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『重力波による智見拡張実験』のこと。




「おまえとは他人だっただろ」

 そんなことを唐突に言われて、涙が出た。
 なに言ってんの。

「かよっているのは別な建物だったし、接点、なにもなかったのに。あれだ。あの日、別になんの用事があったわけでもなかったのにさ」

 あの日。
 それって、ふたりが出逢った日ってこと?

「なんか。感じたんだよ、なんか」

 なんかなんかって、なんなのさ。

「おれを呼ばなかった?」

 じっと見てしまう。
 なにそれ。
 知っているはずがない。他人だったけれど、前から知っていたって。水曜日だけ、同じ電車で、隣の車両に乗るって。いつもすいていて、いつも同じ場所に座って、いつか見つめていて。古風に文庫本を開いて、なにを読んでいたのか、その日は、小さく笑ったから。

 初めて見た笑顔だったから、貼りついて。

 うん。想ったよ、あの日。そうしたら、いるはずのない場所……目の前に出現した。魔法じゃなくて手品みたいに。あれって。

 呼んだって、いうのかな。
 まだ、恋なんてふうにさえ呼べない自信のないこっちのそういうのを、感知して見つけに来た、そっちの才能のほうがノーベル物理学賞かなんかが、もらえてもよさそうな気がする。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 きれいな花火のように、まんまるい球のカタチにはじけた星は、重力波を発生させない。それは、歪んだ崩壊のさいに放出されるエネルギー。

 もしくは、ふたつの星が、くっついたり離れたり、合体したりするときにも、重力波は生まれる。

 大きな宇宙のなかの、小さな小さな地球という星の表面に建てた全長数キロメートルの施設ごときで、星が歪んではじけたなんて珍しいことを待つのは不毛だし、小さな波は小さいので見つけにくいから、科学者さんたちは、なんでもいいから重力波、とさがしているうち、とても大きな質量を持つものが、くっついたり離れたり合体したりといったことをおこなっているのを間接的に眺めるようになる。

 重力波、という名前がわざわざつけられているくらいなので、重力波は、風でも音でもない。星と星が複雑なダンスを踊ったときに、びゅん、とか、ぎゅおん、とかいうふうに風や音が生まれるならばわかる気がするけれど、だれにも感知できないのに重力波は生まれて宇宙を飛んでいるものだと予測して、重力波測定の施設は建てられたわけで、それが数年前に本当に重力波を観測した。

 かのアインシュタインが、重力波というものがあってだね、と明言したがために、100年以上も、みんなでさがしていたという。よく出てくる名前だけれど、おかしな話だ。アルベルト・アインシュタインが生まれた年は、エジソンが白熱電球を発明した年でもある。竹を細く削ったフィラメントに電気を流し、オイルなしでも街に明かりがともるようになった。というくらいの年に生まれて、電球が普及するのとともに育った五歳までうまくしゃべることもできなかった男の子が、すくすく育って目にも見えないし耳にも聞こえない巨大観測施設を建造してやっと二十一世紀になんとか本当にあるのだと証明できたそれが、「ある」と言ったのだ。

 アインシュタイン先生の天才ぶりの意味がわからない。

 わからないが、まあ、わかるような気がするところもあるにはある。なんにせよものごとというのは、見る角度を変えて感知することができるようになると、昨日までの自分はなぜにこんなことにも気がつかなかったのだろうかというようなことはよくあるものだ。

 恋は、そういうことの最たるものではないでしょうか。

 今日、あのひとの、その仕草を可愛らしいと思ってしまった。ぼおっと見ていただけで、たまたま目に入っただけなのに、気がついてしまった。そうなるともう、明日から、そのひとのその仕草を追って、そのひとから目が離せず、つきつめるとその仕草を手に入れたいがために、そのひとを欲したりする。

 本人は、まだその程度では恋なんて呼べない、なんてうそぶいていても、そのあたりの心の揺れこそ振幅激しいものである。

 ひとだと恋と呼ばれるが、ものだとフェチだ。なぜ昨日までの自分はこんなにも恍惚とせざるをえないだれでもいいからだれかの汗の臭いを嗅がずに我慢できていたのだろう、などということになってくると、特定のパートナーを見つけるだけでは生きていくのが難しい性癖になってきて、つらいところだったりもする。

 アインシュタイン先生が、100年前に、すでになんらかの宇宙の見かたをできてしまって、予言でもなんでもなく、自明の理じゃん、おれっちにそれを証明するような施設を建てるのは無理だけれど、あるのはもうわかりきっているので、後世のひとたちよがんばれ、などと思っていなかったのも明白だ。彼は彼で、わかるからわかるので、わかることをわかると書いていただけだった。

(実際、アインシュタインは、重力波は実在するが、人類がそれを観測するのは不可能だと言った。できちゃったよはっはーん、だ)

 相手が宇宙だったから、賞だなんだということになるが、意外に、そういうひとは多いのではなかろうかと思ったりする。だれものなかに可愛らしさを見て愛でることのできるひとは多い。きっとまだ証明されていないだけで、上で書いた小さな説のような、ひとが発してひとが感知できる気配の波動というようなものを、なんなく感じとってしまうひともいるだろう。

 でっかい重力波は、宇宙を漂い続けるから、重力波の見かたがもっと解明されると、宇宙誕生の瞬間に発せられたそれを観測して、宇宙の始まりがわかったりもするらしい。それを聞いて思ったのだけれど、霊感が強いひとというのは、もういなくなってしまったひとの、かつて発していた気配の波動を感じやすいひとだったりするのではないだろうか、なんてことも。

 生まれたものは宇宙を消えずに漂い続ける。感じかたさえわかれば、いつでも拾って感じることができる。ということの一端をあきらかにした重力波の観測成功の偉業であるとすれば、私たちはだれもがぼおっとしているから感じとれないが、チャンネルさえあえば、かつてどこかで感じた想いのすべてをいつでも拾って再生可能なのではないか、ということの証明のようでもある。他人のものであれ、自分のものであれ。そして、感じていると実感できないにせよ、あるものならば、なんらかの影響もあるのだとも、思う。

 つまり、悪意に満ちた星は悪い感じになるし、愛に満ちた星は愛の星になるという、当たり前のような話をしている。過去や遠くの星々のダンスの波がこんな小さなゴミ惑星の一施設で観測できるのに、この星に棲んでいる人間のそれぞれの想いの波が、それぞれになんらかの作用を及ぼさないなんて考えるほうが嘘みたいなので。

 私が気持ちよくすごしたいので、邪悪なことは考えないでほしい。私はあしたも宇宙とこの星とみんなを愛しているよと、この星の波をいい感じのほうに傾けるべく放出しながら微笑んでみる。せっかくなので感じてみて。まあ、こんな文章を読んでいただいたってだけのことではありますが、そんな程度の知りあいの波動でも、近くの見知らぬ他人のよりは拾いやすいのではないでしょうか。

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※2017年のノーベル物理学賞では、巨大な観測施設「LIGO(ライゴ)」を建設して、宇宙空間にできた「ゆがみ」が波となって伝わる現象、いわゆる「重力波」の初観測の成功に貢献した、レイナー・ワイス、バリー・バリッシュ、キップ・ソーンの三氏の受賞が発表されました。ライゴで観測されたのは、巨大なブラックホールがふたつ、合体するときに放出された波だそう。

 起きた波で海を見る。というように、重力波をたどって見えないブラックホールを見る。そんなことができるだなんてことまでは、アインシュタインも予測できなかった。それにくらべれば、隣の建物にいるだれかの想いを感じとって、うーんこれって求められているのかも、なんて呼応するくらいはフィクションでなくできるはず。出逢いとは研ぎ澄ますことで感じるもの。ゆえに発しなくては感じとってはもらえないもの。ていうふうなところに、どうしても思考が行ってしまう。人体は宇宙だとかって言うじゃない。だったら宇宙だってヒトだ。宇宙の新しい発見は、ヒトの新しい発見で、100メートル走をだれかが10秒切って走ればみんなが追随しはじめるように、ものの見かたでヒトの可能性は広がると信じているから、大きな声では言えないが、私はたぶん、かめはめ波だっていつか撃てると思っている。

 恋と同じで、コツ、程度の問題だと思う。

 おめでとうございます。その話、興味深い。


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