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『男の子が生まれたら最初にすること』の話。



 いやまあしかし、なんにもできませんよこれは。
 授乳は任せっきりなので、私の仕事は大人の食事と洗濯と朝の沐浴くらいのものなのですけれども。

 と、いうわけで。
 今年もたのしいE3の季節で、あれやこれやくっちゃベリたいところなのですが。

(みなさん誤解されていらっしゃるが、日本のXbox信者のほとんどは『Halo』がその器に降臨される以上、信奉せざるをえないので信奉しているのであって、こっちにはこんなスゲエのがきちゃったよざまあみろとか言われても、ぜんぜんざまあみないのです。しかし『シェンムー』がいまになってというのは、かつてのセガっ子として無視できないものがあります……なんか設定画とかキャラとか、昔の資料をそのまま出している感なので、そのあたりがいろいろ心配ではあるが……ニュースが多いというのは、いいことだ。もっとやれ)

 じっくりものを考える時間がない。
 インプットしたものをアウトプットできるように変換する脳の部分が、別の作業に割り振られて使われてしまっている感じ。

 なので、自分のことを語るしかない。
 語れることは、いま、それしかない。

 息子が生まれたから、ここを育児ブログにしたりとか、そういうつもりはさらっさらないのですが、書けることがそれしかないのだもの。

(そんなわけで、現在、この国では2%の男性しか取得していないらしい育児休業をがっつりとはいえなくてもまったりくらいの量では取ってやろうと根回し中。私、いま勤める店で資格者が三人しかいない薬店の管理者なので、私が休むということはすなわちドラッグコーナーを完全閉鎖せざるをえないという状況を生むのですが、そんな私が取ってこそ、この国も一歩進むのだと信じて。この目論見が成功したかどうかは、またいずれ書く)

 薄暗い部屋で撮っているので、ぼけぼけですが、息子が我が家に現れた夜は、三沢光晴七回忌の夜でした。

misawa7.jpg

 緑のマットに流れる『ノア・バージョン・スパルタンX』が、息子の初めて聴いたプロレス入場曲になった。なんだかそのことに潤んでしまう私。あのひとのようになりなさいとは言えないけれど、ああいうひとに支えられていまの人類はある。だれかをたのしませるために自身の人生を賭ける勇者たちによって、ヒトは狩って食って寝てまぐわってだけの動物から、芸に泣き、紙に書かれた文字の列に物語を理解して癒される、奇妙で愛らしい宇宙人になれたのだ。

 それはそれとして。

 うん。別に。恥じることはなにもないとも。成長した子供の生涯収入は育った家の蔵書の量に比例するという、まことしやかな説があるが、だとしたら本のために引っ越しをくり返したような我が家の蔵書量たるや、その本を積んで家が建てられるくらいだ。

 ただ、私の書斎が。
 いや、小難しい本だって多いのだけれども。

 半分、ボーイズラブ。

 違う。冊数で言うと違う。ただ、その手の雑誌が、妙にかさばるから。安い紙で、ページ数が多くて、コンクリートブロックみたいな質量のくせに、毎月何冊も発刊されるから。

 師と仰ぐディーン・クーンツは言った。

「良い書き手の前に、良い読者でなければならない」

 だって私、ボーイズラブを書くのだもの。手塚治虫は、マンガを描きたいならマンガを読むな、とおっしゃったらしいですが、それってもちろん他の書き手が観ていない映画を観ていればそれが武器になるし、哲学や宗教に一家言あったほうが作品に独自性も出るという意味ではあるのだとしても。だからって、マンガをまったく読まないでマンガが描けるわけはない。御大はわざわざ言わなかっただけで、それはもはや病気のように意識せずとも摂取する大前提。

 新聞だって、隅から隅まで読むわけではないけれど、毎朝買って読んでいる。だったら小説やマンガの雑誌だってそういうもの。ただ、私、書くから。哀しいことに作品そのものはそこになくとも、そこかしこに自分の名前や書いた作品名は載っている。売れないままに長いので、知りあいの作家さんもあまたいる。まあ、そういう方たちの作品は本にまとまったらまた買うので、雑誌を置いておく理由にはならないが。ほら、イラストとかって、雑誌だと大きくて魅力的。あれやこれやと捨てにくい。

 新聞のように読むBL雑誌を、新聞のように紙のゴミの日に出さず、本棚に置いておくと、すぐにそうなる。なにせコンクリートブロックみたいですから。毎月、何個かでもブロック積んでごらんなさい。家なんてすぐに建つ。

(E3の話をちらっとしてしまいますが。マイクロソフトの未来技術でプレイする『マインクラフト』がね、もうね、たまらん。エイリアン解剖ビデオをプレイしたいです)



Xbox

 建ってしまうと、なんというか、きっかけがないとですね。動きませんよ、そりゃ。重機が必要ですもの。でも家のなかでのことですし。重機ってつまり私の腕と腰ですもの。捨てたくないページとか、選りわけてちぎったりも必要です。面倒くさい。本のために引っ越すことの弊害。置こうと思えばまだ置けるので、捨てない結果、地震が来て崩れたら「あのひとはBL雑誌の下敷きになって逝ったのね本望だと思うわ」などとお葬式で未亡人に泣かれるような状況に。

 妻は、いいですよ、別に。
 そういう私と知ったうえでのことですから。
 変な言い回しだけれど、他人同士がこいつならと選んだのだから、なにがあったって自己責任な部分もあるというところで、他人ではない。

 でも、息子は、まごうことなく他人。
 子は親を選べないというようなありがたい教えもあるように、妻が夫を選んだり、弟子が師匠を選んだりするようなものではない。なんの関係性もないまったくの他人。

 生まれて出てみたら、父親とかいう位置にいるひとが、ボーイズラブに埋もれて死にそうなところで売れないボーイズラブを書いている。

 いや、恥じるところはないのですが。
 きっかけには、なった。

 整理整頓、はじめました。
 
 めくって選んでちぎって束ねて、ヒモでぎゅっと縛る。
 私、そういうの仕事でよくやっているので。
 魔法のようにきつく縛れます。

 三日がかりで、書斎の半分を、そうだなあ。五分の一くらいにはした。

 そうしてみてから、紙のゴミの日が遠いことに気づく。
 縛ってしまったので、本棚にはもどせない。
 我ながらプロの手による緊縛なので、ほどけない。
 
 床に並べてみました。
 ああ、ちょうど、それくらいの広さだなあ、と思った。

 まだ病院にいて、未使用の、義父母が買ってくれた。
 くまのプーさんのベビー布団。

 敷いてみた。

Dear+Bed.jpg

 ボーイズラブ雑誌マットレス上に敷かれた息子のための新品プーさんベビー布団。もっとシュールで面白い感じになるかなと期待していたのに、なんか、なんというか、自己嫌悪的なあれが沸きあがってきた。

 いろいろ考えすぎて、とっちらかった文章になっています。
 しかしはっきり言えることもある。
 書斎の半分を埋めて私を殺そうとしていたうずたかく積まれたボーイズラブ雑誌たちとの決別、という一部分だけを取ってみても、このことによって変わっていく私は確かにいるのです。

 考えてみれば、崇高なる三沢光晴の七回忌に、『ノア・バージョン・スパルタンX』を聴きながら、潤んでいるのは三沢のことや、自分のことではないわけで。彼の生まれて初めてがそれだったということが最重要事項になっている、そのことをまた違和感なく受け入れている、私の脳は……いや、良いことなのかもしれないけれども。

 私は、来月も、もし取れたならめでたい育休を使って、ボーイズラブ小説を書いているだろうか。書き続けられるのだろうか。

 自分のなにがどう変化しているのかがわからないので、なんだか怖い。

 ああ、ほら、すっかり子育てブログだ。
 こんなふうにしたくなかったのに。
 これしか書けないと思ってしまう。
 良いのか?
 だいたい、良い悪いも、なに基準だ。

 男の子が生まれたら最初に、BL本を捨てる。
 恥ではないけれど誇りでもないのか。
 でも五分の一だ。ぜんぶは捨てていない。
 そうしたら書けなくなるし。
 この儀式は、私にとって、なんなのだろう。
 どうしてその雑誌たちの上にベビー布団を敷いてみたくなったのだろう。
 心理学的に、ばちっと答えが出そうな行為のような気もするが、その答えは聞きたくない。

 自分でさがす。
 いまさらか。
 いまからなのか。

 私は……
 なにものだ。

misawaX

(ベビー布団の写真に写っている雑誌の銘柄が偏っていますが、これはこの出版社の雑誌ばかりを捨てたということではなく、写真に撮ろうという下心が縛った時点であったために、見える銘柄を周知のものとしたにすぎません。実際には、各社まんべんなく捨てました。私が少女マンガにハマったのは、幼いころ近所に住んでいたお姉さんが捨てるために玄関前に出していた別マの塔を譲り受けてのことだった。そうしてみれば私のこれも、こっそり紙のゴミの日に読める雑誌ならなんでも持って帰るつもりで拾いに来た少女か少年の道を踏みはずさせるかもしれないと想像すればそこにも輪廻が浮かびあがる。合掌)

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