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『一歳のためのパータ・ジェノワーズ』のこと。


Birthdaycake1.jpg

海洋国家ジェノヴァから来た。
ニュアンスは、日本でいうところの、
「中華ちまき」みたいなものか。
すぐそこの謎めいた土地から伝わった、
目新しい技法の料理。
pate a genoises
パート(生地)
あぁ、ジェノヴァのな。
訛って、
パータ・ジェノワーズ。
直訳、ジェノヴァの生地。
当時、なにが斬新だったかといえば。
全卵をそのまま使って、
スポンジ生地を焼くやりかた。
本邦ではショートケーキで大ブレイク。
焼いた生地のたっぷりシロップ浸しが、
ケーキの主流だった世界の潮流に対し、
この国では素の生地にクリームを盛る。
だからシロップ分の砂糖も生地に混ぜる。
それが王道作法なのですけれども。
イチゴで描いた「1」の通り。
一歳になる息子の誕生日祝いのケーキ。
離乳食では、砂糖を食べさせないように、
気をつかっています。
ケーキだって例外ではない。
砂糖が入っていては、祝えない。
そこで邪道。
砂糖抜きジェノワーズ。
もはやジェノワーズなのは、
全卵というところだけ。
かといって甘くないケーキというのも、
ケーキという概念をおぼえさせるという、
教育的観点においてよろしくなかろう。
で、生地の材料。

・卵2個
・無塩バター20g
・薄力粉60g
・ベーキングパウダー少々
・バナナ一本

ほのあたためて徹底的に泡立てる。
最後に粉を足してさくっと混ぜて。
泡をつぶさないように。
練ってしまわないように。
でもなめらかになるまで。
よし、と決意して型に流し入れ、
170度で二十分。
ロシアのピロシキでお馴染み、
水切りしたヨーグルト、
ヨーグルトチーズがクリーム代わり。
甘いのはバナナとイチゴだけ。
しかし彼は、ばくばく食べました。
気に入ったらしい。
ひときれ、私も、食べました。
彼が眠ってから。
酒のつまみにして。
甘くない生地。
すっぱいヨーグルト。
フルーツ。
テキーラに合う。
一歳かあ、と、うなずいてみる。
砂糖が入っていようがいなかろうが。
誕生日にケーキを焼く意味はある。

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●材料

卵2個
薄力粉60g
無塩バター20g
バナナ1本
レモン汁少々
ベーキングパウダー小さじ1

ヨーグルト200g
トッピング用フルーツ適宜

●作り方

1.ボールにザルを乗せキッチンペーパーを敷き、ヨーグルトを入れて水分を抜きます。冷蔵庫で一晩置くとよい。水切りヨーグルトとか、ヨーグルトチーズなどと呼ばれ、ピロシキはじめロシア料理にはよく出てくる素材です。溜まった汁はグビッと飲んでしまえ。

2.ボウルに卵を入れ泡立て器で黄身と白身をほぐして混ぜあわせ、握りつぶしたバナナにレモンを振ってもういちど握りつぶし、それを投入。湯煎にかけながらゆっくりとほぐして、人肌程度に温まったところで、腕が千切れるまで全力で泡立て、全体に白っぽくなり、すくい上げた生地でクエスチョンマークが描けるくらいになったら粉類をふるい入れ、練らないように泡立てた泡を潰さないように粉を沈めないように無駄に空気を入れてしまわないように底からすくうように技術を駆使する。粉っぽさがなく、なめらかになったと判断したら溶かしバターを加えてあとちょっと混ぜる。それがパート・ア・ジェノワーズ。修行しかない。

3.オーブンシートを敷いた型に流し込んで、170度のオーブンで20分焼き、オーブンから出して冷めたら型から外す。

4.できたスポンジケーキを一刀両断し、ヨーグルトチーズやフルーツを挟んだり、適当に盛る。

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 できあがる。

 ぶっちゃけ言って、砂糖をバナナに変えた時点で、そんなものふっくらするわけがないので、技術面に関しては深く考える必要はありません。ていうか、伝説の海洋国家ジェノヴァから来た生地は本来、膨らし粉など入れずに、泡立てたその泡だけでふわふわにスポンジを焼いてしまうという技術を突き詰めると魔法に見えるといったものであり、ベーキングパウダーが材料に加えられている私のレシピは、お好み焼きです。大阪人なので。どこから伝わってきたなにもかもを大阪色に染めるのがこの土地の人間だよおぼえておけ。

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 つまり人間は──
 誕生も死ぬときも1人
 生きている間は己の肉体に
 閉じ込められてる

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 映画『シングルマン』

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 十六年連れ添った男恋人を亡くし、生きる意味を見失った男に、青年はうちあける。だから不安でたまらないのだと。偏った知覚を通してしか外部を経験できないのだから、ぼくの目が見るあなたは、ぼくの肉体を通してぼくが見るあなたでしかなくて、本当はまったく別な存在なのかもしれないから、と。

 青年の不安を私は笑う。人間は考える葦だというけれど、考えたって葦ではどうしようもない。せめて知覚できるなんらかの器官がないと、考えて考えて考えて果てに枯れて消えるだけならば、考えることそのものに意味があるとは思えない。

 見つめて、触れて、撫でて、舐めて、頬ばってクリームをこぼして指ですくって。ケーキは美味しい。そのケーキが、自分の舌で味わうから美味しいけれど、それってだれもにとって美味しいものだろうか、ぼくだけが信じているだけで、本当はなんの価値もないものなのではないだろうか。

 などと悩むのは、彼がすでに青年だからだ。年老いたといっていい恋人を亡くして孤独な男の目から見れば、戯れにしても触れることさえいいのだろうかというような子供に見えるとしても。

 砂糖が入っていないケーキを、一歳児がパクつく。悩みもなく。自分で口にスプーンを運ぶこともできないから、もっと詰め込みやがれと視線で訴える。美味いのだろう。私が食べるとそれは、酒のつまみにちょうどいいくらいに甘くもないパサついた物体だが。甘ったるくて舌の上でとろけるようなスイーツを口にしたことのない彼にとって、膨らし粉でお好み焼き方式にのっとって作られたニセジェノワーズであっても、それは初めて出逢ったまたひとつの「生きる意味」にさえなる。

 彼は毎日、たのしそうだ。
 世界を感じるのに、忙しそうだ。
 この世界とか、ケーキとか、恋人とかを、ぼくの知覚しているそれと実際にはひどく差異があってぼくはズレた世界で生きているのではなかろうか、なんて思って怖くなることは、まだとうぶんなさそうだ。

 でも、私とは違って、笑わずにいつかそういうことで苦悩したりするのだろうかと想像すれば同情を禁じえない。そんなの考えたってどうしようもないことだ。

 映画の主人公が女性の友人に言う。女として不幸なら女を捨てろと。女はあなたがゲイでなければよかったのよと言うが、どちらも本気でありつつ本気ではない。

 生きているあいだは、肉体に閉じ込められている。

 ゆえに、その器で食べたケーキにしか出逢えない。
 他人の口で食べることは不可能。

 捨てることなどできないし、変わることもできない。
 こうだったらよかったのになんていうのは言葉遊び。

 そんなの、本当のケーキに比べたら、と思いつつ。
 なんじゃこれうめえ初めて食べたと大興奮の幼子を見つつ、まだ食べたことのない本当のケーキなんていくらでもあるのだから、いつまでも醒めないで逝くまでこの器を駆使し続けるのを心がければこんなふうにきゃっきゃ言いながら一生を終えられるのかもなと、彼の一歳の誕生日に不穏なことを考えていたのでしたが、これも私だ仕方ない。

 一歳ということで、もう大人だからと、初めてのカレーも食べさせてみた。大泣きした。

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 きゃっきゃ言うばかりでなく、泣ける味にも、出遭ったほうが深みは出るよな。大人になったらだれかが口にスプーンでつっこんではくれないから、そういうのも自分でやらなくちゃな。いかにも未知な、いかにもダメそうな黄色いドロドロを、自分で自分につっこんで大泣きするなんて、技術と精神力を要する苦難の所行に思えるが。

 一日どころか一時間のあいだに大号泣と大歓喜を声張りあげて生きはじめたやつを見ていると、こんなのはさすがにもう無理だけれど、マンネリに甘んじず、新しい人生のプレイを開拓するくらいはしないとせっかくのこの器がもったいないよなって思いました。おわり。

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