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『とある小説賞の終宴と私の人生』の話。



第12回(1996年)
第一次選考通過

第13回(1997年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第14回(1997年)
第二次選考通過

第15回(1998年)
最終選考通過

第16回(1998年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第17回(1999年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第18回(1999年)
編集部期待作・一席

第19回(2000年)
第三次選考通過

第20回(2000年)
編集部期待作

第21回(2001年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第22回(2001年)
第三次選考通過

第23回(2002年)
第三次選考通過(最終選考落選)

第24回(2002年)
第三次選考通過(最終選考落選)

第25回(2003年)
第二次選考通過

第26回(2003年)
第三次選考通過

第27回(2004年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第28回(2004年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第29回(2005年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第30回(2005年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第31回(2006年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第32回(2006年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第33回(2007年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第34回(2007年)
第二次選考通過

第35回(2008年)
第三次選考通過

第36回(2008年)
第三次選考通過

第37回(2009年)
第三次選考通過

第38回(2009年)
第三次選考通過

第39回(2010年)
第三次選考通過

第40回(2010年)
第三次選考通過

第41回(2011年)
第三次選考通過

第42回(2011年)
第二次選考通過

第43回(2012年)
第二次選考通過

第44回(2013年)
第二次選考通過

第45回(2014年)
第二次選考通過

第46回(2015年)
第三次選考通過

第47回(2016年)
第三次選考通過(最終選考落選)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 書き出してみて気づく。
 ちょうど二十年だった。

 回によって最終選考が三次だったり四次だったりするので、カッコ書きしてみた。

 第47回の発表が先週、あった。
 私が最終選考に到達し、そこで落とされるというのは、実に九年ぶりのことで。出来は悪くなかったということだろう。評価がうれしくはある。どうも賞の思惑と私の書くものが相容れないようだと二十年の後半、十年を禿げる思いで過ごしてきたわけだけれど、これでようやく暗闇で手探りするようにではなく、次を書けると……

 そういうことには、ならなかった。
 この賞が、終了してしまったので。

 最後の募集締め切りの直後に、発表があった。奇しくも、今回の最後の発表で私のとなりに名のあるかたと、今回も書きあがったよ反省もあるよ次は直すよ言いつつ今回獲るけどな、みたいなメールのやりとりをしている、さいちゅうのことだった。

「次ないやんっ」

 と、なった。
 そこから発表までのことは、よくおぼえていない。この賞のことに関しては、考えないようにして暮らしていた。つい昨日のことだが、先端が白くて根元にいくにつれ黒くもどっていく陰毛を何本かみつけた。抜いてやった。あきらかに、あの時期である。この賞が終わる、というところで、私の全身の毛根は死にかけたが、時間が経つにつれて回復はしたのだった。頭の毛はずっと定期的に染めているのでわからないが、そうしていなかったらまわりから「ヨシノギさんの頭に老けた天使の輪が!」ということになっていたに違いない。

 衝撃は一瞬で、確かに私はダメージを受けた。
 いまはたぶん、陰毛も黒くもどっているので大丈夫ではあるのだろう。

 この賞で最後の大賞受賞者は、1993年デビュー。回でいうと、第7回の受賞者になる。私の初投稿が1996年の第12回なので、そのときにはもう、三年のあいだ大賞受賞者が出ない小説賞となっていたわけだが、なんとついに最終となる2016年の47回まで出なかった。

 二十年、書いている。
 完成原稿で5000枚は軽く越える。
 思えば最初から、大賞を目指すというよりは、私自身の人生をさがして始めたことだった。

 この賞での、私の最高成績となった第18回の編集部期待作・一席をいただいた作品名が『とかげの月』だ。いま、私のサイトの名前になっている。ちなみに「とかげ」は人造人間の少年の名だ。彼が月を見上げる小説だった。

 いま、この賞のことを検索すると、もれなく私のサイトである『とかげの月』が検索結果のトップに表示される。検索ロボというのは、書き続けた年数と、訪問者数で判断するため、おそらくこの先も私が書き続けるかぎり、公式サイトよりも、かつての編集部期待作のタイトルのほうが上位に現れるという、なんだか皮肉だ。

 おかげさまで、いっさいの受賞を成していない私は、この賞自体から二十年の5000枚で一円も、もぎ取れなかったのだけれど。間接的には、この賞のことを検索する方々からの広告費収入を得た。

 このことこそが、いまになっては皮肉が過ぎる気がする。

 この賞の、第37回は、20周年だった。そこでの総評には、こういったことが書かれた。

「厳しい評があってもくじけることなく、チャレンジを続けてほしい。投稿は常に大歓迎だ。」

 結果を見ていただければわかるとおり、それは七年前のことで、私が二十年の後半である、箸にも棒にも引っかからない作品を書き続けていた迷走の時期だった。厳しい評さえもらえなかった。だから総評を読むしかなく、それは私に宛てられた言葉だと解釈して、次に備えた。とっとと失せろではなく、続けろと言われている。ならば続ける。当たり前だ。そう思えた。ありがたかった。

 そして、最後の総評を読む。

「ネット環境の成立がなにより大きいと思うが」

 そういうことが書いてあった。
 それは、私が……いや、私たちが危惧していたことだった。この時代に、こんな雑誌が続けられるのかと。私たちは、そこに向けて書いていて大丈夫なのかと。毎年のように語りあった。ぶっちゃけた話、私は「読者を限定するジャンル小説を書くな」と語った師を崇めながら、なぜそこを目指すのだと妻に詰め寄られたことがなんどかある。有料チャンネルでインディプロレスを毎日観戦している男に、それを言っても仕方ないとは、わかっているだろうとは思うのだが。

 ともあれ、あの雑誌が売れまくっているわけはない。だからこそ新人を募集しているのだ。しかし、私のようなのしかやってこない。最後の総評でも、時代は変わったが応募作の傾向は変わらなかったということが書かれていた。それはそうだろう。なぜなら、その雑誌自体が、同人誌作家を集めて商業誌化するというところからはじまっていたのだから。もういちどぶっちゃけた話をすると、私の妻は、もと同人誌作家だし、コスプレイヤーだ。CCさくらである。私自身はコミケに行ったこともない。その雑誌は、彼女の部屋にあったのである。ほんの小遣い稼ぎのつもりで、なにを書いたのかもいまはもう思い出せない一本を送ったら二次選考で落とされて、当時すでに脚本など書いていた私は、けんか腰になって、そのまま二十年。

 人生とは、なんだろうか。

 賞として募集する意味がない。という。まったくだ。AmazonのKindleで1ドルしない短編を売って億万長者になった作家が出る時代だ。さっきも書いたが、今回の最終選考にいる私のとなりのかたと私は長年の知りあいなのだし、検索をかけてみたら、私のまわりのほとんどのかたの名が、ご自身のなんらかのデジタルコンテンツにヒットする状況である。やろうと思えば私たちは明日にでも、この賞の上位陣連名で短編集ならぬ長編集を百円で売り出すことだってできる。アマゾンさんでもいいし、自分自身のサイトでもいい。

 だが私は、私の書いたものを、次はどこに売り込もうかと思案しているところだ。それ以前に、私は、この賞を主宰する出版社さまの開催する他の賞にも継続参戦中である。この賞が終わったからといって、なんのスタンスが変わるわけでもない。

 紙の雑誌とは、なんだろうか。

 その雑誌を、私は創刊号から本棚に並べている(大阪梅田の古書街を長いあいださまよって買い揃えたのだった)。ときどき、開いてみる。茶色くなった、厚ぼったい紙の雑誌を。まったく見ることのなくなった作家さんが多いが、いまも書いておられるかたも。のちに妻にした女性の部屋で、読んだ作品がある。その雑誌の小説賞で知りあわせていただいた先輩作家さんの名を、やがて生まれた息子につけたので、先輩の名を日になんども呼ぶ。

 きっと今回、書いたものを百円で配信すれば、いくらかは売れるだろう。あなたは買ってくださるだろうか。そういう時代に、同人誌志向な、インディ読者御用達な、ツウ向けの小説誌を赤字覚悟で出すために新人作家を発掘してギャラを払うだなんて、バカげたことだというのは、とてもよくわかる。

 だけれども。
 ここで人生を育んだ。
 私は、心から残念に思う。
 私は、人見知りだ。それでも、この二十年で、ここで多くのひとと知りあい、別れもあった。褒めあい、泣きあい、喧嘩した。その雑誌があって、その小説賞があったから、そういう私の人生があって、そこで生まれた小説は、ほかのやりかたでは生まれなかったものだと断言できる。

 言葉としては、

「次ないやんっ」

 としか、言いようがないのだが。
 幾月か経って、チン毛も黒くもどり、ああ終わってしまったのだなあと思うとき、もちろん心のなかでは、つぶやいているのだった。

 ありがとうございました。
 応援してくれた、あなたに。

 それに、二十年のあいだ、つまり私の、その賞に向けた作品の唯一の読者だったということになる編集部の方々に。肉まん持って押しかけて談笑させていただきたいくらいです。ツイッターでフォローされて即フォロー外されたのも、いい想い出です。ていうか終わりません。賞の募集がなくなろうと目指し続けますので、休刊にしないでいてください。デジタルコンテンツ化しても……いえ、できれば二十年経つと茶色くなる紙が、いち読者としても望ましいですが……同じように新人募集を停止したお気に入りのインディプロレス団体が身売りして吸収され名前がなくなったことがあるので、そういうことになるくらいならば、いっそ本屋に並ばないでも、百円で売ってでも……ああ、だったらおまえら自身でやればいいじゃないかと言われたところなのですが。

 その賞と、そこから広がる世界が、大好きです。
 とある小説賞の終宴は非常に残念ですし、自分自身が売り上げをのばすのだと絶えず息巻いてきたので、どう言葉を選んでいいのか悩むのですが。私たちが抱きしめられる、そこに在る一冊を。同人誌会場のスターだったあのひとが載っている商業誌ということだけで、彼氏が来るのに片付けもされずに彼女の部屋に飾られていた一冊を。もういっそのこと連載作家の個別単行本でいいじゃないかと私も読んでいて思うことがありますが、賞のページはなくなっても、小説以外のあれこれが目をたのしませてくれる、思いがけない出逢いのある一冊を。その名のもとに集いし、ちょっと斜めなひとたちが、あれこれやっていてこそ、あの雑誌なので。あれこれやっていたひとたちの変わらぬそれも読みたいには読みたいですが、ほかのどこにも属さない、属せない作品たちが詰め込まれていたからこそ、私は読者であり続け、収集し続け、書き続けたのです。

 その看板は、ずっと、そうであってほしい。

 そういう一冊、一冊を。
 これからもよろしく、お願いいたします。

 お言葉の通りに、私は私で続けます。
 どうするかは考えながらも。
 変えない意地は、意地として。
 これが私の人生です。
 あの賞に育てられたのだと、勝手に誇って行く所存です。

(※一部訂正。いまこれを書きあげて念のために検索をかけてみたら、グーグルさんでは「第47回をもちましてひとまず募集を終了させていただきます。」という公式がトップ表示され、『とかげの月』は次点になっておりました。引用リンク数で抜かれてしまった模様。さすがです。こうやって、最後にその賞について書いた記事さえもが、書いたそばから訂正入れなくてはならなくなるという、我が甘さよ。精進の道は果てしないですわ)



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