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『IXY DIGITAL L2の最期』のこと。



 カメラ部有効画素数500万画素
 光学ズームなし
 F値2.8
 4群4枚(非球面レンズ1枚)
 撮影距離 3cm~∞

 その名をCanon IXY DIGITAL L2。
 私の愛用機は、ミッドナイトブルーなんていう、ほとんど黒に見える青い金属の筐体。指紋が付くし傷が付く。でもだから、私は私の愛機を、ひとめで自分のものだとわかる。

 買ったのは西暦2004年。
 このサイト『とかげの月』の開設は西暦2000年。

 開設動機は、セガのゲーム機ドリームキャストで自分のホームページを作ろうというソフトがあって、おおついにゲーム機もふつうにネットにつながる時代だぞと、幼い頃からマイコンいじっていたくせに、わざわざゲーム機のコントローラーで、ちまちま作りはじめた。という感じ。

 そんななので、ゲーム機から画像をアップする手段はないため、黎明期の『とかげの月』には画像というものが皆無だった。もちろんトップページの月のとかげなんてものもない。

 だがやがて、ドリームキャストの時代が終焉を迎え、私の愛用ゲーム機がマイクロソフトのXboxへと移ったことで、サイトの構成が変わり出す。皮肉なことに、マイクロソフトというソフト屋の設計したゲーム機は、クラッカーたちからの攻撃を警戒しまくって、完全に閉じられたネット空間XboxLiveというゲームに特化した電脳空間を作り上げてしまったのだった。

 時代は進んだ。それゆえに、ゲーム機でインターネットができなくなった。やむなく、ドリームキャストというゲーム機で戯れに作ったサイトを、そのときにはもうマイコンとは呼ばれなくなっていたパソコンで走るマイクロソフトのOSウィンドウズで、引き継いで、いじることになった。

 と、なれば、である。
 カメラが欲しくなる。
 そんな大層なものではなくていい。むしろ小さくて、望遠機能なんていらない。ポケットに入れておいて、まあこれはとても素敵に焼き目のついたチキンだわ、などというのを、ぐっと近づいて撮ったりしたい。

 マクロレンズというやつだ。
 時代が、というか、私の実父も義父も、それはそれは大層な一眼レフのアナログカメラを何台か保有していて、使わなくなったからこれは匠にやろう、などと、置き場所に困るようなレンズを何本も譲り受けたりもしたのだけれど。なんだか、そういうのに興味がわかない。でっかいカメラを首からさげて出かけることなんて絶対ないし、まして食事の最中に、食べているチキンの切れ端よりも大きなカメラを持ち出したりするのは、どうも性に合わない。

 そもそも、紙に焼く気がまったくないのだ。私は、学生時代から、モノクロレーザープリンターしか保有したことがない。カラー写真をプリントアウトできるプリンターを買ったことがないのである。いまでこそ、小説の原稿もデータでやりとりされることが増えたけれど、ほんの十年前には紙に印刷するのは当然だったし、いまでも推敲はプリントアウトしてからのほうがずっとはかどる。そうなると、数百枚、数千枚をインクジェットのプリンターでなんて、金銭的な意味でいくらかかるんだとゾッとしてしまうのである。

 というわけで、プリントアウトしないのならば、写真にさほどの解像度は必要ない。それよりも重要なのは、単純であることだ。望遠機能というのは、高性能になればなるほど、何枚もガラスのレンズを重ねるということである。そして透明なガラスレンズであっても、何枚も重ねれば、存在の影が出る。

 動画を撮る気はない。望遠はいっさいいらない。何万円もするマクロレンズが欲しいわけではない。コンパクトカメラで、接写ができる。それだけ。

 ……いま、IXY DIGITAL Lシリーズのようなカメラは、売られていない。望遠機能のないコンパクトデジタルカメラなんて、存在意義がないとされるから。単純さを求めるならば、スマホのカメラでいい。わざわざカメラを買うからには、スマホにはできないことができてこそだと、売るひとたちも考える。

 だが、あのころには、その存在が許された。
 私が望むとおりの、私のために作られたカメラ。
 それがCanon IXY DIGITAL L2だった。

 保証期間中に、画像にタテスジが入るようになって、いちど修理に出した。電気屋の五年長期保障に入っていて、メーカー保証が切れてから、それを使ってまた修理した。

 今年は、西暦2016年だ。
 購入して十二年が経ったことになる。
 近ごろでは、扇風機のような単純な機械でさえ、十年を越えたら耐用年数を越えているので捨てて新しいものを買えと推奨されるのに、コンパクトなカメラ。精密機械の代表格のような製品。いくら単純な単焦点レンズのカメラとはいえ、これはもう、よくがんばったと褒める言葉しかない。

 最初に出た症状は、こういうヨコスジ。

IXYL201

 上の写真の被写体はピザ。
 焦げているのはニンニク。
 ただ、当初は、すべての写真にこれが現れたわけではなかった。ISO感度をいじってみたり、絞りをタイトにしてみたり。これも最近は機械まかせが多いところだが、IXY DIGITAL Lにはマニュアル設定モードがあるので、あれこれと数値を変えることはできるのである。それによって、かなり暗い画が撮れるはずの設定にまで持っていくと、見られる画が撮れてしまう。どうもいわゆる白が飛んでしまうという症状っぽいなあと騙し騙し使っていたら、許容できない画が撮れはじめた。

IXYL202

 なんだかわからないことになっているが、コンロにかけた手鍋を撮っている。窓から入る自然光で。オートモードで。

 真っ白。
 鍋の中には煮物が入っているのだが、それさえ視認できない。最適な設定で撮ってくれるはずのオートモードで、私のミッドナイトブルーなIXY DIGITAL L2は、あらんかぎりの光を集めまくって一枚の画を作り上げてしまう。

 ここにはアップできないが、人物を撮ったりすると、カメラを投げ捨てたくなる。だれも彼もが、純白の謎の光に包まれた能面の宇宙人だ。室内で、照明の下で撮っても、なにも変わらない。

 この時点で、カメラとして機能していない。設定で補正しようとしても、無駄な努力になりはじめて、そこから一週間も経たなかっただろう。

 電源は入るが、液晶が真っ暗になった。
 シャッターは切れるが、闇しか撮れなくなった。

 なんど電源を切って、なんど再起動させても、電池を替えて、メモリカードを入れ替えても。もうダメ。動くけれど、なにも撮れない。黒一色の写真を撮り続けることしかできない機械に、私の愛機はなってしまった。そのくせ、フラッシュが必要だと要求したり、どこのなにを見ているのかはわからないが、必死でピントは合わせているのである。結果として、なにも写らないのに。

 走馬燈のように、十二年間で撮った写真がよみがえる。

IXYL2

 黄色い薔薇の花言葉は「あなたには誠意がない」。

IXYL2

 目を白く濁らせて逝ってしまった猫。

IXYL2

 祖母の葬儀に並べたちぎり絵。

IXYL2

 スタッフジャンパー。

IXYL2

 まだ何度も転んで凹んでいない愛車。

IXYL2

 私に首を斬られたアマリリス。

IXYL2

 育ちすぎた南天の樹。

IXYL2

 とかげ。

 いつでもポケットに入っていた。撮影した枚数を思うと、気が遠くなる。ブログ用に400ピクセルごときまで縮小してもはっきり伝わる、人間の目で見た世界とは違う質感を単焦点レンズは描き出す。撮ってみて、おやさっき見た光景は、清廉な機械の瞳を通じて見れば、かように凛として写るのか、と。

 喪失感が襲う。

 だが、それほどまでに私の日常に、撮る、ことを根付かせた一台だったから、次の一台を選ばないわけにもいかない。ポケットにカメラがないと生きていけないカラダにされてしまったから。

 検索してみると、この二月の末、Canon IXYの最上位機種はモデルチェンジして新発売されたようだった。となると、探すべきものがある。Canon IXY DIGITAL L2のようにシンプルな構成ではないにせよ、同じメーカーの同じブランドで、十年経ったのだ。がっかりさせられることはないだろうと信じて、新機種発売で型落ちとなり、発売当初の価格から半値ほどにまでディスカウントされていた、昨年モデルの最上位機種を。長期保障を付けられる店で見つけたので、スペックもあまり確認せず購入。

 唯一、確認したのが、操作系統がタッチパネルではないこと。それこそスマホに寄ってどうするのだという信念はある。カメラの操作は、物理的なボタンやスイッチをカチャカチャやらせてもらえないと困る。

 助かることに、昨年モデルは、タッチパネル操作ではなかった。だが、届いてみて、少し不安も。タッチパネルではないが、液晶が大きい。ポケットのなかに無造作に入れて歩くので、割れたりしないか心配だ。とはいえ、そのあたりも時代の進歩というもので頑丈になっているはずだ、と、また信じて新しいCanon IXYに触れる。型落ちだが。触ったとたんに、歓声をあげてしまった。

 光学ズームって、便利だ。

 よく撮るもののひとつ、調理中の鍋を撮ってみて、単焦点で望遠機能がなかったCanon IXY DIGITAL L2ではよく起きていた「もうもうと湯気をあげる煮炊き中の鍋に近寄ったらレンズが曇る」というのを、一歩下がって、光学ズームで寄って撮れば曇りようがないということに感激する。

 当たり前のことなんだけれども。望遠機能のないカメラを十二年愛用していたのだ。ちょっと大きく、とか、ちょっと小さく、というのは、それすなわち、私が動いて近づいたり離れたりするということだった。それが、指先で、ちょい、と近づける。

 十年ちょっと前の機種もすばらしいけれど、十年経って、筐体こそ金属から樹脂になってしまってスマホチックになったものの、サイズはそう変わらないコンパクトさなのに、そこに詰め込まれている性能ときたらば。

 Wi-Fi便利。Canon IXY DIGITAL L2は有線接続するしかなかったので、確か五年目くらいには、端子のカバーが、もげていた。同じリチウム電池なのに、性能がずいぶんと上がっている。丸一日、使い倒しているのに、まだ動いている。予備の電池も買ったが、いらなかったかもと思うくらい。

 肝心の画は……

 十二年後のIXYで、カメラとしては逝ってしまったCanon IXY DIGITAL L2の亡骸を撮る。

IXYL203

IXYL204

 撮ってみて、あれ、と思いスペックを改めて見てみると、十二年前にマクロ撮影を自慢にしていたCanon IXY DIGITAL L2が、マクロ撮影モードなどという専用モードに切り替えて被写体に寄っても3cmまでだったのに、十年経つと同じブランドで、なんの操作も必要ないオートモードで1cmまで寄ることができる。

 画も、あいかわらず凛として、好きな感じ。

 なにかを買い換えると、いつも思うことを、家電を仕事として売っている身としても、また強く思う。

 機械は、新しいのが良い。

 壊れる前に買っていたら、きっとこちらばかりを使うようになっていただろう。

IXYL205

 Canon IXYの伝統で、専用の電池を使うから、Canon IXY DIGITAL L2のご臨終とともに、この電池たちも、まだ使えるのに役立たずになってしまったのは、少し哀しいが。

 よく動いてくれた。
 大げさでなく、私の人生の一部だった。

 ありがとうCanon IXY DIGITAL L2。
 撮れなくなったけれど、棚に飾っておく。

 ちなみに、昨年モデルの処分品を見つけてしまった私がスルーした、最新今年モデルの出たばっかりIXYは、IXY190。

IXY190

 きっと、こちらを買っていたら、さらに一年分、なにかが進歩していてもっと満足できたのかもしれませんが。十年ぶりだったので、私は室内で子供を撮ることなんてほぼ不可能だった手ブレ補正なしのCanon IXY DIGITAL L2での悪戦苦闘が嘘のように、フラッシュなしで室内で動く彼の顔をブレずに写してくれるだけで、新しい愛機を抱きしめたい。

 新しいカメラは、古いカメラの死を、一瞬で乗り越えさせてくれた。
 これでまた、ポケットに世界を切り取る道具を入れて彷徨ける。
 切り取るために、切り取れるなにかを探す日々が続く。

 よく言われること。
 しかし、己が身に起こらないと信じられない。
 あんなに好きだった相手の替わりはいないと信じていたって、新しい相手が見つかれば、忘れられないにしても過去は過去になる、という事実。
 こういうのを、しあわせというのだろう。

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