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『あなたにアスラシステム』の話。



 十一月が終わろうとしている。
 一年の最後の月がはじまる。
 暦というものは便宜上あるだけで、本当は一年という単位ではなく、一日という陽がのぼり陽がしずむ、その繰り返しだけを意識していれば生きていける。ほとんどの動物はそうだ。ああもうすぐお正月が来るのね私はまたひとつ歳をとり死に近づいていくのだわ、などと考えている水牛はいない。そんなひまはない。日が暮れるまでに良い牧草地を見つけなければ明日が迎えられない。

 ところでこの一週間で三人、万引き犯をつかまえた。
 つかまえたというか、店の出口に近い場所でイベントを仕切っていたので、結果的にそうなった。モノを盗ったところを見たのではなく、そのひとたちが出口を出たら、防犯ブザーがけたたましく鳴り、それを追いかけていく。

 老人である。

 仕組みとしては、商品管理タグと呼ばれるコイン電池で動くそれを、商品に取りつけておき、レジで回収する。ゆえにレジを通らずカバンやポケットにそれを入れて出口を通ろうとすると、センサーが反応してサイレンが鳴り、おじいちゃんのポケットのなかでタグも鳴る。

 コイン電池で駆動し、それ自身が騒々しく音を発するスピーカーまで内蔵したものであり、どうみたって「これなに?」というものが商品に付いているのである。ふつうは、それがついたままの商品を持って店の外に出れば、私のような素手で水牛をちぎって食べるようなおっかないのが追いかけてくると、わかるような代物だ。

 それを、持って出てしまう。
 そんなふうにしてつかまるのは、老人である。

 例外なく、背後でサイレンが鳴り響き、自分の着衣の内部でピポーピポーとタグが叫んでいても、おかまいなしで帰っていこうとしている。その肩を掴む。鳴っていますよね、あらためさせてくださいね、店戻ってもらっていいですか、事務所行きましょう、ゴメンで済んだら警察いらんねん。

 その一連の流れ。
 たまたま今週、私は出口のそばにいる頻度が高かったというだけであって、これは年末になれば毎年のように起こる行事と化している。巡回している覆面警備のかたと話すに、どこの店でもそうなのだという。

 年の暮れに向かって、金を払わずに商品をポケットに入れる老人が増える。

 水牛のように生きてはいないということだ。一年というサイクルを意識しているからこその、なにごとかなのである。

 単純に、夏場は薄着なので、ついポケットに、というような行動がとりにくく、コートを羽織ってしまったからその内側なら大丈夫、的な理由で冬場は万引きが増えるのだ、という理由もあるだろう。

「つい」

 というセリフをよく聞く。
 またもや自分は刻の流れにうち負けて、今年も時間は逆行せず暮れていき、老いと死に近づいていく。そうした精神状態で、あたりに他人の気配がなく、上着の内側に一秒ですべりこませることが出来る数千円の商品が手のなかにある。ちなみに昨日のおじいちゃんのカバンの底から出てきたのは漢方便秘薬だったので、そういった慢性的体調不良も一因かもしれない。

 で、つい。
 出来心で。
 とか言う。

 出来心?
 なんだその日本語。
 心が出来る。
 辞書を引くと、突発的にわきあがったよくない考え、という意味らしい。つまり、徐々に出来たものではなく、そのとき突然、ぼわんとオノマトペをつけて頭にわきあがってしまった、悪い思い。

 しかし、フラグのない恋愛ゲームはない。
 感情移入できる良いゲームは、現実の縮図である。
 あれがあったから、いまのこれがある。
 おととい三丁目の角で食パンの角っこを咥えた彼女と正面衝突したから、今日ぼくらは恋に落ちる。おじいちゃんが便秘でなかったら出来心はきっと生まれていない。そもそも便秘薬を手にすることがないのだし。十一月の終わりだった。コートを着ようか迷ったが、着て出た。そこでもフラグが立っている。

 ぴこんぴこんとあちらこちらで立つフラグが目で見えれば、この世界の不条理に思えるすべてのことに、説明がつくはずである。

 痴漢とか、そういう行為にもよく出来心という言葉は使われるが、冷静に考えて、たとえば電車でたまらなく形の良い男子高校生のケツをまさぐったところで、いったいなにが得られようか。むしろ電車を降りてから、真っ向勝負で口説いたほうが、まだ実際的なものが手に入れられそうな気がする。

 だからこそ出来心?
 でも、冷静に考えることができないくらいに悶々とした状態とか、なにかの要因で頭がぼおっとしているとか、それ自体が、事前のフラグ立てがとどこおりなく行われているのだとも言える。

 ゲームだろうが、現実だろうが。
 なにもない日には、なにもないに決まっている。
 なにかがあったから、なにかが起こるのだ。

 そういう意味で、ゲームとか小説とか映画とかドラマとかを摂取しておくと、現実の人生でも役に立つことはある。恋愛ゲームなんかやってるから本当の恋が出来ないのだとか言われるが、よく自分自身について考えてみてほしい。恋愛ゲームのように、ひとつひとつフラグを立てられて、それで恋に落ちないなんてわけがあるか? というかヒトの心がそういうものでなければ、アイドルもキャバ嬢も商売あがったりだ。萌えさせれば萌えるのだ。食パン咥えて角っこで待ち伏せすれば、恋のフラグ立ての第一段階は終わったも同然。その相手がもしも『新世紀エヴァンゲリオン』好きな男子だったりした場合、その第一フラグだけで運命を感じさせることまで出来てしまうはずである。

 『エヴァンゲリオン』で思い出したが。
 現在放送中のテレビドラマ『安堂ロイド』が、実に私好みである。ドラマというか、今期のアニメのなかでいちばん好き、という表現をしたい。木村拓哉主演なので、初回の視聴率がよかったのに、その後下がり続けていることから、ストーリーに難があるのではないかという分析を見かけるけれど、濃いキャラが出てきてはせつなく消え去っていくそれは、私にはツボだった。

 まったくの余談だが、先日観た、やたらと拘束時間の長い総合格闘技DEEPの会場に、野田元総理が来ていて、そういやこのひとプロレスリングNOAHのファンでもあるよね気が合うなあ、と思ったのだけれど。気が合うのはいいが、一国を執り成し民を熱狂させ経済を盛りあげる司令塔だったひとが、私と趣味が合うというのは、その嗜好こそが派手さに欠けたのかもなあ、と思ったりもした。単純に、格闘技は大相撲、プロレスは新日本、とか言っておけば、共感する支持者はずっと多くなるわけだし。

 なにが言いたいかといえば、この国では売れないからめっきり翻訳もされなくなっている海外ハードSF小説などを好んで読む私のツボに入ってしまうような物語にしてしまったから『安堂ロイド』は視聴率の低下に悩んでいるのだということだ。誇っていい。私はこのドラマを、きっと死ぬまで忘れない。それで充分じゃないか。ていうか時空を越えて人間性と恋心を獲得するアンドロイドの話で、平均13パーセントの視聴率って、たぶんぜんぜんSF小説やアニメに興味のない層まで観ている数字である。すごいやキムタク。映画『ブレードランナー』を観てレプリカントの苦悩について考えたことのないひとたちのいくばくかに『安堂ロイド』は、ヒト型機械への共感という人生の新たなるテーマを与えたのだ。

BLADE RUNNER

 SFドラマといえば、J・J・エイブラムスの新作が、近未来モノということでむちゃむちゃ期待して観はじめた『REVOLUTION』が、全米で視聴数記録を塗り替えたというのが、よくわからなかった。悪くないし、金かかっているんだけど。観続けるか私は微妙だ。なんか向こうの近未来SFって、なにもかもが、そしてやっぱり人類は争うのでした、という持っていきかたになることが近年は多くて、そうじゃないんだよなあ、という感がある。

REVOLUTION

 一方の『安堂ロイド』。
 毎週、これでもかと設定を積んでくる。
 これだよ、これがサイバーパンクの醍醐味です。

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サプリの『アンドウロイド解析』|TBSテレビ:日曜劇場『安堂ロイド~A.I. knows LOVE?~』

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 ↑この「サプリ」ってヒト型ドラミちゃんも、機械なのに恋を知りせつなく消える。主要キャラのひとり(それもかなりビジュアル方面担当)をはじまってすぐ退場させてしまうと視聴率に影響があるというのはだれでもわかることなのに、せつなさを増幅させるために躊躇なし。偉い。

 上の解析のなかから、引用します。

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★アスラシステム

ロイドが戦闘モードの際に起動するOS・アスラシステム。
「禁じられた悪魔のOS」といわれている。
インドの鬼神の一種・阿修羅(あしゅら)に由来され、オペレーション音もヒンディー語である。ロイドは腕から注射器をひねり出し、液体状の分子タスクコマンドを注入すると、チャクラが浮かび、アスラシステムが起動する。注射器には使用回数の制限があり、ロイドの手の甲に表示される。 

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 『安堂ロイド』の設定には、『新世紀エヴァンゲリオン』監督でおなじみ庵野秀明がたずさわっている。このアスラシステムという設定も、庵野先生の発案だそうだ。

 唸ってしまった。
 ものすごく、上手い。

 上の説明を読めばわかるように、物語の主人公、アンドロイドのロイドが、自分で自分を戦闘モードにする機能である。だがこの設定、文字で読むと、あれ、と思う。庵野先生が小説のひとではなく、アニメのひとであるのがよくわかる。

 自分の腕から注射器をひねり出し、自分に注射する。
 SF小説だったら、読者のつっこみが入るはずだ。 

「注射器出す必要性って、なに?」

 ボディ内部でやれば済む。いや、これが戦闘モードに移行するための行動である以上、戦闘地帯にすでにロイドは足を踏み入れている可能性が高いのだから、強固なアンドロイドの体内で、この反応は起こすべきだ。私が敵なら、禁じられた悪魔のOSを起動される前に、破壊しやすい注射器などという形になったそれを撃つ。いったんボディの外に出すという意味がわからない。

 だが、このドラマにハマっているひとなら、首を振るはずである。

「あれないと、いつ闘うのかわかんないし」

 ロイドは、戦闘モードになっても、仮面ライダーのように変身するわけではなく、超人ハルクのように緑色でムキムキになったりもせず、スーパーサイヤ人みたいに髪の色が変わったり逆立ったりもしない。
 
 これが小説ならば「ロイドは体内で分子タスクコマンドを注入しアスラシステムを起動させた」と書けばいいのだが、ドラマである。視聴者の目に見えるなにかが必要だった。結果として、ハイテンポな曲がかかり、ロイドが腕から注射器を飛び出させ、自身に打つ。

 試合開始だ!!

 という、盛り上がりやすい「画」が出来た。

 上手い。
 素晴らしいアイデアなのだが、観終わったあと思春期にフィリップ・K・ディックなどに感化されたひとだと、見た目以上の意味を、そこに読みとってしまうかもしれない。

Dick

(『安堂ロイド』、当初は『アンドロイドは夢を見るのか』というタイトルで進められていた企画だったそうで。日本で、もういちど硬派SFの時代が来ると信じるその姿は美しくまぶしすぎて直視できません。そのタイトルのまま放送を迎えていれば、ディック読みがぐんと増えただろうになあ)

 ロイドは、未来からやってきた。
 ロイドの主人にとって大切な女性を護るためである。
 そもそも戦闘目的のアンドロイドなのだ。
 けれど、戦闘時にはアスラシステムをわざわざ起動させるという設定によって、ふだんは別のOS……アンドロイドにおける人格……で、動いていることになっている。

 このフラグが、実に大きい。
 アスラシステムの活動限界を越えたとたん、ロイドはばったり倒れ、充電切れになってしまう。倒れたロイドにヒロインが駆けよる。視聴者も共感する。

「だってさっきロイドが怖かったのは、アスラシステムが起動していたからだもん」

 あのひとがあたしを殴ったのは、お酒のせい。
 実質的には、殴る上にアルコホリックであっても、その要因によって、恋が保護される。

 同じ図式なのだが、ロイドは機械だ。
 ヒロインを護るために、プログラム=命令によって、注射器のなかのそれを打つ。

 画にして魅せられると、納得できることに気づく。
 ヒロインがロイドに惚れるのは仕方ない。
 ここに恋が生まれるのは必然だ。

 アスラシステムは、戦闘のためのドーピングのようでありながら、物語上の印象としては、注射器の形をした毒だ。ヒロイン目線で見れば、いま、あたしを護るために、ロイドは殺人機械になる毒を飲んだ、という図式である。なので、毒の効力が消えれば、さっきまでの出来事は、なかったも同じ。アンドロイドのOSがふたつあるというのは、ヒトで言えば二重人格。しかしロイドは、酒やドラッグをみずから摂取して人格を渡り歩く愚かな人類とは違い、必要なときに、必要だから、アスラシステムを起動させているだけなのだ。

 うなだれて、警官に尋問されているおじいちゃんを見つめ、昨夜観た『安堂ロイド』のことを思い出していた。フラグが立ちまくり、自分の腕から自分が自分でなくなる注射器をひねり出す。殺したくはないが殺す。盗みたくないが盗む。出来心はアスラシステムだ。いつものおれが、電車でムラついて他人のケツをまさぐったりするわけがあるかよアスラシステムのせいだ。

 しかし、最終的に打ったのは自分。
 もうひとつのOSは、ふだん起動していないにせよ、たえず内包されているのである。

 ヒトも機械だ。
 有機的な部品で組み立てられている。
 染色体ひとつ狂えば、ヒトからはみ出る。
 逆に言えば、ヒトはみんな大差ない。
 
 だからたぶん、ロット番号が違っても、似たようなもので、だれもが「出来心」注射器をひねり出すことが出来るのだろう。やったことがないだけで、やれるし、間違ったフラグを何本か立てれば、嬉々として悪魔のOSを起動させる。

 きっと『安堂ロイド』も観てないし、仮面ライダーファンでもないし、格闘技とかも観ないんだろうなあ、でも、好きな時代劇のヒーローとか、いないのかなあ、などと思う。世の中には、ここぞというとき「変身」とつぶやいたり、熱狂したボクサーの入場テーマを頭のなかで響かせたりしているひとはけっこう多いはずだ。おじいちゃんがアンドロイドは夢を見るかについて考えてくれていたら、ワシの悪いOSが起動しとる活動停止せねば、と盗む前に自制できたんじゃないだろうか、とか。

 出来心を発生させないフラグって、その程度のものだと思う。
 ゲームで恋を理解して、ドラマで出来心のなんたるかを知る。
 正義も悪も切なさもエロも。
 とりあえず物語で摂取しておくのって、予防接種みたいなもの。
 あなたにアスラシステム。
 実際的なことよりもイメージが大事。
 ヒーローにはなれずとも、盗まずに生きて死ぬくらいの抵抗力は、充分得られます。

 しかし……
 防犯タグ付き商品をこれなんやねんと思いもせず持っていってしまう御老体の場合、もはや自分がなにをしているのかわかっていないようにも見える。
 となると……

 人生すべてフラグ立て。

 変身も入場テーマも、アスラシステムも。ロイドみたいにプログラムによって強制かつ自動的に行えるように、人生通して己を調教プログラミングしておかなければならないのだと心に留めよう。理性が働かなくなったとき、果たして私はどれほど高潔であり続けられるのか。それは、いま現在、理性なんか働かせなくたって盗まないし殴らないし合意もないのに揉みしだかない生き方ができているかどうかということなのである。

 だれが見ていなくても自分が見ているから清く正しく美しく。
 大事なことなんて、そう多くない。
 誇りを持って恥を知って。
 最低限、自分を躾けて。
 揉みしだきたいときには合意を得ること。

 さっきのフレーズが気に入ったので、もういちど書いておこう。

 あなたにアスラシステム。
 
 寒くて慌ただしい年の瀬のはじまりです。
 凜として過ごしましょう。



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