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『LUCY/ルーシー』の話。



 このあいだ、仮面ライダーの新作の話をしていて。

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『仮面ライダージオウ』のこと。

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 痛快娯楽大作(懐メロ風味)に仕上がっているのに、なにかこう私にとって熱く語るものがないんだよドラえもんっ、タスケテとは言わないが、スッキリしないなあ、と少し考えてみたら、答えは単純だった。

 同じく、懐メロ風味を加えたお祭り企画として仮面ライダージオウのホンを書いているひと下山健人が綴った、ジオウ以前の仮面ライダーの系譜。

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 『仮面戦隊ゴライダー』

 なんの記念企画かといえば「仮面ライダー生誕45周年記念」。平成十年だ、平成ライダー二十作だと、この国に元号があるために年の節目というのは作りやすいものだが、生誕四十五周年というのは、なんやらわからん風味ではある。石ノ森章太郎が初代仮面ライダーの仕事に携わったのは三十三歳のときなので、御大の幻の傘寿を祝うにしても二年足りない(ちなみに今年が、その幻の傘寿である。だれも祝う気配はないが。デジタル化した石ノ森が、やっほい八十歳になったよ、なんて番組をやったら視聴率とれそうだが、いかにもそういうことをやりそうなNHKさんでは会議で提案くらいはされたに違いないものの、長生きおめでとうの祝いである傘寿を故人を対象にというのは不謹慎なことだという結論に至ったのかも。知識としては、同じく「仮面ライダー生誕45周年記念」として作られた『仮面ライダー1号』に主演した藤岡弘、がちょうど七十歳だったために、その古希祝いは当時盛んに各メディアでおこなわれていたことを知っておいてもいい。つまり映画作品も含めると主演ライダーの最年長記録とされる細川茂樹の三十三歳など赤子だ)。

 『仮面戦隊ゴライダー』の、パッケージ写真左上にいる、生き物っぽい仮面ライダーをご存じであろうか。

 『真・仮面ライダー』ではない。

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 ではないが、デザインコンセプトからして類似のものであり、私は無類の『真・仮面ライダー』好きなので、彼も好きだ。

 名を、アナザーアギトという。

 ことになっている。というのも、彼が活躍するテレビシリーズ『仮面ライダーアギト』(仮面ライダーシリーズ生誕30周年記念作品)において、作中でアナザーアギトという呼称は使われていなかった。『真・仮面ライダー』もそうだ。作中ではただただ超人として描かれていて、のちに年表として組み込むさいに仮面ライダーシンなどと記述されるようになった。

 仮面ライダーと作中で叫ばぬライダーたちである。

 しかし『仮面戦隊ゴライダー』においては、正式にアナザーアギトという名称で登場する。その直後の『仮面ライダージオウ』において、ニセライダーが「アナザー」と呼称されるのは、このあたりのニュアンスによるものだろう。

 アナザーアギトは、主役である仮面ライダーアギトの異形体だ。

 『仮面ライダーアギト』には、アナザーアギトのほかにも野性味あふれる狂乱のライダー、仮面ライダーギルスが登場する。

 ギルスは、アギトの不完全体だ。

 仮面ライダー=超人としての能力の制御に成功したが、成功したがゆえに、なかのひとの人間性が問題になってくる異形と、能力を制御できずに人間性を失う不完全な……それはもう化け物の側である。

 平成仮面ライダー初期の構図は、悪の怪人軍団に改造されたのにその能力を制御しきったあげくなかのひとが正義のひとだった。という昭和ライダーの設定を裏返したものともいえる。その発展系として『仮面ライダーアマゾンズ』が描かれた。

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 超人になるとヒトが喰いたくなるが、その欲求を制御できてこそヒト。

 という論理でアマゾンたちはがんばるのだけれど。冷静に考えて、ヒトを喰いたい時点でヒトではなく、我慢できたからといって化け物でないわけでもない。

 で、おまえはヒトを喰ったなあ、と喰ってしまったアマゾンを狩る彼らのことを、正義と呼んでいいものかは、平成ライダー史が成し得た哲学的到達点の確かにひとつだ。

 『仮面ライダーアマゾンズ』の作中で、その超人ジレンマ=ヒトを超えるとヒトではなくなる、を克服したキャラクターとして描かれていたのが、イユ。私は仮面ライダーシリーズで、もっとも好きな女性キャラになったのだが。

 死んでいる。

 死体を超人化した。

 超人化したらヒトが喰いたくなるはずだが、イユは死んでいるので喰わない。いやでも待て、死んでいたら超人という表現が成り立たないのではないかと首を傾げたくはなるものの、超人だから死んでいても戦えるのだ、という一文は、説得力がないこともない。

 仮面ライダーとは。
 ヒトがヒトを捨てることなのか。
 超人とは、なんであり、どうであるべきなのか。仮面ライダー史が模索しているあいだに、現実的に寿命が百歳を当たり前に超え、もっとのびるとか、いや不死だとか、悪性変異体細胞たるガンだってやっつけてやるさとか、具体的な哲学論争がはじまってしまっている。いまやクラスにひとりは必ずヒトの目で選別された精子と卵子から生まれたヒトがいる。ヒトはもうヒトを超えるかどうかを、自分たちで選べる。

 ……長い前置き終了……
 まとめると、私がジオウに滾(たぎ)らないのは、ヒトを超えることに悩んでいないからに他ならない。平成仮面ライダー祭のホストという立ち位置なので、仕方のないことだとこのあいだ書いたように、納得はしているけれど、仮面ライダーにそのあたりの要素が含まれていないと、やはりとても寂しい。

 そういうわけで、滾る作品の例をあげてみる。
 平成仮面ライダーシリーズと並行して、女性超人を描いた映画監督がいる。

 リュック・ベッソン。
 平成元年にそのひとが書き、撮影していたのは『ニキータ』。

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 死を宣告された少女がヒトを殺す超人となる。彼女はその能力を制御しきっていたのだが……

 古い映画なので、ばっさり言ってしまうが、ヒトを捨てて暗殺機械となった女が愛によって人間性をまた得る、という話。仮面ライダーアマゾンズのイユの立ち位置と非常に似通っている(イユは死んでいるので生き返りようはないのだけれど。そのせいで物語的には切なさ増量効果があるともいえよう。あの歌は、いまもときおり口ずさんでしまう。ときめーいてー)。

 その後、平成などという区切りは気にもしない国のひとだが、リュック・ベッソンは細胞培養された宇宙超人女性や、歴史上の超人女性などを描き、平成も終わりかける数年前、これでどうだと言わんばかりの超人女性ヒーローを撮ってみせた。

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ルーシー
考えてみてくれ
生命というものの本質
つまり そもそもの はじまりを
ひとつの細胞が ふたつになったよな
分裂した そのとき以来
生命の ただひとつの目的は
知識を伝えることだった
それより重要な目的は ないんだよ


映画『LUCY/ルーシー』

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 ルーシーはヒトを超えてしまった。
 望んでのことではないが、越えてしまった彼女は、世界的権威であるモーガン・フリーマンに接触する。彼が、そう言う(いちおう書いておくと上の引用は、日本語吹き替え版のセリフ。モーガン・フリーマン日本吹き替え担当、坂口芳貞さんの喋りは私のなかで生のモーガン・フリーマンよりもモーガン・フリーマンだ)。

 知識だと。

 ルーシーは言った。

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痛みを感じない
恐怖
欲望
人間らしい感覚が
どんどん薄れていく
人間らしさが
消えるのと同時に
知識が増えていく


映画『LUCY/ルーシー』

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 それはまあそうであろう。
 超人化も極まって、食欲に代表されるヒトとしての基礎欲求さえ超越してしまったら、それはもう理想の受験生だ。ルーシーに至っては、物理法則や時空まで超越してしまうから無限が一瞬で、人類だってさかのぼれば宇宙のチリなわけだから、あらゆる自然、あらゆる遺伝子の記憶が、いまここの彼女に収束される。

 リュック・ベッソンの考える、ヒトを超えるということは。

 少し前にここで、同じようなテーマでありながら、まったく異なる答えを描いてみせた映画のことを話した。

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『メッセージ(Arrival)』の話。

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 ヒトを超えた『メッセージ』のヒロインは、地球外生命体との接触によって戦闘と滅亡の道を突き進もうとする人類を、引き止めてみせた。

 超人化してもヒトだから、ヒトを救う。
 昭和の仮面ライダー哲学を遵守している。
 彼女は仮面ライダーである。

 一方、ルーシー。

 映画の後半、学者たちと知的な会話をする彼女のまわりで、ばったばったとヒトが死ぬ。彼女が超人化する原因を作ったコリアンマフィアたちは、彼女を追ってバズーカまで撃ちまくっているが、そんなもので彼女は死なない超人になっているから、気にもとめない。

 納得できる描写である。

 ヒトを超えた彼女が、いま目の前にいるヒトに興味を持つこと自体、おかしな話だ。生物は生き延び、進化するために、どうすれば知識を蓄えられるかを考えている。細胞分裂し、次世代を作り出して時間を稼ぐか、知識を伝達できる形にして保存するか。なんにせよ、そこでの知識は共有財産であって、個人の所有物ではない。

 いっそ矛盾するが、こうも言える。

 人類を救うために個人を生かす道理はない。

 戦争の大義名分によく使われるやつ。敵を排除せねば、我々にも、この地上にも安寧は訪れず、この星に未来はない。

 平成仮面ライダーでは、このあたりがよく描かれた。怪人だって生きている。もしくは機械だって生命体。その安寧のため、未来のために、ヒトが滅びればいい。

 地球目線ではヒトが異物で駆除されるべき、というのは志の高いひとたちがよく言うことだ。クジラやイルカを食べるなんて、化け物か。

 私も鯨肉は好きだが、あえて食わなくてもいいとも思っている。

 そしてリュック・ベッソンはルーシーという超人女性を描くことによって、明確に言い切る。

 ヒトを超えれば、それはもうヒトではない。

 あたりまえだ。
 実に当たり前だが、仮面ライダーは改造「人間」と言い続けた。ルーシーのように、ヒトを超えてしまったがゆえにヒトに興味も持てなくなってしまっては、それはヒーローではない。地球を救おうが宇宙を救おうが世界を存続させる礎となろうとも、ルーシーは仮面ライダーではない。

 『LUCY/ルーシー』はアクション要素の強い構成だが、それでもリュック・ベッソンの名を売った『ニキータ』と重なる部分がある。ひとりの女性がヒトを超えていく過程を観せられる観客は、彼女が「壊れていく」と受け止める。

 平成元年の『ニキータ』では壊れた彼女をヒトに戻した監督が、平成の終わりに『LUCY/ルーシー』で彼女を壊しきる。

 思えば、フィクションにしても、昭和の人類に、細胞レベルでヒトを超えてしまうという設定で仮面ライダーを提示すれば、ぽかんとされるだけだっただろう。あれは、手術台の上で機械のカラダにされるという描写があってこそ、ああ彼はヒトを超えたものになったのだ哀しいね、と受け止められたのである。

 それが昭和の最後には、仮面ライダーシンは遺伝子変異モンスターであり、仮面ライダーJは巨大化した。平成ライダーでは、マスクドライダーシステムという概念によって仮面ライダーという「武装」なのだという解釈も試みられたけれど、平成の最終章『仮面ライダービルド』では、戦争のために科学者が造った兵器としてライダーを描きながら、話を追ううちに映画『メッセージ』同様、地球外生命体から与えられた気づきによってヒトがヒトを超えてしまったのだという設定があきらかにされた。

 特異点、結節点、といった表現がされる。

 地球外生命体からのお言葉、などというのは夢物語にしても、ある一瞬で、ヒトはヒトを超えることになるだろうと、ほぼ満場一致で予測されている。

 ルーシーは、自然界では微量で胎児を爆発的に成長させる要因とされる物質を、科学者が化学的合成に成功し大量生産してしまったことでヒトを超えさせられた。

 私は薬屋だから、その設定はすごく身近だ。

 医薬品を置いてはいけない場所に、そういうものが並んでいる。医薬品でないということは、ヒトへの影響を厳格には実験していないということになるのだが。そういう製品群にこそ、そういうものは多い。

 一例をあげれば、胎盤エキス、臍帯エキスなどという不穏な商品名。

 昭和の時代までのヒトにおいて、へその緒を集めて大量摂取したひとなどたぶんいない。しかし、平成の世では、コンビニでも売っていて、毎日摂取しているかたも多いのである。

 平成って、三十年ほど。

 ある日、あれ?
 という感じで超えてしまうのかもしれない。

 仮面ライダー好きが『LUCY/ルーシー』をホラーに感じるのは、ルーシーは、たまたまヒトを超えてしまったのだというところ。そして彼女は、自分をひどい目にあわせたマフィアにも興味をなくしてしまうが、同じ立場で人類を滅亡させることに執着してしまうひとも多いはずだ。仮面ライダーを観てきたがゆえに、ヒトを超えても正義でいられるものたちのなんと偉大なことかはよくわかっている。そのへんのものたちがふらふらっとヒトを超えたら、神……いや、魔王になろうとだってするだろう。

 ええ、平成最終作『仮面ライダージオウ』は、未来で魔王になっちゃう子がそうならないように仮面ライダーとしてがんばる、というお話。平成総まとめ作にしては、敵の器が昭和のショッカーぽい。ヒトを超えても、ヒトを従え屈服させることに固執する小物感。いいんですけど。

 ルーシーが仮面ライダーならば、ヒトを真の意味で進化させる「変革」を地球で起こすのではないかと。時の王となり、宇宙の歴史をその身にまとって、ヒトを超えた目線で、ヒトという、それそのものを刷新する。

 ……それって神か。

 なんていうことを考えるのは仮面ライダーを観てきたからでもあるけれど『LUCY/ルーシー』を生んでくれたリュック・ベッソンおじさんのおかげでもある。

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