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『ヴァーチャルリアリティ元年の夢精』の話。


 怪人はことばを選ぶようにゆっくりとつづけた。「弾丸は、わたしのピストルからは出てこない。光線も、衝撃も、なにもない。なにも発射されない。だが思考は信じなくとも、きみの血と肉は信じる。きみがどう思おうが、きみの骨格は信じるだろう。きみの体にある細胞のひとつひとつ、生きていると感じるすべてと、わたしは通じあうのだ。わたしが〝弾丸〟を思いさえすれば、きみの骨は割れて仮想の傷口をあける。皮膚はやぶれ、血はほとばしり、脳はとびちる。物理的な力じゃなく、わたしからの通達を受けるんだ。直接にさ、馬鹿者。本物の暴力ではないかもしれないが、わたしの用はそれで足りる。さて、わかってきたかな? 手首を見たまえ」

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 コードウェイナー・スミス
 『青をこころに、一、二と数えよ』

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 アントン・イェルチンの死に、虚脱状態です。
 とても好きな俳優だった。

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・ アントン・イェルチンの訃報に絶句する。私にとって特別な俳優。信じたくない。(とかげの月 - 徒然 - 映画『オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主』の話。 http://yoshinogi.blog42.fc2.com/blog-entry-517.html

・ この回で触れた(『狂おしき恋』のこと。 http://yoshinogi.blog42.fc2.com/blog-entry-562.html )『今日、キミに会えたら』も、すごくいい。ニュースではトレックのターミネーターのと書かれているが、オッドしかり、二十代のふつうの優男が上手くて。先が見たかった。現実の二十代で事故死…いやだ…

twitter / Yoshinogi

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 この半年ほど、バイクの自損事故で右腕を不自由にしていて、いまだバイクにまたがるのが怖いという後遺症に悩む私なので、彼の逝きかたには、思うたび震えがくる。だれも乗っていない、自分の車に押しつぶされての圧死だそうだ。便利な乗り物だけれど、人間の生身にのしかかってくれば、鉄のかたまり。愛車に殺される。嘘だろと最期につぶやくひまがあっただろうか。若さも才能も関係なく、重いものの下敷きになったらヒトは死ぬ。

 イェルチンの語っていない映画の話をしようかと試みたが、できそうにない。私は、彼の素顔のインタヴューなどをほとんど観たことがないから。演じていた彼しか知らない。彼の演じた映画の役を知っているだけでは、逝ってしまった彼を偲べない。作品に触れたことがあるだけのだれかの葬式に行っても、なにも語ることなどできないように。

 だから、前回の続きを語る。

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『2016年のE3とXboxとProject Scorpio』の話。

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 今年が、ヴァーチャルリアリティ元年だという話である。

 冒頭引用のコードウェイナー・スミスは、人類補完機構シリーズで知られるSF書きで、読んで字のごとく新世紀エヴァンゲリオンの人類補完計画はこのシリーズへのリスペクトだ。

 コードウェイナー・スミスは、1966年に逝った。

 そして、書き残した小説群にあふれるアイデアとイマジネーションは、いまでも世界中のSF書きにとって恵みであり、呪縛となっている。庵野さんのように言い切ってそのまま使ってしまうのが、唯一の解脱方法かもしれない。サイエンスフィクションというジャンルが、先人の発明に次なるアイデアを盛っていくカテゴリーなので、まずは先人の書いたものをパクらないとはじまらないという側面があるにしても。なにせ、ヒトがヒトの枠組みを外れるという近未来を描こうとすれば、なに書いても人類補完機構っぽくなってしまう。ヒトが機械になり、機械がヒトになり、時空の狭間で生きて死に、猫もヒトになり、それでもまだそこに恋があったりする。

 1966年に、私はまだ生まれていない。というか、さらにさかのぼって人類補完機構シリーズが執筆されていたころとなれば、私の父親でさえガキな時分だ。コンピュータというものが、家庭どころか、社会にさえ普及していない時代である。私の父親は、腸に線虫を飼っていて、虫下しを飲まされたという。ジョン・レノンがフルチンでアルバムジャケットを撮っていたにせよ、世界はまだシリコンよりも蒸気機関によって動いていた。

 そんな時代に、すでに宇宙の密室でヴァーチャルリアリティ怪人に脅される人類の姿が描かれている。

 『青をこころに、一、二と数えよ』は、人類が暴力から解放された未来、ひとりの美少女によって男が暴力を思い出す物語。密室の宇宙船で、彼女が美しすぎるから、力尽くで男はモノにしようとする(少女はなにも拒んでいないのに、暴力衝動を思い出してしまった男は犯罪的プロセスを踏んでヤることに固執するあたりが、これ以上うまくこのテーマをどうやって書ける? と大先人に次世紀の物書きどもが嫉妬させられるゆえんだったりもする)。

 そこで登場するのは、壁を素通りして現れた彼女の守護怪人。

 ヴァーチャルリアリティである。立体投影。そのアイデアをコードウェイナー・スミスがどこからパクってきたのかは謎だが、彼がアメリカと日本の第二次世界大戦後の処理にも関わった軍人でもあることを考えれば、恐ろしい想像はいくらでもできる。

 宇宙船が投影する三次元映像である怪人、という設定だけでまず、ヴァーチャルリアリティ元年であるいま書かれた物語の様相だけれど、そのうえ、毒を吐いてくるのが人類補完機構だ。

 ホログラムでは少女の守護はできない。そこで、そういうことを言うのである。

「本物の暴力ではないかもしれないが、わたしの用はそれで足りる」

 聖痕という現象がある。
 十字架にはりつけにされたイエス・キリストの手のひらに打ち込まれた釘の痕のようなミミズ腫れが、信者の手のひらに現れる。ときには、皮膚が破れて血が流れることさえある。

 信仰心だけで、彼らは触れずして己の皮膚を傷つけることができる。

 手首を見たまえ。とヴァーチャルリアリティ怪人に言われて手首を見れば、そこに触れる怪人の手を感じる。仮想の投影怪人と心がつながってしまった瞬間だ。心がつながってしまっただけなのに、触れられたという触覚をおぼえている。

 少女の守護怪人は、ホログラムなのでどこにでも現れることができる。そのことは少女の側にしてみれば、軍人たる作者の与えてくれた、このうえない保護だ。しかし少女を襲う側にしてみると、どこにでも現れて見えない弾丸を「撃って」「実際に」人間を傷つけられる存在など、ホラーでしかない。

 今年のE3では、ゴーグルをつけたひとたちが、銃には見えない銃を持って、うろついていた。

 銃に見えない銃として造られているのは、リアルな銃の見た目のコントローラーを造るとPTAその他各種団体からクレームが来るからだが、彼らがその銃には見えない銃で操作しているのは、ゴーグルのなかに投影されている、このうえなくリアルな銃だ。

 昨今、スマートフォンを嵌め込んで使うヴァーチャルリアリティゴーグルは、通販で二千円ほどである。 

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 たとえば、こういうアプリがある。



 二次元の美少女に耳かきをしてもらうアプリだ(ゲーム要素はない)。二つ折りにしたクッションにストッキングを穿かせ、ゴーグルを装着して横たわると、アプリを走らせる。見上げれば、耳かきをしてくれている和服の彼女がいる。つい、手をのばして、クッションを撫でてしまうはずだ。ストッキングを穿かせておいて正解だ。勃起する。

 とても個人的なことで非常に恐縮だが、私は夢精の経験がない。精通する前に自慰をおぼえてしまい、それ以降、破裂するほど溜め込んだ経験がないからだと自分では解釈しているのだけれど、考えてみれば破裂するほど溜め込まないでも、立て続けに二回や三回だって射精はできるわけで、もしかしたら私は私に触れずに射精まで至るような淫夢を見る才能がないのかもしれないとも疑っている。

 ヴァーチャルリアリティ元年に、男どもは口を揃えて言った。

「エロと、巨大ロボが普及の鍵だよな」

 私も、そう思う。
 スポーツライクなファーストパーソンシューティングを日々たしなむ人種なので、仮想の銃を持って敵を探しまわるゲームなどは、銃に見えない不格好な銃のコントローラーなどでなく、指先で操作したいのだ。

 しかし仮想の世界で、巨大ロボットを操縦するというのは、確かにワクワクテカテカ武者震いする。

 エロは、どうだろう。

 『ヒステリア』という、世界初の電動大人のおもちゃ開発者たちの事実を描いた、涙なくして見られない映画がある。

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 そのエンドロールで、電動性具の歴代名機が紹介され、八十年代を代表する商品として日立製ヴァイブレーターが現れるので、日本人としては誇らしく思うのだけれど。

(Hitachi Magic Wandはポルノ映画で使用されて世界的ヒット商品となり、やがて英語圏でHitachiといえば家電や工具ではなくヴァイブレーターのことを指すようになってしまった。そのため日本のホームセンターでは品質優良の代表格であるHitachi電動ドリルは商品名が「大人のおもちゃドリルドライバー」という意味になってしまい、ものすごい使用方法を想像されてしまうとか。実際、そのことが原因で、ブランドイメージ回復のために世界的ヒット商品であるMagic Wandの商標権利を日立は積極的に手放したという)

 二十一世紀の電動エロ具として、VRゴーグルは『ヒステリア』リメイク作のエンドロールで紹介される存在になれるだろうか。

 問題は、電動は電動だが、振動でクリトリスを刺激するといった製品ではないというところだろうが……

 それこそ私は、『今日、キミに会えたら』のアントン・イェルチンを想い出していた。あの映画のシャワーシーンは、そうとうにクる。水音というのは、現実を忘れさせるのに効果的だ。VRゴーグルをつけ、つないだイヤホンを両耳にねじ込み、服を脱ぐ。アプリを走らせる。全裸で濡れたイェルチンと向かいあって、水音のなかで愛をささやかれながら、いっしょにシャワーを浴びる。

 不謹慎だが、彼の死後、彼の出演作を観ながら泣いて自慰するファンは数多くいるはずだ。いや、不謹慎なものか。そんなにも直接的な愛のかたちを示す、悼みの行事はほかにない。逝ってしまった彼に、実際に触れることなど、もう叶わないのだから。もっとも近づくのは、VRゴーグルのなかでだ。

 VRゴーグルを使えば、私も夢精できるだろうか。

 それは、夢精と呼んでいいものだろうか。
 夢なのか?
 違う気はするが、だったら現実か?
 そうか、それがヴァーチャルリアリティか。

 ふと、怖くなったのです。
 エロでVR技術は普及してスタンダードエロアイテムになれるだろうかと熟考しているさなか、ヴァーチャルリアリティ怪人を、思い出して。

 二次元美少女に耳かきされてなごみ、逝ってしまった美丈夫とふたりきりの世界でささやきあってイける、そういう技術の、いまが元年で、すでに男子たちは巨大ロボでゴジラと戦ってマチュピチュをめちゃくちゃに踏みつぶすことを期待していて。

 銃には見えない銃で操作するのは、現実だとしか思えない銃で。

「あれ?」

 ある日、VRゴーグルを外したら、自分の胸から流れている血に気づきはしないかと、思うのです。
 ありえないことではない。
 蒸気機関の時代に人類補完機構ですでに描かれていた。
 心が動けば、肉体は追随する。
 サイエンスフィクションは、遅かれ早かれ現実に追いつかれる。
 予知である。

 触れずに射精できるのに、触れずに死ぬことができないはずなどあるだろうか?
 聖痕は、現実に浮かぶ。
 信じるだけで、ひとはそうなる。

 そしてどこまでも技術は進歩する。
 仮想と現実の境目は、すぐ消える。
 引退したアダルトビデオ女優の遺作を後生大事に再生することはなくなる。ヴァーチャルな世界でのアイドルは、存在そのものが創作たる怪人で、彼らはなにも求めず、老いず、生涯の伴侶となり、私が逝くときにも、初めて出逢ったときの姿のままで、ただし劇的に解像度だけはあがってますます現実と見紛うばかりになり、演技ではなく、年金で配信プログラムされた本心から、いまわのきわの「あなたのそばにいられてよかった」をつぶやいて、私を微笑ませてくれるはずだ。

 彼らには現実の肉体がなく、すでに逝った私の心を介して私の肉体を操作することも叶わないので、彼らに死んだ私の頭からVRゴーグルを取り外すことはできない。

 ゆえに、それは葬儀屋のおっさんの仕事になるのだろうけれども。私はすでに逝っているので気にしない。良い未来だ。不幸せなところはどこにもない。

 ヴァーチャルリアリティ元年だという。
 過去にも、何度か聞いたフレーズな気がするが。
 化け物みたいなスペックの次世代Xboxの登場で、ヴァーチャルリアリティは完璧なものになると胸を張る壇上の彼を観ながら、ぶるりと震えたのは、初めての経験だった。そう、いまさら私に夢精させるかもしれない大人のおもちゃの登場だなんて。

 怖い。

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(この映画のポスターが、原作者ディーン・クーンツの直筆サインとともに額装されてリビングに飾ってあります。きっと死ぬまで目に見えるところに飾っておく。ということはつまり、私は家で逝けば、永遠に二十歳のアントン・イェルチンに見送られることになる。本当の彼のことは知らないけれど、スクリーンに投影された彼が私の彼で……このことは、不思議で、しあわせなことだ、と感じる)

 

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