最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ

『とかげではなく』の話。


Boombox

写真アルバム、というものがうちには、ない。
コレクションとしてのフィルムカメラは何台か所有しているが、
いまや実際に撮るのはデジタルカメラだけだ。
となると、わざわざ紙に焼く必要はない。
だれかに見せるときだって、
LAN経由で私のパソコンにつないでもいいし、
最近のテレビ機器にはたいていUSBメモリが挿さる。
ネットアルバムも、よく使う。
私の両親は、美術部で出逢った。
ちょうど、ラブ&ピースなご時世だったため、
実家にある写真アルバムは、綺麗にカテゴライズされている。
ヌードが多いのだ。
実子の私でさえ若かりし日の父母のラブ&ピースなど見たくない。
他人にとっては、アートというか、ドン引きである。
私は三兄弟の長男。
うえふたりは既婚者で、末弟は同棲相手がいる(女性)。
なんだかんだで、実家にそれぞれの彼女の両親が訪れたりする。
さすがに、うちの親も、ラブ&ピースはまずいと、わきまえる。
対策として、
「おじいちゃんおばあちゃんと孫」
というアルバムが作られた。
三兄弟、それぞれにある。
末弟は、私とは年齢がひとまわりちがう。
さすがに彼のアルバムは、こういう色をしていない。
写真も、アルバムそのものも、その十年ちょっとで進化したのだ。
私のアルバムは、カラーだけれど黄ばんでいる。
小学校くらいからは「100年プリント」などというCMも流れて、
写真プリントは色褪せしないことが売りになるのだけれど、
学生結婚だった両親がアーティスト気取りで、
安いフィルムとプリントで量産した幼い私の写真は、
私自身がおどろくほどに、時代を感じさせる。
ここに写っている祖父は、もういない。
祖母は健在だが、ひさしく逢えていない。
このラジカセを、おぼえている。
牛に、FMラジオを聴かせていた。
この廊下をおぼえている。
寝転がった父が母の胸をブラの上から揉んでいて、
笑って眺められる私は、ふたりの思惑通り、
その行為の意味はわかっていなかったが、
光景として記憶し続け、いまは意味がわかる。
広島の義父母の家の廊下で娘の胸を揉みしだくのを、
幼い息子に見せつけて微笑む。
父と母、若すぎたふたりのラブ&ピース。
このアルバムには、表面を保護する透明フィルムがついている。
酸素によって色素が劣化するのを防ぐためだが、
けっきょく、台紙自体が茶色く変色しているのだから、
紙の繊維の隙間から酸素は入りまくりだったということだ。
スキャナーでデジタル化してしまえば、劣化は止められる。
ラミネート加工すればいい?
けれど、そんなことをする気には、ならない。
この写真は、これでいい。
逝ってしまった祖父がここにいて、幼い私がいる。
ラジカセも、廊下も、カーテンも、ここにしかない。
祖母は、いまと変わらなく見える。
ずいぶんと逢っていないから。
私は記憶を現実とごっちゃにしているのだろう。
現実には、時間は流れている。
祖母が、当時と変わっていないわけがない。
証拠が、この色褪せた物質上に、同時に見える。
この一枚を撮ったのは、父である。
知らぬ間に娘のパイオツが揉みしだかれた廊下で、
彼と彼女は、義理の息子の視線を、まるで意識していない。
それどころか、実の息子である私まで、父を無視している。
この構図なら、写している父の微笑みを感じてもおかしくない。
けれど、写している父の存在は、感じられない。
写っている三人だけの時間が切り取られている。
上手だと思う。
父は大仰な一眼レフフィルムカメラを使っていた。
黒光りするデカい機械をかまえているのに、意識されない。
アーティスト気取りが、身についていたのだろう。
ただ切り取ることは、とてもむずかしい。
切り取ったそれが、永遠である必要はない。
一瞬、だれかの目に触れれば充分。
私自身が見るたびに、そのときどきの確定をする。
ふと、きまぐれで。
黄ばんだプリントをデジカメで乱暴に切り取った。
これをここで見て、見知らぬあなたは。
また違う意味で、この写真を確定する。
あなたは知らないはずだった私の時間を知る。
一枚の写真の大雑把な複製と、添えられたこの文章により。
さっきまで居なかった、私と、祖父と祖母が、生まれる。
いまここにいる私とは違う、あなたの。
別の世界に、また切り取られた、でも、私。
うれしい。
よろこばしい。
どうもありがとう。
大切にする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 たとえば上の写真などは、帰省のさいの一枚だから、写真アルバムの同じ台紙には、祖父母と孫というテーマの写真しかない(さすがのラブ&ピースな若者たちも、遠い実家に帰省してまでヌード撮影会は開かなかった)。

 いまもけっこうなシェアを持っているはずだが、当時も写真アルバムといえば、ページ留め金具を連結させてページを増やせる形式のものが一般的だった。

 それゆえ、息子たちが彼女の家族を家に連れてくるようになり、すべての写真アルバムを再編集したときにも、テーマがまとまっているものは、取り外せる台紙ごと移動されたのである。つまり、表面の酸化防止フィルムは、剥がされなかった。

 それでいて、この黄ばみ。

 某社の100年プリントにしておけばこんなことにはならなかったのか、と悔いたいところだが。あれも「約100年間、視感上許容される範囲に画像が保持されるもの」という定義らしいので、品質が変わらないわけではなく、まあなにが写っているかわかるくらいには残るでしょうという話(それも、温度24℃湿度60%という条件付きなので、写真アルバムは年中エアコンの効いた専用ルームに置いておかなくてはなりません。謳い文句なんてそんなもの)。

 写真は朽ちるものです。
 それに比べて、記憶はいつまでも鮮明。

 広島の、この家を想い出すとき、私は、風呂に入っている。

 風呂場の隣は牛舎です。
 荒川弘さんの『銀の匙 Silver Spoon』のヒットで、農家ってそういうものだという認識が広まったいまなら友だちなどにも話せたかも知れませんが、あのころの私は、牛とはいえ女性器に獣医さんが頭までのめり込む勢いで両腕をつっこんで血まみれの胎盤に包まれた子牛を引きずり出している光景や、種牛以外の雄牛の睾丸のスジをでっかいペンチでばちんっと切って去勢する場面などに与えられた衝撃を、都会に帰って、だれかに話して昇華するということができませんでした。

Silver Spoon

 風呂に入りながら、隣の牛舎で泣いている牛は、さっきキンタマを潰された、なんて思いながら、自分のまだ毛も生えていない睾丸を触ってみたりしました。生まれたばかりの子牛が脚をガクガクさせながら立ち上がる場面だって何度も見ましたが、それにはそんなに心が揺れなかった。農家の孫で、軒先に蛇だの首切ったニワトリだのが吊してあって、薄めていない牛乳で腹だって壊しましたが、そういう場所で、命って美しい、みたいなことを学んだというよりは、自分も「肉」なんだと教えられてしまった。

 ペンチでこれ切れば、男なのにからだつきが女らしくなって肉が美味しくなるのか、とか、自分も母親のあそこから血まみれで出てきたんだ、とか。あいつら鳴いているけれど、来年にはスーパーにパックで並んでいるんだよな、と思ったら、おなじ肉なのに、肉が肉育てて肉食って大人になるとか、なんだか怖かった。

 写真よりも、もう少し大きくなって、そういうオスとかメスとか生殖とか考えずにはいられない年頃に差しかかった私は、隣で牛が鳴いている風呂にひとりで入るようになり、ますます肉の世界に思いをめぐらせて湯船につかって……

 その風呂場には、曇りガラスの窓がありました。

 そこに、ほぼ毎夜、カエルかヤモリが這い回っていた。
 いや、這い回ってなどいなくて、ガラスが風呂の湯気であたたかいからなのか、やってきてはじっと止まっている。曇りガラスなんだけれど、ぬるっとした生き物が密着すると、透けて見える。ガラスに貼りついた脚の吸盤が、白い腹が。

 チンチンがないなあ……

 って思った。
 かといって、メスだというわけでもないみたいで。
 つるんとしてる。
 爬虫類?
 両生類?
 オスとかメスとかないんだっけ?
 いや、ウシガエルがセックスしてるの見たことあるなあ。

 実際には、ヤモリのペニスはからだのなかに収納されていて、カエルはペニスがないのでセックスできないのにメスの背中にしがみつく。

 けれど、私は、そういう深いことは無視して。
 血まみれの哺乳類に比べて、彼らのなんと清々しく美しいことだろう、と、そんなふうにすり込まれてしまったのです。

 彼らは、私の天使。
 無性の象徴。
 もしくは性を超越したいきもの。
 つるつるでぬめぬめのアンドロギュヌス。

 そういうことを想い出す。
 ああ、だから私の描く、あれは。

とかげの月

 風呂の窓ガラスに貼りついているのです。
 手脚に吸盤のある。
 当サイトは『とかげの月』と申しますが。
 つまりその画は、地を這うトカゲではありえません。
 正確には、ヤモリ。

 月に重ねているので、月に貼りついているかのようですが。
 本当は、こちらに腹を向けているのです。
 生殖器はない。
 隠れているのではなく、私が描くそれは、どちらでもなく、どちらでもある。

 昼間、牛舎の床に流れた血の色を打ち消すための、冷たく青い爬虫類は、幼いころに私の心を安定させてくれて、それからずっと私のなかに棲み続け、いまでも。
 私のものすごく重要な一部。

 とかげではなく、やもり。

 でも、当時の私が、それをトカゲだと思っていたから。
 だから私の一部は、とかげ。
 ただし、爪はなくて吸盤で、隣で啼く血も肉も超越して。
 ぬるいところが大好きで、ぬめっと生々しく生きている。
 肉を食うのに悩んだことはない。
 牛乳も好き。
 好き嫌いはない。
 セックスも好き。
 性別を変えようと思ったことはない。
 そもそも男とか女とかあんまりどうでもいい。
 けっこう生きやすい。
 とかげのおかげ。
 それに、肉のおかげ。

 一枚の写真でいろいろ想い出す。
 記憶もすごいが、写真もやっぱりすごい。





TRACKBACK http://yoshinogi.blog42.fc2.com/tb.php/501-47966f16

グッチ アウトレット  グッチ アウトレット  2013/10/19 18:38
『とかげの月/徒然』 『とかげではなく』の話。