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『鬼とプ女子』の話。



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まわりを海に囲まれた名もない島。
そこでの鬼とは、異形のものたち。
山奥で、鉄を打つ片目の鍛冶職人。
漂着した、コーカサス系の人々。
単純なる遺伝的奇形。
だとすると、鬼とは呼ぶものの、
だれもが、わかっていたのだ。
あれ……おれらに似ているよね。
まったく理解不能な異形ではない。
なにか足りない、なにかちがう。
けれど、たぶん、ヒト。
わかりながら、季節のまつり。
薄々気づきながら、けれど。
深く考えたくはないから。
鬼はそとっ!!
こっちくんなっ!!
……なんて。
豆も投げつける。
ひどい。
豆か銃か火あぶりかの違いはあれど、
おれたちの国を取りもどせ、とか。
やつらがルールを変えちまった、とか。
そう言っては、
だれかを吊し上げる思想と変わらない。
文明国家ですよ。
二十一世紀ですよ。
鬼に豆投げるのなんてやめません?
鬼がヒトであるのなら、
鬼といっしょに来る、
しあわせだってあるだろうに。
そんな節分。
近所の食堂の煮物。
ニンジンが鬼だった。
まあ愛らしい。
と感じるのは、
私だけではないということだ。
節分だからニンジンが鬼。
怒る客はいないからこそのサービス。
食べながら思う。
ニンジンが、特定の人種だったら。
ニンジンが、特定の職種だったら。
ニンジンが、特定の趣味だったら。
キレるひとは、たぶんいる。
食えるかこんなもん!!
たとえばユルキャラだって、
敵対する陣営はあるわけで。
そういうことを考えると……
節分の鬼は、いまやだれにも憎まれない。
ニンジンが鬼でも、だれも傷つかない。
傷つく鬼本人が、どこにもいない。
町の食堂を訪れる、すべからく全員が、
自分自身のことを。
「鬼と呼ばれるべき異端ではない」
そう、確信している。
豆まきは効果があったのだ。
異形の鬼は、どこかへ去ったのだ。
ここにはもうニンジンの鬼しかいない。
だれも吊し上げられないのは、善きこと。
なのですけれども。
鬼のカケラをを舌の上で転がしつつ、
物足りなさを感じもする。
あの窓の外に、鬼、現れないものか。
そうしたら私はきっと、怯えず、笑う。
まだこの星に鬼はいた!!
そうわめいて、新しいまつりをはじめる。

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 そうして時は流れ。
 大戦後のこの国ではアメリカ相撲と呼ばれるプロレスが「力道山がアメリカ人をカラテチョップでやっつける」一大ムーブメントを作りあげることにより、映像の世紀へと突入。異端を鬼として無害化した祭りの世紀を忘れ去り、ふたたびみずからで妖怪鬼を異端なる隣人の姿へと戻すことになった。

 戦争が終わり、映像の世紀がやってきたというのに、目に見えぬ鬼に向かって豆を投げたりしてもイマイチ盛りあがりに欠ける。やっぱり敵は憎いあいつらがいいし、目に見える技でやっつけてもらいたい。

 そうして和の国のエンタメはプロレス劇化の手法を体得して花盛りになっていくわけだが、調子のよいことに、二十一世紀のいまでも二月になればニンジンの飾り切りで鬼を彫り、総菜売場では一本千円の太巻きが売れる。だれも鬼なんて信じていないのに。豆をまいてなにがどうなるなんて思ってもいないのに。

 太巻きに至っては、もとはこういう遊びだったという説が有力である。

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・恵方巻きが色街で遊女にフェラ顔させたセクハラが起源だというウンチクを毎年見かけるが、現代でも自分の恋人がチョコバナナ咥えていても欲情することなんてないわけで。セクハラというより遊女が本番なしでCD売るために考案した、カメラ目線でのアイドル罰ゲーム的な遊戯だったのではと推察する。

twitter / Yoshinogi

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 そうだとするとスーパーで買ってきた太巻きを、

「こんな太いのそのままなんてムリーっ」
「なに言ってるの幸せになるのよ、ほら咥えなさい。喉の奥まで入れるのしゃべっちゃダメよ」

 なんてやっている母×娘はまだしも母×息子や父×息子のカップリングは、まだ見ぬ未来の旦那さまの下半身のためのサービス特訓だとしか思えず、一本千円の練習用黒くて太いのを幸せになるために買う人々の仲間入りをするのはどうも気が引けて、毎年、私は自分で巻く。

 Futomaki.jpg

 短めである。
 具も、煮たかんぴょうとしいたけに卵焼きくらい。プロレス観ながら食べるので、恵方とか気にしない。テレビのほうを向いてビール飲みながら食べる。そんなくらいだから、それを食べて幸せになるとか健康になるとか、そんなことは微塵も信じていない。信じていないけれど、いちおう毎年、巻き寿司は作ってしまうのが呪いの怖さ。
 食べて幸せになるとは信じていないが、別に食べて困ることもないし、寿司は好きだし、節分に恵方巻きというのは関西の文化でもあるし。
 食べておけばいいじゃない。

 食べておけばいいのである。
 もとが、お気に入りのあのコにフェラチオ顔させてうぇへへへへ、という男たちのためのセクハラエンターテインメントだったとしても、わざわざそれを思い出す必要はない。巻き寿司にかぶりつくというイベントが、エンタメ的にアリだったから、いまも生き残っているのである。どうして水をさすようなことを言うのか。言わずにいられないのか。そのウンチクおもしろいと思ってんの。事実だとしてもさあ、みんないまではむかしからの古き良き風習だと思ってやってるわけじゃない。恵方を向くんだよ、丸かぶりするんだよ、しゃべっちゃダメだよ、それで幸せになるんだよ。その雰囲気を、なんであなたは台無しにしようとするわけ、だったらあなただけ食べなければいいじゃない。なによフェラとか。あなたがセクハラよ。ヒトとしてクズなのよ。あなたに豆ぶつけてやりたいわ。

 そういうことを思いながら、とあるプロレス団体の興行を見た。
 近年、感銘を受けることの多い団体である。

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『ラリアートとキス』の話。

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 そのDDTプロレスリングの、男性しか入場できない、女性しか入場できない、そういう二興行の映像。どっちもおもしろかった。男性向けは、まさしくセクハラエンターテインメントで、女性向けは、裸エプロンからはじまってイケメン主軸にいつもと違うカップリングで意外な友情を演出してみたり。そのどっちもがふつうにたのしいのは私の嗜好がどっちつかずなせいなのかと最初は疑ったものの、よく考えてみれば、それはおかしいのだと気付く。
 
 最近、「プ女子」という言葉がニュースでも使われる。

pujyoshi

 神戸育ちの私は、ドラゴンゲートというビジュアル系プロレス団体がすぐ身近にあったし、もともと全日本プロレスのファンなので、地方の全日興行というものは家族連れで賑わうものだったから、おばあちゃんもいれば性別もまだわからないような赤ん坊が泣いていたりするのがふつうという感覚。

 けれど、東京育ちのアナウンサーたちの会話は、むかしはプロレス好きなんて言ったらヒかれたものなのにいまではプ女子な彼女と同じ趣味なんていうカップルもいるわけですよね良い時代になった……というような。

 そういえば、人気アイドルの、ももいろクローバーZも、男祭り女祭りというイベントをやっていた。

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 思い出せば、私の妻が初めて彼女たちを観たのは、全日本プロレスのリング上。このブログをさかのぼっていただければわかるが、私自身はアイドル好きなので彼女たちのこともメジャーデビュー前から触れているけれど、さすがにインディーアイドルを妻に勧めたりすることはなく、あの年、プロレス好きな夫を持つひとりの女がグレート・ムタの弟子であるグレートクローバーZを目撃しメジャーデビューアルバムを聴いてみなとわたされて、いまではすっかりどちらがモノノフかといえば妻のほう。余談だが同じく私立恵比寿中学を妻が初めて観たのは翌年の『第一回ゆび祭り』の映像を私が観ていたからで、さすがにホウキでエアギターしながら『放課後ゲタ箱ロッケンロールMX』を激唱する彼女たちのことはドン引きしていたのだが、エビ中もいまとなっては私よりも妻のお気に入りである。

momoZ

 男性向け少女アイドルが男性に向けて男性ウケする衣装と仕草で路上パフォーマンスからのし上がっていくうち、知らず女性のファンもついてきて、ついには武道館が女子だけで埋まる祭りを開催するに至る。きっと、ももクロからグレート・ムタや男祭りにも出演していた新日本プロレスの選手たちの知識を得て、いまはプ女子ですという方々もいるはずだ。

 プ女子。
 プロレスが好きな女子、という意味だが、でもこれって、そこに女子とつける時点で、プロレスというものが男性性をもっているという前提。

 ももクロ好きな女性ファンに「あなたはモノノフ女子ですね」などと言ったら張っ倒される。女性官僚、とか、女性社長という表現が問題視されることも最近多い。ヒラリーさんが自分で「女性大統領を見たくない?」と発言しても叩かれないのは、実際にアメリカ大統領になった女性がいないからであって、もしもひとりでもいたら、その時点で「女性大統領」などという表現が大失点となり大統領選に出馬もできなくなる。

 いや、なにが言いたいのかといえば。

 DDTプロレスリングという団体は、ももクロ同様、通常興行で男女の客比率がさほど差がないのである。なのにあえて、男子禁制、女子禁制の興行をやる。でも、もともとどっちにもウケていたのだから、それは男性向けバージョンを女性ファンが観ても、その逆でも、ヒくはずがないのだった。

 つまり私は、どちらもたのしんだ私のどっちつかずさに、悩む必要はない。

 ももクロの場合、男祭り女祭りは興行こそ別だがディスクは抱き合わせで売られるようになり、ついには興行そのものがなくなっていまに至る。

 考えてみれば当たり前のことで、元来が男性向けの少女アイドルグループだったのに女性ファンが増えまくった、そこに縛りを加えるなんて愚行だ。もしも、女性ファンは増えたが男性ファンが増えないなどというのならば試行錯誤の必要もあるのかもしれないが、男性にもウケているのだから言うことなし。王道をゆけ。ということを、男女別小屋の大きなライブを二年やってみて、再確認したのではなかろうか。

 転じて、DDTの男子禁制女子向け興行の映像を観ながら、考えた。いま、その会場にいて、女性のためだけに作られたプロレスを観ている彼女たちは、プ女子なのか。アナウンサーはそう言ったが、いやだって、そこで演じられているプロレスは完全に男性性を排除されている。ニュースで話題になるプ女子は新日本プロレスの東京ドーム大会でアイドルファンのようにきらびやかなウチワをハチマキ締めてぶんぶん振っているような女性たちのことだが、現実の彼女たちの大半は、礼儀正しく椅子に座って観戦している、ただのプロレス好きである。

 プ女子、と呼ばれた彼女たちは、アナウンサーを張っ倒すべきだ。

 ……つまり、なんの話か。
 
 毎年、節分になると、あれはフェラ顔をさせるためのセクハラゲームが起源だとか、もう黙っておけと。カッコイイ男性プロレスラーの裸エプロンは、私にもツボだし、男性向けに演出された下着姿のセクシー美女たちに若手レスラーくんたちが翻弄されるさまも、ケラケラ笑いたかった女性だっているはずだと。

 週刊少年ジャンプが、増えた女性読者のための週刊少女ジャンプを発刊しないのは偉大なおこないであり、それこそが結果的によろこばすべきひとたちを適度によろこばす道なのだと、みなが知るべきだと。

 タイ、バンコクのカンパング高校には、男子トイレと女子トイレと、ユニセックス用トイレがあるそうだ。さすがニューハーフ大国。作った理由も、そういうどっちでもない子たちを周囲の男子や女子が嫌がったからではなく、どっちつかずな彼らにそのままでいいんだよと自己肯定させるためだという。エエ話やと。

 反省した。
 鬼が異形の隣人だとか、それがこんなふうにニンジンで彫られてとか。プ女子と本人たちが名乗っているのにそれがどうしたとか。ぶつくさ言いながら食事している自分自身を。うるさいよおまえは。深く考えるんじゃないよ。節分だからシェフが可愛く鬼、彫ってくれたんでしょ。だれに向けてなんのつもりでとか、忘れて。わーそっかもうすぐ節分かー冬も終わるね春だねっ。そう言って窓の外を見て、ウグイスの声を聴いて、えへらと笑って上手いメシをがっつけばよいものを。

 今日はあたたかい。
 春が来たのだ。
 私はここにいて、あいかわらず私だ。
 それだけだ。
 いますぐ眉間のシワの理由を忘れ去って、ただの私として笑えれば、それこそが偉大なおこないなのに、当たり前に今年も来た春を、ただくり返す毎日を慈しむ視線だけでなぜ愛でられぬのか、と。春だ。春なのに。春だから。猥雑なこの頭へ、なにか突き刺したい。尖ったものを。鬼のツノのような、牙のような。

 春になるとおかしくなるという気持ちが、ときどきわかる。








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