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『街路樹不要、伐っちまえ』のこと。



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とびきりの暖冬だという。
エルニーニョらしい。
それがなんだかはともかく、
エルなんとかが発生すると、
おかしなことになるのは知っている。
つまり、この冬は、
おかしなくらいの暖冬になる長期予報。
事実、紅葉の季節も終わろうというのに、
私はいま、エアコンもつけず、
半袖のTシャツ姿である。
ちなみに、この写真を撮ったのは、
前日バイクで出かけたら雨に降られ、
翌日、放置したバイクを迎えにいく途中。
ジャケットを羽織っていたのだが、
あまりの陽気に汗だくになり脱いだ。
赤や黄色の葉々を見て、
秋だねえとシャッターを押し、
秋も終わるねえとこの文を書いている、
どちらのシーンでも半袖だったわけだ。
近年の暖冬はバイカーにとってはうれしい。
住んでいるのも本州の真ん中あたりなので、
ホワイトクリスマスなんて子供の頃にあったきり。
年々、革ジャンやコートを着る期間が短縮。
今年はまだ、衣替えをしていない。
石油ファンヒーターもクローゼットのなか。
NHKの大河ドラマが終わる時期。
時代劇を観ると、思う。
雪降っているのに、縁側で酒を酌み交わす。
板の間に、障子、暖房器具は火鉢。
いまほどではないにせよ、
日本の冬は、むかしから、その程度。
だからなんだろうな。
紅葉は、葉が落ちる樹があればどこでも見られる。
世界で見れば、山岳地帯のカナダの紅葉は、
荘厳なものとしてツアーが組まれたりもしている。
でもカナダの冬って、マイナス数十度。
縁側で酒飲みながら雪月見? 酒が瞬時に凍るよ。
地元のひとにとって紅葉は、せつないを越えて、
冬が怖くて嫌すぎて泣きたくなる光景に違いない。
考えてみれば、
わざわざ庭に葉が落ちる樹を植えるなんて、
相当に酔狂な国である。
道路脇にも、匂う実を落とすイチョウが並ぶ。
……バイク乗りとしては、雨のあと、
湿った枯葉が道路に積み重なっていたりするの、
すごく怖いんですけれど。
スリップ事故の原因になるんですよ、あれ。
そこで役所は税金を使って落ち葉の掃除をする。
ときまさに総選挙。だけれども。
落葉樹を植えるのは税金の無駄!!
と怒っているひとを、見たことがない。
このおおらかさが、日本の秋の景観を、
世界でも稀有なものにしているのだ。

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 と、書いてみてから調べてみたのですが。
 これが意外と、昨今は、おおらかでもないようで。
 近しいところでニュースになったのは、奈良。

 ムクドリが大繁殖して、街路樹にとまり鳴き声とフン害がひどいので、街路樹をばっさり伐った。すると、見た目がひどくなったとクレームがつき、地上から数メートルのところでばっさり伐られた街路樹の写真が全国紙で取り上げられ、奈良市困惑。とか。

 ムクドリは、うちの二階の雨戸の収納スペースに巣を作ったことがある。だから知っている。一匹でも、まあうるさい。引っ越したばかりで、ムクドリの害があるなんて知らないものだから、なにも対策を取らなかったら、毎年、巣を作られてしまうところだった。いまでは、そのスペースにムクドリが入り込まないようにフタをしてある。でも、春先になれば電信柱にムクドリがとまって鳴いているので、うちから離れただけであって、町中の隙間という隙間にムクドリの巣はあるのだろう。

 という実地の例を出すまでもなく、いまでも奈良にムクドリは繁殖している。だって街路樹は伐れても、電信柱は伐り倒せないし。というか、奈良公園でも有名なことに、奈良の町から樹木がなくなるなんてことはありえないわけだから。

 お役所的には、道路脇の住人からクレームが来た。だから街路樹を伐った、という単純な流れであって、ムクドリ全滅作戦ではなかった。しかしそれを端から見ていると、当然の疑問が湧く。

「そもそも街路樹、いらんことない?」

 同じ奈良では、駅前の街路樹が、葉が色づく前に枝を落とされる。濡れた落ち葉で滑ってひとりブレンバスターを極めて後頭部陥没で外国人観光客がお亡くなりになったとしたら、外交問題に発展する可能性だって大きいのだから、当然の処置だといえばそうかもしれないけれど。冷静に考えてみれば、やはり同じ疑問が湧いてくる。

「だから、そもそもそこにも街路樹、いらんのとちゃうんけ?」

 いやだって奈良だし、駅前から、町並みから、秋になれば色づいてこそ観光客も……という思惑で植えたのだとしたら、色づく前に枝を切り、鳥が鳴くから幹を伐り、などとしていては本末転倒もはなはだしい。はなはだしいが、しているのは、そういうことに見える。

 だいたい、「いやだって奈良だし」論で言えば、あの土地はどこの駅で降りたところで、見わたすかぎり、まわりは山。でっかい公園もそこらじゅうにある。紅葉など飽きるほどあるのだ。それなのに、アスファルトの脇に、わざわざ土を置いて、樹を植える。

 古都奈良でさえ、釈然としない。

 これが、もっと近代的な都市であればどうか。私は大阪在住だ。大阪といえば梅田地下街。私立恵比寿中学の楽曲『あたしきっと無限ルーパー』でも歌われているように、電車を降りたら慣れている者でもGPSなしで迷わずに目的地に着くのは困難な巨大地下迷宮が広がり、迷ったから地上に上がってみれば、世界的にも有名な東京新宿高層ビル群に数でまさる高層ビルの群れ。太古の自然からかけはなれた町そのものが天地を貫く建造物のような都市なのだが。

 やはり、街路樹は植えられている。

 なんなのか。
 樹を植えないと酸素がなくなるのか?

 だったら、大気汚染から隔離した居住空間に清廉な環境を作りあげて、映画『アイランド』のようにすればいい。事実、暑い夏も、寒い冬も、大阪梅田で太陽の下を歩いているひとなどいない。地下街を通ってどこへでも行けるし、学校も会社も高層ビルの36階だ。

ISLAND

 エアコンから酸素を供給すれば、街路樹を植えるよりも、ずっと効率的である。

 そうではなく、もしも景観の問題で街路樹を植えているのだとしたら、奈良の場合よりも、ずっとアホらしい。紅葉を見に大阪梅田を訪れるひとは皆無。常緑樹でさえ、地上を歩いているひとがいないのだから、だれの癒しになろうわけもない。

 ムクドリと落ち葉が増えるだけ。

 現実に、いま、大阪梅田を訪れる外国人観光客は、空中庭園に夢中である。空中庭園のある梅田スカイビルがタイムズ紙に「世界を代表するトップ20の建物」として掲載された数年前から、うなぎ登りに来場者数を更新している。彼らが見たがっているのは、庭園とはいっても、映画に出てくる近未来都市のようなそれだ。

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大阪・梅田・空中庭園展望台 公式サイト

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 だれもその町に自然など求めていない。
 けれど集めた税金で、街路樹が植えられる。
 改革改革言っている大阪市長も、御堂筋が閑散とするのを「不夜城でもなく高度化した都市の感じもしない」から「マンハッタン摩天楼のように」ビルの高さ制限をなくして超未来的にすればいいんじゃね、と言ういっぽう、その未来予想図を見ると、超未来御堂筋にもモミの木のような街路樹が道路脇にはずらっと植え並べられている。

 なんで? 摩天楼に緑化いる?
 道路脇には、ガンダム並べればいいじゃない。
 マクロスでもボトムズでも、初音ミクでもいいし。
 モミの木よりもずっとクールで観光客もよろこぶ。

 道路脇に等間隔に並んだなにかがなければ事故が増えるとか、排気ガスを木の葉が吸着するだとか、そういう理屈も、衝突回避が自動機能化され、電気で動くようになった近ごろの車だとピンと来ない。高層化で日照権のほうこそが問題となる都会では、真夏の木陰がどうとかいうのもピンと来ない。

 街路樹。
 なんとなくあれば雰囲気あるし、というだけでそこらじゅうに必要不可欠であるかのごとく植えるのを、だれも問題にしないのはなぜなのか。そんなことよりも増える貧困家庭の子供にパンのひとつも配ってやったほうが、ずっと町は活気に満ちて笑顔も多くなるのでは?

 ……うーむ。
 実は、街路樹に対して否定的なことを書き連ねながら、でもやっぱり町に緑はいるよね、という方向でまとめるつもりだったのだが。データを眺めているうちに、こんなことになってしまった。

 東京23区の国道の街路樹管理費は、年で三億円ほどだという。東京の子供の数が十五万人を越えるくらいで、いま日本の子供の六人に一人は貧困生活に置かれているという統計があるから、ざっとした計算で東京の飢える子供は二万五千人くらい。そのうち二歳までの乳幼児が五分の一ほどだから五千人くらい。みんなで三億円をわけると、年で六万円ほど飢えるおさな子にミルクを買ってあげられる。月でいうと五千円。母乳が出ないひとでも、ほぼまかなえる額。

MILK

 大都市圏の街路樹をなくせば、町の飢える乳幼児はいなくなる。
 それでも植えるのか。

 街路樹の剪定して、道路工事して、それでお子さん育てている方だっているのだから、現実には、そう簡単な計算ではすまないにしても。それだけの金かけて植えた木の葉でバイクを滑らせそうになれば、もう伐っちまえよ、それが簡単だろ、と毒づきたくもなる。四月から二輪車の自動車税は1.5倍に上昇。税金足りないってんだから仕方ないけれども。机上の計算でさえ、もっと大事なことに使えるんじゃないのかな、と思わせる、この国のいまが、私から紅葉を愛でる余裕さえ奪う。

 余裕。そうすべては、余裕の話。

 冒頭で書いた、カナダは紅葉が美しいが厳冬過ぎて環境客を寄せつけないというようなケースは、地球上の多くの地域において当てはまる。世界中に四季はあるけれど、明確に「秋」と呼べる季節が存在せず、寒波の襲来とともに真冬がやってくる国が多いのだ。半月で数十度の気温差で四季が入れ替わる。「だんだん寒くなってきたねえ」という余裕がないために、当然のこと、愛でるもなにもない。毎年、徐々に枯れていく長い季節が約束されている日本だからこそ、その「秋」を可視化するアイテムとして紅葉を人工的に身のまわりに置くようになったのだとも言える。

 逆説的に、秋の色合いを愛でることができる精神状態でいられるということは、時間のゆっくり流れるさまを愛でられる状態であるということなのかもしれない。確かに、赤やピンクの口紅を塗っただれかよりも、わびさびを感じる色合いをみずから身に着けたひとのほうが、遅れた相手を許してくれそうな感じはする。

 秋の色を町から消すと、人々が時間に対する余裕をなくす?
 モミジで滑って私がキレるのはモミジが足りないせい?
 風情、とか、そういうものに使われる税金について考えると、それはつまり町に何色の口紅を塗るかというような話で。落ちつくからクラシックかけておけと言うひともいれば、今日を生きるためにガンガンのロックが必要なひとだっていて、その傍らでミルクが欲しいと泣く赤ん坊がいる。

 極端なことを言えば、少子高齢化によって成り立たなくなった町を再生するために最短の方策は、病院に金を使わせないことだ。出生率を上げないでも、平均寿命が下がれば、パッケージ全体が小さくなるので計算が合うようになる……もっとも必要なところに税金を投入するという発想はそういうことであって、街路樹を植えなければ飢える子が減らせるというのも似たようなもの。

 町は人工物。その時点で、破綻している。
 永遠に壊れない人工物などない。
 永遠を語れるのは流転する自然だけ。
 廻る四季の色。
 そんなものいらん、もっとほかに金使うところがあるだろうと、こんなふうに机上でくっちゃべっているだけならともかく、そういうことが本気で議論されるようになったら、そろそろ破綻のときは近いのだと覚悟したほうがいい。

 ムクドリがうるさい。
 街路樹不要、伐っちまえ。
 泣く子もうるさい、老人もうるさい、ていうか、みんなうるさい。
 みんなみんな伐っちまえ。

 すっきりする。

momiji

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