おもにパンチラシーンとか、ヒロインがダッチワイフと男という種について語るところとか(笑)。勢いで入れちゃうんだなあ、つい。冷静になってよかった。
 月本ナシオさんのシリーズとか読んでいると、四作目だってハイペースだしおもしろいし悔しいなあしかし逆にこの力量でさえあの賞は歯が立たないのか、という妙に屈折した自信もわいてきて、一方で、隣で書いていた人たちはこういうもの書いていたのかあまりにも私と違う、と謙虚に受け止めたりもしているのです、ヨシノギだっていちおう(このあたり、わかるひとだけわかってくださればよし)。

nashio

 で、ダッチワイフのかわりに白いパンジーの花言葉と、恋するカブトムシのエピソードを挿入し、タイトルにも「花」の字を。当然ですが、物語のなかに「恋愛花電」なんてワードは登場しないのでした。まあそれも赤江瀑の『オイディプスの刃』と『アンダルシア幻花祭』という小説が本棚にあるのが目にとまったからなのですが(赤江小説のタイトルは、だいたい雰囲気でつけられていて作中にその語句が出てくることは少ない)。

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「いまの話ですよ。実際、ゲームとはいえ、どのプレイヤーさんも見た目が男だったらそれだけで恋できるんですよ……それこそ相手がロボットだとしても気づかずに。なんですかね、恋って」
「ダッチワイフを発明したのは確か、男とかいう種族じゃなかった?」
「…………」
「人形を抱いているうちに、本当に人形に恋してしまった人はいなかったかしらと、あたしはときどき考えるの」
「なんの話ですか……」
「恋の話。人類が滅ばないのはなぜ? 赤い糸が本当にあって、その糸の先にいる相手にしか恋しちゃダメなんだとしたら、とっくにこの種は滅びているはずでしょ?」
「悲観的ですね」
「なにが。ハッピーな思想よ。同じクラスのあのコに恋することが、神様の編んだ糸によるものだったら、たまたまその糸が同じ学校の男の子とつながっていたの? そんなわけないじゃない。目の前にいたから好きになるのよ。手が届くから恋するの」

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 というわけで、最終的にカットした部分なのですが、ちょっとそこも突き詰めればおもしろかったのになあ、と思って語ってみます。
 ダッチワイフの話……と書いてみて、なんかどこかでそういうことを話した気がすると思い出してみるに、うちの『伝言』ででした。
 まずそこ引用。

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 ところで……ダッチワイフは日本語だという話を、タモリ倶楽部かギミアブレイクで聞いた憶えがあります(話の内容的にタモ倶なのだが、石坂浩二が笑っていたような気もする)。もともとオランダ人が愛用していた冷たい竹製の抱き枕を英語でDutch wifeと呼んだのだけれど、それはいまでも変わらず、抱き枕全般をそう呼ぶらしい。だから英語圏の人にダッチワイフと言っても赤面しない。抱かせて抱かせてっ、てなもので。ちなみにいわゆる実用的人形のことは昔も今もLove doll。思うに、日本では国家予算を使って開発されたかの有名な南極一号の存在がまずあるので、ラヴドールの概念が輸入される前に南極一号レプリカが市場に流れ、業者が「さてどうした名前にしたものか」と考えて英和辞書をめくったとき、そこにあったダッチワイフという言葉が「異国の抱かれ妻という風情で隠微で良いのぉ」と採用となったのではないかと……いや、曖昧な記憶にもとづく、まったくの推測ですが。

 余談。南極基地では南極一号という名はあんまりなので、隊員たちは彼女を「べんてんさま」と呼んでいたそうです……それは愛を感じる話だと、妙に記憶に残っているエピソード。モノが愛情を注がれて、魂を宿すってのは在りそうな話で、まして、等身大の人形を寂しく孤独な氷の国で抱いてしまったら、そこには本物の想いのカタチが生まれそうな気がします。美しいんだか滑稽なんだか、よくわからない話ですけれど。


 吉秒匠 とかげの月/『伝言』

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 恋ってなんだろうな、と考えてみる。
 それが想いのカタチの一種なら、人形相手にだって生まれるものだと思うのです。たとえば本が好きとか、車が好きとか、壺が好き、カメラが好きとか言ったものよりも、人形に対する「好き」は、ヒト対ヒトのあいだに生まれるそれに、ずっと近いもののような気がするのです。
 私は私の乗るバイクが好き。
 それは言葉にすると、愛着、とかいうもので。人形といってもフィギュアとかマリオネットとかいうならば、それはコレクションとか愛着品になりうるんでしょうが、ダッチワイフとなると──それに対する想いのカタチの名は、恋とか愛とかのほうがしっくりくる気がしてなりません。

 という、その結論を逆説的にひっくり返して考えてみたりする。

 恋が愛着と根元的に同義なのだとすれば。
 ヒトがヒトに恋する状態って「ああこのバイク好き私のものにしたい」という想いとなにが違うのか。喋ったこともない遠くから眺めたことしかない彼に恋するなんてシチュエーションは普通にありうるわけだが、そこでもやっぱりその彼は自分の手に入るものかとか、またがったら脚は届くかとか、停める場所はあるかとか、そもそも彼は私に似合っているだろうか、とか。考えるものでしょう、未来の愛着品を買うように。
 テレビのなかのアイドルに「恋」するともよく言うが、でも、それって厳密に言えば上記のような手に入るかとか似合いの相手かというような思案はないわけで──どっちがより「恋」かと言えば、私は実際的な悩みのともなうほうが「恋」だと思う。

「どうしてこいつはダッチワイフなんだろう」

 と、南極で孤独な隊員たちは思わなかっただろうか。
 べんてんさまを抱きながら、放ちながら。
 ぽっかり空いたまあるい口にくわえられても、べんてんさまは動けない風船で、自分で腰を振ったりべんてんさまを揺さぶったりしながら、彼らは自分自身の恋が一方通行なものだと悲観しなかっただろうか。
 壺もカメラも車も、そもそも応えないモノだけれど。
 べんてんさまはヒトの姿をしているから。
 応えてくれても良いような気にはならなかっただろうか。

「お前の心に触れたいんだっ」

 と彼は絶叫しなかっただろうか。
 爪を立ててべんてんさまはしぼんでしまったりしなかっただろうか。

 考えていて思ったんだ。
 たとえば恋愛シミュレーションゲームで、登場人物に恋をしたら。
 いまはそれは、ヒトの姿をしていてもモニタのなかにいるヒトで、なにを望むべくもないけれど──近未来的に、RWとVWの境目が薄れて、本当の意味でゲームのなかのヴァーチャル世界で体感しながら恋愛シミュレーションゲームをプレイするようになったとき──そこに生まれるのってさ、揺るぎなく「恋」だろうな、って。
 わめき叫び、傷つけあうような、生々しい「恋」だろうなって。
 思うんだ。

 そういう未来が来たら。
 現実の肉体はその考える脳髄についてゆけるだろうか。
 べんてんさまは揺さぶれるし抱けるし、爪を立てることもできるけれど、ゲームの世界で恋するそのヒトを、現実の夜中のベッドで想いだしたとき、触れる相手は永遠にいなくて──そこに生まれるのは、ほんわかしたものよりも、絶望のような気がする。

 恋ってなんだろう。
 でも絶望も恋に近い気がするのは私だけだろうか。
 私ではないから彼に恋するのであって、もしも自分自身に恋できれば、そんな完璧な恋はないと思うのだけれど、そんな恋はない。
 絶対に同一にはなれない対象にしか恋はできない。
 自分と違うものにしか自分の心は支配されない。

 自分のカラダでも自分は慰められるけれど、たとえ風船であっても自分ではない想いの相手が、必要なのは男だけ? 

 ダッチワイフは、いまの大人のおもちゃ業界の主力商品ではないらしい。つい先日だが、読売新聞で、とあるニュースを読んだ。

 2006年度の「グッドデザイン賞」を選定するための審査会に、男性用大人のおもちゃを展示されかけ、直前でストップがかかったという──なぜそれがニュースになるのかといえば、その製品は事前の書類選考をパスしていたから。メーカー社長の「問題があるなら、なぜ最初から対象外としないのか」という問いに対し、同賞を主催する「日本産業デザイン振興会」は、

「性能や機能を試す方法がなく、審査できない」

 と返答したとか。男性用ということは「穴」なんだろう。指入れてみればいいじゃんっ。で「ほぉ」と感嘆のため息とかついてみればいいじゃんっ。主催者側は書類選考を通過したのはミスだったとして出展にかかった経費や展示の手数料などを弁償するというが──

 考えさせられる。
 ここでも触れたけれど、この先、電脳世界とリアルワールドが地続きになってゆけば、1と0の信号で代替えしてでも、遠くのだれかに触れたいと願う場面って増えると思う。たとえば『ときめきメモリアル ONLINE』のように、相手がNPC(ノンプレイヤーキャラ)ではなく現実の人間だとすれば、現実には触れられない距離の相手(そのころの未来には火星植民地も現実化しているかもしれない)と恋に落ちて、でもVでしか触れられないことに絶望を感じたとき。
 せめて慰めになるつながりの方法として。大人のおもちゃが、おもちゃではなく、日々のセックスそのものになる可能性は否定できない。

 グッドデザイン賞、展示して審査してたらカッコよかったのに。
 とても残念に思うが、こういう端的な例をとってもわかるように、ことがセックスに関わるとタブー視されるのって、不安。義肢や義足の発達や、インターネット文化の発達の速度に比べて、疑似セックス文化の発達ってあまりに遅れている気がするのである。

 ロボットが二足歩行するようになった現代になっても、べんてんさまは、風船でなくウレタンになって顔がきれいになったくらいのものだ。考えようによっては萌え抱き枕というのは正統進化なのかもしれないが(笑・でも抱き枕のイメージをググってみれば、それがすでに安眠のためのものでないのはあきらかで笑えない)。

 各分野の専門家が結集して技術の粋を尽くせば、それこそ非のうちどころのない、だれもが恋に落ちてしまうような現実世界に降臨せしヴァーチャル女神を創造することだって、できそうな気がする。
 グッドデザイン賞とか、東京ゲームショウみたいに、大人のおもちゃも競い合わせる発表の場を設ければ、未来のヴァーチャル文化がもっと豊かになるに違いないんだが、やんないかなそういうの。

 ちなみに『A.F.L.』は「Appliance For Lovers」=「恋人たちのための装置」という意味です。日本語で書くと大人のおもちゃみたいなので頭文字スラング化。でも実は本当に大人のおもちゃの話だったりする、そういう話を書きました。
 やっちゃった?
 いやいや。
 懐の深いWのこと。
 これを認めてこそですよ。
 どうぞよろしく(だれにだ・笑)。

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