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『どこ逃げたとて行く末おなじならば』の話。


Zombie

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 偶然、というか、私が録画したのだから、それは私の趣味がかたよっているということでしかないのかもしれないが、途中まで観て追いかけられなくなっていたテレビドラマ『セーラーゾンビ』と、絶対こんなものが素晴らしい出来であるはずがないという予感から精神的余力のあるときに観ようと放置していた『ベルリン・オブ・ザ・デッド』を立て続けに観た(精神的余力があったからではない。むしろそんなときは一年に一日もないのだと気付くくらいに追いつめられたとき「引き出しにものを入れないから空っぽになるのだ」という強迫観念じみた精神状態になって、手当たり次第にまわりのものに手を出す時期が私にはある)。

 これもまた、偶然、ではなく、二十一世紀のゾンビものとしては至極まっとうなことなのかもしれないことに、両作品は、死者が蘇るというヴードゥーのゾンビではなく、人間性をなくしてしまう、そういうウィルスに人類が感染してしまうという設定だった。

 そして両作品とも、素晴らしい出来だった。
 なんとなく、タイトルからB級臭が漂うので、そんなのはゾンビ好きの観るものじゃねえ、と観るのがあとのばしになってしまっていたのだけれど、観ながら思ったのは、いやなにを考えていたのだ私は、そもそもゾンビものとはB級であればあるほど成功率の上がるジャンルで、いっそ笑いどころのあるくらいに力の抜けた作りかたをしているほうが、倦怠感が出てよいものではないか、ということだった。

 ここでは前にも、ゾンビについて書いたことがある。

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『悪なるものゾンビ』の話。

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 ハリウッド超大作としてゾンビがもてはやされたころだ。
 そこからまた少し時間が経って、いま、新たに撮られるゾンビ物語は、おやくそくありきという風情が漂うようになった。アクション超大作ゾンビ映画が量産されたおかげで、全力疾走して飛びかかってくるゾンビたちも当たり前のものとなり、ゾンビが観客にとって恐怖の対象ではなくなってしまったのだと思う。

 かわりに、いろいろ作ってみて、みんなが気付いた。

 もっと怖いことがある。

 あまりにそれが怖いので、以後、おやくそくごととしてゾンビ映画で必須のシチュエーションとなった、それを『セーラーゾンビ』と『ベルリン・オブ・ザ・デッド』は少し変化球として投げていて、その技が上手くハマっていたので、どちらも最後まで飽きずに観られたし、あれ、と思うことに、涙腺を刺激されさえした。

 『セーラーゾンビ』は、ゾンビ病蔓延するなか、学校に取り残された女子高生たちが、いかに生き延びるかという話。

 『ベルリン・オブ・ザ・デッド』は、つきあっていた彼女のアパートを訪れた男性が、その建物をゾンビに包囲され、逃げまどう話。

 単純なプロットだ。

 世界はゾンビ病患者であふれかえっている。
 だが閉鎖空間にまだ感染していない私たちがいる。
 さあどうする。

 そのあと、武器を見つけてゾンビ殺しまくって、船や飛行機でその場を逃げ出し「パート2に続く」というのが、かつての手法。

 だが、よくよく考えてみれば、アホくさい終わらせかただ。いや、終わってさえいない。別に、生き延びたひとたちは、どこかにゾンビ病を駆逐するためのワクチンがあるとか、そういう情報を持って脱出するわけではないのである。とりあえずまわりのゾンビどもを蹴散らした。次の安全な土地まで生き延びたぜヤッホー、と。

 なにがヤッホーか。

 『セーラーゾンビ』が、突きつける。
 好きだった男の子が、ゾンビになっている。
 いっしょに泣いた友だちが、ゾンビになっている。
 家に帰ってみたら家族はみんなゾンビになっている。
 かなしい?

 しかしどんな状況でも力の抜けた女子高生たちは、冷静に受け止める。

 だれも死んでいない。

 最初は、見つけたゾンビを殺しまくっていた彼女たちが、知っているだれかがゾンビ病患者になっているのに対峙して、でもゾンビはゾンビとして生きているじゃんと感想を述べ、ゾンビたちを観客にして、歌う……

 『ベルリン・オブ・ザ・デッド』では、ゾンビ病に感染しても、アドレナリンが分泌されないかぎり、発症はしないという設定を採用している。これにより、ゾンビに噛まれた、ゾンビ病に感染した、だからもうどうすることもできない、ではなく、怒りや悲しみを抑えこめば、ヒトで居続けられるという時間が約束されている。

 ヒトから見れば、感情などないかのような、ゾンビ。
 人間性を失ったように見える、ゾンビ。
 そのゾンビにならないように、感情を殺す。

 境界は、曖昧だ。

 愛する者がゾンビ化したとき、ヒトはどうするのか。

「ラクにしてやろう」

 そう言って泣きながら殺したりはしない。
 それが新世紀ゾンビのおやくそくである。
 それを上手くやった作品は、間違いない。
 観客は、私は、悩む。
 なんて怖いシチュエーションだと、思う。

 愛しあった彼女が、ゾンビになったとしよう。
 よく知った相手なので、相手の側の視点に立つのは容易だ。
 ゾンビになってはいるが、どうやら彼女は私を認識している。
 認識したうえで、戸惑いながらも、襲いかかろうとしている。
 かつての愛しあいかたとは違う。

 だが、彼女が、私を求めているのはまぎれもない。

 噛みつかれれば、私もゾンビ化する。
 死ぬわけではない。
 人間性、などということを私は考えていたが、彼女はゾンビ化しても生きていて、私をわかって、私を求めている。
 応えることが、なぜいけないのだろうか。

 ……そう考えると。
 ゾンビ化した大多数のゾンビ病患者にとって、世界はすでにそういうものであり、むしろ、ゾンビを無差別に殺しまくる少数の「健全な」人類の側こそ、脅威である。脅威、などという概念をゾンビ化した者たちは失っているにしても。

 遅かれ早かれ、世界中がゾンビ化するのならば。

 私は彼女を殺す意味がない。
 意味を考えるのであれば、ゾンビ新世界で、ゾンビ化して彼女と「生きる」ことのほうが、よほど意味があるように思える。かつてのように互いを認識はできないにしても、かつてのようには愛しあえなくとも。新世界では、新世界の感じかたがあるはずだ。

 ゾンビには、ゾンビの愛がある。

 そういうなりゆきで、アクション大作ゾンビ映画期以降の多くのゾンビ映画では、生き延びる者たちもいる一方、望んでゾンビ化する者たちがいる。ゾンビになりたいわけではないが、世界がゾンビ化するのにあらがいたくないという考えかたは、一種の達観と呼べるだろう。そこに観客は崇高さを見つける。ヒトの世の現実のほうが、よほど厳しいとすれば、なおさらなことかもしれない。

 愛する者を失うくらいなら、ゾンビに。
 金がないからゾンビに。
 夢がないからゾンビに。
 どうせなにもなく死ぬくらいなら、なにかあるかもしれないゾンビになってみることだって、選択。

 インターネットで集められた日雇いテロリストな若者たちが世界をおびやかす新世界を樹立しようとするのにヒトの世の超大国がミサイル載せた戦闘機を飛ばすのをいちごジャム塗ったトースト食べながら液晶テレビで見ている、こんな世界では。
 ゾンビになれば心の平安が得られるなら、それもありだ。

 なにが怖いのかわからない、ホラーなこの地上。
 今日も、こんなニュースが。

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「FC2」サービスの「ほとんどを開発」──家宅捜索受けた企業とは - ITmedia ニュース

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 謎の企業とされてきたFC2のアメリカ住所は空き部屋で、判明した本拠地は大阪。違法な動画配信でついに検挙か……それはさておき。さておいてはいけないが、怖いのは、うえのニュースタイトル。

 FC2サービスのほとんどを、その会社が開発。

 あー、えーと。FC2といえば動画配信。というくらいにまでなって歯止めがきかなくなってついに捜索される、という事態なわけですが。ひとむかし前ならば、FC2といえばブログ。もしくはレンタルサーバとか。地味ながら勢力を拡大して、結果、危険思想や違法性のてんこもりなコンテンツが探せるといえばFC2、みたいな存在に。

 場所を貸しているだけで、そこでなにがおこなわれているかは知らない。と、いうか「知りませんでした」と発言すべきだれかがどこにいるのかもわからない。だから、好き勝手したいひとたちが、FC2のサービスに集まってくる。

 感染するかのごとく。

 はーい。ついこのあいだの記事です。

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『OCNにブログ人とPageONを捨て去られて達する方法』の話。

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 すでにOCN側のブログは更新していません。
 このサイトのほとんどメインと呼べるブログに片がついたなら、引っ越しの準備も、半分を越えたと言えるところでしょうか。
 ええ。

 なにもかもを、そのFC2に。

 ええ、これ、FC2ブログですから。
 掲示板も。
 その他サービスもたくさんあれこれ。

 ニュース見て、手が止まりました。
 ど、ど、動画だけ、独立した子会社とか……
 なわけはなく。
 私、大阪在住。
 すぐ近所で、すべてのサービスが。
 が、ががががが。壊れてしまいそう。

 偶然、というか、私が契約したのだから、それは私の指向がかたよっているということでしかないのかもしれないが、FC2に全面引っ越しているさなかに、FC2はマズいと他社さんがすばやく移行ツールなどを提供しはじめている。みんな逃げていく。私はそっちに逃げているのに、みんながまたどこかへ去ってゆく。

 自前のサーバでも持てば安寧が得られるのでしょうか。しかしそうすると、ささやかな広告収入ではプラスマイナスマイナスになってしまうので、サーバ維持費を稼ぎ出すために露骨な広告をベタベタ貼るもイマイチ収益はアップせず、やむなく動画サービスをはじめて、ひとに貸したらエロいことをはじめたのでちょっと人気が出て、だったらもっとエロいやつ集まってこいよと思うのに、なかなかガチではおもしろい人材は集まらず、考える。

 そこが境界線。
 プロレスをプロレスと言って演じるのは悪ではないけれど、このあいだの日本UFC大会で激勝したあの選手がかつて年末格闘技でぬるぬるするとかグローブに細工がしてあるとか、ガチな試合でインチキなことをするとそれははっきり罪である。

 勝手にやってくれと貸していたスペースで、勝手にやっていた地下ポルノが大金を生んだ。でも次が続かない。だからやってしまったらしい。まだわからないが、証拠もなく日本の警察が踏み込んだりはしないだろう。

 金を渡して、もっとエロいことをしろと言った。

 それはもう、越えきってしまっている。
 気持ちはわかる。なんでもっとエロいやつら集めて、どぎついことすれば金が稼げるのに、なぜしない。でもそこにひとことでも口を出すだけだって問題なのに、金まで出してしまったら。場所貸しではない。興行主である。アメリカに幽霊会社があるとか言ったって、もうダメだ。ダメだよと国家権力がミセシメるための吊し上げであるのはあきらかだ。

 もうダメな状況である。
 そこへ私は引っ越している。

 だいたい、ブログに関していうなら、まったく同じ文章をアップしているにもかかわらず、私のところも、OCNがFC2の二倍以上のヒット数を稼いでいた。原因は単純だ。良識ある企業のネットワーク管理者や、お子様向けフィルタリング機能などは、FC2という響きだけで「有害っ」と判定して接続を遮断するから。

 するのだが。
 もうすぐ十五年になるブロガー人生で、FC2ブログは、もっとも長く私に場所を与えてくれている。過去形ではない。OCNは、かつて私にブログサービスやめるから去れ、と迫った没落した各社同様、陥落した。

 どこもゾンビ化しているということだ。
 どこへ逃げてもパート2であり、健全なサービスだけを健全に提供していて収益が上がることなどなく、それは素晴らしく善なることではあるが、それは結局、私がまた引っ越し作業をするということである。

 汚いことをやった。
 悪に染まった。
 ならば、罰せられ、悔いてほしい。
 けれどそれはそれとして。

 こちら側の視点もある。

 引っ越すのは面倒くさい。
 その作業のなかばで、こんなことが起こって、心も折れた。
 『セーラーゾンビ』の女子高生たちのように、逡巡する。
 愛しただれかがゾンビ化している。
 でもまだ、私を見ている。
 私に場所を与えてくれている。
 私はスコップをふりあげたものの、ふりおろせないでいる。
 うががががああああああ、と変な声が漏れる。

 このまま、いられないのか。
 もうすでに終わっているのか。
 愛はお金で買えないのか。
 どこ逃げたとて行く末おなじならば、ちゃんとガチ路線にもどってお子様の携帯ではブロックされるけれど大人はたのしんでもOKくらいのグレーゾーンでそこそこな収益を得て船を前に進め続けられる後継者が育っていることを願い、逃げずにのほほんとしていることは愚なるおこないなのだろうか。

 ふりあげたスコップもそのままに、とめどなく考え。
 いま、私は固まっている。




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