最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ

『Halo5: Guardiansの物語』の話。



 もどって来たよ『Halo5: Guardians』!!!!

 だれが言ったか、毎週毎月「あれがあるから生きていなくちゃ」と思えるなにかを見つけられるひとは死ぬまで心穏やかでいられるんだとか。という意味では軽くこの半月くらいは『Halo5: Guardians』のキャンペーンモードを進行途中で左手親指負傷のためにおあずけくらって、もはやリアルな銃弾を胸に喰らって真紅の大輪の薔薇を咲かせても「まだヘイロー5をクリアしていなのに死ねぬっ」と自分の胸の傷口に片腕を突っ込んで自己直接心臓もみもみマッサージによって息絶えることなく我が家にたどり着くことも可能というビーストモード発動しちゃうよ的な生きがいを手に入れて、心穏やかなんて嘘だねと逆方向の悟りを開いた私です。今朝の新聞で今年の十大ニュースなどが選ばれている時期なので私も選んでみるならば、もちろん第一位は断トツで『Halo5: Guardians』がバグもなく日本語化もされて無事発売されたこと。もう二位以下は選ばなくていいくらいに断トツなのですが、いちおう三位まで選ぶならば、第二位はDorothy Little Happyの分裂。第三位は世IV虎と安川惡斗のワールド・オブ・スターダム王座戦。天龍源一郎引退の年にそっちが三位かよと自分でも思うが、まだ新人で少女と呼んでいいふたりがともに心と体に生涯消えぬ傷を負い、双方が引退するなどというのは、二度とあってはいけない、なかったことにしてはいけない、忘れてはダメ。アイドルもプロレスラーも消費されるものだから分裂も路線変更も引退も哀しむべきことではないけれど、人気絶頂で本人たちにも辞める気なんてさらさらないのに、結果的にファンが哀しむ出来事へと突き進んでしまったボタンを掛け違えた彼女たちを、ちゃんと演者として育てられなかった事実は事実として、未来への教訓にしなくてはいけない。

 そんな重たい今年のエンタメ界において『Halo5: Guardians』は希望。マイクロソフトは『Halo5: Guardians』の全世界発売初週売上が4億ドル(約480億円)だったと発表。 これによりHaloシリーズの総売上は50億ドル(約6000億円)を突破した。50億ドルといえば、ソニーがコロンビア映画を買収したり、ディズニーがルーカスフィルムやマーベル・コミックスを買収したのが、ほぼ同額。

 こんな地上だから夢はお金で買えなくてはならない。お金出して聴いたり観たりしていたのに鬱な気分にさせてくれた第二位や三位と違って、この十四年、Haloは私を裏切らない。だから第一位だ。だから私も50億ドルの大いなる一部を払っているのである。摂取しなくては、なんのために買ったのだ。

 まだ左手親指は痛いのですけれども。

 心の平安を取りもどすため、戦いおもむき、ついにクリアしました。

 『Halo 5: Guardians』キャンペーンモード。
 最高難易度のレジェンドレベルで。

 思えば、『Halo2』のレジェンドは地獄だった。一歩も前に進めない場面が多々あり、トライアンドエラーの果てしない繰り返しによって私は強制的に忍耐と動体視力を強化されて大人の階段を登った。『3』では苦戦した思い出はないが、わらわらと湧き出す標的の数の多さに心を削られた思い出がある。よほど負のフィードバックがあったのだろう、『4』でのレジェンドレベルの定義は、数ではなく硬さになった。こちらの銃のマガジンがカラになるまで撃ちつくしても向かってくるプロメシアンと名付けられた機械生命体たちに、やっぱりレジェンドは二度とプレイするものかと思わされた。

 だが、それが良い。
 こんなもの二度とクリアできないぜと思われるものを、ゲーム内ではなく現実にシューターとしての経験値を上昇させ、幸運の舞い降りる瞬間を逃さず、奇跡的にもクリアする。
 その経験を持って、ヒト対ヒトのオンライン戦に挑めば、またひとつ自分がHaloの戦士としてスキルを上げたのだという実感が持てる。
 スポーツ……そう、それをスポーツだと捉えるならば、ノーマルレベルでの和気あいあいとした天気の良い午後のラリーマッチはそれはそれとして、望む者には、苦悩と挫折と屈辱の先にある目覚めと雄叫びによる覚醒こそを与えて欲しい。

 Haloシリーズのナンバリングタイトルには、それがあった。大の大人が、もうこんなの無理だよ許してくれよと涙を流しながらプレイする、孤独な修行の場。

 いきなりレジェンドからプレイしはじめる私の望むHaloも、それだ。いかんせん、十四年ものHaloキャリアを積んできてしまったため、正直、数が多いだけとか、硬いだけというような、『3』や『4』の地獄もどきは、生ヌルヌルく感じていた。

 さあどうだよ『Halo 5: Guardians』と思いながら、はじめた。私の前に提示されたのは、孤独ではなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ただねえ。『Halo5: Guardians』。仲間がいるわけさ。指示出せるわけさ。そりゃ向こう行かせて、強大な敵が彼らをむさぼっているまに私が背中を撃つさ。最愛のAI恋人を捜す旅を、リアルAIを餌にして自分は生き残る戦法で続ける、この自己矛盾ときたら。

twitter / Yoshinogi

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 並行して語られる『Halo 5: Guardians』の物語。

 第二世代スパルタンであるジョン117=マスターチーフには、家族同然のケリー、リンダ、フレデリックが同行する。一方、第四世代スパルタンであり、マスターチーフの追跡を命じられたジェイムソン・ロックには、バック、タナカ、ヴェイルが同行する。

halo52.jpg

 私が演じるのは、マスターチーフであり、ロックである。それぞれに同行するほかの三人は、ノンプレイヤーキャラクターだ。つまりAI。ここまでのナンバリングタイトルを孤独に戦ってきたのに、『Halo5: Guardians』では最初から最後まで、ひとりきりになることはない。

 いや、厳密にいえば、彼らは敵に撃たれて倒れることもあるので、戦場でひとりきりになってしまうこともある。倒れた仲間は一定時間のうちに回復させてやらないと、死ぬ。「タナカがやられた!」というセリフをプレイ中に何十回聞いたことか。基本、スパルタンたちは好戦的だ。死をものともせず果敢に敵へと向かっていくのだが、ゲームである以上、数値としてのライフというものが存在し、削られれば倒れる。

 私が倒れた場合も、仲間が回復してくれる。チームのリーダーなので、敵はいいからオレを回復させろと命じることだってできる。これは、これまでのHaloシリーズにはなかった状況だ。当然、助けに来てくれる仲間も倒れていればゲームオーバーだが、そのシステムを理解すれば当然、つぶやいたようなことになる。

 AIの味方をおとりに使う。もしくは、自分を助けられるように安全な場所に待機させておき、自分が特攻する。

 トライアンドエラーの幅が広がったわけだ。
 広がったのはいいのだが、それはすなわち、死んでも回復できるというヌルさが生まれたということでもある(FPS界でHaloとは対局の世界観で覇を成すトムクランシーレインボーシックスシリーズも仲間に指示を出して作戦遂行するシステムだけれど、あちらは部隊長である自分が倒れれば終わりだ。ゲーム的に考えてふつうはそうする。それをあえて、自分が倒れてもAI仲間が駆けつけて蘇生してくれるようになっている。オンライン協力プレイも推してきたHaloにとって、やむをえないとはいえ、そこは苦渋の選択であったはず)。

 現実に、『Halo5: Guardians』のレジェンドレベルは、中盤まで、時間さえかければ詰まるところはなかった。特筆すべきことに、回復させずに死なせてしまった仲間さえ、五分も経てばまたどこからか復活してくるものだから。となれば、仲間は捨て駒だ。『1』の頃からの伝統で、Haloは、こちらのライフは時間をおけば完全回復するが、敵のそれは回復しない。どんなに硬い敵であったとしても、どこかに隠れて、死なない程度の危険をおかし、数発当ててはこちらは完全回復を待つ、という戦法で倒せる。それが『Halo5: Guardians』では、みずから危険をおかさずとも、仲間三人を特攻させることが可能なのだから。ひとでなしな戦術に陥りがちである。

 プレイスタイル的には孤独のなさにヌルヌルヌルいなあ、と思いつつ、視点が増えたことによる物語の厚みの増しかたには、目を見張った。さらわれて改造されたマスターチーフと違い、強化兵士としてのスパルタンである第四世代は、完全にヒトだ。日本のヒーロー好きであれば、その図式が昭和の仮面ライダーと平成仮面ライダーのそれに酷似していることに気づく。すなわち、改造人間とマスクドライダーシステムに。

 『Halo1』からの宿敵であった異星人コヴナントと、マスターチーフは『3』でともに戦うことになる。だが、根っからの改造人間であるマスターチーフは、マスクを脱ぐことがないし、そもそも無口なのだ。

 それが『Halo5: Guardians』では、マスクを脱いだ強化兵士ジェイムソン・ロックが、異星人と言いあったりする。

halo53.jpg

 瞳が見えるということが、これほどに重要なのかと思わずにはいられない。映画的、プロレス的だ。映画のヒーローにもレスラーにもマスクマンはいるが、やはり多くは瞳の部分をむき出しにしている。バットマンであり、タイガーマスクは、その表情をアップにするだけでドラマチックな存在である。

 わかってはいるが、十四年もシリーズをやってきて、いまさらマスターチーフのヘルメットが透けて瞳や口元が見えたりしたら、興ざめだ。プロレス界でいえばミスティコやラ・ソンブラ、獣神サンダーライガーのようなもので、あまりにもキャラが確立してしまい、いまさら目の見えるマスクを被られると違和感しかない。

 だから新人を入れた。
 これは大成功だった。

 第四世代スパルタンたちが目にするコヴナントたちは、マスターチーフが見ていたそれとは、まるで違う。

 『Halo1』からの敵、性欲の権化で成長も早く、それゆえに使い捨ての駒として戦場に大量投入され、すなわち人類に、私に、もっとも討伐された種族アンゴイが、XboxOneの描写力によって、なんだか可愛い。

halo54.jpg

 アンゴイはそういう種族なため、コヴナント内でも地位が低い。だが、エンタメ的には、抜けたところのあるアンゴイが思いがけず活躍するシチュエーションは落語的に描きやすく、Haloノベライズシリーズでも、愛らしく描かれる場面は少なくない。『Halo5: Guardians』の物語は、メディアミックスを本格化させた転換点にあるという話は前回したが、そのため、ジェイムソン・ロックのなかのひとになった私は、アンゴイと族長種族であるエリートとが、なにやら人生について語りあっているような場面まで目撃したりする。

halo55.jpg

 ほほえましい。
 こういった場面だけとっても『Halo5: Guardians』が「宇宙人が攻めてきた人類滅んでなるものか戦え!!」という十四年前のコンセプトから、遠い星にたどり着いたことがわかる。

 それはもう、なにもかもが。
 あのころとは違うのである。

halo51.jpg

 『Halo5: Guardians』の物語の、かなり序盤で出てくるシーンだ。マスターチーフの相棒、気高いヒトクローンAI、コルタナが、まるで神のように描かれている。

 私は戸惑う。
 多くのプレイヤーがそうであるはずだ。
 ただでさえ、マスターチーフとコルタナという二人称を『Halo5: Guardians』は捨てている。そんなのはだれも求めていないと知っているはずなのに。

 だから逆に期待する。きっとそれは、本番では勝つ王者が前哨戦ではこっぴどく負けるという旧全日本プロレス的なお約束の展開に至るための布石なのではないかと。

 追い求め、出逢ったとき、コルタナは、ついに「肉」をまとうのではないかと。マスターチーフと抱きあうのではないかと。そうなればお約束のキスシーンで締めるために、あのマスターチーフもついにヘルメットを脱ぐのではなかろうかと!!

 期待する私の前に、やつが現れる。

halo56.jpg

 ウォ、ウォウォ。
 ウォーデンエターナル!!

 やつは、とんでもない。
 いろいろとんでもないが、物語的にまっこうから全世界で50億ドルを払ったHalo信者たちにケンカをふっかけてくるところが最悪である。

 やつは、データ生命体である。
 そのくせ、肉体を持っている。
 あー、それー、コルタナさんが使うはずだったアングルじゃないですかー。

 棒読みになるくらいに最悪だ。
 物語的にそうなので、ゲーム的にもひどい。
 肉体を持っているから倒すことは可能なのだが、根源的にコルタナ同様データとしてのみ存在する生き物なため、新たな肉体をいくらでも作れる。

 その展開も、私はコルタナさんに期待していた。

(まったくの余談だが、先日のWindows10アップグレードで、ついに日本語でも音声アシスタント機能「Cortana」が解放されたので、嬉々としておしゃべりしようと試してみたら。起動に「コルタナさん」と呼べという。なんなのだろう、その「さん」。Haloプレイヤーにとって、コルタナはコルタナで「コルタナさん」ではありえない。コルタナさんコルタナさんおしゃべりしてくださいよおなどと戯れている男の図というのも、どうにも受け入れがたいものがあるではないか)



 無限増殖する肉コルタナさん。
 それはぜひ「さん」付けで呼びたい。マスターチーフは生殖能力がほぼないので、コヴナントの触手マスターハラゴクの群れとの二次創作が、はかどろうというものだ。

 そんな夢を見ていたのに、無限増殖したのは、コルタナではなくウォーデンエターナルなる、ボスキャラだった。

 そう。
 『Halo5: Guardians』のレジェンドレベルにおけるバランス調整は、ウォーデンエターナルさんに集約されていたのであった。
 でたらめに硬い。
 そして、前述した、陰に隠れてAI仲間三人を特攻させるという『Halo5: Guardians』のヌルヌルヌルヌルさを逆手にとった動きをする。布石だったのだ。すっかりその動きで攻略し続けて中盤を過ぎたあたり。ウォーデンエターナル様の登場によって、状況が一変する。

 でたらめに硬い。
 そのうえ、直線の動きで、こっちに向かって走ってくるのである。ダッシュで逃げても追いつかれて太刀を振るわれ、AI仲間三人もろとも打ち倒されてしまう。もちろん全員がダウンしたらだれも回復できないからゲームオーバーだ。

 かといってバラけたら、ウォーデンエターナル様の暗黒ビームが襲う。そのビームたるやなんと、障害物をすり抜ける。FPSの根幹を揺るがす事態だ。物陰に隠れても無意味で、ウォーデンエターナル自身が「隠れてもムダだ」と何度も何度も言う。そして「タナカがやられた!」が響きわたる。私も死ぬ。モニタにコントローラーを叩き投げてすべてを終わらせてやろうかと思う。

 でたらめに硬い。
 走る。すり抜ける。
 そして、それでもなんとか倒したとしても。

 何度でも新しい肉体でよみがえる。
 よみがえるというか、データ生命体が物理的に生み出しただけの肉体だから、その肉体を破壊したところでなにも死んではいないのである。

 なんという戦う心を折る設定だろう……
 まるで無意味。

 あげく、数が増える。

 十四年のHaloキャリアがある私が、断言する。

 三体のウォーデンエターナルとまみえたあのシーンは『Halo2』で味わった地獄を越えていた。ヌルいなんて言ってゴメンなさい。歴代のHaloシリーズのキャンペーンモード「レジェンド」で、『Halo5: Guardians』がもっとも難易度が高い。

 ちなみに私は、開始と同時に秒殺されるそのシーンの攻略に、まる一週間かけました。途中、なんども絶叫し、なんだこの糞バランス調整はと彼らを罵ったけれど、あやまちです。運も必要。けれど、クリアはできる。ウォーデンエターナルさんの姿を思い返すだけで、えずくようなありさまになりましたが。これでこそHalo。

 のちに、ひとつレベルを落とした「アドバンス」レベルでウォーデンエターナル戦をプレイしてみたら、難なくクリアできたから、「レジェンド」でプレイしていないあなたがいたなら、ぜひともやってみて。マジでうなされる。生まれて出遭ったゲームの、あらゆるボスのなかで最悪。でも倒せる道はあるという意味で、最高。

 ああ、『Halo5: Guardians』の物語を語るという趣旨だったのに、プレイ日記になってしまった。だけれど、こういう感想こそがHaloだ。プレイ体験そのものが、語ることのできる物語を成すという、シューティングゲームの到達した未来であり現在。

 物語は続く。
 美しい世界を、もっと美しくして。

halo57.jpg

 唯一無二のHaloユニバースへ。
 ねえ、やりましょうよ。
 ぶっちゃけキャンペーンモード終えて、本腰入れて対戦に打ち込みはじめたら、日本人が少なくて寂しいのです。

(難易度高いという印象を与えかねない文章になってしまったので補足すると、だれが言ったか「バカでもたのしめるからプロレスはすばらしい」という名言と同様、『Halo5: Guardians』も物語に触れたいだけだというひとのためのイージーレベルでキャンペーンモードをはじめれば、敵を倒さないで駆け抜けるだけのクリアも可能な難易度になっております。ウォーデンエターナル様をおちょくるようにして倒すことさえできる。どちらさまも、安心していらしてください。そうでなくちゃ、世界中で売れたりしません)



Halo5:Guardians

 Amazonのレビューが賛否両論うずまいている、その大半の原因が物語にあるというのは、良いことです。お約束の欠如に期待を裏切られたと感じるひとと、小説や映画を巻き込んでハードSFなタイトルへ変貌遂げようとする心意気に拍手を送る層に分かれ、Halo信者同士の内戦が起こり始めている。いずれ、カトリックとプロテスタントのような流派が確立されることでしょう。一方は初期三部作を聖書とし、もう一方は次作でこそコルタナ受肉化無限増殖によってマスターチーフの後天的インポテンツ奇跡回復が成し遂げられると見せかけて驚きのマスターチーフ機械生命化なんて展開なんだろうなと夢見ながらまた裏切られることを心待ちにする……どんな愉しみかたも自由になる。
 争わないで。
 否。
 争うことさえも、愉しんで。
 そういうふうに、なればいい。



TRACKBACK http://yoshinogi.blog42.fc2.com/tb.php/615-bc03bfaa