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『ウール<サイロ三部作>』のこと。




 少し前の回でした、私の半生のなかでも格別に憂鬱な話のなかで、うっとりと触れた小説のことを、話すったら話す。

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「彼らが清掃するのはなぜだと思う?」アリソンが問い返した。「ウールのパッドを手にし、ためらうことなくレンズを磨くのはなぜだと思う?」


 ヒュー・ハウイー 『シフト』

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 ひとを刺した少女を見たことがある。

 ホームセンターの早朝品出しという、開店前に棚に商品を並べる一日数時間だけのアルバイトをしていた。遠い昔のことだから時間の記憶は曖昧だが、たぶん午前七時とか八時とか。台所用品を並べていたら彼女が数名の警官に連れてこられて、包丁の棚の前でグラビア撮影がはじまった。様々な角度で彼女が包丁を手にするのを撮っていた。

 ああ、この店で買った包丁でだれかを刺したのだな、と察したが、ホームセンターの包丁売場でどのようにして包丁を棚から選び取ったかなどということを検証しても、裁判でなんの役に立つのだろうと……昼間は雑多なモノを書き描くために早朝品出しなどやっていた私は、その少女を見つめて、いくつかのストーリーを組み立てたり、いまのあの娘の目を覗き込んで絵を描きたいなあ、ついでに彼女の手錠を布で隠しているとなりの眠そうな警官の目も、などという不謹慎なことを考えていた。

 考えつつも、品出し作業は進む。体を動かしながらモノを考えるというのが、私には性に合っているようで、いまもあそこはこうしようなどと思いつくのは、書いているそのときではなく、たいていカラダを動かしているさなかだ。あのころからそうだった。次の作品の構想が深航しはじめると、かえって迷いなく商品は棚に収められていくようになり、きみはなんだこの仕事に向いているのではないかといつの間にか出勤時間が増えて、朝が昼になり、制服を着て接客もするようになり、なんだかんだで、いまはそのときのアルバイトの延長線上の仕事をしていて私の生活は成り立っているのだから、やめどきを失うというのは怖いものである。

 ヒュー・ハウイーは、本屋だった。私のように、新聞の求人広告で近所でできる短時間のアルバイトをさがした結果、深く考えもせず働きはじめたらその業界を抜けられなくなってしまったというのではなく、選んで働きはじめた。時給は10ドルで、これも私とはまるで逆に、午前二時に起きて小説を書き、本屋が開く時間にアルバイトに行き、昼休みにも原稿の続きを書いていたそうだ。売れない小説書きなどというのは、売れないフォークシンガーと並ぶヤクザな連中だというのが定説だけれど、ヒュー・ハウイーの場合、本屋で働くことが自身の執筆活動にとってプラスになるという勉強熱心さが、上のそらで手だけは動かしながら就業時間中も頭のなかで書き続けていた私とは、これまた違う。

 そしてこれも定説だが、なぜだかそういう男に惹かれる女性というのは一定数いるもので、私も結婚したのはそのアルバイトの時期だったし、ヒュー・ハウイーもそうだった。妻の稼ぎがあるというのも大きいだろうし、もとがそこに骨を埋めるというような意気込みで小売りの世界に入ったのではないこともあって、強気で時間の工面を最優先する。喰うための仕事は仕事、書くの優先。そうしてヒュー・ハウイーは、偉いことにありがちなヒモヤクザぶりを発揮してドラッグと暴力のアメリカンストーリーに陥ることなく、毎年有給を使い切って定時に帰る仕事ぶりでもクビになることはなく、やがてアメリカンドリームに乗ったとは言いがたい程度の弱小出版社で本を出すことになる。

 一冊目は数百冊だけ売れた。しかし、そういう程度の部数が平常運転な出版社で、二冊目も出すことになり、改めて契約書にサインを入れる段になって、ヒュー・ハウイーは二十一世紀のSF書きが取るべき行動に出た。

 嫁に貢いでもらいながら呆れるほどの時間をかけて書いた作品を、また数百ドルそこらで売っておしまいにするくらいならば!! という発想が、貢いでくれる働き者な嫁を持つ強みである。

 どうせ小金にしかならないうえに名も売れないならば、バクチに出る。やっぱりヒュー・ハウイーもヒモヤクザ資質を持っている。

 彼は、弱小出版社とのつきあいをやめ、Amazonの電子書籍販売システムKindleで、自分の作品を売ることにした。

 Amazonの規約では、作品が売れたら三割が持って行かれる。Amazonにしてみれば、だれかれかまわずの作品群をアップさせ、売れたら三割取るのだから、赤字になりようがない優れたビジネスモデルだけれど、それは逆にアホほどの玉石混淆な市場になるということでもある。

 ヒュー・ハウイーは、とある短編を99セントで売ることにした。

 約百円。ひとりが買ってくれたら、三十円がAmazonに持って行かれて、七十円が手に入る。本屋の時給が約千円だから、一日に十人が買ってくれても、一時間ぶんの稼ぎにもならない。というか、たぶん十人も買わないと、ふつうは思う。それでもせっかく拾ってくれた紙の本の出版社を足蹴にして、Amazon Kindleへと走ったのは、自信というよりもは、前述のような、どうせなにやってもおれは死ぬまで書くのだし、喰うには困っていないから一攫千金当てるのが目的ではないし、望むのは「読まれている」という実感なんだ!!

 そういう開き直りだったと推察する。私が敬愛するディーン・クーンツ師も言っていた。書く前に稼げと。金の心配をしないでいい=書き続けられる状態にするのが、まず書きはじめる前に必要なことだと。ひねくれた見方をすれば、ヒュー・ハウイーは、それを実践していたがゆえに、目の前の原稿料を蹴って、思い切りよく勝負に出られたのである。

 どこの本屋で並んでいるのかもわからない数百冊よりも、今日、七十円の稼ぎが何冊分か、数字で見える。データに実体はないのだが、実体がないからこそ、購入者が手に入れたのは、純然たる「小説」その文字の羅列そのものだけだから。買ったけれど本棚に積むということは、きっとない。99セントの短編をKindleの端末へダウンロードした購入者は、ほぼ間違いなく、今日の読者だ。演劇でも、音楽ライブでも、プロレスでも。観客のダイレクトな反応が感じられる形態というのは、なにものにも代えがたいので、そういう業界では数十人しか入らない会場で赤字興行を打つ人々が絶えない。

 おお、売れている。
 読まれている!
 数冊だけれど。
 泣けるぜ。

 ヒュー・ハウイーの最初も、そんなだったろう。ハンバーガーが買えるくらいの小銭が「小説で」得られた実感に興奮して、妻とささやかだが泣けるディナーをともにしたかもしれない。

 その後、大長編大河ドラマとして刊行されることになる『ウール』『シフト』『ダスト』の<サイロ三部作>の冒頭「第一部」となった部分が、そのときの短編だった。日本語の原稿用紙にして百枚ほどの短編というよりも掌編、ショートショートに分類してもいい小粒な作品だ。

 実際、日本人の私だと、ショートショートの神様、星新一を彷彿とさせられてしまう。ハードSF設定。けれど描いているのは日常。オチのパンチ力と、切なさ、やりきれなさで魅せるたぐいの、美しくもブラックな近未来モノである。

 上手い。が、雰囲気重視で、冒頭引用した「とある謎」を提示して、それをしっかり説明もしきらずに終わるところがある。

 舞台は地下に埋まる高層タワー。そこで人々は暮らしている。地上は毒されていて、人類は死に絶えた。地下で生きる人々にとっての慰みは、カメラから覗くことのできる外界の様子だ。死の砂漠。けれど生き延びた人々は、そんな景色でも地上の光景を見つめずにはいられない。タワーには法律がある。罪人は、地上へと送り出される。そしてそこが謎なのだが……

 彼らはなぜウールのパッドで、カメラのレンズを拭くのか。死の砂漠へ送り出されたのだ。それなのに罪人たちは、砂漠の砂で曇ったレンズを、地下から覗く人々のために、掃除して逝く。

 百枚の短編で、さくっと書いたそれの完成度は高かった。トワイライト・ゾーン。世にも奇妙な物語という風情。おお、上手いじゃん、と、つぶやいた購入者もいたのは間違いない。

 それにしても、だった。

 ネット上の口コミで、数ヶ月でまずその短編が千ダウンロードを超えた。七十円でも、千本売れれば七万円である。ハンバーガーを買って帰ってではなく、ホテルに泊まってフルコースを前にして「読まれたぜ」と乾杯できる。

 ここからのヒュー・ハウイーの仕事が早い。

 短編の続編にあたる第二部、第三部、第四部を、二ヶ月のうちに次々とダウンロード可能にした。結果、一ヶ月のダウンロード数が一万を超える。七十万円!! 時給千円=行っても月に二十万円ほどの本屋へ出勤している場合でないのはあきらかだ。

 続けて第五部も書き足して、ついに『ウール』のタイトルをつけた連作短編集の形になり、これが5ドル99セント。

 一ヶ月で二万ダウンロード超え。Amazonのベストセラーランキングに登場、SF部門でトップ。

 ヒュー・ハウイーは、本屋を辞めた。ヤクザである。惚れる。マジメに本屋を務めながら生活も律して小説を書き続けていたところからして、彼はそういう性格ではないのかもしれないが、クソのような上司のもとに出向いて本屋の制服であるエプロンを叩きつけ「ありがとよっ!」と吐き捨てている姿を想像せずにはいられない。

 私の同僚に競馬好きなのがいて、これがまた大穴を狙うというのが好きなたちのひとで、まったく勝ったという話を聞かないのだが、笑う私たちに向かって彼が言ったことがある。

「万馬券を当てんと辞められへん」

 中途半端な勝ちではダメだと。宝くじ買うのやってそうやん。と彼は言ったが、そこで数人が反論した。

「おれは辞めんなあ、数億、当たったこと言わんと●●のイヤミもニコニコして余裕で聞き流しながら働き続けるやろなあ」

 ●●、はクソな上司の名なわけだが。
 そういうひとは多い気がする。金のために働いているから辞められないというそれそのものがストレスになるのであって、大金を掴んだら、そんな日常ごとき、余裕でたのしめてしまうものなのではなかろうか。

 と、いう意味では、600円×二万ダウンロードで、一千万円以上を稼いだところで、すっぱり本屋のキャリアを捨て、専業作家の道を選択したヒュー・ハウイーは、意外と本屋の仕事にとんでもなくストレスを感じていたのかもしれないと思う。この国でも、新聞に載るような某賞を獲ったあともコンビニで働き続けるひとなどが居たが、本屋で働き続けていれば、それそのものが宣伝になるのに……という発想がもう、旧来の小売りの考えかたなのだと気づく。

 ピコ太郎が何者であろうとジャスティン・ビーバーに気に入られたのだ。<サイロ三部作>は、ヒュー・ハウイーが何者であろうとも、作品だけで稼いだ。

 という例を並べてしまうと、プロレス好きとして思うところはある。アメリカンプロレスを観ていると、とんでもない田舎で、大阪府立体育館第一級の会場が埋まっているのを見る。一方、日本の地方大会に行くと、超メジャー団体の大会であっても、町立体育館にパイプ椅子三列ほどの客席だったりすることが常だ。そういう世界で、超メジャー団体のひとつ、新日本プロレスは試合のネット中継をはじめ、今年の年間最大リーグ戦の覇者はネット動画出身の外国人で、インディ団体にいたころには日本語を話していたのに、日本のトップ団体所属になったとたん、英語のみでマイクアピールしている。



(ちなみになぜだか新日本プロレス配信サイトの言語サポートは、日本語、英語、タイ語だ。プロレス業界で謎の影響力を誇示する神秘の国タイ)

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新日本プロレスワールド / タイ語ログイン

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 人口の絶対数が違いすぎて、インターネットで地続きになってしまったこの世界では、少数民族のための地方言語でなにかを発信するのは、バカらしいことであるかのようだ。ペンとアップルしか喋れなくても英語を使ったほうが儲かるのだから。

 とはいえ、という気はする。
 最初にも書いたけれど、紙の本を売っている店でヒュー・ハウイーが働いていたのは選んでのことだった。彼にとってのそれは信仰で、それがあったからの『ウール』誕生であることはまぎれもない。作品のあちこちに、彼がどうやら映画好きであることを感じさせる部分も多く見られる。売れた短編から膨らませて大長編をものした結果、開けられる引き出しはすべて開けられたという感のするのは、人気が出たのでシーズンを重ねてトンデモ設定までに至ってしまったアメリカの連続ドラマに共通するところではあるが、それにしたって彼はひとりで書いたのだ。編集者と二人三脚という図式でさえないところから出てきた作品であるがゆえに、ヒュー・ハウイーを育てた環境にも拍手を送りたくなる。

 たとえばヒロインが水面から遠い水中で、鉄階段の下に溜まったなけなしの空気の泡に口づけながら、上を目指す。大長編のなかでのワンシーンだが、もとネタは冒険小説か、実話映画だろう。私もそういった作品を読んだし、観たことがある。だから思う。

 個人で書き、撮り、発表して、売れて。そういう作品だけがすべてになってしまったとき、逆に『ウール』のような売れかたをする作品を書ける者は、出なくなってしまうのではないかと。きっとその世界では、スマッシュヒットしたインディ冒険小説が、ハリウッドで大がかりな映画化をされるのだろう。ハリウッドというと特別のように聞こえるが、実のところ、そこで作品を撮る人々の感性もまた、生まれてからの摂取した作品群によって培われている。売れたものが売れるように単純化されて流布され、良くも悪くも世界中で全員が同じ小説を読み、同じ映画を観て、同じプロレス団体の同じ贔屓選手の同じ技に歓声をあげ、同じ悪役にブーイングする。

 さっき観た歌番組で、みんなの期待する懐かしの一曲を歌うと出てきた伝説のフォークシンガーが、大衆迎合で某国の大統領になるやつがいるが俺らは俺らでいればいいんじゃねえ、といつものように吠え、みんなの期待を裏切るようでいて期待に応え、最後は音を外さずに懐メロを懐メロとして締めた。見事だった。

 <サイロ三部作>を、私は紙の本、それも日本語に訳されてから読んだ。大型映画化も決まっている(クーンツ師やヘイローの例があるので、決まってはいるが撮り終えられない可能性は捨てきれないが)。どこから出てきたかは関係ない。すばらしい作品だし、流布されるべきだ。

 ただ同時期に、インターネットの隆盛によって我々は新人募集を断念すると発表した紙の小説誌に向かって書き続けていた身としては、こうして私自身もネットの住民ではあるのだが、いろいろと考えこんでしまうところはある。

 <サイロ三部作>が、そういった時代の象徴であることは間違いない。言ってしまえば、ピコ太郎同様、Amazon Kindleだったからこそだれもが発見した、と口コミで広げたような気もする。新しい売れかただが、それが当たり前になったとき、さらにはそれが唯一の販路となったとき、お笑い寄席は生きているだろうか。『ウール』が最初から長編だったならば、当たっていただろうか。

 などと書くと、未来を悲観しているようだけれど。そうではない。毎日、世界の裏側のひとと口げんかしながらネットゲームに興じる私はインターネットの信奉者だ。世界が単純化して、みんなが阪神タイガースファンになれば、それはそれは大阪兵庫は平和になるだろう。

 嘆くべきは、私が、信じているそれに、うふんと身をゆだねられない、という話にすぎない。

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「頭がちゃんとしていても、誰もほめてはくれない。そうでしょ? 僕はほめてもらえなかった。自分にも。僕も僕をほめてはくれないんだ。おかしくならないようにしよう、くるわないでいようと一日がんばり次の一日もがんばり、一年がんばっても、誰もごほうびをくれたりしない。普通でいること、おかしくならないでいることは、別に偉くなんかないんだ」顔をしかめた。「そのうちに悪い日が来る。自分のことが心配になる日がね。そしたらおしまいさ」

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ヒュー・ハウイー 『ウール』 

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