最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ

『今週の進化論』のこと。



Thomas001.jpg

 この数ヶ月で、トーマスを何台分解したか。
 このトーマスは、くるくる回って走り、左右に目をギョロつかせる。かなり狂気じみた動作をする。まっすぐ走るトーマスや、ガタガタうるさいトーマスもいる。

 しかし共通するのは、その動作の根幹にあるのが、電池一本で動く1.5ボルトモーターだということ。

 工作用だ。
 タミヤだ。
 マブチだ。

 いや、そんなブランド品は、トーマスには入っていない。とはいえ工作用モーター。歴史ある世界の標準規格。そうそう壊れるものではない。

 ではなにを直すために、私は青い電車を分解するのか。

 たいていの場合、ギアである。

 このトーマスに至っては、質実剛健工作用モーター一個に、くるくる回りながら走り目もギョロつかせるという多重動作をさせるため、縦に横に無数のギアが組んである。そんなもんさあ……

 回るタイヤを幼児は止めるのだ。ギョロつく目にも指を突き立てる。強制的に動作が止められる。歴史ある工作モーターは唸る。

 幼児はそれでも踏ん張る。

 結果。

 接着されていたタイヤがカラ回る。

 それならマシだ。接着しなおせばいい。しかし、パキッと、ギアが逝った場合。これは面倒くさい。パテとヤスリが必須の作業。しかも、いちど壊れたところは、どうせまた壊れる。

 やる気の起きない作業だ。

 工作用モーターはすばらしい。まず壊れない。壊れればいいのに。壊れたモーターを交換するのは、実に簡単な話なのだから。ブランド品でも百円そこら。赤と黒の線をつなぎ直すだけ。

 一方、どこかの国で、規格もなく、独自に造形された小さなギア。3Dプリンターでもあればラクだが。それでもどうせ同じ箇所が壊れる。

 やっていられない。

 まあねえ。プラレールの公式対象年齢は、三歳以上らしいので。

B01NA08FDB

 オモチャの電車が線路を走る。それをゴジラのごとく蹴っ飛ばさず、眺められるのが三歳ということだ。そこまでまだ一年以上ある。トーマスが壊れるのは必然なのだ。

 新品なんてとても買う気にならない。だから直せるものは直すさ。ほんの一年と少し? そんなのでモーターに負荷をかけない、理性ある人間に育つとは思えないが。公式対象年齢がそうなのだから、きっとそうなのだと希望が持てる。

 トーマスを壊さなくなるのかあ。
 そうですか……
 そんなわけないような気がしますけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今週、泉田さんと松野さんが逝った。

 ほぼ同時にそのふたつのニュースを摂取した私は、その日、かなりの挙動不審だった。「ヨシノギさん、大丈夫ですか」と、はっきり訊ねられたほどなのだから。職場では、プロレス好きであることもアイドル好きであることも、ひた隠しにしているから、それらのニュースと私とを結びつけるひとが、まわりにはいなかったのである。現に仕事中になんどか泣いている自分に気づいた。それは声もかけるだろう。

 どちらも突発的なことだったが、どちらも予兆めいたものを嗅ぎとることができてしまうのがまた、あれこれと考えさせられる。

 昨夜、帰って来たら私のお気に入りのサングラスが息子にひん曲げられていた。フレームはチタンなのでなんとか直せるが、プラスチック部品の変形はどうしようもない。オシャレに半透明の素材だったので、直すというか、イチから再構築のようなことになるので、おそらく手をつけることはなく、私はあのコをもう、顔に嵌めることはなくなってしまうのだろう。

 階段を登って、椅子を移動させて、それによじ登って高いところのものを取るというチンパンジーなみの作業ができるようになりながら、お父様の高価そうなサングラスを壊したらいけませんということが理解できないという、この発達の順序は神様のミステイクだと思う。サイボーグ001のように哲学まで論じられる赤ん坊になってから、肉体が成長しはじめるように創ればいいのに。

4757545967

 と、サングラスを壊された怒りから乱暴な思考になって、ついこのあいだ、自分で書いたことを思い出す。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『幼児期健忘による私の消失』の話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 とてつもなく頭の良い学者さんが言っていたので間違いないことに、幼児期健忘とは神様からのギフトなのだそうだ。

 サイボーグ001は、サイコキネシス能力を有しているので自分で自分のオムツを替えられるくせに003フランソワーズに替えさせる成熟しきった変態成人男性なので問題ないが、ふつうの人間の脳の発達だと思春期というものがあるために、そこで父親や母親に反抗できないと通過儀礼が終わらず大人になれない。もしも、三歳までの記憶がだれにも残っていて、十五歳で親に反抗しようとしたら「おれはおまえのオムツ替えてケツまで拭いてやってんぞ」と言い返されて、そんなもんおぼえてへんわと言い返そうとしたら実はくっきり克明におぼえていたとしたら。

 つまり、あとで死にたいほど恥ずかしくなったり、いらぬ屈辱感をおぼえたりする必要のないように、神様がオムツ時代のことは忘れさせてくれるのだという。

 だからまあ、私もサングラスの件では彼を怒らなかった。いまの時期では、彼には過去も未来もなく、いまだけなのだ。夜になってから帰って来た私に怒られても、彼には、なんのことやら理解できない。ひん曲がったサングラスを見せたところで、昼のことなんてすでに忘れているので罪悪感というものもなく、むしろまた興味深い造形物を見つけたと指先さえのばしやがる。動物の調教は、その場その場でイイネダメヨとやらなければ成就しない。

 神様、などと前置きするから納得いかなくなるのである。そう、だれかが、人間をこんなふうに創ったのだとしたら、いろいろとミステイクがある。だが単純に、高い枝の葉っぱを食べるためにキリンが首をのばした、その驚くべき進化に神とかいうぴろろっぴーが関わっていないのだとすれば。

 動物は進化する。
 勝手にする。
 だれかの手は借りない。

 人間の赤ん坊が、この車社会では理性もないのに歩き回れるようになったら逆に危険なのにもかかわらず、歩きまわってよじ登って破壊行為にいそしむような順序で育つのも、進化の途中だからだ。進化の果てではない。そんなわけはない。人間は、まさに車に代表される道具というもので進化する生物になったので、肉体の進化は止まって、猿よりもちょっと背筋がのびたあたりから、なんの変化もない。ゆえに理性もないころから走り回れるようになる。あいかわらず、そうなのである。サバンナで、理性がない生まれたてのやわらかい肉を食べようと追いかけてくる敵から、走って逃げるために。ここにはもうサバンナも人間を襲う捕食猛獣もいないのに。

 進化はすごい。
 願えば叶うのである。
 なのになぜ、ヒトは進化を放棄したのか。
 もっと、あるだろう、ほら。

 モーターが壊れるように。
 進化すべきだ。

 本当に、本当に、そう思う。
 神様がいるなら、即日アップデートすべきだし、そうされないということは、少なくともいまはもう、私たちを見守っている万能創造主のような知性体はどこにもいないということの証明だ。

 だったら私たちは単に動物なのだ。動物のくせに込み入った社会を形成してしまって、あげく自滅してゆく。死ぬ前に死んだフリができるように進化すれば、避けられる死が山ほどあるのに、そういう進化をしようとしない。

 実際になにがあったのかは、永遠にわかりえないけれど、季節が冬だということは、きっと関係している。私も今日は休日のはずだったが出勤した。同僚の身内で亡くなったかたがおられたからだ。店で花も売っているから、年明けたこの時期に、やたらヒトが逝くことは肌で知っている。そういう季節ではある。肉体的にも、精神的にも。危ういバランスのうえで、自分が生きていることを、たいていのひとは知っている。知っているのに。

 進化しない。
 こりゃちょっとギアが壊れちゃうぞとか、心が壊れちゃうぞとか、気づいて、もしくは気づかなくても、カラダが勝手に悲鳴をあげて、モーターを止めるような機構がない。

 自分で走り続けながら、自分で、ぱきん、となる。

 私が、私のギアを調整するための、何十時間何日もの、モーターを止めて安らぎ、はしゃぐ時間をくれたふたりが、今週、壊れた。

 だから私は信じない。
 私の無神論は、とても深まり、強固なものになった。

 休まず壊れて、争いのなかで壊れて。
 壊れて壊れて壊れて。
 それでもまだ進化しないということは、壊れるように死ぬことを受け入れてしまっているからに違いない。こんなのはもうやめるべきだ。避けられるはずだ。

 時間が巻きもどせるとして、避けられなかったことだろうか。片方ではそうだったかもしれないという気もするが、もう片方では、まったくそういう気はしない。だとしたら、どうしてこういうことがくり返されるのかを考えて、変えるべきだ。変わるように願うべきだ。

 我々は進化すべきだ。
 首さえのばせない理屈っぽい猿に、とどまらず。


TRACKBACK http://yoshinogi.blog42.fc2.com/tb.php/673-62faa50a