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『暗闇にてアスパルテーム』の話。

 白い紙にインクのしみをつけてゆくことで、作家はかれの内部の暗闇をおしひろげようとする。そして、あたかもその暗闇にかれ自身の根のごときものがあり、いまそれに直接ふれた言葉が、紙に書きしるされているからこそ、この内部の緊張があるのだ、という本末転倒した考え方を試みる。実のところ、それは本末転倒ということですらないかもしれない。白い紙がインクで汚されてゆくとき、そのペン先を軸として、作家の内部の暗闇と、言葉のつたえつつあるものとは等価的に存在する。言葉が空虚なら、その人間の内部の暗闇も空虚だ、空虚な暗闇とは、夢のない眠りのように、それはなにも実在しないことにひとしい。


 大江健三郎 『壊れものとしての人間-活字のむこうの暗闇-』

壊れもの

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 梅雨ったって雨もなく。今年は冷夏ですかねえ、なんて会話がそこかしこで聞かれ。冷夏といっても、近頃の夏の暑さときたら殺人的で、ほんといつからこんなんなっちまったんだろうと思う。あきらかに地球の温度が上がっていることを最近は体感できてしまう。まだ本格的な夏もはじまっていないのに、寝苦しくて日の昇る前に目が覚める。その直前に、決まって夢を見る。寝苦しくて起きる直前の夢なので、さわやかでもいやらしくでもなく、ただただ切羽詰まった夢を見る。

 私はなぜだか十代の終わり頃から、定期的に見る夢があって。それは異様に白い壁や床の、ひどく空虚で商品も陳列されていたりしないのだけれど、なぜだかはっきりとわかるスーパーマーケットで、私はなぜだかそのスーパーマーケットに出入り口がないことを知っている。

 ご想像の通り、私はそこで追いかけ回されるのだ。

 黒いタキシードを着たオールバックの郷ひろみに。

 はっきり言ってめちゃくちゃ怖い。私はアジア系のオールバックで黒服が似合う男優というのがとても好きなのだが、ぶっちゃけたところ郷ひろみはまったく好きではない。ダンサー系の引き締まった肉体というものには気持ち悪ささえおぼえるのである。抱かれるなら、あきらかに鍛えているけれど腹筋には割れ目がない全日本プロレスやNOAHの選手たちのようなのが魅力的だ。郷ひろみは対極である。どうも彼が主演した『刑事貴族』というドラマが原因のような気がする。初代刑事貴族(デカキゾク)である館ひろしは、路上に仰向けに倒れ、白いタキシードを血に染めて紅い薔薇の香りを嗅ぎながら殉職した。私は館ひろしが好きなのである。ということでそのドラマも観ていたわけだが、あろうことか、殉職した館ひろしの後釜にやってきた二代目の主役こそ郷ひろみだったのだ。確かにオールバックとタキシードが似合わないわけではないのだけれど、似合いかたの属性が館ひろしとは違う。貴族的属性でいうならチョウ・ユンファが『アンナと王様』で演じたような王様が館ひろしで、郷ひろみは最新鋭マシン貴族である。

 つまるところぴっちり衣装とオールバックでまっすぐ前を向いて追いかけてくる……『ターミネーター』の『1』と『2』と『3』のすべてでそうだった追跡者エリートの外見。私にとってそれは郷ひろみなのだ。きっと。やつは無表情に私を追いかけ回す。この夢を見始めて十年以上経つが、私は郷ひろみに捕まったことは一度としてなく、なんの肉体的攻撃も受けたことがない。彼はただ無表情に私の背中を見つめ、ただ延々と白くてなにもないスーパーマーケットの中で私を追いかけ続けるのだった。

 なんていうか夢判断するまでもなく追い込まれた精神状態で見る夢なわけで、まあ新しい原稿に取りかかるときになにか出てくるまで自分を追い込むのは、いまもむかしも小説書きの当たり前の日常で、郷ひろみに追いかけられる夢は、私にとってノーベル賞健三郎が言うように私の内部の暗闇密度があがっている過程の化学反応なのだろうと思う。

 そういえば、幼いころの私がよく見ていた夢で、原爆が落ちて朝がこないというものがあって。それはもうまぎれもなく広島の原爆資料館西館を物心つくかつかないかのころからたびたび訪れていたことに由来する。私の祖母は被爆者手帳を持っている。皮肉なことにその祖母はいまだ健在で、被爆などしていない祖父のほうがガンで先に逝ってしまったのだが、そういう関係で、私は夏休みにおじいちゃんおばあちゃんのところに遊びに行っては戦争の話を聞き、帰りに原爆資料館によって手を合わせたりしていた。

 しかし、思春期を越えたころから、そういうどうしようもない事態に怯えることはなくなった。昨日もバイクで走っていたら道路にぶちまけられた血を「踏まないで通ってくれ」と誘導する十数人の警察官に出逢った。スーパーカブの傍らでどこもケガしていないようにみえるおばちゃんがなにごとか訊かれ、傍目にもうろたえて返事ができない状態になっていた。スーパーカブで吹っ飛ばせる相手は、きっと大人ではない。スーパーカブよりもひとまわり以上大きなバイクでその事故現場を通過するとき、事態の推移を道路脇で見守る人たちの視線はあからさまにやさしくなく、私は外から表情の見えない濃いスモークの入ったシールドで顔を隠していたことに安堵した。どういう顔していいかわからないじゃないか。

 この国では一分間にひとり、交通事故死亡者が逝く。

 保険はかけておくべきだが、一分ごとに落ちてくる死の矢に当たらないために、家に閉じこもっているわけにもいかない。むしろ死がいつか降ってくることが避けられないのならば、いますぐやりたいことをやって悔いのないように準備しておくべきっていうのは人生相談的? でも、そう思ったときから、原爆の夢は見なくなった。

 毎日、私は二本の500ミリリットルのペットボトルをリュックに入れて出勤する。中身は烏龍茶だ(気が向けばプーアルとか苦丁茶がブレンドされる)。売り場に出ると接客でほとんど喋りっぱなしなので休憩してはそれを飲むのだけれど、もっと重要な理由として、毎日二本のペットボトルを持って出て、職場のゴミ箱に捨てているにもかかわらず、それでもまだうちの台所にはペットボトルが溜まってゆくという事情がある。

 おもにウォッカやジンを割るためのソーダなのだが、アルコール抜きでも私が愛飲しているものがある。ゴミ箱へそのペットボトルを捨てている私を見て、栄養学を学んでいる大学生のバイトの女の子が、眉をひそめた。

「ダイエット・コーラに含まれるあれってしってます?」
「……アスパルテーム?」

 即答した私に、ますます眉をひそめる。

「発ガン性あるんですよ」
「あらゆる肉を焼いた焦げにもな」

 ていうか、こんな副流煙が渦巻く食堂で発ガン性の話はやめろよ気が滅入るから(余談だが、私は三人の男兄弟の長男で、三人の中で二番目に背が高い。末の弟がいま十九歳だが、一番背が低い。本人はそのことを気にしていて伸長マシーンとか買ったりしている(ジャンプなんかの広告であるやつ。ハンドルまわすと背が伸びる。まあこういう結果になるのが目に見えているような商品ではある。逢うたびに違う女連れているくらいなんだから、別に背の高さなんてどうでもいいじゃん、と思うのだけれど本人は成長が止まる成人を目の前にあせっているらしい。いやだから冷静に自分の二人の兄を見てみろって。同じ遺伝子なのに、なぜ次男、長男、末弟の順で成長が止まったのか。あきらかに十代の頃の飲酒喫煙と睡眠不足に比例しているのである。ヘビースモーカーな十代が首傾げて伸長マシーンを買う構図は、副流煙の中でガンの話をするのに似ている)。

「でも毎日飲むのは危険ですよお」
「じゃあ、毎日ダイエットじゃないコーラを飲んだら健康になるか? 生活習慣病まっしぐらだ」
「コーラ飲まなきゃいいじゃないですか……」

 栄養士、話にならん(笑)。
 ちなみに私がタバコをやめてから依存しているキシリトールガムにもカロリーゼロの人工甘味料アスパルテームが含まれている。
 私はこの人工甘味料がなければ一週間で体重を二倍にするだろう。
 フェニールアラニンは、体の中になくてはならない必須アミノ酸の一種で肉・魚・大豆・乳製品に多く含まれているもの。天然に含まれているフェニールアラニンが無害であることは証明されているが、人口甘味料アスパルテームは、このフェニールアラニンとアスパラギン酸(アミノ酸)を人工的に結合したものであり、低カロリーの清涼飲料水、ガムに使用されている。

 アメリカでは、アスパルテームはかつて使用されていたが、その後動物実験等で脳腫瘍、発ガン性があるとして1974年発売中止。しかし、炭酸飲料への添加を強く要請(コカコーラ&ペプシ)され1983年に許可され、現在はふたたび使用されている。その経緯から商業的な配慮によって人体に害あるものが認可されたとしてブーイングを浴びせる団体もあり、世間一般的にもいまだ安全性については賛否両論。

「動物実験で証明されてるんですよっ」
「そのデータ詳しく見たことある? ありえない量を摂取させているのだよ」

 魚の焦げの発ガン性は証明済みだが、同時に、標準的な体重のヒトへ影響を与えるためには、まとめてドラム缶一缶分に相当する焦げを食べなければならないこともわかっている。これによりいま現在も魚を焦がすことは法的に規制されていないし、焦げを食べないために焼いた魚や肉を食べないことのほうが栄養学的に問題があることもあきらかだとされている。アスパルテームの動物実験も、ほぼ同じスケールでの実験だ。ダイエットコーラのプールでおぼれたら命に関わる後遺症が残りそうだってことくらいは、別に実験しないでもわかりそうなものだが。

 マイケル・J・フォックスがパーキンソン病になったのは、かつてダイエット・ペプシのCMをやっていたときにそれにはまって毎日大量にアスパルテームを摂取したことが原因だ、という説もあるが、だとすればダイエット甘味料の世界的普及率から見て、脳になんらのダメージが現れる率が飛躍的に上昇しないことに説明がつかない。

J

 ていうかハリウッド俳優が、アスパルテームよりももっと速攻かつ破壊的に脳にダメージを与える薬物を一度や二度こっそり摂取していたという確率のほうが、私的にはありえそうだと思える。偏見による憶測ですけれども。

「だってお魚は……栄養あるじゃないですか」

 彼女との会話は結局そこへ行き着くのである。ああそうですよ、わずかな危険性があっても魚や肉を食べることには意味がある。原爆が落ちてくるのに怯えて引きこもるのは非現実的だ。コーラはなんにせよ百害あって一利なしなので飲まなきゃいいじゃないですか。いやストレスを解消する効果があってやね……愛煙家と同じいいわけになるのでやめる。まったくキミが言っているのは「なんでわざわざバイクにのるのよ車でいいじゃないの死にたいの?」と本気で私に向かって説教するおばあちゃんの論理だ。もうこう答えるしかないね。

 ま、すきだからですとも、けっきょく。

 好きな人と苦労して結果死んじゃってもいいもん、あたし。
 そういうのって、反論できないじゃない。
 というわけで反論させずに「おれの健康を気遣ってくれてありがとう」と彼女には言っておく。フッ素加工されたフライパンを最初に熱するとき、部屋にインコがいると間違いなく死にます。人間はサリンガスの検知に使われるオウム……もといカナリヤよりは鈍感なイキモノなので、そんなフライパンで毎日食事したって平気。

 暗闇の醸造は身のうちでおこなわれる。
 が、それは怯えることとは違うのだ。
 無関心とは心が空虚なことだが、すべてに対してそれではなにも書けなくなってしまう。
 怯えるのではなく考えて、書く。
 アスパルテームについて書いた私は、ダイエットコーラを飲むことを躊躇しない。
 それもひとつの成果だ。
 地球の温暖化が進行してもうどうにもならなくなった荒廃した近未来を私は自分の小説の舞台として好んで使うが、それを私は書きながら「暑いよ夏、ってまだ六月やんけ」と呟いてクーラーの温度を五度ほど下げる。同じ部屋に入ってきた妻が「凍える」といってパーカーをはおる温度。まったく荒廃した近未来はすぐそこだ。クールビズももう遅いって。早いところ火星に植民地を造らなければ。

 アスパルテーム、おかわり。

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