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『まいれい【妹麗】とは』の話。




血を流し
祝福される
狂戦士(バーサーカー)
ラウンドガールが
妹麗(まいれい)に笑む


 吉秒 匠(よしのぎ たくみ)

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 婉麗(えんれい)とは姿や文章などが、しとやかで美しいこと。また、そのさま。

 『大辞林』に、よっております。

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 私は紙の初版を愛用していて(ものすごく売れた辞書だから、古い版はダブついていて、数百円で買えます。一冊買っておいて損はない。高いところのものが取れないときの踏み台にもなるし)、現在の第三版では、婉麗という言葉が採用されているのか調べてはいないのですが、少なくとも私のまわりで、現実にこの言葉を発しているひとに出逢ったことはない。というか「婉」て、なんだ。なんだその字は。

 「えんれい」という同じ読みで、「艶麗」と書くほうもあるのだけれど、そっちはまだなんとなくわからないでもない。わからないでもないが、タイトルに「艶麗」などと入っているエロビデオを私は購入しないし(熟女ものっぽいうえ、熟れすぎていることをさも美味であるかのように言い換えた表現に思え、あえて騙されようという気にはなれない)、かといって「婉麗」ではどうか。そうまでいくと、なんというか文学的中二病の入った監督が「追悼スズキセイジュンツィゴイネルワイゼン!!」などと叫びながら撮った作品のようで、アダルトビデオのタイトルに一般人が読めない漢字使うって売る気ないだろう、と、その監督自体は嫌いではない気はするが、作品が私にサービスはしてくれなさそうな気がして手が伸びない。



 ところで鈴木清順の最後の妻は、四十八歳下の女性だった。だからといって監督がロリータコンプレックスの病におかされていたという話は聞かないし、作品からしても……ときおりはそんな気配もあるにはあるが、重病な感じはしない。監督の最後の結婚は八十八歳のときだ。相手は四十八歳下といえ、四十路に足を踏み入れている。女優ジャンル的には立派に熟女ものコーナーに並ぶ年齢であり、それを小児性愛と呼ぶのはあきらかにおかしく、あえて(呼ばなくてもいいのに無礼にも呼ぶならば)イモウト的なジャンル棚に分類すべきなのかもしれない。

 と、いうようなことを、難解といわれた作品を多々撮った偉大な監督の逝ってしまった春に想いながら、いつものように格闘技大会の中継などを観ていた。

 それはとても良い試合だった。キックの試合で肘ありルール。勝者は自身の血にまみれながらも、不屈の闘志で勝ちをもぎとった。試合終了のゴングが鳴り響き、会場のだれもが、ああ私たちはいまいったいなにを目撃してしまったのだろう、と脳内整理が追いつかないままに割れんばかりの拍手を贈るなか、彼女は。

 白いビキニで、ひとりだけ、違う宇宙にいて微笑んでいるようだった。

 うちの二歳児が、ときおり同じような神々しさを魅せることがある。テレビのなかの歓声と拍手。私も感動してテレビの前で拍手を贈っている。それに対して、二歳児は拍手を贈る。喜ばしき光景が目の前にあることを歓んで。みんながなにに心動かされているのかはまったくわかっていないが、わーぱちぱちの盛り上がりかたがとても激しいことはわかるから、そのことに対する祝福の拍手と微笑みを与えてくれるのである。

 肝心のところを理解していないけれど、みんな悦んでいるのね、それはとても悦ばしいことね、と。小羊がなにに悩んでいようが、告解を聞く必要もない。ただ聖母は彼らの頭に手のひらを乗せ、祝福を与える。

「赦します。悦びなさい」

 そうとは言わずとも、そんなことをされたら、もう。

 いや、彼女はただ、二歳児とは別の純真さで、歓喜のうずの中心にあるリングの上にいる自分を、グラビアアイドルらしく、観衆にアピールしただけだったのかもしれない。事実、血だらけの狂戦士を祝福しながら、涙さえ浮かべながらも、私だって彼女の白ビキニと笑顔を記憶したのだから、多くの観客がそうだったはずだ。

「おまえ、会場がなんで盛り上がっているのか理解できていないんじゃないのかよ、なんだよその聖なるもののような微笑みは、横を見ろよ、彼、血だらけだぞ……」

 思いながら、なぜか、その対比に、胸が詰まる。そうだ、ラウンドガールがコブシ振り上げて試合に熱狂されても困る。彼女がなぜ巨乳をはみ出させた白ビキニなどという格好でリングの上にいるかといえば、まさに凄惨な戦場の空気を和らげるためなのだから。

 花なのだから。

 血が流れても、花が飾ってある場所は、優雅だ。殺しあいを見ているのではなく、スポーツを観ている。だからこそ、肘で相手の顔面を切り裂く競技に、悲鳴ではなく歓声を向けられる。

 婉麗(えんれい)と、妹麗(まいれい)という字面は似ている。

 婉麗、という言葉を、私はこれほど毎日、膨大な日本語を綴りながらも、きっと一生、使うことはない気がする。使ってもわからない言葉は、使いようがない。綺麗な字面だし、みんなが読んで意味がわかるのならば、ぜひ使いたいとは思うのだが。

 そこで、妹麗では、どうか。字面は似ている。それに「妹」であるならば、ほとんどのひとが、読んで意味を取れるだろう。昨今の萌え需要をかんがみても「うるわしい、いもうと」で、浮かべるイメージは、万人、そう大差ないのではないか。

 難解な文字が、省略されて後世でも使われるというのは、よくある。まったく使われなくなってしまうよりも、そちらのほうが、ずっといい。

 妹麗(まいれい)という言葉は、辞書にはないし、いまネット検索をかけてみても、見当たらなかった。が、私がさっき詠んだので、それを初出として、あした辞書に載せてもいい新しい日本語として流通しはじめたということである。埋もれず使われるといい。

 『大辞林』初版で「妹」の前の言葉は「斎う(いもう)」。けがれを避けて心身を清め慎む、という意味らしい。これも使ったことのない日本語だけれども、使ったことのないくらいに慎むことなのであろう。「妹」の後ろの言葉は「芋貝」。そこはかとなくイモっぽくて究極に清められた巫女的イメージの中心に「妹」の文字は位置するわけで、そういう感じで使っていただければ。どういう感じだ。だから、そういう字面でだけ伝わるニュアンスのあるところが日本語の良いところだという話をしているのである。

(「妹」を「いも」と呼ぶとき、それは女性が女性に呼びかける親愛の呼称でもあるということも辞書には明記されている。けっしてアダルトビデオのジャンル的にどうというばかりの話ではない。ないぞ)

 シリーズ「新たな日本語の地平を創造する」次回は……

 弟麗(ていれい)。

 ……やめておこうかな。なぜこう、おとうとがうるわしいとニヤケ笑いが頭に浮かぶのだろうか。三流ホストとか、小物な詐欺師の類をイメージしてしまう。

 兄麗、姉麗、も、いまいちピンとこないというか、ピンときすぎてスーツメガネの宝塚なキャラに固定されてしまう気がする。

 としてみると、妹麗(まいれい)。
 適度な幅を持たせて大きくはブレない印象の具合が、使い勝手がよいのではないかと、自画自賛してみる春の日なのであった。

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bloodshed
win applause
Berserker
smiling Ring Girl
virgin sister beauty


Yoshinogi Takumi

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