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『五月という病の終わり』の話。


 さて。
 ただいま。
 おかえり。
 こんにちは。

 ゴールデンウィーク接客で笑顔を使い果たし、重なりに重なった〆切どもにカタぁつけてきたおかげで、すっかりなにもかもからっぽになったヨシノギ、帰還いたしました。ついでに市役所行って税金払って、バイク屋行って愛車を引き取ってもきたので、すっかり財布もからっぽです。スーパーマーケットでもカード払いな生活なので、一日に実物の万札を何枚も財布から抜き出すのはひさしぶり。ただの紙なのに、同じ金額なのに、なんか重い、現ナマ。

 そういえば、政府の検討会が、本腰を挿入して電子教科書の導入を議論しはじめたとか。そのニュースに対して、お決まりのように各紙の社説は「紙の本に触れる機会がまた減って活字離れが進む」という論調でしたけれども。

 現金と紙の本は、なくならないでしょう。

 私はいまでも充分、自分の書く原稿の推敲さえ各種電子端末でおこなっているような手合いですが、同じリュックに紙の小説は絶えず入っているし、毎週何冊も買う漫画雑誌も紙です。この感覚は、どこまで行っても、統合なんてされない気がする。技術革新で、ぺらっぺらの電子ペーパー的なもので新聞が配信できるようになったとしても、紙のほうが十倍高い、というような価格差にならないならば、私は紙の新聞を読む。

 それってつまり、絵本は紙だから。

 ピーター・ラビットの作者、ビアトリクス・ポターの生涯を描いた映画『ミス・ポター』のなかで、引っ越し先の本棚に、自身の描いたピーターたちの絵を置いて、彼女は言う。

Potter

「ここが新しいおうちよ」

 私、とある師の教えで、様々なポストカードやポスターを自宅の壁に貼りまくっているのですが。

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『魂の自由を!!』の話。

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 引っ越してもまた貼って、もうかれこれ何百年眺めているだろうかというような作品もあるのだが、そのなかには、いまだどんなタイミングでもピンとこないものがある。師は嘘つきだ。名作と呼ばれるもののなかにも、どんなに時間をかけても相容れないものはある。それともそれは、私の側になにかが欠落しているからなのか。気づくべきは、そこなのか。

 ミス・ポターのように、私も、自分で描いた(というかほとんど半立体なのだけれど)作品を、壁に飾っている。これは、正直、かなりの苦行だ。私は彼らに「今日こんなことがあってね」とか「あの上司死ねばいいのに」とか、そんなことは話さない。ミス・ポターは、映画のなかで、自分と同じように自分の描いたピーター・ラビットにこっそり話しかけていた男性とのちに結婚したらしいから、私はダメだ。ぶっちゃけヲタを自認しているものの、抱き枕とかいうようなアイテムもよくわからない。エロマンガを読むと、作者のおっさんを想像してしまうのである。

 最近気づいたが、それこそが私のボーイズラブ好きな理由であるようだ。同じエロならば、作者は女性のほうがいい。私は生粋のノンケだ。だから作者に女性の多いBL作品のほうが、作者におっさんの多い男性向けエロマンガよりも好ましい。そこでおっさんたる私自身がBLを書いてしまっているところにあきらかな破綻があるのだけれど、願わくば私のような女性BL読みが存在していて「BLは男が書いていないとイヤだわ醒めるもの」なんて言ってくれないものかと思ったり思わなかったり。つくづく執筆とはプレイである。

 いったいなにを書いているのか。
 だから、からっぽなのだ。
 書きはじめればなにか書けるかと思ったが、いやまったく本当にからっぽで、先月までどうやってブログを書いていたのかが思い出せない。思い出せないが、こんなことを繰り返しながらもこれまでいつでも書けていたのだから、書けばいいのだ。これこそ年齢を重ねた熟成肉の特権だ。仕事にせよ遊びにせよ恋にせよ。これまでなんとかなったのだから、この先もどうにかなるわ。だからどうにもならないと思いこんで、ふてくされて毛布をかぶって寝るようなことだけはやめよう。

 この話はまたの機会に長々とするつもりだけれど、さっき、バイク屋で、直近でなにか起こったら、次こそ腹くくって下さいねヨシノギさん、と言われた。いま乗っているバイクもついに十年目。前にも書いたが、あちらこちらのゴムパーツに限界が来て、乗り続けるなら新車が買えるというようなラインがどこかで来る。

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『フロントフォークオーバーホール叙情』の話。

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 歳を食うと、機械は死ぬ。人間も死ぬが、いまのところ人間のまるごと全とっかえはできないから、悩む必要はない。人間の場合は、死ぬときには死ぬ。しかし機械は直せるし、私の乗っているバイクはすでに生産中止になっているものの、ぴかぴかの中古車とか、いっそ新しいモデルに乗りかえることはできる。そうなってくると、死にかけている機械に金をかけて愛を注ぐというのは、この地上でこれ以上蒸留しようがないくらいにピカピカの愛だ。

 おっと話がそれた。
 絵本は紙だから。

 幼いころに紙で育ったから、ひとは紙の本を愛し続ける。電子教科書や電子ペーパーの普及で紙の本は死ぬだろうというのは、情愛を知らないひとたちの言い草である。

 ゲーム機XboxOne独占タイトルとして『PSYCHO-PASS サイコパス 選択なき幸福』が発売された。

PSYCHO-PASS 

 アドベンチャーゲームというやつだ。
 電子紙芝居である。

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「個人個人がクリアでも、集団として裁かれる可能性のある社会。そのリスクは理解しているわ」


TVアニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』

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 いままさに、外国の土地にある爆弾の撤去を自衛隊は手伝ってもOKか、という議論で国会は白熱していますが、まあ、多数決を取れば、その爆弾のせいで私たちの国に物資が運べなくて、それでガソリンとか電気とか、そういったものがべらぼうに高くなってしまうのならば「自衛のために」その道に置かれた爆弾を排除しにいくのはアリなんじゃない、という方向でまとまるでしょう。

 その議論をぼおっと聞いていて、やたら耳に入ってくる「自衛隊員に危険がおよばないのか」という話。なにをそんなに皆さん自衛隊ラブなのか。そりゃね、自衛隊員も自国民ですし、危険なのはダメでしょうとも。しかし、だったら自衛隊の装備はなんなんだ、と。戦車持っていて、戦艦持っていて、あれに乗っているあの子たち危険になっちゃうじゃない、って。なんの愛だ。

 やめたらいいのにと思う。

 戦車も、戦艦も。なんか違う気がする。リアルにどこかの大国が攻め入ってきて、うちのあの子たちは、戦えるの? 税収税収とか言って、さっき私が払った自動車税も妙に去年よりも高かったんだが。どうせ攻められたら滅ぶんでしょ。ねえ、だれが税金で何万丁もぜったい使わない機関銃買うことに賛成したの?

 だれかを殺したいなんて、ほとんど全員が思っていない国で、多数決で戦車や戦艦や機関銃が買われて、そのくせ自衛隊員の安全がどうとか言ってる。

 『PSYCHO-PASS サイコパス』をプレイするべきだ。
 TVゲームは一種の絵本として機能している。
  
 うーむ。
 調子が出ているとは言いがたいな。
 話の流れに整合性がない。
 こう、無理に書こうとするからいけないのであろう。

 ゲームといえば、私、電車通勤なのですが。
 老若男女、やたらパズルゲームですね、最近。
 私も幼き日にハマった『コラムス』なくしてゲーマーにはなっていないと思うのですが。



 スマホの類でパズルゲームはしない。なぜ電車でパズル。アドベンチャーゲームすればいいのに。サウンドノベルとかプレイしてみればいいのに。



 『428』は名作ですよ。『かまいたちの夜』をプレイしたことは? まさしく電子絵本。けれど、これで紙の本がなくなるわけはなく、あくまでゲーム。

 子供向けの、電子絵本というものは、増えていくでしょう。
 だからって、紙の絵本への愛情が消え失せるわけがない。
 インターネットの普及がなければ、文盲人口は、もしかしたら貧困家庭での教育格差が叫ばれる日本では増えていたかもしれない。でもむしろいまや、アホっぽい子こそが高速で日本語を綴る。

 映画『愛を読むひと』で、どうしてヒロインが紙の本に自身を殺させたのか、考えこんだのを思い出す。

Reader

 彼女は文盲だったが、彼との出逢いで本を読めるようになった。世界は変わった。変わったからこそ、最後にその世界を終えるのも、本で。

 そういうことかなあ、と解釈したが、なにか釈然としなくて、歌謡曲の歌詞によくあるけれど、あなたが私にあれを教えてくれたとか。最近だと坂本真綾さんの『色彩』が強烈に「あなたが私に色彩をくれた」みたいなことを歌いあげていらっしゃるが。

shikisai

 神が私をお作りたもうたのだとしても、私は神に殺されたくない。

 なんだろう。
 抵当轍美。
 低糖姪鼻。
 手痛う鉄媚。
 ん?
 あ、てっとうてつび、か。
 生まれてこのかた、ていとうてつび、と読んでいた。

 徹頭徹尾、徒然でした。
 からっぽすぎるので、なにかで埋めてくる。

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