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『ラタトゥユと聖なる処女の液』の話。



 なんの星の巡り合わせなんだか、小売業に携わる人ならその名をきいただけでため息をつく決算棚卸というやつが、年に二回、私の職場ではあるのですが、それがばっちりWの〆切月なわけで。昼間は延々と商品を数えてはパソコンに向かい、帰っては恋愛小説を書くというようなことをやっていると、人間、なんだかストレスというようなところを越えて、悟りのようなものに手が届きかけます。

 ほら、ものすごく細かな伝統工芸品を作っている職人さんなんかが、家事は一切できないとか、ジェンガやらせたら弱いとか。ぼくは機械になりたい、というウォーホルの名言を想い出す。職人て、なにかを捨ててなにかを得た人たちなんだと痛感するのです。たぶん今日私は、バイト君に数えてもらったら「いくらなんでもそんなに盗られるかよ」という数字が出てきたので、結局一から数えなおした数万本のカーワイパーゴムのカウント作業の最中に、なにかをなくしてなにかを得た。テトリス(よりもコラムスのほうが私はその状態によくなるが)で神がかったプレイをできるようになった瞬間、人間としての基本生活を送るためのなにか大切なものが、なにか失われるのにすごく似ている。

columns

 で、帰ってきて料理する時間もないので、冷蔵庫を見たら米ナスとズッキーニが入っていて(妻がコックなので、頻繁に妙な業務用香辛料や買ったおぼえのない野菜が冷蔵庫に入っていたりするのである)、朝作っておけるラタトゥユを作っていくかと思って作ったので、そのレシピでも載せておく。ていうか小説を書くことでいっぱいいっぱいで、だれのメールにも素っ気なくおもしろくもない返信を返してしまったりしていますごめんなさい。来月になったら遊びましょう。

 ラタトゥユを作りながら思ったのだけれど。
 エクストラヴァージンオリーブオイルというのは、なんだかエロい響きではないですか。
 直訳すれば「超処女」。
 ただの処女ではないわけで、意訳すれば「聖処女」とかそういう意味でしょう。
 オリーブという名の聖処女から搾り取った澄んだ液体。
 いかにも美味しそうだ(笑)。
 スプレッドタイプとかあると、炒め物に便利。

virgin

 ところで処女航海というのは、初めて海へ旅立つ船のことを指すのに、でも「はじめて体験する」ことを「処女」と表すのはなんかおかしくないかと思って辞書を引いたら、処女航海は「First voyage」という表記なのでした──「virgin」なんてどこにも使われていないので直訳すれば普通に「初めての船旅」──処女航海って訳した人のロマンというかエロ臭いなにかの意図を感じずにはいられません。
 というようなことを考えながら紅い炒め物をして汗だく。

 ラタトゥユ・レシピ。

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ズッキーニ、大きさによるが一個あれば充分。
ナス、まるい米ナスは大きいので一個。いわゆる長ナスなら二個くらいか。
ピーマン、二個
タマネギ、1/2個
ニンニク、2片
ローリエ、一枚
赤ワイン、少々

オリーブオイル、大さじ1
塩少々、こしょう少々

ブイヨンキューブ、1/2個
ホールトマト缶、1/2缶

1 ズッキーニとナスを輪切りにして水にさらす。ピーマンは手でぐしゃっとつぶして細かな破片に。タマネギは横でなく縦に切る(くし切り)。ニンニクは拳で叩きつぶす(飛び散るので注意)。
2 フライパン(炒め鍋)にオリーブという名の聖処女から搾り取った澄んだ液体を入れて熱し、ニンニクを投入。煙ってきたらズッキーニ、ナス、ピーマン、タマネギを加えて炒める。
3 トマト缶とブイヨンを加え、ローリエを入れて煮る。水気が足りなくて時間がかかりそうだなと思ったら、赤ワインで水気を足そう。
4 ナスがくたっとしてきたら、塩、こしょう。投げキッスを加える。完成。

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ratatouille

 レシピっていうか、トマトで夏野菜煮込めばなんでもラタトゥユと呼んで良し。私の好みとしては、熱いのをすぐいただくよりも、皿に盛って冷蔵庫でキンキンに半日ほど冷やすのが良し。仕事帰りに閉店間際のスーパーで半額になっているフライドチキンとフランスパンでも買って帰ってテーブルワインでがっつくのが正しい喰いかただと思う。ラタトゥユに肉を加えるのも手軽だが、なにせトマトの紅いのが飛び散ったりするので嫌だ。手を使わないと食べられない骨付き肉をトマトで煮るやつの気がしれん。なんにせよタバスコは必須。

 ちなみに雑学。ラタトゥユ(ratatouille)の語源は、ラテン語のtudiculare──かき混ぜる、の意。
 この料理も、『ジャンバラヤで喰うケイジャンの魂』の話。で語ったのと同じく、暑い地方でもズッキーニ(きゅうり)やトマトは獲れるからやむなくそれを煮込んで喰ったという料理なのであって、そう考えれば、これを熱々のまま喰うというのは本来的ではあるけれど、ラテンの魂ラティーノヒートになりきって想像するなら、そういうやむなく灼熱のもとで煮込み料理を喰っている人たちが、もしもそれをキンキンに冷やせる冷蔵庫なんてものを持っていたら、そりゃ冷やして喰うだろうってことで。どっちが正しいというような問題ではないが、冷やすのもやっぱり正しいと思う。

 ジプシーの少女がことことと鉄鍋で煮る。
 そういうのを想像すると、年に一度や二度作るくらいの料理にしては申し訳ない気になってくる。なんというかなあ、トマト=太陽という明るいイメージのはずなのに、どうしてこうあの辺りの煮込み料理というのは物悲しい曲が似合うのでしょう。鍋ひとつで生きていた過去。それを楽しむまでに余裕を持つようになった人類ののほほんさ加減が、なんか物悲しいのかも、と思ったり。

 わけもなく叫びたくなる。
 そういえば若くてして死んじゃったラテンの魂をウリにするプロレスラーは、始終、意味もなくテンション高くてわめいていたなあ、と思い出して泣ける。彼は象徴だったけれど、ラテンの血を引く人たちが、彼に熱狂し、彼のわけのわかんないテンションを、ラテンの血を引かない人たちだって好意的に見ていたことを、思い出す。
 生きるために叫ばなければならない。
 明日を得るために吠えなければいけないのだ。
 いま手に入れられるすべてを煮込んで、それを気合いで肉体と精神に昇華する、野生を忘れてはいけない。

 とか書き出す私の精神状態が不安(笑)。
 喰って寝よう。
 そして起きよう。
 今日も明日も。
 吠えるために、吠えるんだ。
 

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