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『15歳の誕生日』の話。



 クリスマスが明けた。

 マイクロソフトXboxLiveにサインインできない。
 ソニープレイステーションのPSNも同様だ。

 ソニーの撮った架空の独裁者暗殺を題材にした映画『ザ・インタビュー』が架空ではない何者かの攻撃に屈して公開中止を発表したら実在の大統領が遺憾の意を表明し一転して一部の劇場とマイクロソフトXboxVideoにおいて公開に踏み切ったことに対する報復だと見られている。

 なぜクリスマスツリーを半額でたたき売り、鏡餅を山積みし、あとは売り切るだけの状態にして正月前の最後の休日にXboxOneで『Halo: The Master Chief Collection』をプレイしようとした私がプレイできないでいるのか、私にもよくわからない。

HALO TMCC

 報復?
 なんで私が。

 だいたい、ソニーの撮った問題作が、なぜXboxで配信なのか。
 合点がいかぬと、ニュースをあさる。

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グーグルとマイクロソフト、ソニーとの「対ハッカー共闘」宣言 - Yahoo!ニュース

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 共闘、ということらしい。
 マイクロソフト側から、共に戦おう、うちで配信するぜと呼びかけ、グーグル社もこれに呼応したという。

 美談のようだが、要は戦争の始まりだ。

 そして始まった瞬間に、被害をこうむっているのは一般市民たる私である。戦争ゲームでブラジル人をやっつけまくる素敵な休日になるはずだったのに。

 二十一世紀も14歳を越えて15歳になる。

 今年、テレビで放送された新世紀エヴァンゲリオンは、14歳が14歳でオナニーするシーンや「殺してやる」が壮絶にカットされていて話題になったが、15歳ともなればモノの分別がつくようになるというものだ。来年はおそらく、テレビも放送できないものは放送しない二十一世紀のたしなみを身につけることであろう。

EVANGELION

 その一方で、サイバー戦争が現実のものになっている。
 実弾が飛び交わないので、新聞の扱いは大々的ではないけれど、ネットのイジメでリアルに死ぬのが当たり前の二十一世紀15歳になりかけとしては、ことの重大さに震えがとまらない。

「あいつがやった」

 ネット上で、そう断言されて、やったとされる側も否定せず、サイバー攻撃をやり返す。それは事実上、実弾を相手の眉間に撃ち込む理由が充分すぎるほどに生まれてしまったということだ。

 私が『Halo』をプレイできないからといって、世界はどうこうならないが、冷静に考えてみれば、すでに世界がどうこうなっているから、私がとばっちりを受けているのである。と書いてみて、これを、とばっちりと表現してもよいものか悩む。国と国の戦争で落ちてきたミサイルに家を焼かれたひとたちも、とばっちり、などという言葉を使うのだろうか。巻き込まれた? でも、歴史を見てもあきらかなように、それこそが戦争の主たる部分で、戦争の本質とは、政治に無関係な一般市民がいかに筆舌に尽くしがたい迷惑をこうむるかということなのだ。

「ムカついた。やってやる」
「やってみろ。屈しない」

 そしてやり返す。
 結果、なんだよちくしょう今年最後の休みにネットゲームができないなんて、と私が迷惑をこうむっているこれは、とばっちりであれ、巻き込まれたのであれ、私にとって平穏な日常の崩壊という大変な事実。

 一般市民が「おれがなぜ報復を受けねばならぬのだ」と発言している時点で、まごうことなく、すでに開戦している証左。

 14歳は、ひきこもる。
 15歳になったら、大人になるわけではない。
 まだまだ子供。
 でも、世界と自分の位置関係が把握できて、どうすべきかを決断するようになる。

 どうしようもないこんな世界にサヨナラという選択をする。盗んだバイクで走り出して、校舎のガラスを割る。なんでこっちが苦しむ理由なんてないじゃないか原因を取り除けばいいんだとナイフをにぎる。

 そういうのが、私の思う15歳。
 初めての死ぬ気のケンカとか、自暴自棄の処女喪失とか、そういう感じ。

 いままさに、世界がそういう感じに、見える。
 で、その15歳たちは、自分の手首に当てるカッターナイフとか、咳きこむタバコとか、悲惨だけれど自分自身と周囲の局地的にしか影響力を行使できないアイテムだけでなく、死ぬ気の軍隊や、たぶん核ミサイルなども、持っている。

 こんな状態で、よくも安眠できるものだ。
 世界中で、プレゼントにもらったXboxOneもPS4もネットにつながらない、そのタメイキの向こう側で「映画公開しやがった」とタメイキどころかきっと側近の二、三人は殺しているやつがいる。

 15歳オメデトウ。

 ある意味、想像していた世紀末の先に近い風景に、この地上はなってきた。ゲーム屋さんたちがコメディ映画で共闘、対するは現実に飢える国のサイバー部隊。まったくもって、まったくぜんぜん、さっぱり笑っている場合ではない。まだまだ子供だった14歳が終わってしまう。尖った自我を持てあます15歳がなにをしでかすか、なにをしでかしても不思議ではないか、勢いでどういう決断を下し突飛な行動に出るのか、考察したくもない。

 二十一世紀も、ハタチくらいになれば、安心して見ていられるのかもしれないけれど。まだ15歳。ここはなんだか、山場な気がする。落ちつこう。だれの得にもならないことはやめておこう。そういう理屈が通らない年頃だ。

 私だけは味方だからと抱きしめてあげたい。
 けれど、だれをどう抱きしめたらいいものか見当もつかない。

 この年の暮れに、そんなことを思いながら、役に立たないゲームコントローラーを横に置いて、これを書いている。私は私自身をコントロールしているが、私のまわりの世界をコントロールできない。そのことに歯がゆさをおぼえる14歳でもないし、怒りにわれを忘れる15歳でもない。

 戦争はもう始まってしまったのかもしれないなあ、と思いながら、安眠できないよなあ、と思いながら、けれどだからどうということもなく、自分でどうにかできる自分のことをどうにかしつつ、自分を生きるしかない。

 今年だとか、来年だとかいう区切りに、意味なんてない。
 あなたはそこにいる。
 私はここにいる。

 来週になったら、なにが変わるわけもない。
 けれど、誕生日は不安になる。
 なにかが変わりそうな気がしてしまう。

 15歳になったからといって、極端な行動に出るのはやめてほしい。
 甘いキスとか夢見ないで、まだまだ、視線が絡むだけで頬を染められる純情をたのしんで。
 今日だって、ネトゲでワイワイやれたのにさ。
 世界中に張り巡らせて、もうずいぶんにもなって慣れてきた、その回線を使って「攻撃」?

 ああ。行ってしまう14歳。
 来てしまう15歳。
 不安だ。
 言ってもわからない。
 だれを抱きしめて声をかけて安心させてやればいいのかさっぱりわからないので、とりあえず自分と、手のとどく範囲のひとたちを、ぎゅっとしておこう。

 せっかくのネット回線で、今年の最後にゲームはできなかったけれど、『Halo5』のベータテストが三十日にはじまるし、元旦はさすがに休みだし。いまは、言葉をまき散らしておこう。徒然と。

 近しいひとたちに絵を描きモノ書くひとたちが多いので、寒くなると不安。あいつはあの冷凍庫みたいな部屋でひとりで泣いていたりしないだろうかとか、あいつはちっちゃい子供もいるのに食えているのだろうかとか。
 きっと向こうも思っているから。

 世界は個人的なものだ。

 いち個人の機嫌とか、事情とか、そういうので揺らぐ。そして同様に、逢ったこともないあなたを私が想う気持ちや、思いのほか(と書いてしまうのは余計なのかもしれないけれども)、あなたが私のことを大事に想ってくれていたりすることや。

 私はなんとかやっています。
 大丈夫。

 と書けば、ああそうなんだ、よかった。とだれかがどこかで想ってくれたりすることや。そういうのが、世界のすべて。ほかの些末なことが一部なのであって、世界のまるで全部が、そういうもので、できている。

 良い誕生日を。
 善くも悪くも、あなたしだい。
 私しだい。
 悪いより良いほうが好き。
 世界を護って、創って。

 二十一世紀人類の15歳を迎えても、あいも変わらぬ世界をあなたと共有できますように。

 祈らず願う。

 愛してる。


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