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『ふたつの点とバッテンの宇宙』の話。


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 なぜこうも連日、訃報からインスピレーションを得ているのだろうと哀しくなるが、なにごとも失ってはじめて気づくというのは本当のことで、はたと手を止めて見わたすと、過ぎゆく日々は味気ないようでいて実に多くの「他人」の手によって彩られているものだと思ったりする。

 という、この文章を読んで人生の貴重な数分を使っているあなたにとっての私だって純然たる「他人」なわけで、この文字のひとつひとつを私が私の指の一本ずつでキーボードを叩いて入力しているのだということを、真の意味で理解しているとすれば、これは一種の遠隔的な愛撫ととらえることもできるから、私がどこかにいるあなたのことを想いながら書いているのは事実だけれども、始終それを意識されては重たいし気持ちも悪いことになるので、やっぱりふだんはさして己の人生の風景を彩ってくださるどこぞのだれがしさまのことなど生々しくは想ったりしないのは精神衛生上も必要な技術ではなかろうか。

 ディック・ブルーナの絵本は、我が家にもあった。

 男三人兄弟だ。どちらかというと、彼の絵本は女児向けのような絵柄だが、図書館から借りてくるというのではなく、家に何冊もあった。母は洋裁家なので、デザイナー出身のディック・ブルーナに対する想い入れなどがあったのかもしれない。

 そんなわけでいま、我が家の一歳の息子も、アンパンマンとディック・ブルーナにジャストミートな感である。

 と、書いてみて、間違っているなと気づく。それを書くのならば、こう書くのが正確だ。

 やなせたかしとディック・ブルーナ。

 もしくは。

 アンパンマンとミッフィー。

 ……ミッフィー。
 これにどうも私はピンとしない。

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 ダルマにしてみても、ふたつの点とバッテンだけで、世界中のだれもがうさこちゃんだとわかる共通言語ミッフィー。

 しかし、私は、この記号に接すると、ディック・ブルーナの名のほうを頭に浮かべてしまう。もしかすると、母が読み聞かせでうさこちゃんをブルーナと呼んでいたのではないかと疑うが、だとするとおかしなことに、その記号を目にしたとき、私の頭のなかに現れるのは、ヒゲのおっさんなのである。

 それ自体の記憶は薄いが、デートでディック・ブルーナ展などというものに足を運んだような気はする。あまり自分自身が興味のないジャンルでも、美術展に行くとパネル展示の膨大な文字情報を読まずにいられないタチなので、そこで彼の略歴や思想を摂取したのだろうか。なぜだか、彼の肖像だけでなく、立ち位置などについても知識がある。

 点とバッテンだけで世界を牛耳った人物。デザイナー界の伝説。彼はもともと、本の装丁などもやっていて、歴史的に見れば、カバーで本を売るという概念を世界にひろめたひとでもある。彼以前の本のカバーとは、シリーズでまったく同じデザインで、文字情報のみが違うというのが当たり前だった。いまのように、毎週出版される雑誌の表紙が毎週違うなどというのは、想像だにされないことだったのだ(印刷技術の進歩というものの要素も大きいが)。

 彼の生み出したキャラクターよりも、ディック・ブルーナという人物に私は興味を深く持ってしまったのかもしれない。そういうことの結果なのか。

 うさこちゃんは、私のなかで、おっさんだ。

 つまり、アバターだ。

 発売から一年以上経つが、いまだ毎日私がプレイしているゲーム『Halo 5: Guardians』。

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 その仮想空間に棲む私の姿は、こんなのだ。


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 Xboxというゲーム機は北米での販売台数が抜きん出て多いので、自然、オンラインでの対戦相手も、そのあたりのかたとご一緒になることが多い。そしてこのゲームは、狩りに行こうぜとか、そういうノリではなく、一期一会で集まった数人が十数分の試合を終えたら解散というシステムなうえ、試合自体も寡黙でストイックな競技であり、やっ、とか、おぅ、というようなテニスでもプレイしているかのような相手の声しか聞こえてこない。そういうスポーツを観戦されるかたならご存じのように、人間の吠える声というのは、必死の状況下では言語体系に左右されることがなく、発するのがナニコク在住のナニジンだろうが、同じだ。イキの表現としてアジアはイクイクだけれど欧米はカモンカモンだというようなことが言われるけれど、そこを越えた白目を剥いての本能から漏れ出すあえぎ声となると、そんなもの同じ動物なのだし同じ構造の声帯なのだから、同じになるに決まっている。

 Halo空間で私の纏うエンブレムは現在、日の丸を意識したものである。アメリカ大統領選挙のクライマックスに合わせて変更した。アメリカンプロレスの最王手WWEで、日本の元NWCやドラゴンゲートの選手たちが台頭著しいのも意識にあった。もともと、名前がYoshinogiだということで、日本でなにか事件が起こると、向こうのゲーマーたちから疑問符のついたメッセージの届くことはあったが、一期一会の試合会場でも、お、こいつニッポンのプレイヤーかよ、と認識されたうえでどう扱われるのかを、愉しみたいというところがあって、この時節柄、あえての民族主張を試みている。

 一方、みずからをまったく無個性な正体不明のアバターで表現しているひとたちも実に多い。彼ら、もしくは彼女らは、試合中も不用意に声を発したりしないどころか、基本的にマイクをオフにしている。かといって、匿名性を笠に着て、無礼な態度なわけでもない。むしろ礼儀正しいひとたちが多い。純粋に試合を愉しみたいという想いで、みずからの個性を没しているのであろう。

 いまだ、テレビゲームの世界では、人間のようにスポーツライクな試合をこなせる人口知能はいない。将棋や囲碁ではAIが人間に勝ったと騒いでいるが、一瞬でメキシコのだれかと一局打てるのに、わざわざ機械を相手にすることはない。互いに対戦相手を欲しているものたちが世界中にいくらでもいて、彼らをつなぎあわせるインターネット網も地球には整備済みなのに、わざわざ凝った人口知能など造る必要性がない。

 話すのが煩わしければマイクを切ればいいのである。正体を知られたくなければ、本当の自分とは異なる性別の、異なる見た目の、異なる没個性なアバターを持てばいい。対戦相手にとって、対戦相手は対戦相手にすぎず、明日の友人や恋人を、さがしているのではないのだから。

 地球の裏側で、戦う私のアバターは認識されているが、私自身が認識されているのかどうかは、なかなかに曖昧なところだ。私は対戦相手にとって、人口知能よりも戦いがいのある「他人」だということだけが価値なのであり、私は私で、私が日本という国にいることを相手がどう受け止めようが、それぞれに愉しめるから晒しているにすぎない。

 そういう意味で、ミッフィーを見つめる。

 アンパンマンを見つめても、帽子のおじいちゃんを連想したりはしないので、アンパンマンは、やなせたかしアバターとは言いがたいが、ミッフィーは、やはりディック・ブルーナのアバターだ。

 デザイン的である、ということが逆説的に働いている気がする。意図的に簡略化した、没個性の権化のようなアバター。アンパンマンはアニメと絵本で絵柄が違うが、うさこちゃんは簡略に過ぎて絵柄と呼べるものさえもが消失してしまっている。ミッフィーはどこの国に棲んでいる、ナニジンだ? ウサギなのか? 後ろ脚で立って、スカートを穿いているのに? 右に歩いても、左に歩いても、走っても、彼女(もしかして彼?)は、絶えずこちらを見ている。斜めを向くということさえもない、横顔のないキャラクターである。つまり、いついかなるときでも、等間隔のふたつの点とバッテンだ。それでいて数え切れないほどの物語の主人公である。アンパンマンは泣くし怒るし困った顔もするが、ミッフィーの能面ぶりときたら、むしろ能面さえ真っ青なレベルで、能面というものは角度によって表情がつくように設計されているが、あのうさぎにはそれさえもない。

 そういえば。

 一歳児が、ミッフィーに魅入りはじめたのと同時期に、できるようになったことがあった。

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 レゴブロックの極小な皿である。それまで彼は、大きなレゴを、くっつけたりはずしたりする行為だけに悦びを見出していたのだけれど、ある日突然、いっしょに遊んでいる私の目の前で、なにも入っていないオモチャの皿を両手で口に運び、なにかを飲み干したかのような演技をして、ぷはぁあ、と言ったのだった。

 一歳児が、ままごとのスキルを会得した瞬間だった。

 思えばそのときまで、アンパンマンやピクサーの映画が好きだとはいえ、10分とじっとしていられない彼は、色とりどりな世界に魅入っていただけなのだろう。それが、10分のアンパンマンエピソードを見終えるどころか二話目を早く始めろと急かすようにさえなったのは、そこで語られる物語を漠然とではあっても理解しはじめたからなのだ。

 色とりどりの、記号的な、アンパンだったり、メロンパンだったり、車や飛行機だったりする、その向こうに、人間ではないけれど人間であるかのような性格付けを透かして見るようになった。

 アバターである。
 なかのひとの発見、と呼んでもよい。

 からっぽのオモチャの皿にスープが満たされていて、それを飲んだら美味しかった。そして同時に、目の前の父親にそれを演技で示してみせれば、共感してもらえることも理解した。

 アンパンマンはどう見ても生きていない「絵」なのだけれど、そこに宿る魂があり、生きているのだという、お約束がある。

 お約束の積み重ねで、物語は構築される。
 この世にまったく新しい物語など存在しえない。小説を読んだことのないものは小説を書けないし、プロレスを観たことがないのにプロレスはできない。

 本能的なセックスだとかダンスだとかいうものならば、学習なくしてできるけれど、他者を興奮させるポルノを制作できる猿はいないし、クジャクは動物園にやって来た人間に歓声をあげさせる意図を持って羽根をひろげるわけではない。

 本人に逢えなくても、アバターでこと足りる。
 そこにいなくても、いることにできる。

 ファミレス業界で、二十四時間営業が見直されている。いまや携帯電話がアバターだからだ。そこに浮かぶ文字と文字のやりとりで、相手が透けて見える。昭和のように、ファミレスで朝までダベる不良はいない。自宅で毛布にくるまってチャットすれば、液晶画面に友だちも恋人もいるような気がする。それで充分だからだ。どうせ逢ったところでたいした話がしたいわけでもないのであって、肉体の移動など省けるならそれに越したことはない。ただ席を確保するためだけにドリンクバーを注文するなんて、いらないカロリーの摂取だし、膀胱にもやさしくない。

 友人とテニスがしたいならテニスゲームでいい。だいたい貸しコートなんてどこにあるんだ? ゴルフも野球もサッカーもビリヤードも、麻雀も。いまや本物よりも、ネット回線を通じてプレイする人口のほうが圧倒的に多い。ケンカもか。

 矢印を発明したひとを知っているだろうか。矢印を見て、だれかのアバターだと? 星印ではどうだ。昨年、日本の携帯絵文字がニューヨーク近代美術館に収蔵されるというニュースがあったが、emojiという単語は英語でも通じるけれど、使われている絵文字自体は、同じではない :-) 

 ふたつの点とバッテン。

 象形文字よりも象形である。
 偶然描かれてしまう可能性さえあるような単純さだ。1+1=2という計算式よりも単純なその記号に、世界中のだれもが魂を感じとり、なかのひとを想い、お約束のうえに、うさこちゃんと、その作者であるおっさんを見て、ほっこりする。

 この先も、これよりも簡略化できるアバターは登場しないのではないか。

 ディック・ブルーナは偉大だ。
 たったそれだけのデザインで、世界を平和にした。それに育てられた者が、自身の子供に、またそれを与える。単純すぎる記号のようなアバターを。これにはすばらしく魂が宿っているのだと言って。我が子がふたつの点とバッテンにうさこちゃんを見て笑んだら、人間界のお約束というものをこれで理解したなもう大丈夫だと安心する。

 ままごと遊びができなければ、自身になにごとかのキャラクターを憑依させるすべを知らないということで、だれかにとってのだれかになろうと演じなければだれかにはなりえないし、家族や社会の一員にだってなれないはずだ。それはそうやって語りはじめると、とても難しいことのように思えてしまうが、逝ってしまったおっさんは、これからも教えてくれる。だれかに愛されるために、だれかを笑顔にするために、凝ったアバターを纏う必要はない。

 こんなので、ほら可愛い。

 ふたつの点とバッテン。

 いや。偉大すぎる。アバターが優秀すぎて、おっさんが逝ってしまったというのを、これからも実感できそうもない。過ぎゆく日々は味気ないようでいて実に多くの「他人」の手によって彩られているもので、「他人」がいなくなろうがどうしようが自分の幸福には関係のないはずなのに、悼む。うさこちゃんの新刊を心待ちにして暮らしていたことはなく、自分が子供のときと、自分が親になったときと、同じ絵本でこと足りているのだから、作者の存在などあってもなくてもいいようなものだ。それでも。アバターには、なかのひとがいるのだと、名の売れた偉大ななかのひとが逝ったニュースに思う。プレイのさなかには、そのごく当たり前のことに気づくことはないが、私は彼もしくは彼女の実体に生涯触れることはなく、彼もしくは彼女があるときそっと逝っても知ることもなく、それなのに彼もしくは彼女と毎日出逢って、生涯をともに生きているのだと、なんだかセンチメンタルに思い知る。

 これから生まれてくる子供たちにとって、ミッフィーは、なかのひと不在のアバターなのに、そのことはもはやなんら問題ではなくなっている。ミッフィーには、ミッフィーの魂が宿ってしまったので、そのデザインをアバターとして見る私のような者の感慨とは別の次元で、これからも不変なのだ。

 創造、と呼べる。
 成し得た彼が、とてもうらやましい。
 ふたつの点とバッテンを、ステンレスの板に刻んで、無人の探索機に乗せて宇宙の果てへと飛ばしたい。どこまで行っても、それは不変のままのはず。ふたつの点とバッテンが、最果てを漂っているだけなのに、人類はそれを想うだけで、ほっこりできる。

 それって具体的な、平和だ。
 

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