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『空気人形』の話。



 なんでわたしなの?
 わたしでなくてもいいんでしょ。
 そうなんでしょ。


 映画『空気人形』

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 第66回カンヌ国際映画祭でエキュメニカル賞を獲った『そして父になる』。

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映画「そして父になる」公式サイト

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 上映後10分間のスタンディングオベーションが起こって現地で福山雅治が涙したということでニュースになっていたけれど、日本では10月公開だから、きっとその前にはあちらこちらで放送されると思う、同じ是枝裕和監督の『空気人形』。

 七夕で、雨雲のない綺麗な夜空で。
 なにか愛情にまつわる話がしたいなあ、と本棚を眺めたら、この映画に引きよせられた。
 観ていないなら、ぜひ観てほしい。
 良い映画。

 ヒロインを演じるべ・ドゥナは風船式ダッチワイフ。
 これも私はとても好きな映画『リンダ・リンダ・リンダ』でのイメージが強すぎて「あの少女が五年も経つと全裸でダッチワイフを演じられるようになるのか」と感慨深かったのも最初だけ。

Doona

 心を持ってしまった空気人形が、メイド服姿で無言で街を散策する10分ほどを観ていたら、もう彼女は、そういう存在になっている。

 板尾創路演じる、関西弁のおっさんに買われたラブドールは、心を持ったらちょっと陰のある若い男に惚れちゃって、そうなったら自分が人間でないことが足枷になり……

 まあ、なんやかんやで、予想通りの切ない展開と、予想を裏切る観客はいつのまにかラブドールに共鳴しているという映画の魔法。

 そして彼女は、新しい人形をすでに買ってしまったおっさんと再会する。

 そこで、そういうことを口走った。

 なんでわたしなの?

 おっさんは返す。

 頼みがあんねんけど。
 もとの人形にもどってくれへんか。

 ……さて。
 これはものすごく人間同士でも起きることを、人形に置き換えてみたらわかりやすくなったという好例。

 なんでわたしなの?

 問われて彼は口ごもる。
 ほらやっぱり、と、女=愛玩人形は、言う。
 名前だって、別れた彼女の。
 わたしは代用品なんでしょ。

 代用品なんでしょと空気ポンプで膨らんでいる抱き人形に詰めよられてなお、男は反射的に「ちがうんや」と答える。

 人形にもどってくれ。
 こういうのは面倒くさい。

 面倒くさいなんてひどい!

 ちがうんや面倒くさいのはおまえやなくて、ヒトのほう……

 この時点で、互いになにを求めているのか、わけがわからない。

 彼は、空気人形な彼女の衣装を揃え、シャンプーを替え、ピロートークでは、彼女の声をはっきり幻聴している。
 彼女がヒトだったらいいのにと、心底に想っている。

 彼女は、きっと、そんなふうに愛されたから心を持ったのだ。
 雨粒を見てきれいだと手をのばしたのは、彼のすべてになり、毎日のように愛されていたからだ。
 ヒトになりたいと、彼女自身が想ったからである。

 けれど、心を持ったから。
 彼は、面倒くさくない新しい物言わぬ人形を買う。
 彼女は、別のヒトに魅せられ、そこでまた同一になれない人形な自分を知る。

 なんでわたしなの?

 箱入りで売られている風船の彼女を彼が選んだのは、偶然だ。
 別にダッチ・ワイフに限らず、ヒト同士であろうが、それはそうだ。
 出逢いなんてすべて偶然である。
 だから、だれも答えられない。
 問うても意味がない。

 なんでわたしなの?
 わたしでなくてもいいんでしょ。

 そっちだってそうだろう。
 赤い糸なんて実在していたら、いまごろヒトは滅んでる。
 たまたま出逢ったんだ。
 ああそうとも、おまえじゃなくてもいい。
 現にいま、ベッドには違う人形が置いてある。

 ……そういう話をすると、ヒトはケンカ腰になるものだ。
 でも、考えてみれば、だからよろこぶべきことなのだ。

 おまえでなくてもいいのに、おまえに出逢ったから、こうしている。

 それだけが理由でいい。
 そう言えば、心を持った空気人形も、ひどいと叫んで駆け出したりはしなかっただろう。
 空気人形は、なにも知らない生まれたての赤ん坊のようなもの。
 だから、わかりやすく言ってあげるべきだったのに。  

 なんでわたしなの?
 わたしでなくてもいいんでしょ。
 そうなんでしょ。

 そうだよ、でも、おれはおまえを愛したんだ。

 それでいいのに。

 なんていうか。
 ものごとというのは、単純ではないというけれど、空気人形はからっぽな自分をあつかいに困ってさまよってしまうのだけれど、人間だって、からっぽな肉人形なんだけれど。

 この映画に、べ・ドゥナが、自分で自分に装着されたオナホールを取りはずし、水道水で洗うシーンがある。
 それが私は忘れられない。

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 人形だからシリコンの脱着可能な性器だけれど、肉人形の私たちだって、たいして変わらない。
 皮膚と皮膚の接触や、粘膜と粘膜の擦りつけあいなんて、からっぽ同士がぐちょぐちょと使えるパーツを使って暇つぶしをしているだけである。

 それなのに、ヒトは、その行為に想いをのせる。
 人形の部品に部品を擦りつけ、汚す。
 洗えば落ちるような、ただそれだけの行為。
 
 愛の行為と、呼んだりする。

 人生を夢にたとえた武将がいたが。
 ヒトがヒトであることは、遊びなのだ。
 朽ちるまでの時間つぶし。
 いっしょに遊べる相手がいたら、それはうれしい。

 ケンカ腰になることはない。
 そんな、たいしたものでもない。
 ちょっと心を持ってしまった肉人形にすぎない。
 虫は遊ばない。
 でもヒトはひとり遊びができるし、ふたり遊びもできる。

 なんでわたしなの?

 答えなんてないんだし。
 訊き返してみよう。

 心があるから遊べないの?  

 それはもったいないことだ。
 自分で動けるようになったんだから、いろいろ試してみたらいいのに。
 ヒトの真似じゃなくていい。
 からっぽの人形が、生まれたての赤ん坊みたいにおぼえるのだから、せっかくだから。
 なんで、とか、もう、いいやん。

 愛してる。
 今日も生きよう。
 遊ぼう。

 それだけだし。
 そんなもんでしょ。
 ヒトなんてさ。

 七夕にしか出逢えないふたりに、ロマンを感じるなんて悪趣味。
 『牛郎織女』の物語は、牛飼いの男に嫁いだ織り姫が、織ることをやめてしまったから姫の父である天帝が激怒して、一年に一度しか逢わせん、と呪いをかけたっていうあらすじ……大事な仕事をほっぽり出して肉に溺れたふたりを、細くて長い天の川で隔てて、未来永劫触れあえぬまま見つめあわせる。

 そんなことしたら、よっぽど仕事がとどこおる気もしますが。
 結果として、一年に一度の七夕。
 空に、彦くんと織ちゃんを眺めるのなら。

 いや……見てやるのはやめましょうよ。
 夜が明けるまでに、ふたりはどれだけ、なんど、熱くなれるのか。

 天帝のおっさん、一年に一度ってとこがエロいです。
 それはきっと、それこそが大事なんだって教えるための物語。  
 見つめあう364日よりも、一夜の逢瀬。
 ロマンじゃないのです。
 肉と、欲と、渇望と、快楽。

 なんでわたしなの?

 もういいじゃん、そんなこと言ってるまに!!

 その熱が、愛。
 ひとりではいられないから、まさぐる。
 相手は人形でもいい、むしろ、それがいい。
 互いに互いをモノのようにあつかって。
 互いの飢えを満たすことができたなら。
 そういう行為のあとの夜明けは、格別でしょう。
 空気人形は、心を欲しがったのではなくて。
 愛されたがゆえに、自分を満たすための肉を欲した。
 だけど、それは、ヒトだけのものだった。
 かなしい物語。
 だからこそ、ぼくらはヒトであることをよろこぶべき。

 きみがきみであることを忘れてしまうほど、欲してた。
 ぼくはぼくを満たすことだけで、いっぱいいっぱいだった。

 ……。
 空気人形として生まれたわけではない、生身のヒトが、そんなふうに至るには。
 うん。
 一年くらいの禁欲は、必要かも。

Air Doll


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배두나 :: Bae Doona Official Homepage.

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グッチ バッグ  グッチ バッグ  2013/10/19 18:02
『とかげの月/徒然』 『空気人形』の話。