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『フロントフォークオーバーホール叙情』の話。


9月12日

・とりあえずの応急処置はしたが、ゴム部品の劣化を見て見ぬふりはできないし、悩むのも面倒なのでフロントフォークオーバーホール、シール全とっかえで、とバイク屋の兄やに泣きつく。高いですよ、と言いつつの見積もりは予想よりかなり低くて、入院が決定。心配事がひとつ減る。

twitter / Yoshinogi

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「あ、ヨシノギさん。めずらしいのに乗っていらっしゃる……えっと、イントルーダー……でしたっけ」

 イントルーダー?
 それスズキさんの。
 INTRUDER。
 侵入する者。
 国産ドラッグレーサーのめずらしいの、といえばそっちなのか。

「エリミネーターです」

 カワサキさんの。
 ELIMINATOR。
 排除する者。

 まあ、名前の響きも意味も、似通ってはいるが。
 侵入と排除ではどちらが無法かという意味ではどうやら排除のほうだったらしく、イントルーダーはいまも造られているが、エリミネーターは全ラインナップ製造中止。いかにも排除しますよー、といったコンセプトでの設計だったので、加速騒音と排気、要はうるさくて煙いから未来から出て行けとみずからが排除された者になった。

「ああ、そうそう、エリミネーターでしたすいません」

 私はいいが、そこ間違えると逆鱗に触れるヒトいるからね。
 気をつけなさい。

 でっかいエレベーターで二階から降りてきた、私の排除された者と、今回の私の担当、兄やことイチミネショウイチくん。もちろん仮名、いま適当に考えた。イチミネショウイチくんはいかにもヤンキーあがりで、夏も終わって傷んだ愛車を次々に持ち込んでくるお客さんたちが、自分で自分の担当を選べるのなら、人気上位に食い込めそうな感じではないのだけれど、その印象はもっぱら、彼がヤンキーあがりっぽい茶髪ソバージュの整備士だという以上に、単純に年齢が若いので、経験値の蓄積度合いを疑ってしまうから。筋肉質なカラダをひょこひょこ動かす様子は、いかにもバイク好きすぎて仕事にしてしまった充実感がまだまだみなぎっていて、そういう意味ではまわりのベテラン整備士さんよりも、愛をもってマシンに接してくれそうな気もしないではない。

 と、いうのも、別に私が選んだわけではなく、店長の采配なので、与えられたものを愛しようという私の人生観によって好意的に語られているだけであることは否定しない。整備士を選べるならば、そりゃ自分より本当に年上の兄やというよりも兄貴と呼びたくなる黒髪短髪のベテランさまをセレクトするに決まっている。実際にそれが技術の優劣を示すわけではないにしても、髪の色はともかく、格闘家と整備士は、限りになく坊主に近いほうが仕事がはかどるに決まっているのだから。私もゴム手袋を尻ポケットにねじ入れて仕事をしているくせに前髪は目に入る長さなので、ときどきああもう、となる。尻ポケットにねじこんでいる時間も多い私ごときでさえそうなのに、四六時中オイルまみれで爪のなかまで真っ黒な職種の者が顔にかかるソバージュとか、実際には鬱陶しくないのだとしても、自分を優秀に見せる戦略をちゃんと立てられていない。ピーター・アーツやジョルジュ・サンピエールがロン毛だったら、本人が気にせず闘っていたとしても、観客からは「ああもう切れよっ」と罵声が飛ぶはず。

 それにしても、雨だった。

 こんなに休みのたびに雨で、バイクに乗らない夏というのも記憶にない。そのうえ、いまも継続している状況ではあるのだけれど、大阪梅田のバイト時給がきわめて上昇していて、郊外の小売店で最低賃金に毛の生えたような金額で募集したってだれも来ず、辞める一方。人がいない。忙しい。そんなこんなで、雨が上がったのでちょっと湿気を飛ばしに走るか、というような最低限の事後処理をおこなう余裕さえ失せ、ふと気がつけば。

 フロントフォークで、こんな惨事。

Frontfork01

 引っ越してから、駐車スペースの下が土だってのも大きい。カバーかけているのだけれど、それがかえって湿気を飛ばさない。もちろん、製造中止になって長いバイク。ゴムパーツが劣化するのは盛者必衰の理。宿命。とはいえ、こんなになるまで気がつかなかったことは、さすがに悔いた。ゴムの内部で錆が発生して、それが膨張し、裂けている。

 怖ろしいことに、このゴムパッキンは、フロントフォークの内部にクッションとして充填されているオイルに水や砂が混入しないよう守っているパーツ。ダストシールという。守護天使がゴムなのに錆びて裂けている。守られているはずの内部は、だったらば……

 ダストシールがひび割れているのは気がついていた。しかしシューグーでコーティングしたりして、だましだまし見ない振りをしていた。だってさあ。フロントフォークってすなわち、アメリカンチョッパーなバイクでいうところの象徴。

CHOPPER

 ぐいんとのびた前輪を掴むかのような二本のポール。
 ダストシールは、そのポールに巻きついている。
 外すのは簡単ですね。ゴムだし、引きちぎればいい。しかし、新しいの、どうやって取り付けたらいいの? 前輪を掴むようなポールと書きましたが排除された者に「悪いんだけど、ちょっとタイヤ握るのやめて、その腕にリングを通させてくれませんかねえ」などと話しかけても、現実にはトランスフォームは起こらず。

 ハンドルか、タイヤか。なんにせよ上下の障害物を排除しなければ、新しいパッキンは取り付けられない。そして新しいパッキンを取り付けたあとでもういちど排除された者のエンジンに火を入れるつもりならば、当たり前のことだけれど、もとに戻さなくてはならない。ちなみにそれも当たり前のことだけれど、ダストシールがフロントフォークの内部に詰まったオイルに水やダストが漏れ入らないようにシールしているものである以上、それを外して作業するということは、オイルダダ漏れということ。オイルも入れ替えなくちゃならないし……地球に重力がある限り、二輪車のタイヤを一個外すということは、二輪車そのものを宙に浮かす必要がある。

 クソ面倒くせえ。

 おそらく、今回のこの記事を、ググって読んでくださっているなかには、ひび割れたり裂けたりしたダストシールを見て見ぬ振りをするのも限界を迎え、数百円のパッキンを取り替えるだけなのだから自分でやろう、という野望をもつかたもいらっしゃるでしょうが。わたくし、なんのお役にもたてません。ここまで読んでいただいて恐縮ですが、今回の記事は、ただたんにバイク屋にフロントフォークのオーバーホールを依頼した、というだけの徒然です。もうしわけない。

 私、カラーボックスを10分で作れます。
 私の勤める店で、カラーボックスの組み立てを頼むと、数百円もぎ取られます。ぶっちゃけた話、これはかなり割が良い。60分で六台作れるので、軽く数千円。もっと割をよくするために、私よりも給料の安い若い子に我がカラーボックス組み立ての妙技を伝授すれば、そりゃあもう金の卵を産むニワトリ。

GCB-3(PI)

 実際には、組み立て家具組み立てサービスなどというものは、ほとんど依頼がありません。リュウマチが進行してドライバーを握ることもできないひとり暮らしのおばあちゃんとか、爪にきれいな絵を描いた米を研いだこともないおねえちゃんとか、つまり自分ではどうしても十数個の木ネジを締めることができないかたが、やむなくカラーボックス本体と変わらない組み立て費を払うことを決断する。

 そういう意味では、フロントフォークのオーバーホール、すなわち完全分解してもとに戻す作業は、やってやれないことはない作業ではある。機械いじりは好きだし、やればやったでおもしろいのかもしれないが……なんにせよ、カワサキさんに純正パーツがまだあるのか、取り寄せられるのか、それを確認するのが先。

 そうしてなじみのバイク屋へ行ったら、暑い夏と、長い雨の明けた直後。ずらり並んだ修理なのか点検なのかを待つマシンの列。私が排除された者を降りて、うわあこりゃあ修理に出したら順番待ち長そうだ、と思いながら見知った店長に話しかけようとすると……

「あの……」

 同時に話しかけた人影。振り返る私。おじさまがいた。いわゆる革ジャンにグラサン的バイク乗りな私とは対照的な、日に焼けたバイカーズジャケットに寝袋まで装備した巨大リュック。ガラス戸の向こうには、おじさまの乗ってきたらしいマシン。泥だらけ。ぴかぴかしたところが1ミリもない、この夏、日本一周してきたそのまま家にも帰らず店に持ってきたという風情。

 店長が、おじさまと私を見比べて、修理工場へと声をかける。

 そんなわけで、兄貴と呼べるベテラン整備士さんはおじさまにあてがわれ、私はピアスをしてソバージュヘアなイチミネショウイチくんとバディ。私が選んだのではない。だがまあ、嫌いなタイプではない。やんちゃな弟キャラである。なにより私の排除された者に興味津々なのが、悪くない。

「パーツは取り寄せられます」

 その場で確認。
 さて、どうするか。ダストシール交換するなら、年季も入ったマシンだし、この機にオーバーホールしてしまいたい。

「OHしてもらったらいくら?」

 そうですねえ、と出てきた金額は、一本一万円くらい。フォーク二本完全オーバーホールで二万円というところ。

 あー。
 私のなかで、面倒くさいが勝った。
 得意な仕事で二万円稼いでくるから、きみに任せる。

「ちょっとかかりますよ」

 順番待ちのマシンの列。ああいいよ、ふだん乗っているわけじゃないし。代車もいらない。さくっと商談成立して、電車で帰る。

 秋だなあ。暑くもなく寒くもなく、バイク乗るには良い季節ですなあ、と十月をノンバイカーとして生き、しかしなんの不都合もなく、欲求もなく、寂しくはあったけれど、携帯にバイク屋からの着信が残っているのを見ても、雨では取りにはいけないなあ、と冷静で。

 おれのバイク愛ってなんだろう。
 ちょっと思う。
 あまちゃんで無頼鮨の梅頭大将が、部下にひとこと言い渡すためにハーレーで十時間走ってきてまた帰って行った、というのが、夏場に革装束なのもあわせて、おもしろおかしく描かれていましたが。バイク乗りの愛情深さってそういうところに現れると思われがち。

 その点、私は片道100キロ越えたら車か電車を迷わず選ぶ。広大な砂漠広がる北アメリカとかいうならともかく、信号だらけの日本の都市部でバイクとか、実用的じゃない。排除された者には、収納スペースとかも皆無ですし。荷物はもれなく人間の肉体に装備。足で走って疲れないための走行マシンとして生まれたはずのそれに乗って、筋肉痛になることだってしばしば。そんなものに暑い夏や寒い冬、乗ってばかりもいられない。

 おれのバイク愛って。

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10月30日

・オーバーホールに出したままだった愛車を、ついに今日迎えに行ってきた。一ヶ月以上ぶりの再会なので気合い入れたバイカーファッションで家を出てから、ああこれで電車乗るの恥ずかしいやと気づく。どう見てもスイカかヒトの頭が入ったリュック背負っているし。 

twitter / Yoshinogi

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 イチミネショウイチ、もちろん仮名が言った。

「せっかくオーバーホールしたんですから、乗ってくださいよ。クソ寒くなる前に」

 クソって言ったな客に向かって。しかしまあなあ、やっぱり内部まで錆は回っていたと聞かされて、まかせてよかったよ面倒なことやらせたな、と感謝はむろん。経年劣化もあるけれど、乗らないとゴムはひび割れ、見えないところが錆びるもの。仕事を確認して、ぴかぴかになったフロントフォークを撫でる。

「もうこんな美品のエリミネーター、走っていないですから。目立つのに。走らないの、もったいないです」

 なんだか拗ねたように言う。
 その発言に、イチミネショウイチのバイク愛と、私のマシンを大切にあつかってくれたことを確信する。そして同時に、気づく。口では、そうだね、と返したけれど。彼のそれと、私のそれは、同じではないのだということを。

 こいつが美品なのは、走っていないから。走ればその他大勢の、もう走っていない排除された者同様、スクラップになるだけ。こいつに乗れば目立てる? いや私は、そんなことを望んでいない。イチミネショウイチとの会話で、そうなんだと納得する。

 きみが言っているのは、こういうことだろう。
 美しいヒトがいて、そのヒトに、その美しさが老いによって朽ちる前に、人生をたのしむべきではないかと、そそのかす。

 けれど、私はこう思う。
 その美しいヒトが、私のものになるのなら、私はそのヒトをガラスの水槽に閉じこめて、眺めていたい。なにも与えず、私自身も触れず、知識にも穢されず、私にも穢されず、ガラスに隔たれて、外界からの自然の刺激も最小限にとどめ、できうる限りに、無垢なまま。

 それでもやがて、ほころびる。
 そのときはじめて、私はみずからの老いもあわせて、そのヒトの目尻に現れたシワに触れて、感嘆する。本当に、そのヒトが、私のものになった気がして。

 わかっちゃいないな。
 走ったら、走っていないがために守られてきたものが穢されるんだよ。

 なかば本気で思っている自分に気づいてしまった。
 ああ、こいつきれいだなあ、と感嘆して買ったのはもうずいぶん前のことだけれど。潤沢な資金があれば、私は、このバイクをガソリンもオイルも抜いて真空密閉できるショーケースに入れて、眺めていられれば満足だったのだ。そうすればメンテナンスも必要なく、私が死ぬまで、すなわち私の世界が消え去るまで、こいつは排除されずにきれいなままだった。

 それこそ、もったいない。
 思いながらも現実は、私はイチミネショウイチに礼を言い、やむなく排除された者にまたがって、アスファルトの上でタイヤを摩耗させる。

 帰り道で、靴を買った。
 靴を買うのは、明日も生きることが確信できている証だ、とだれかが言った。でも私は、この仕事用の靴を、毎年二足ずつ買っている。頑丈で安いから、明日生きていたら明日の靴に穴が開いても次のストックがあって安心だし、明日が無ければ、私の世界そのものが終わっているのだからなにを後悔することもない。まったく同じものを、数年にわたり、すでに十足以上買った。気に入っているので、モデルチェンジしないでほしい。

 もしもいま乗っている車とまったく同じモデルが数年後に買えるのならば、死ぬまで同じ惚れた車に乗り続けていられて素敵だと思う。同じモデルだって別の車だろうというのは、よくアンドロイドとヒトの交流を描いた小説で説かれるところだけれど。そもそも飾って眺めていたいという動機ならば、新品に交換したところで、心が離れる理由がない。形状が、フォルムが、それこそが魂なのだから。

 そういう理想を、私は持っているらしい。
 しかし理想は理想、現は現。
 フロントフォークオーバーホルを終えてぴかぴかになった排除された者。けれど別の場所にだって避けようもなく浮かぶ錆を磨きとりながら、水槽のなかに入れて触れることさえせず見守っていた、美しいヒトの目尻のシワに触れているような気がしている。

 これが、愛だと言える。

Frontfork02

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