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『自発的微笑を正解する』の話。




●笑顔の起源と呼ばれる。

「はい! 早押しを制したのはヨシノギさん。答えをどうぞ!」

「辛島美登里!!」

「ぶっぶー。不正解。問題を最後まで聞きましょう」

●かつては生後三ヶ月までの人類ヒト科のみに見られるとされてきた。

●近年では胎児の時期から一歳すぎまで。またチンパンジーを含むヒト亜種にも見られることが報告されている。

 正解は、自発的微笑。
 ちなみに私とはまったく無関係なフィクション上のクイズ回答者ヨシノギさんが先走り聞き間違え誤解したのは「昨年発売された柴咲コウのカバーアルバムに収録されている「笑顔を探して」のオリジナルを歌ったのはだれ?」という問題。だったらば辛島美登里で正解。テレビアニメ『YAWARA!』の2代目エンディングテーマ。

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「なんの夢を見ているのだろう」

 眠る子が笑ったり泣くのを見て、大人は思う。
 私も思った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・そんなで一歳になろうとする息子が、近ごろ夢で泣いて起きるようになったのだけれど。特撮の怪人もまだ怖くなくて笑う、恐怖の概念が「失う」ことしかない子が飛び起きる悪夢って…きっと目の前で父たる私が破裂して消えるとか、そういうことなんだろうなあ、と、ひしと抱きつかれながら想像する。

twitter / Yoshinogi

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 いやたぶん、泣くのもそんなに具体的な人肉破裂遊戯的なイメージはなくて、曖昧模糊とした不安のようなモノの気配とかそういう……言葉が生まれてヒトは哲学できるようになったというけれど、そのかわりにナンヤシランケドザワザワスルみたいなことを感知できなくなった面もむろんあるので、幼子の寝て泣くなどというのは、悪夢というかは海流に翻弄されて前後不覚になったクラゲの酩酊みたいな原初の恐怖感の遺伝子記憶のごときものなのでしょうが。

 笑顔となると、これはもう。

 意味がない。

 そうなのではないか。
 という話をします。
 それは、自発的微笑と呼ばれる。

「なんやしらんうれしい夢でもみとるんかなあ」

 と少女の抜けない曾祖母などがのたまいますが、自発的微笑が生理的微笑とも呼ばれるように、それは生理現象であって、模倣ではないというところが論点。新生児の目なんてほとんど見えていない。それどころかエコー技術の発達で、自発的微笑は胎児にも見られることが判明している。胎児がだれかの笑うのを見てそれを真似たのならば、前世の存在から論じなくてはならなくなる。さっき遺伝子記憶がなんやらぱーとかエセ宗教めいたことを口走ってしまったけれど、いまここで、それは論じない。

 真似ではないのだ。
 なんやしらんがニマッと笑うのは、本人もなんやしらんとやっていることなのだった。生まれたばかりというものは、生きるか死ぬかの瀬戸際。そんな時期に、貴重なエナジーを消費して、なぜ笑う。

 もっともらしいことが言われてきた。
 大人の真似でないのならば、前述のように「意味がない」と断じてよさそうなものだが、男の乳首はなぜいまだに存在するのかという問題のほうがよほど研究のしがいがあると思えるのに、探求者たちは自発的微笑に意味を見出そうとする。

「周囲の大人を萌えさせるために違いない」

 笑う子は可愛い。可愛いと守られる。だから笑う。うれしくもなく、なにを感じたからでもなく。定期的にニマッとしておけば、少女趣味な婆ちゃんが「ウチのひ孫は東洋一のべっぴんさんやよってにー」などと喜色満面で、学資保険など積み立てはじめてしまう可能性が上がる。積み立てようとしたものの、祖母では積み立てられませんと門前払いされて、タンス預金に切り替えるかもしれない。そういうことをすると、また大地震が来て火事でぜんぶ燃えたりするのだということを、ヒトは十年も経てば忘れる生き物なのだ。なんにせよ、将来の遺産のために赤子は自発的微笑を浮かべるという小説が、支持を得た。

 得た、時代があったのだが。

 ヒト亜種。
 チンパンジーも、それを浮かべるということがあきらかになり、風向きが変わる。チンパンジーの子がチンパンジーばあちゃんを萌えさせても、学資保険もタンス預金遺産も期待はできないので、どうもおかしなことになってしまうではないか。

 そんな、もやもやする自発的微笑問題をコネコネしていた先月、京都大学の研究チームが、決定的にとんでもないことを断言した。問題。「決定的に断言する」というのは間違った日本語の使いかたである。マルか、バツか。

 ニホンザルの赤ちゃんにも自発的微笑が確認されたのだそうだ。それも一匹二匹ではなく、すべてのニホンザルの赤ちゃんに、である。

 チンパンジーが浮かべる笑いなんやから、ニホンザルも浮かべるのと違うん? というヒトはサルのことをよくわかっていない。

 チンパンは、霊長目ヒト科チンパンジー。
 ゴリ先輩は、霊長目ヒト科ゴリラ。

 ニホンザルはサル目サル団サル的サルの子もサル。
 どこまで行ってもさかのぼっても、サル以外のなにものでもなく、ヒトという文字といっさいかかわりあわない。つまりヒトではないし、じっと待っていてもヒトには進化しえないサルだ。

 サル公が、萌えを理解しているはずがない。
 萌えさせるために笑む、という高度な媚びを生まれながらに発揮してピンドン開けさせようだなんて、画策するはずがない。
 できるはずがない。

 この問題に、萌えを理解しないニホンザルという純粋なサル野郎が絡んできたことで、話が一気にややこしくなった。

 萌えを理解しないのに、サルの子が浮かべる自発的微笑も、ヒトの大人が見て「萌えー」と発声してしまいそうな、ヒトの子が浮かべるそれと同じ、ニマッ、だったことも問題となる。ヒトが見て、つられて微笑んでしまいそうな、微笑と感じる微笑をサルが浮かべているのである。

 サルの大人は微笑まない。
 ニマッ、ではなく、ウキキキッ、がサルの笑いだ。
 サルの代名詞と言ってもいい。
 口を大きく開けて、歯を剥き出しにする。
 映画『猿の惑星』では、サルは歯を剥き出しにして笑うものなのに、ニヤリと人間のように笑うというところで、不気味さを演出していた。それくらい、サルの笑いというのは、ヒトのそれとは根本的に違う。

 ヒトのおっぱいはケツである。

 サルは赤く発情したケツを異性に向けることで「ここへブチ込んで孕ませて用意はできているわ」と意志表示していたが、ヒトへとメタモルフォーゼする過程で二足歩行になりパンツを穿いてしまったので、異性にケツを向ける習慣もなくなり、かわりにおっぱいをケツのように膨らませて、頬を桃色に染めるようになったとされる。そのおっぱいをまたさらに進化すると乳バンドで覆ってしまったというのは、進化なのか退化なのか再度議論の余地があるところだが。ここで、それに関しては触れない。

 ともかく、サルの笑みには奥ゆかしさがない。
 笑って媚びを売るにしても、相手が誤解など絶対にしないレベルで、大口を開けて歯をすべて見せて、声まであげる。ウキキキキッ。そこで初めて「おおそうかぬしはかわゆいやつよのお」となる。サル業界で、歯を見せずに口角を上げた、ニマッ、程度の微笑では、笑いと認識されないはずなのである。

 事実、ニホンザルの親は、我が子の自発的微笑に気づかないという。たまたま目にしても、歯をむき出していない、ヒトみたいな微笑を、笑いの一種だと気づくこともできないのだ。

 となると。

 ヒトと、チンパンジーと、ニホンザルの、自発的微笑が似通った表情であるのに、ヒトのそれだけが「萌えさせるため」だという説は、成り立たなくなると考えるのが、道理であろう。

 困ったことになった。

 クイズの正解は、笑顔の起源と呼ばれる自発的微笑だというのに。

 ちなみに、前述の京都大学チームは、このことについて「グリメイスを作る際に必要な頬の筋肉の発達を促している可能性」があると考察している。

 グリメイス、とは「服従の表情」のこと。歯を見せてウキキキッ、のこと。あなたさまにはかないません私はクソ虫ですどうぞお好きにあつかってください、という媚びへつらうための笑みのことである。サルには猿山文化があるため、猿山のボスに取り入るための最低限必要なグリメイスな笑みが浮かべられないと、ハブられて生きていけなくなる可能性が高い。そのためにサルの赤ん坊は、物心つく前から、歯を剥き出しにして笑うための頬筋を無意識に鍛えはじめているというのである。

 ……苦しい解釈ではないでしょうか。

 と、私は思う。
 それに、サルの自発的微笑が、いま目の前にいる大人ではなく、未来のボスに対する媚びの自主トレーニングだとすると、ヒトの自発的微笑とはまったくの別物であると言わざるをえない。ヒトの社会は、媚びるよりも他人を威嚇することの上手いヒトのほうが生きやすい。自主トレーニングならば、眉間に竹内力的タテジワが入れられるよう眉根と眉根を寄せたりするべきだろう。自発的メンチ切りをヒトの赤ん坊は胎児のときから浮かべないとおかしい。

 やはり、自発的微笑は、微笑そのものなのではないのか。

 外的作用を狙ってのものではない。
 つまり「意味のない」。
 本当に、純粋に、赤ん坊のなにかに対する「反応」であって、少女趣味な曾祖母の思わず口にした「なんやしらんうれしい夢でもみとるんかなあ」が、正解なのではないのか。

 サルの大人は、サルの子の微笑みを笑みと認識できない。
 それなのに、サルの子が自発的に笑むのは矛盾しているというロジックも、見かたを変えれば、いつかヒトとは別れたサルも、根っこのところでは同じ漠然とした夢のようなものを見て微笑んだりするのだけれど、サルとしての進化の道を選んだがゆえに、サルの大人になると、そのことを忘れてしまうのではないのか。

 遺伝子記憶……おっと、また言ってしまった。

 でも、ヒトが、海流に翻弄されて前後不覚になったクラゲの酩酊みたいな原初のたゆたいを、言葉をおぼえると忘れ去って想像もできなくなってしまうのと同じように。

 自発的微笑は、ヒトもサルも、物心つけば浮かべなくなる。

 忘れる前の、分岐の前の、それだけがあったころの、なにかを赤ん坊だけがいまもまだ見ることができて、それで微笑んでいるのではないか、と。

 思いながら、眠る子の微笑みを見る。
 息子は、一歳を越えた。
 研究によると、そろそろ自発的微笑を浮かべなく……浮かべられなくなるころである。遺伝子記憶を……まあ、もういいか。遺伝子記憶を、生身のヒトとして生きるために忘れる時期に達してしまった。クラゲのではない、生身のヒトの悪夢を見て枕を濡らして目ざめて天井を見つめてぼくはいまここでなにをしているのだろうと呆然とするような、ヒトの基本的いとなみを身につけてしまった。

 意味のない微笑を、浮かべられなくなってしまった。

 ヒトの人生では、すべての表情に意味がある。
 眠っているあいだの、ふわりと浮かべた、それでさえ。

 だから逆説的に。
 胎児の浮かべる微笑に意味を見つけようなどとするのは、いらんことではなかろうかと感じてみたりする。おれに媚びてんのかよとか、歯を剥き出すトレ-ニングなのかよとか、そういうふうに受け止めるほうがどうかしてんじゃないのかよ、と。

 なにか、私の忘れたなにかを感じて、微笑むことができるんだよ、こいつは。

 それが正解。
 けっこう自信がある。

 笑顔の起源。
 実は退化なのかも。
 別にうれしいことなんてなくても、なんとなく微笑むのは、自然なことではないでしょうか。生きているんだし。なんで微笑んでいるのかなんて、微笑みが心の底からわきあがってきたからってだけでしょう、本来は。

 意味をさがさずにいられないヒトが、愚かしい。
 気にもとめない、サルの愚鈍は、いさぎよい。

 なんか笑っとるわ。
 さえ、いらない。
 まだヒトにもサルにもなっていないから、笑んでいるだけじゃないの。

 最初にあるのが、それだってこと。
 遺伝子の基本情報が、微笑みってこと。
 ヒトもサルも、ややこしい部分をぜんぶそぎ落としたら、それだけが在るってこと。そうして生まれて、忘れて生きて、またもどるときに、思い出してニマッとできたら、このうえなくうるわしい。

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