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『おから』のこと。




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今夜の私の晩ごはん。
というか連日こんな感じ。
上は左から、
酢豚の豚肉。
ニラのチジミ。
豆腐。
下は左から、
焼き肉のタレ+豆板醤。
和辛子+一味唐辛子。
ポン酢+ゆず胡椒。
昨日も酢豚は食べた。
チジミは冷凍庫から出した。
豆腐は常備している。
つまり。
冷蔵庫のものをかき集める。
ホットプレートで焼く。
調味料で味の変化をつける。
という無限ル-プ。
当然、これにビールが付く。
当然、お弁当も酢豚だ。
晩ごはんに米は食べない。
でも豆腐がないと寂しい。
鍋の季節というけれど、鍋らしい鍋はしない。
湿気がイヤだ。
家のなかに精密機械が多いので。
ホットプレートも低温である。
あくまで温める程度。
電子レンジで温めてもいいのだが。
やっぱりそこ。
豆腐に焼き色がないと寂しい。
低温で焦げるころには、水分も飛んで固くなる。
そんな木綿豆腐がいい。
豆を、こんなカタチにしたひとは、私のなかで大偉人だ。
だれなんだろうか。
きっと人生を捧げたのだ。
遠い国の遠いだれかが、今夜の私のために。
そう思うと。
辛子とかゆず胡椒とかも、けっこうな発明品。
豆板醤も豆か。
豆に豆つけて食っているのか。
そんなことを意識さえしない。
なんかもうしわけない。
現代人も未来のひとのために、
新しい食を考えるべきなのでは。
豆はまだなんかできるのでは。

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 しかしちょっと調べてみると、まだなんかできるどころか、大豆からは油がとれるのだということを失念していた自分を恥じることになる。大豆油は、あらゆる加工食品に使われているし、スーパーでもイオンが大豆油で天ぷらを作っていることは公表しているから、多くの総菜も大豆の成分を含む。いやもはや食品売場の半分くらいは大豆がらみであるかもしれない。

 安価で栄養価が高い、という特性は、ある状況に置かれた国では命綱にもなる。某ロケット開発に熱心な、自由経済が破綻し、市民が配給される食品で暮らしている、あの隣国では、大豆油の絞りかすで作られた人造肉インジョコギを主食に育った者たちが多く、いよいよ配給がままならなくなって闇市が立つようになっても、そこで売られているのは「味つけされておいしい」インジョコギだとか。

 そもそも、大豆油の絞りかすは家畜のエサとして世界中で使われていて、だったらそれをこねて味付けて食べずに、豚を育ててその肉を食えよと言ってしまいそうになるが、闇市ではその「育てる」という行程が困難なのだろうし、配給だと公務員がそれをやらなければならないので、豚を育てていたら「キミなにしてんのその豚のエサを国民に与えてサッサとミサイル開発のラインに加わりなさい」と言われる様子は、目に浮かぶようである。

 危険な話題はこのくらいにして、この国の、さっき私が豆腐を買ってきたスーパーの棚を見ると、あるべきものがない。

 おから、だ。

 豆腐を作ったあとの大豆のかすである。かすだが、おから料理というものは厳然と存在して、私も幼いころから食べた記憶がある。このサイトでもいくども話題にした、私の生まれた兵庫赤穂相生は、駅から海へ至る商店街を舞台にしたパレードを擁する夏祭りで有名な土地で、二十世紀には街と商店街がイコールというようなところだった。豆腐屋もあり、商店街の豆腐屋というのは、豆腐をそこで作って売っているので、おからも出る。豆腐屋としても、豆腐を作れば出るかすが、産業廃棄物というかたちで店に残っても困るだけなので、安くてもいいから客が豆腐といっしょに買って行ってくれれば助かる。そういうサイクルによって、安いなら買うし食えばいいじゃない、と私も食わされていたわけだ。

 以前、肉がダメな客が来るのでおからで餃子を作ったことがあった。

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『肉なし餃子を冷凍庫に詰め込む』の話。

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 良い出来、などと自画自賛している私だが、十年経ってその後、おからを使用したレシピなどいちども出てこない。出てこないどころか、作っていない。買っていない。まさにあれがきっかけだった。その後の十年で、彼女はなんどもうちに食事に来たが、彼女にもおからは出してない。つまり、幼少期によく食べ、大人になって、思い出したように「おからって食材がこの国にはあるやん」と喜び勇んで、買いに行ったら売っているには売っていて、買って作ってみたら、幼少期の記憶が呼び覚まされてしまったのである。

 おー、うん。そういえば、よく食べたけれど、まったくもって好きではなかったな、これ、と。

 だいたい、子供の私は豆腐が好きではなかった。しかし、ここが商店街と街がイコールな街のむずかしいところで、商店街は毎日通るのだ。豆腐屋の前も毎日通る。豆腐屋は豆腐屋で、周辺住民の晩ごはんに豆腐が出る割合から逆算して豆腐制作にいそしんでいるので、客としても地域住民としても、そう何日も豆腐もおからも買わずに前を素通りなどということはできない。いや、肉屋や魚屋ならともかく、豆腐は逆に冷凍ということができないし、毎日食べてもおかしくはない食材で、そのうえ安価でもあるから、豆腐屋さんとおしゃべりついでに買って帰るなどということがあるのだ。

 そして、豆腐屋さんと仲がよいと、サービスでおからがもらえたりする。サービスと書いてしまったが、前述のように、豆腐屋の側から見ればそれは豆腐のかすだから、売れ残ればゴミになるので、売れるものなら小銭でもいいから売りたいけれど、そうでないならば、タダでも押しつけたいものなのだ。

 うちには、まんまとおからが溜まっていた。あれはきっちり水分を含むので日持ちせず、それを律儀に料理するものだから、いつでもおからのなんらかの料理が冷蔵庫に常備されているという状態になる。

 おなかすいたー、と言うと、白米におからの煮たのが、かけられたりする。

 よく食べた。が、よく食べた、と好きは比例しない。彼女の来訪で、おからのことを思い出しても、特に感想はなかった。だが、現に買ってきて作って食べてみれば、そう、彼女の、生き物の肉を食べるという行為がちょっと、というのと同様だった。

 良い出来で、マズくはない。

 ただ、まぎれもなくおからであり、肉ではない。

 豚肉が育てられる国に生きているのなら、私はおからを食べずに豚のエサにしてその豚を殺して食う。私はそれが平気だ。生まれたときから平気だ。ナチュラルボーンキラーなのに、なんなら生肉でも食うのに、おからを食わされていたのだ。

 いや、おからは悪くない。
 なにも悪くないけれど、あのおから餃子の前も後も、私はおからを食べていない。安かろうがそれがなんだ。肉を育てられるのにヒトに食わせるな。と、いうのは私の妄言ではなく、大勢なのだと思う。事実、スーパーの豆腐売場におからを見ない。工場で作っているのだ。おからは産業廃棄物であるという裁判もあった。廃棄物だが、いまや工場からのそれなので、商店街のそれのようにゴミ箱行きなわけではなく、まとめてとどこおりなく家畜のエサとなるのである。ならば、ちょっとヒトが食うのもとっておいてよ、などというのは手間でしかない。すべて太ったきれいな豚の糧とするがいい。

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 おからレシピの本って、決まって「満腹食べても痩せる」みたいなキャッチ。そういうのを見るたび、ヘルシーで素敵と感じるよりも、隣国の飢えた民と幼い日の自分を想起する。飽食の国の大人はいい。豆を骨の髄まで、ゆず胡椒みたいな嗜好品としてたのしむのなら。でも、そうでないならば、おからは豚にやって欲しい。痩せるなら食事の量を減らせばいい。同じカロリーで、満腹になる山盛りのおからと、豚の角煮のひと切れを、どっちも選べるのに、そっちを選ぶかと思う。幼い日の食生活は、けっこう生きかたを左右するくらい思想に影響する。

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 買ってきた餃子と豆腐とニンニクの芽。
 今夜も、豆腐に肉を足してタレをつけて食す。

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『焼肉のタレ、手作り、レシピ、つくりかた』の話。

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 私は正月もあるようなないような生業なので、平常運転なのですが、みなさまにおかれましては、なにやかやと酒池肉林な季節だそうで。まったく祝いのときに水をさすようなしみったれたことばかり書いているよヨシノギは、なんて具合でもうしわけなくも思いつつ、思い出したことを思い出したときに書くのがここの流儀。ええ、思い出さぬことを新たに紡ぐ作業も、変わらずいたしております。苦しい。それに比べてここの気楽さ。ああ、だからそう、休憩にこれを書きはじめて、こっちばかりになるというやつなのですが。そろそろ、あっちにもどってうんうん唸りたい。

 そんなで、来年も。
 おつきあいくだされば嬉し。
 どうぞ、よいおとしを。
 よいときをおすごしください。

 愛してる。

 吉秒匠でした。



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