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『花に降る千の翼』のこと。

 「俺はイルアラのものだから。この翼を自由にできるのもイルアラだけだ。だから……もう泣くなよ? わらっていてくれればそれでいい」

 月本ナシオ 『花に降る千の翼』

花翼1

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 そこかしこで命絶えたセミの亡骸を目にする季節になりました。

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 最終選考通過作品は、若干傾向がファンタジー、とりわけ魔法をアイテムにしたものに偏った傾向があったが、編集部ではこれに限らず、広くエンターテインメント性溢れる作品の投稿を期待している。

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 『幻遣い~三結神~』 ──マボロシツカイ? なに吉秒も魔法だの精霊だの召喚だとかいう方面に走っちゃったのかしらん、と長きにわたっておつきあいいただいているみなさまは思ってしまったかもしれませんが。違います。誤植です。W編集部のいやがらせです。上記のようなことを言いながら、ひそかに魔法のまの字……は、さすがに出てくるが召喚魔法も本物の神さまも出てこない吉秒作品に「もうわかったからキミは落ち着いたものを書きなさい」とか暗に伝えてきているのです。妄想です。

 『幻追い~三結神~』は実際には『マボロシ・スカウト~sworn god~』というルビがふられていて、さらに規定によってひらがなのルビもうたなければならないので『まぼろしすかうと~すうぉんごっど~』というひらがなで書くとなんでも萌え美少女もののタイトルに見えてしまうような不思議も体感しつつ(星マークと「っ」をつけると完璧……

『まぼろしすかうとっ☆
 すぅぉ~んごっどっ☆』

 ……フリルのネコミミキャラが陵辱されていそうだ。むろん私のはそんなストーリーじゃない。幼なじみ三人の男がひとりバケモノになりながら三角関係でいちゃつく話である。うん。大差ない萌えアブノーマルだな)。つまるところルビを二段でうつという非常に読みにくいことになっていて、好意的な解釈としてはそれを編集部が上と下をくっつけて読み間違えて──と解釈したいようなものですが。

 『幻追い~とかげ~』
 『幻追い/リーリー』
 『造形師ディクリード・フィニクスのヒーローな休日。』
 『幻追い~三結神~』

 そしていま書いているのが、

 『幻追い/少年鎖骨電光掲示板』

 ──同一小説賞に勝手にシリーズ化した作品で挑み続けるという今回の試み、現在のところ四作目まですべてW小説大賞第四次選考通過。という結果が先日出ました。ていうかすでに結果の出ている賞なのに発表では最終選考中作品というような記述があったりして、お盆進行の前倒しのせいでしょうか、なんか全体に荒っぽいです、編集部のお仕事。まあいいですが今回も賞金は誰の手にも一円もわたらず。

 半年に一度の公募で、大賞を十年出していない小説賞。

 という絶対に誇ることのできない無機能性小説賞に、今回もまた多くの参加者がいるってことが驚きです。さすが新創刊を立て続けに発表する(BLのほうでだけど)勢いのある出版社。十年で払った賞金が一般サラリーマンの月給くらいでしかないのに、人が集まる。だてに歴史積んでません。書いていて私もせつなくなってきます(笑)。

 『幻追い/少年鎖骨電光掲示板』……ああまだ(仮)ですが……『幻追い』シリーズも勝手にやっているとはいえ五作目でして、つまるところ書きはじめて三年目でして、これまでの四作は、まがりなりにもW小説大賞の審査員が三回も四回も審査してそこを通過しているわけですよ。ていうかさらっと語りますけれど『幻追い/少年鎖骨電光掲示板』で、W小説大賞への応募十九回目なんですね私……半年一回公募です。一回も休まず連続の十九回目……ほら。十周年記念の年に突入ですよ、いやまあG1の蝶野正洋なんか十五年連続出場ですけれどね、あっちは年一回開催じゃないですか(そもそも比べるな)。半年一回の大会に十年……さらさらっと語っていますけれど、確実にこの大会に出場し続けているせいで失ったものも多いです(得たものも多いですが。それを語るのは今回のテーマにそぐいません)。

 でね、ここ二年書いてるシリーズタイトル誤植とかされて気づかれないせつなさって。

 まあいいですけれどね。
 愚痴っぽくなるの毎回のことですが、ほんと大賞受賞者出しましょうよ。新堂奈槻先生以来、そのデビュー作を越える作品を書いた者が十年もいなかったと? 新堂先生の才能もデビュー作からの完成度も否定する気はないですが、十年、いろんなもの捨てて書いてきた私を含めた数万人が、束になって十年以上前の彼女のデビュー作越えられていませんか。だとしたらもうそれは新人を育成するという機能を果たしていない新人賞なのではないかとつくづく思うんですが。編集部批判ですか、これは? いやちがうでしょう。Wという雑誌が非常に貴重で独自なスタイルを確立し貫き通しているからこそ、ほかの小説賞で十年も大賞が出なければ批判され応募者も激減するだろうところが、きちんと維持できている。そのこと自体は褒められることだからだれもなにも言わないのであって、でも十年書いてきて、その間、自分が負けた相手の作品さえ数作しか読むことができなかった(だって勝者が受賞もデビューもしないんだもの)、私が「この賞はこれでいいのか」と発言するのは批判ではないでしょう。

花翼2

 今年は、特に。
 昨年まで、何度かW小説大賞の発表の場で肩を並べたことのあったあの人が、別の出版社の賞からデビューした。その本のあとがきで、彼女が名前を出して「書くということを、楽しみにできたのは貴方のおかげです」と書いているのは、これまたW小説大賞で私の隣にいたことのある方です。私もまた、絶えずその人たちのことを「殺ってやる」と思って闘ってきました。きっとそれは彼女たちのいう「書くということの楽しみ」とはまたちがうテンションでのものなのでしょうが、私の場合は次こそもっと全力で「やってやる」と思うとき、頭に浮かべているのは「闘ってやる」ではなく「殺ってやる」であり、その打ち倒すべき背があったからこそ、私もまた書くことに喜びをおぼえ、書き続けてこられたのです。

 十年続けていても、そんな背中は数えるほどです。
 メールのやりとりがなくなった人も多い……というか、十年前からのつきあいの人はもはや皆無といっていいでしょう。
 いまも書き続けているのか、心配に思う相手も何人かいます。
 デビュー後に私がこのサイトで昔話をしたせいで、ファンの方々から「以前サイトを持っていたんですか復活させてください」という容赦ない攻撃にさらされた方がいます……本当にもうしわけなく思っています。
 私のアドレス帳には音信不通の名前が溜まっていきます。
 書き続ける限り、それと同じだけの新しいお知り合いも増えていくのですが、そういうことを思うとき、やっぱり私はせつない気持ちで思わずにはいられません。

 Wという舞台は、あまりにも閉じている、と。

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 これに限らず、広くエンターテインメント性溢れる作品の投稿を期待している。

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 ──で、だったらそうではなかった受賞作が、デビューした新人が、いつどこにいたのかと。期待していたところで「期待しています」と言って、ある日、大賞を受賞する天才(十年出なければそれはもうそう呼んでいい)の出現をただ待っているだけでは、じり貧になっていくだけではないのか。
 私もこの一年、BLでもファンタジー色の強い作品でも、別の出版社の小説賞でW小説大賞での位置よりも上位に食い込んだ作品がある……かえって、そのことに戸惑うのです……十周年記念を迎えた、生粋のW小説大賞育ちの書き手なはずなんだよ、私は。それなのに、追いかけていた背中は新興勢力のもとからデビューし、私は独自性こそが評価される業界の異端誌Wだけを目指して書いていたはずなのに、普通にほかの出版社の価値観でも評価されてしまう。

 でも、十年大賞賞金が誰の手にもわたっていない小説賞を「獲るんだ」あいつを「殺ってやる」とテンションをあげなければ、書けない。

 正直言えば、この『徒然』も発表のあと、休日に丸一日PCの前にいながら『幻追い/少年鎖骨電光掲示板』の続きを書く気になれなくて、日が暮れた時刻に書いているのである。受賞できなかったことに落ち込んでいるんじゃない……むしろそのことにブルーになる……やっぱりだれも評価されないんだ、というそのことに覇気が萎える。。実際のところ、十年どころか二十年選手がいまだ現役で看板はっている雑誌なので、新人なんて数年に一度出たって載せるスペースがないという事情も見えるし、それでいまの部数を維持していくスタンスなら、むしろ新風なんて巻き起こされないほうがいいんだよな。惰性で賞自体の存続は続き(賞金を一円も出さないのが慣例なのだから存続はラクだ。まさか編集部も応募作を読むのに人件費がかかる、という理由でやめはしないだろう)、二十年に一人の天才が「降って」くるのを待ちながら、一円もかけず育てた新人を他社にとられても静観し、金をかけて育てた古株が他社に再評価されているのを受けて「うちの看板です」と表紙にすえる。

 ここで書いている私は、Wになにを期待すればいいのだろう。
 と考えずにいるほうが難しい。

 その賞で編集部期待作一席というものをもらったただ一人の書き手であり、二度目の編集部期待作をもらって作品は未掲載だった唯一の書き手であり、ここ数年も、今回も、その賞でトップ10ランキングの位置に定位置としている、私はずっと私の隣にいて、その人がいたからこそ覇気と書くことの喜びを持てていた人が、別の出版社から出したデビュー作のあとがきでそれもまたこの賞でお知りあいになれた方の名を呼ぶのを読んで、おめでとうございますと心の底から呟きながらも、どうしようもなくせつなくて書けなくなっている。

 で、今日一日考えて、方向転換することにした。

 とりあえず、今回は美青年を出すのをやめる。
 根本的に、私はキャラ萌えとアクションのみでストーリーを完結させたい嗜好の者であって、でもぶっちゃけたところ少年の鎖骨を愛でる趣味はあっても美青年にきゃぁっ、となるような萌えはもっていない。どうせ大賞がとれるのが何十年に一度のことであり、この賞からデビューするのが五年にひとりであるならば、一次選考ではねられても編集部期待作でも一緒だ。よく考えてみたら、私はもともとWの読者でもなく、同人誌作家を商業誌の世界に連れてくることで独自路線を築いたこの雑誌にふさわしくないことに、同人誌を作ったこともなければ、コミケに行ったこともない。だったらなぜWなのかといえば、それは単純に読者がちょっと個性的な趣味を持った少女(もと少女含む)たちだから。同じ仕事量で、同じように悩んで苦しんでだれかを殺ってやるという気迫まで自分を高めて書くのならば、ご褒美はむさ苦しい男達の絶賛よりも、彼女たちからのつつましやかな賞賛の言葉であったほうが嬉しい。こっちも、喜ばせるならそういう相手のほうがいいな、という実にまっとうな男心によってBLまで書くにいたったのだけれど、ことここに来て、考えるようになったのです。

 自分が萌えられない美青年を技術で描いたところで、二十年看板の真のヲタであり真の美青年萌え(もと)少女たちである、津守砦や麻城砦や新堂砦などを乗り越えて殺ってやることなんてできるのか……Wは週刊少年ジャンプではない。新人が場所を獲得するには、大御所の居座っている位置を奪い取るしかないのである。大御所は部数を維持するだけで、新作はほかの出版社から出るのであり、となればページ数アップも増刊も期待できない。『こち亀』を終わらせないと私の作品が載る場所がないのだ……編集部の基準が、それができれば大賞受賞、であるならば、私はおそらく美青年で少女たちの機嫌をうかがっていてはダメだ。

 というわけで、今回は絶世の美女たちとスク水少女に少年の鎖骨。渋いおっさんも用意したけれど、チョウ・ユンファが絶賛されないハリウッドの作品に黄色い声をあげる彼女たちでは理解できないかもしれない。おっさんは、かっこわるいところがかっこいいのである。スク水は平泳ぎで背中のゼッケンなのである。少年の鎖骨とは自閉症であって、絶世の美女ってのはさ、つまるところ知性の化身であるべきだと思うわけ。たぶん、こういう方向でなら、私はあの砦たちに語り負けない。それが編集部の気に入るのか、つまりは世の少女たちの気に入るような作品になるのかどうかはわからない。無責任にそこはわからないと言う。

 でも、私が十年Wに向けて書いてきて、感じるのは、それだ。
 愛してるものに愛してると囁くこと。
 愛でる、という美学。
 元祖やをい文化から生まれたこの雑誌は、二十一世紀にこそ、それを貫くべきなのだ。
 なんか編集部がプロットがうんぬんとか言っているが、知るか。
 今回の私の作品が、アクション映画チックになし崩しの終わり方をしていることも指されているのだろうが、計算です。私は、ああいうテレビドラマのアクションものみたいな、最後にみんな集まってちょっとからかいあって終わるとかいうのが好きなんでそうしたのです意図的に。ページ数が足りなくなってではなくて(本当だってば)。アクションシーンが描き終わればそれでその作品は終わりなのですそれが全部。結局、私が好きでやった演出も『スタートレック』や『狼たちの絆(テレビシリーズ)』のような手法が、そもそも編集部の意向であり読者の少女たちの意向に添わないということ。それだけ。
 そこは修整しないことにした。
 私は私の好きなものを愛でる。

 月本ナシオ、デビュー作を読んで強くそう思った。
 こんな作品を、この人は何年にもわたって私の隣で書いていたのか。
 だったら、私は魔法も精霊もさわらないことが正解だったのだ。
 本気で愛でている、このクオリティを量産できる彼女と、同じ舞台に立ってはいけない。

 それに気づいて、私の作品はきっと変わる。
 哀しいのは、隣のライバルの作品を読ませてくれたのが別の賞だったということ。
 W小説大賞が、私に気づかせて欲しかった。

 同じはなしの繰り返しになるから、もうやめよう。
 最後に。また名前を出して怒られるの承知で(ご迷惑なら言ってください。削除します)、でも言わせてください。

花翼3

 月本ナシオさま。
 今回、あなたの名前がこの発表の場になかったことに虚脱しています。
 おめでとうございます、と同時に、寂しいのも事実。
 正直、デビュー作は、前半の進行のゆるやかさに私の好みとしてはもどかしさを感じたのですが、ラストに向かうにつれ、苦境になるにもかかわらず活き活きした表情に「育って」ゆく少女に魅入ってしまいました。はっきりと、ひとつの作品のなかでキャラが育ってゆくのが見えた。心に余裕を持ってシーハンとやりあう場面では、電車のなかで読みながら笑んでしまいました。なによりも、月本ナシオ作品に触れているという実感が、私にとっては本当に本当に、なんだか泣き笑いで何度でも頷いていたい感慨深きものがあったのです。
 次作は、もすこし冷静に読めるといいのですが(笑)。
 冒頭引用のセリフとか、ああこういうの小手先で書いたりしちゃダメだなあ、とつくづく自分の執筆姿勢を反省いたしました。
 直球こそ、魂がこもる。
 そういう技術をあなたはWの舞台で研いでいたのだと。
 そうでなくちゃな、と、気合いを入れた。
 御活躍を期待しています。

 ということで。
 続きを書きましょうとも、私も。
 もしかすると、この心持ちの変化で、私の評価は下がるかもしれません。今回もまた応援してくださった方々には「力及びませんでした」と頭を下げるしかないのですが、それでも私はもっと攻撃的に書いていたいと思います。危ぶむなかれ、足を止めることこそ、いまの私にとっての唯一の恐れ。

 あえて書きます。
 期待し続けていてください。
 (十年も言い続けると、逆に説得力がなくなってゆくよなあ……ところでこれでW小説大賞でそこそこに評価されるくらいのお墨付き『幻追い』シリーズ総ページ数600枚の大作が私の手元にはあるということになるのですが……だれかこのシリーズごと、吉秒匠買いません? いつでも臨戦態勢で待ってます(笑))



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