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『私のバイクがレッカー移動されていく』のこと。


Towtruck01.jpg

春はイラつきます。
バイク乗りなので。
寒いのも、暑いのも、好いけれども。
やっぱり、春は格段に、好い。
けれど自身で選んだ人生とはいえ、
春は稼ぎどき、それに試されどき。
休みというものがなく。
国道沿いに暮らしているので、
窓の外を走る単車たちの音が聴こえる。
山ですか。海ですか。湖ですか。
思いながらも数字を動かし、文字を打つ。
イラつくったらない。
これ、作業効率落ちるよね、と心に問う。
いっそちょっと、ひとっ走り。
悶々とするのをすかっと抜いてしまえば、
賢者のごとく仕事が進むのでは?
というわけで辛抱たまらず走りに。
真冬も、バッテリーは充電しているし、
月イチ程度ではあっても数十キロ走る。
始動はカンペキ。
走り出す。いつもの場所へ。
まっすぐな道に出た。
かつんかつんとギアを六速に入れ、
右手首を押し込むと、
重力の向きが変わる。
風になる、と形容するひとがいる。
解き放たれる、と歌ったひともいる。
あふうう。なんて好い、春……
……ん? ……んんんん??
五速に落とし、四速、三速、二速、一速。
聞き慣れない音がした。
ギアを下げるたびに、違和感がつのる。
あと少しで信号。
まだブレーキには触れていない。
クラッチを切る。
エンジンが止まった。
走っているのに止まった。
んんんんんん???
あわてて右手親指で火花を散らす。
ぼっぼぼぼっと火は入る。
信号が青になる。加速する。
走れるけれどやはり違和感が……
そして次の信号で、また。
音からして、不完全燃焼しているみたい。
ガス欠? 近くの住宅地に逃げ込み、
車通りのない路地で、タンクを覗く。
燃料は満タン。始動はできる。
送りこめば燃えはする。
でもあきらかにおかしな状態。
なにより怖いのは。
エンジンが空焚きになり逝ってしまうこと。
走行を断念しました。
バイク屋と電話協議の末、
保険会社手配のレッカー車においでいただく。
入っておくものですね、任意保険。
住宅地の道路を完全封鎖して、
巨大な荷台に固定される私の相棒。
そして、ああ……
ちくしょう、イラつくな、春。
どうやってここから帰ろう。
書斎に放って来た山積みの仕事たちを、
片付けるのはいったいだれだろう。
ここにいる私だとでもいうのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ほんでまあ、それから日は巡り秋になろうとしているのですが。あいもかわらずバイクに乗る時間は捻出できずに、ときおり「バイクの健康維持のために走る」という趣味なのかなんなのかよくわからない状態なのですけれども。

 そんなふうに元通りのつきあいができるまでになったので、これはもうひとつのエピソードとしてまとめてしまってよいだろうとこれを書く。

 冒頭の写真のあと、通りがかった子供たちが、歓声をあげた。

「かっこええーー!!」

 ああそうだろうそうだろう。住宅街で真っ黒なアメリカンバイクが動けなくなってレッカー車に固定されている状況だとしても、それはそれとして俺のバイクを誉めろ。

 だがしかし、子供たちは私のバイクを固定している彼に言った。

「これなんて車ですか!?」

Towtruck02.jpg

 ……ああそう。まあな。小学生の低学年では、クレーン車とかショベルカーのほうがオートバイよりもカッコいいんだよな。お子様の証明だ。どうせならそうやって働く車にあこがれ続けて大人になって次の次の大阪オリンピックでは会場建設の人手が足りないなどということのないように、足場をすばやく組む訓練を怠らないでもらいたいものだな。

 子供らに見送られ、本当はいけないことらしいので、ここにはっきり書けないのだが、彼のやさしさなのか私のことがタイプだったのか、単に同情されたのか、おかげさまで行きつけのバイク屋へ到着。いわゆるチェーン店なバイク屋ではないから、どでかいレッカー車を横づける場所がない。仕方がないので、また広めの裏道をさがして、一般住宅の建ち並ぶ一角で降ろされるバイク。

 エンジンをかけてもどうせ止まることはわかっているから、そこから押して歩く私。だいたい私のバイクは64代横綱にして第47、52代三冠ヘビー級チャンピオンである曙と同じ体重だ。曙にタイヤがついていたとしても、押して歩くのは簡単ではない。このようなときのために鍛えていてよかったという思いとともに、老いさらばえて死ぬまで乗り続けられる乗り物ではないなともふと思う。そんなことが頭によぎるのは、いま全体重をかけて押して歩いているこいつが、バイク屋に見せたら「廃車ですね」と言われる可能性だってあると予感しているから。もしそうなったら買い替えるのか? しかし同じ車種は排ガス規制で引っかかって製造中止になり、後継車種もない。年式的に、中古で私のものと同程度の良好なものは出回っていない(なにせ乗らずに保管しているので)。ぜんぜん別のバイクに乗り換える気はあるか? いまでも維持する時間が取れずにいるし、妻を乗せて転んだときには母に殺されかけたし、子供は絶対乗せるな、いやむしろバイクが家にあるのが怖いわ、と顔を見るたびに言われているというのに。

「あー、ヨシノギさん。止まっちゃったんですか」
「エンジンはかかるんだけど。信号待ちで100パー止まるの」
「電話で不完全燃焼っぽい言うてましたよね」
「うん。ガス欠みたいな感じなんやけど、ほら」

 燃料ほぼ満タンのタンクを覗き、車体横にある燃料供給の状態を操作するコックを確認。昨日今日、バイク乗りはじめたわけではない大人なので、タンク空っぽでしたー、とか、コック閉じてましたー、だったらこうすれば問題解決じゃないですか、大きなレッカー車まで呼んでヨシノギさんったらぁ。なんてことにはならない。ならないのでどんよりした表情なのである。兄やも多くは語らない。

「いっぺん、かけてみていいですか」
「どうぞ」

 私のバイクに横座りになり、セルスタートで一発始動。アクセルを、回す、回す……ぶおおおおおん、ぶおおおおおん、ぶほっげほっ、ぶすぶすっ……

「ほんまですねえ」
「燃えてへん感じでしょ」
「さっき、突然にです?」
「家出て、十分くらい走って、直線で6速入れてアクセル開けた直後に、あれっ、て」
「はっきりわかったんですね」

 電気系かなあ……と、つぶやく兄やの言葉に憂鬱になる。私のバイク、燃料供給が電気ポンプなのである。電気で動く心臓だ。心臓の交換手術となると、それはもう人間同様、心臓を買ってくるのも高いし、取り替えるのも高い。いっそ買い替えたほうが……つまり、こいつは廃車、という選択肢に追い込まれかねない。

「とりあえず、あずかりますね」
「ですよねえ」

 兄やとふたりで苦笑する。
 私が、ヘルメットを持ってきていたからだ。
 ケアレスミスなんかではないと思いながらも、プロの目で見れば「これが原因ですよ、うっかりさんだなあ」ということもあるかもと考えてのことだったが、現実は現実である。

 ヘルメットを抱えて、最寄り駅から電車で帰った。

 そして二週間が過ぎ。
 ふたたびバイク屋。

「前後のプラグ交換して、キャブレターはオーバーホールして、症状は出なくなりました」

 あれ?
 ことのほか、安い解決じゃないか。
 それにしては、兄やの声は重い。

「ただ、もともと後ろが燃えていなかったんですけど、作業しているあいだに、ふかしていたら、前からも異音が聞こえたんですよね。もう、いまは聞こえないんですけど」

 なにを言われているのか、よくわからない。
 つまり、スパークプラグが前後同時に寿命だとかいうことであれば、そこは交換したから問題はないが、なにか引っかかる、と?

「キャブも、目に見えたつまりがなかったんですよ。プラグもきれいだったし。でも、直ったのは直ったんですよね。だから手を入れたところが原因だったって考えればいいんですけど」

 なんだよ。
 気にせず言ってみな?

「電気ポンプ、四万円するんです」

 ああ、心臓な。
 そりゃ高い。部品代だけでそれって。

「症状は消えたんで、念のためにそこも、っていう金額じゃないですから。やりませんけど、そこが原因だって可能性もゼロではないと知っておいてください」  

 勧めることさえしないのか。
 そりゃまあ、そうか。
 走れる状態に戻っているのに、心臓も念のため手術しますかなんて話はないわな。ないけれども。でもさ。

 走るのは私だ。
 直ったけれど、実は手を入れていない心臓になにかがひそんでいるかもと疑いながら。とりあえず、高速には乗らないようにしようと誓う。出かけるのも、またレッカー車が呼べる昼間にしておこう。

 最後に、兄やは言った。

「直近で、なにか起こったら、腹くくってください」

 直すか。
 棄てるか。
 どちらにせよ、身を切る話になる。
 こういうの含めて、バイク乗りなんだけれども。

 そういうわけで、春に撮った写真の続きの話を、いましているのである。あれ以来、止まることはない。つまり、兄やの言う「直近」にはなにごとも起こらなかったと言ってもいいかなというくらいの時間はたった。暑い夏を越えたし、エンジンの回転は順調だ。

 ただ、誓いの通り、高速には乗っていないし、長距離ツーリングと言えるような距離も走っていない。

 車体に搭載されたスパークプラグが、見た目はきれいだけれど、すべて寿命を迎えていたということで納得すべきなのか。兄やは、つまりはなかったと言ったが、キャブレターになんらかの問題があって、オーバーホールで目に見えぬまま直ってしまったのか。

 これが、老いというものかもしれぬ。

 不調の原因はわからないが不調で、直った理由もまたわからない。しかし直ったので、また走る。少し……いや、だいぶんと、気をつけて、怖がって、それでも動かなければ止まってしまうから、続ける。

 我が身ではないが、バイクは相棒。
 十年を越えて、こいつとはたぶん添い遂げることになるだろうと予感する。願わくば、どちらも傷つかないかたちで、いつか揺らしても起きなくて、ああ逝ってしまったのか、と、つぶやくようなのがいい。私の忘れ形見として私のほかにだれも乗らない家に残されるなんていうのは最悪だ。

 どこか遠くへ、ともに行こうなんてことも、もうない。
 それでも、いい。
 私は、こいつを好きというよりも、愛しているんだというようなことが、やっと言えるくらいの時間を過ごした気がする。そういうのは、ともにいることでしか育たない。絡みあう必要はない。ともにいるというのは、絶えず気にかけているということ。嵐の夜に、真っ先にどうしているかなと想う相手だということ。

 いつまでも、こうしていたいけれど、終わりは怖くない。
 そういう相手に出逢えただけで、かなりしあわせ。

PIXAR

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