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『連載小説「菊名田先輩の電圧」最終回』のこと。



「なにをやっているんだろう……」

 ため息をついた瀧川みのりにシーツを掛けられ、診療台の上に横たわった全裸の男が振り返って不安そうな顔をする。

「おいおい、ボナーチャ。なんかミスったんじゃねえだろうな。こんなところで黒こげにされたりしたら、たまんねえぞ」

 瀧川は、我に返り、苦笑を浮かべた。

「こんなところはひどいですよ、先輩」
「その先輩が金落としに来てやっているのに、ため息つく後輩を信用しろってのか。だいたいおれより十五も若いのに、引退して白衣とかよお。暴れたくてイライラしてんだろ」
「そうですねえ、ちょっと電圧、上げてみましょうか……」

 言って、瀧川は傍らの、見た目だけは未来的にLEDが点滅する機械を操作した。

「お、お、おお……効くぜえ」

 先輩は恍惚の表情を浮かべるが、要は微弱な電気を肉体に流しているだけである。体内を流れる電気と大気中の電気との電圧差を感じて、それが効いているとの実感になる。電位治療と呼ばれるもので、瀧川の整骨院がオープンしたときにはなかった機械なのだが、開店の祝儀代わりに訪れてくれた大先輩たちが、決まって「あれはないのか」と口にするので、やむなく購入したものだった。
 ちなみに、とても高価なものだ。
 だが、置いてみれば意外なことに、商店街という立地もあるのだろうか、整骨院の看板に惹かれて訪ねてくれるおじいちゃんおばあちゃんは少なくなく、そういった客筋に、この機械は、とても愛された。

「そうですか。これ目当てに来てくださる素人さんもいらっしゃるから、もう一台買おうかと思ったりもしているんですけどね」

 瀧川は、電位治療というものを信用していない。
 していないのだが、五十歳を目前に若手選手からいまだに若かりし日の〝カミソリボーイ〟の呼び名で怖れられる菊名田先輩が、瀧川の店のベッドで持病の腰痛を忘れ、試合でヒビの入ったあばらの痛みも忘れ、ぬるめの温泉につかってでもいるかのように気持ちよさそうな様子でいるのは、よろこばしいことだった。

 この稼業をはじめたのは、現役を引退してからも業界にとどまっていたかったからであり、戦えもしないのに会場に居座るなら役に立てるようにと、柔道整復師の資格を取ったのがきっかけだ。選手が、安心して安全に、気持ちよく戦って、それでお客さんがよろこんでくれる──

 それが瀧川の望みだったし、だとしたら、現実に菊名田先輩を癒しているこの機械も、望みの実現に、おおいに貢献してくれている。

「おまえの首も、こいつで治らねえものかなあ」

 夢うつつのなかで、菊名田先輩は深い意味なく言ったのだとわかってはいたが、瀧川は、また、ため息をつきそうになってしまった。早すぎる引退の直接の原因になった、首の負傷を悔いてではない。

 昨夜出逢った、彼のことを想って。

 柔道整復師は興行会場で、選手への応急処置的医療行為がおこなえるが、それ以前の選手の時代から、瀧川は、他人の躯をひとめ見て、痛めている箇所や、さらには痛めそうな箇所までもを見抜く才に長けていた。他人の躯に生じている違和感を、本人さえも感じていないのに、見抜いてしまう。だれも気づけないが、瀧川だけは気づく。若い頃には、それを、考えなしに口に出してしまうことが多かった。対戦相手にまで、つい言ってしまっていたのだ。

 〝右膝に気をつけろ〟

 その言葉は、当然のように挑発だと取られ、果たして実際にその箇所をケガでもしようものなら、陰口をたたかれる。予告した部位を、瀧川が狙って痛めつけたと、まわりからは見えるのである。その日が無事でも、のちにその選手が、右膝をひどい痛めかたをして長期欠場などということになったりすれば、陰口は、もっと根も葉もなく、たちの悪いものになる。

 呪い、という言葉さえ聞いた。言われた側にすればそうなのだと遅まきながら気づき、自制するようになったのは、自身が中堅と呼ばれ、若い後輩たちを指導する身になったころからだった。それからは、うまくごまかして注意するようになった。

 〝蹴りかたにクセがあるから、膝を痛めるおそれがある。気をつけろ〟

 いまはもう、白衣を着ているので、ケガの予知はいぶかしがられるどころか、どうしてそんなことがわかってしまうのかと、驚かれるだけである。

 それが、昨夜は。初対面の相手に、ぶしつけな病状予告をしたあげく、自分がゲイであることを告白し、そのうえでリングネームを名乗って、あやしい者ではないからネットで調べてくれと頼んだのだった。我ながら、トチ狂っていたとしか思えない。

 しかし、彼は、ひどかった。はっきりとした原因はわからない。なにせ、知りあいでもなく、診たわけでもないのだから。けれど瀧川には、ひとめでわかるほどだったのである。膝の痛みは、きっと、腰か、股関節から来ている。上にある無理を、膝が吸収して痛んでいるように見えた。

 もっとひどいのは、彼の表情だった。凛々しい端整な顔立ちだったけれど、そこに浮かんでいるのは、巧妙に押さえつけ隠してはいても、彼の心もまっすぐな状態ではないのだと感じさせる鬱屈したものだった。あれは、とても怖い状態だ。肉体が痛みという形で悲鳴をあげはじめているのに、心もまたあらぬ方向に向いていて、躯を気づかっていない。止められるなら、走ることも止めたかった。それなのに──

「はあ……」

 また思わず息を吐くと、裸の菊名田先輩が、シーツをめくって振り返る。

「なんなんだうっとうしいなおいっ。怖いモノ知らずのボナ=パーチャーサーがなに悩んだりしてる。なんだかしらないが、飛んでこそおまえだろうが」
「先輩……前は隠して」
「おう」

 胸を張って返事を返し、診療台に上がると、自分でシーツを戻す。深く考えない先輩の、まっすぐな言葉に、瀧川は目を閉じる。

 知らない選手だ。だが、見るからに練習をまじめに積み重ねている、いい選手だった。その躯の異変に、気づくことができたのに──待っているだけでいいのか──いや、これもごまかしだ。思わず触れていた。思わず名乗っていた。その切羽詰まった表情に、訊ねかけたくなっていた。いつものくせで、はげますよりも、発破をかけて挑発するような態度になってしまったが──

 背を向けられたときには、手をのばしそうになった。まだ戦える選手がひとり、消えることになる。 ぼくのように。それに、迷った子犬のように放っておけない、すがりつくような目をしていたのは、こっちの気のせいではないと思えた。頼りたいのに、頼れない。そこまで傷ついている。

 そんなふうに感じた。
 自分の頭のなかで脚色もなされている気はする。
 それ以外の感情も働いている気はする。
 ──そうなのだろう──
 それでも。
 飛んでこそ、ぼく、か。

「電圧、上げてくれよ、ボナーチャ」

 そうだ。それでも。
 ぼくが、そう感じているから。 
 さがしてやらなければならない。


 吉秒匠 『菊名田先輩の電圧』

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・ めずらしく、長い原稿をとことん絞っていくということばかりを並行してやっている。これがもう自分で言うのもなんだが、削ろうと思えば削れる要素だけで私の原稿はできているのだと痛感。無駄口で気を惹こうとする自分自身を切り捨てる作業が、一線を越えてたのしくなってきた。端正にしてやる。

twitter / Yoshinogi

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 たとえば、妖怪がったがたたんの産みの親は私だ。
 そんな妖怪は知らない?
 いや、あなたが知らなくても、私は文字にしてそれを動かし語らせ電脳空間に放流した。その行為から一年半が経ったいまでは、日本語でグリム童話のルンペルシュティルツヒェンを検索すれば、吉秒匠の創作した妖怪が現れる。
 こうなればもう、この世に存在している、がったがたたん。

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『ルンペルシュティルツヒェン』の話。

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 そんな私の書斎にあるハードディスクのなかへ、菊名田先輩を産みこぼしてしまったのは、どういう心の状態だったのか、おぼえていない。その小説のなかで、菊名田先輩が出てくるのはこのワンシーンだけであり、最終的に私は、加筆修正する手間もなく菊名田先輩のすべてを削除した。

 柔道整復師の資格と、整骨院という設定は、プロレスリングNOAHの浅子覚メディカルトレーナーのドキュメンタリーを観たせいである。怪我がもとで若くして引退した選手が整骨院を開業し、そこに彼よりもずっと年上になりながらいまだ現役の選手たちが、癒しを求めて通っている。そういうシチュエーションにキュンときたのはおぼえている。

 電位治療器は、うちの近所にそういう機器の中古品を扱うショップが先日できたのだけれど、それが雑居ビルの三階という「やばい事務所か」と疑うようなとても電位治療器のメインユーザーたる老齢の方々が入りやすいとはいえない(老齢でなくても、エレベーターのないビルの三階に腰痛の人が 上がりたがるとは思えない)、そういう立地に自信満々でオープンするその商売の秘密とはなんなのか、ちょっとばかり調べずにいられなかったので、何冊かの関連書籍がいま手元にある。

 で、まあ、それぞれからなにがしかの感銘を受け、こんなシーンが生まれ、そこにだけ生きる菊名田先輩という人物も産みこぼされてしまったと推察できるのだけれど。

 ちょっと疲れのとれた頭で読みかえしてみれば。

 主人公はとっとと彼をさがしに行って見つけて愛を語り抱くべきである。菊名田先輩のケツは、ラブストーリーを台無しにしている。電位治療器とかうさんくさいうえに物理的なモーター駆動部位もない機械は大人のオモチャとしても使いづらいし、愛にあふれる私の作品に持ち込まないで欲しい。

 私は、菊名田先輩を産んだ日の私に言う。
 そして、デリートキーを押す。 

 こんなことは日常だ。
 だがしかし。

 私はなんだか、菊名田先輩が好きだった。
 おそらく痩せ型ではない。かといってマッチョでもない。知らない人が見たら「え、このひとスポーツ選手?」という見た目。腰が悪い。というか、全身の関節が悪いなかで、腰がいちばん悪い。そのことはファンもみんな知っているのだが、だからこそ、菊名田先輩が自分よりも背の高い、体重も重い選手を持ちあげたりすると、それだけで盛り上がる。プライベートは真面目。というかたんに、相撲出身の選手が要領よくやるように、競技人生と並行して飲食店を経営するというような柔軟な発想を持たなかったので、第一線からは引いたいま、金銭面で余裕がないから真面目な生活を送るしかない。ゲイではないが独身。遊ぶ金もないのに、後輩の整骨院には、大きい大会の前には必ず来る。大きい大会といっても、菊名田先輩は第二試合で新人を持ちあげて叩きつけるもののスタミナが切れて腰を押さえた拍子に丸め込まれる、といういつもの試合をするだけ。

 こういうことを書いても、私しか萌えない。
 逆に見れば、疲れた私のなかから書いた記憶もあやふやなのに産みこぼれた菊名田先輩は、あとになってみれば行数の限られた舞台で活躍の余地はまったくないということがあきらかになったにせよ、そのときの私には必要なキャラクターだったのかもしれない。
 私の疲労の化身だ。
 癒しの天使だ。
 おっさんだけど。

 ハードディスクからデリート。
 そうすると、菊名田先輩は、この世から消える。
 産んだのに。
 産まれなかったことになる。
 がったがたたんに、持って行かれるおっさん。
 私が、持って行かせた。

 『フレディ VS ジェイソン』の大きなポスターがうちのリビングには飾ってある。

Freddy vs. Jason

 この映画で、夢のなかの悪鬼フレディ・クルーガーは、子供たちを襲えない。すでにフレディは忘れ去られていたからである。怪物は、人々の怖れる気持ちあってこその怪物であり、夢に見られない悪鬼は、もはや存在さえしていない。

 同様に、どんな愛すべきキャラクターも、授業中にノートの片隅に描かれ、卒業のあと実家のダンボール箱に収められたままでは、産まれたことにならない。

 せめて、だれかひとりにでも。
 いや、もう、私が、自分で、そのひとの存在を忘れないように。菊名田先輩の登場する唯一無二の連載小説をここにはじめ、即座に終わらせた。

 とりあえず、産めた。
 おぼえているからといって、この先、菊名田先輩で新たに一本書こうとか、そんなことはないと断言できるくらいではあるが。
 私は安堵している。
 ありがとう菊名田先輩。
 あなたに逢えてよかった。
 永遠に超高圧電界で唸っていてください。
 お元気で。

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グッチ 財布  グッチ 財布  2013/10/19 18:38
『とかげの月/徒然』 『連載小説「菊名田先輩の電圧」最終回』のこと。