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『永遠に触れるべからず』の話。

 以前も『全裸男』にからめてここで書いたけれど、ネット発の日本語で書かれた物語というものが市民権を得ると、それはそれでそこに特化した物語作家が生まれてくるんだろうね……という観測を加速させるかのように『痴漢男』の映画化が決まったとか。『電車男』の場合にはそれはノンフィクションをもとにしたフィクションであるというタテマエがあったのだけれど(実際どうなのかは私は知らない)、今回はほぼフィクションが確定している何者かの創作物なわけで、ほんと確信犯的にそこでの作家活動を始めるやつらって増えるだろうなあ、と。でもそうなると「また作家だよ」と思って親身になってコメントしない傍観者が増え、結果としてこの文化が廃れてしまいそうな予感も。私は2ちゃんねらーではないし、紙に印刷されるための小説を書いている人だけれど、日本語で書かれた物語がどんな形であれ書店にあふれかえる状況は夢見る未来なので、釣られる人は疑わずに釣られておもしろい話いっぱい作って欲しいなあ、と思います。『痴漢男』も、私はおもしろいと思ったし(未読の方は上記リンクの「双葉社まとめ」で読むといい。オリジナルは数日がかりでないと読めない長さだ)。デジタル文化の普及で本をだれも読まなくなるなんていう識者のコメントを、裏切って駅前には必ず本屋さんのある世の中になって欲しいものだ。ベストセラー文学だけが日本語じゃないだろうが。クーンツの新刊が最寄の書店で置いていなくてアマゾンで買ったのはほんと寂しかった。海外翻訳物の棚はどこの町の本屋さんでも縮小されつつあるうえ、ベッドタウンの老人達に媚びるためなのか二十世紀に映画化された原作本などで埋めつくされている。新刊でさえ一冊ずつしか入荷しないので、だれかが買えば、次の入荷待ち。だったらアマゾンで買ったらメール便で翌日にはポストに届いている。「触れられる」ということこそが、本屋さんの存在意義なのにさ。

 自分で自分の首を絞めているような店が多い。
 もっと長期的なこと、考えたほうがいいと思う。

 というとこから文学論に移行したいところだが、いまの私はそれどころではない。
 『~男』的に言ってみよう。

 聞いてくれおまいらっ。

 ……そういう日本語はどうにかしたほうがいいな。
 どうでもいいが本題。

 朝、まだ日も昇る前に目が覚め、手洗いに行って、台所に行きミネラルウォーター(アルカリイオン水)を父の手焼きの湯飲みで飲み、新聞を取ってくる。そもそもこの時間に一度目が覚めてしまうのは、近所の朝早くからご出勤のおねーさまが年季の入ったけたたましく鳴くスクーターを始動させるからで、私はやっぱりけたたましく鳴く自分のバイクが連れ去られてゆくわけではないのだということを確認するために新聞を取りがてら外界を覗くのだ。

 その日も、そこまではいつも通りだった。

 新聞をめくる……選挙前だということで、見慣れたおっさん(自分よりも歳上の女性をお姉さんと呼ぶのは、たとえその相手がしわだらけの三桁年齢に突入しようかという御高齢でも自然にできるのだが、なぜおっさんはどうしてもおっさんだとしか思えないのだろうか。おにいさまと呼べるおっさんに私はついぞ出逢ったことはなく、それは逆説的に私もおっさんにしかなりえないということでげんなりしてしまう……唯一の望みは、五十をまわってサングラスで全力疾走する「あぶない刑事」の館ひろしのようなおっさんもいるということだろうか。お兄さんとは呼べないが、兄貴とは呼べる)たちの顔ばかりで、おもしろくもない。そんな新聞をめくっていた、私の手がとまる。

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 経済産業省 『石綿(アスベスト)を含有する家庭用品の実態把握調査の結果について』

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 アスベストとは、その語源が「消すことができない」あるいは「永遠不滅の」という意味のギリシャ語(asbestos)に由来していることでも知られるとおり、この地上で永遠に近い場所にある鉱物である。

 すり減らないし、熱にも強いし、音も遮断する。
 経産省の公表したように、熱かったり冷たかったりうるさかったりする電化製品なんかにもたっぷり使われてきたわけだけれど……

 私は小説も書くが、セメントも売っている。

「……うそん」

 いや、嘘ではない。あの日から、大工さんにコーキング材を売るぼくらは「これには石綿はいっとらへんのやろうな兄ちゃん」と言われ続けて三千里。壁材はもちろん、接着剤や塗料のたぐいのすべてにその質問がついてまわり、むろん、その含有が認められた製品はすでに売り場から撤去されているのだから、かえってその質問には答えづらい。

 毒を含むものを毒入りだと断定するのはたやすいが、安全なものを安全だと断定することは、スタートレックの非破壊物質成分組成測定スキャナを手にしているわけではないぼくらにはできない。よってメーカーに電話する。これまた即答できない担当者が電話を取る。時間が浪費されてゆく。しかしまあ、私は塗料の担当者ではないので、訊かれれば一緒に調べはしたものの、しょせん他人事だったのだ。その朝、新聞をめくるまでは。

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 ブリヂストンサイクル株式会社 ニュースリリース

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 私は小説も書くが、自転車も売っている。
 その子供用自転車は、とても見覚えがある。

 先月、広告の品として二回もチラシに掲載され、店頭在庫がなくなってお取り寄せしたほど売れ、そのすべてを私が整備してお客様にお渡ししたのである。身をかがめ、後輪のブレーキに顔を近づけてテストしたのは私だ……だが、そのことに不安はない。すでにアスベストに関する知識を過剰摂取させられている私は、固形状の物質にアスベストが含まれていても、その物質をおろし金ですり下ろしてのみこみでもしない限り、平気なことを知っている。しかしだとしても子供用自転車にいまそれが見つかるのはイメージ的にまずかろう……

 小学校入学前のお子さんを持つ母親こそ、人類のなかで最強に傍若無人な最強生物であることは、私が指摘するまでもなく事実である。

「…………出勤したくない」

 というわけにもいかず、むろんすでにその記事を読んでしまったからには眠ることもできず、確実に憂鬱な一日が始まったのでした。

 詳細は省く。楽しいことなどなにもないから。ただ調べてみたらわかったことに、一年前にもエコキッズ(名前がまた苦笑を誘う。アスベスト入りエコキッズです。ブレーキは軽く握ってください)を取り扱い、何台か売っていた……それはそれはお客様の反応がおもしろかった(楽しくはないがおもしろいということは多い)。「まったく子供のものでそんなのって」と全員、憤っているふうを装うのだが(むろん実際に腹立たしくは思っているのだろうけれど飛散のおそれがないアスベストに過剰反応しないくらいには、みなさんニュースをごらんになっていた)、なにせ、幼児用の自転車である。それを一年もたってから販売店の担当者が言うに、

「メーカーとも協議いたしまして、当該ブレーキ部品の無償交換か、全額御返金ということにさせていただきたいのですが……」

 当たり前だが、全員が返品を選び、一年前に払った一万円ちょっとを受け取る……軽トラで回収されてきた自転車は、すり切れた補助輪も痛々しく粗大ゴミとして出されていておかしくない様子で、もちろん一年もたっていればお子様は成長しそのゴミのように傷だらけのアスベスト含有自転車のサドルは低すぎて乗っていられなくなっていたはず……でも取っておくものね、乗りつぶしてから御返金させてくださいだなんて……憤っている風な仮面の下で、我慢できずほくそ笑んでいることが全員から伝わってきた(みんなも経産省のサイトを参考に十年前の電気ポットなどを持って販売店に詰め寄るといい。いまなら返金を勝ち取れるはず。メーカーからは、すべての責は負うのでお客様の納得のいくようにしてくれ、とどの店も言われているはずだ)。

 そんなこんなで一段落……できなかった。

 問題は残っている。

 いま現在、連絡をとることができない「アスベスト入りワンパク」をご購入されたお客様が、あと一名。わらにもすがる思いで、こんなところにまで書いてみる。ご注文でも、配達でもなかったため、名前も住所もわからない。クレジット払いでもなく、店のポイントカードも使われてはいない。

 売り場には、その残り一名の方に呼びかける貼り紙をした。心当たりのある方は、ぜひ申し出て欲しい。まったく持って悪いようにはならないし、私の気も晴れる。

 そして、これを読む、すべての人に言いたい。月に一度でも使う店で、ポイントカードなんてものがあるのなら、ぜひ入って。個人情報保護法によって、いまではその情報はとても厳重に扱われているし、店側だって、お得意様のあなたに得してもらいたくてそんな制度を考えついているんだし。そしてなにより、あってはいけないことなんだけれど、毒入りのリンゴが混じっていたと判明したとき「食べないでくださいっ」と即座に呼びかけられるたった一つの手がかりになる。

 本当に、お願い。なによりも、どうやってその人を捜したものか……とモニタの前で途方に暮れる、私のようなレジャー担当者の一日を無駄にしないで済むのだから。

 にしても……永遠という名の物質にこれだけ人類が怯えおののくさまは、なにかファンタジー物語風でもあるなあ、とおののき走り回っている当事者の一人でありながら、思ってしまった。聞けば、肺の肉壁に突き刺さったほんの小さな永遠のひとかけらが、溶けることも吸収されることも排出されることもなくそこにとどまり続け、その結果として細胞が突然変異を起こしてガン化するのだという。

 小さな命の集合体である人間は、絶えず死を迎え、七年から八年もあれば、全身の細胞がすべて入れ替わる。つまり、八年前の私は、物質的にはもうこの世に存在していないのだ。小さな死の積み重なりこそが、人間の「生」である。しかしもしも、私の肺胞に小さな小さな永遠のカケラが突き刺さっていたら、それはそこにあり続けるのだ……私自身が消え去ってしまったのに、私に突き刺さったトゲは消えない……パラドックス。そこには矛盾がある。人の肉体はその矛盾に解決策を見いだそうとするのだろう。その結果が、永遠に増殖する死なない細胞……ガン細胞。

 そう考えると、永遠とは決して人が触れてはいけないものなのだと実感できる。なぜ、耐用年数数年の製品に永遠などを組み込まなければならないのだろう。人が滅んだあと、砂漠にそびえ立つ無人の朽ちないビル群を想う。人は人が生きる以上の永遠を追い求めてはいけないし、自然という大きな生き物の含むそういった部分にも、近づいてはいけない。人は永遠を御することはできないのだ、それこそ永遠に。

 汗でべとつく? フケをなんとかしたい? 抜け毛をとめたい? 生理がわずらわしい? 爪を切るのが面倒くさい? 髪がのびるとスタイルが決まらない? せっかくいいところなのにどうしてトイレに行きたくなるんだろう?

 死ねばいい。
 
 永遠を求めるのってそういうことなんだなあ、と自転車回収しながら、切に切に思いましたよ。ブレーキ部品って簡単に交換できるものなんだ。だいたい幼児用自転車に十年乗る人なんていないんだから、摩耗したって交換するレベルまでいかないだろう(実際に酷使されたマシンを見たが、ブレーキはまだ数年は交換不要の状態だった)。なのに手をのばせばあったから安かったからと永遠のカケラなどを躊躇なく使ってしまう……

 人類が滅ぶとしたら、
 絶対人類のせいでだと、痛感した。
 長期的に考えること、覚えなきゃダメだね。
 みんなみんな。

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