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映画『オッド・トーマス』の話。



・映画『オッド・トーマス』主演のアントン・イェルチンをクーンツ本人が絶賛したという。ついにくるのかクーンツファンがブーイングせずに観られる映画化が!! 情報がいまだ極端に少ないのが不安なんだが… http://t.co/zqJ66MOU
2012/10/21

・アントン・イェルチンは『オッド・トーマス』の次は『スタートレック』の続編とジャームッシュ監督のヴァンパイア恋愛物に出るという。『T4』のカイル・リースとしてはすでにだし、どんだけ彼は私の本棚に並びたいんだというラインナップか。
2012/11/02


twitter / Yoshinogi

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 オッド・トーマスが来た。

 ディーン・クーンツのフリークならばだれもがそうでしょうが、私も夢でうなされるほど「また頓挫する」ことを怖れていて、しかも昨年は撮影中であるはずなのになんの情報も流れてこなかったから、これはまたクーンツ先生がキレたのか、でもこればっかりはタイトルが主人公の名前なのに原作者クレジット抜いて別タイトルでなんて内容的に不可能だろう、などと邪推を重ね続けていた、その映画化。

(クーンツ師の映画化不遇などについては、このあたりを読んでいただけると、いかにフリークどもがやきもきしてるかわかっていただけますでしょうか。

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『ディーン・クーンツの哀しいデュカリオン、あるいは原題のフランケンシュタイン』の話。

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 上の記事でも書いていますように、クーンツのフランケンシュタインも大型映画化のはずなのですが、撮影はじまったって話をまるで聞かず。実現しないのにまいど映画化権は高値で売れてしまうそれこそが、師の偉大なるところではあるのですけれども)

 劇場用トレーラーではないですが、販促用のそれが、やっと陽の目を見る。



 ……おおおおおおおお。
 ちゃんとオッド・トーマスだ。

 ちなみに、これを読んでくださっているあなたは、あれだけ推したのだからまさか読んでいないわけがないとは思われるが……
 オッド・トーマスとは。

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『オッド・トーマスの霊感』の話。

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 その後、数冊が邦訳されていますが(そのたびに私は感想文を書いていますけれど、リンクを貼るのも面倒くさいので検索して読んでください。料理レシピでもそうですが、たとえば「たこ焼き とかげ」などとググっていただければ、たいてい私の書いたものに当たります)、いまも続いているシリーズが、昨年からぱったり訳されなくなった。それって私が勧めたのに実はだれも読まなかったから続刊を邦訳しても採算が取れないだろうということではなく、映画『オッド・トーマス』の日本公開にあわせてアントン・ヴィクトロヴィッチ・イェルチンとアディソン・ティムリンの美しいお顔をどアップで特装版平積み目論見なんでしょうねと勝手にうっとりしている今日このごろです。

 さて、このトレーラー映像の感想ですが。

 こういうことを書くと、原作ファンが映画化とかアニメ化で、決まって口にする自分勝手な失望だと受けとめられることは重々承知のうえで、あえて書くならば。

 アディソン・ティムリンの演じるヒロイン、ストーミー・ルウェリンは、どうひいき目に見てもセクシーすぎる。

 街を歩けばみんなが注目する美人ではあるのだが、黒髪と神秘的な黒い瞳が特徴的な原作のストーミーは、オッドと四年以上つきあっていてプロポーズも受け入れているが、過去のトラウマからセックス恐怖症であり、孤児院で育ったあとアイスクリーム屋で十六歳から働きはじめ、いちども転職することなく二十歳になって、いまは一店舗の店長というおねえさんである。

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 ストーミーはセント・バーソロミュー教会の正面で待っていた。階段のいちばん上に、ピクニック用バスケットを横においてすわっていた。
 ピンクと白の<パーク&ベイリーズ>の制服から、サンダル、白いパンツ、ターコイズ・ブルーのブラウスに着替えていた。制服姿もかわいかったが、いまはうっとりするほど魅惑的だ。
 カラスの濡れ羽色の髪に漆黒の瞳のストーミーは、古代エジプトからタイムワープしてきたファラオの花嫁かもしれない。その瞳のなかには、スフィンクスや、サハラの砂から発掘された──これから発掘されるものも含めて──すべてのピラミッドにも匹敵する神秘がひそんでいる。


 ディーン・クーンツ 『オッド・トーマスの霊感』

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 印象のズレは、私がアディソン・ティムリンのヌードを見たことがあるからかもしれない。十代でドラマの端役で脱ぐ女優というのは、少々、セックスに恐怖するまじめなアイスクリーム屋さんのイメージとは相容れないものだ。

 それに、アディソン・ティムリンは、黒髪でもないし黒い瞳でもない。トレーラーを見るかぎり、ブラウンの瞳にカラーコンタクトを入れている気配はないし、いつものような茶色と金色のまだらな髪のままであるかどうかは判然としないが、少なくとも濡れたカラスのような黒髪に染めてくれなかったことは粗い粒子の映像でもあきらかである。

 そして言葉は悪いが、どうも映画のストーミーは、知性の輝度が低い。原作である『オッド・トーマス』のシリーズは、主人公オッド・トーマスの書く「手記」もしくは「小説」として進行するために、オッド君の内面がよくわかる構成になっていて、読者は彼が、実に社会に不適合な天然具合だと思い知る。ストーミーは、言葉を使ってそんな彼を制御するのである。オッド君が記述したものを私たちは読むために、オッド君の見た「恋は盲目フィルター」もかかった無邪気なストーミー像を共有させられてしまうものの、冷静に主観の入り込まない彼と彼女の会話文だけを追っていけば、ストーミーがかなり高度なテクニックを駆使してオッド君を操縦していることがわかる。

 からかって、甘え、ときに強く否定もする。自身は苦痛をともなう重たい少女時代を送りながら、ちょっと奇妙ですなおすぎる幼なじみを十数年にわたってリードし続けている二十歳の女性を演じているにしては、アディソン・ティムリンの笑顔は媚びを含んではいないかと私には映るのだった。 

 もっとも、このトレーラーは業界内での販促用素材なので、あえてそういう「わかりやすい」彼女の表情をピックアップした可能性はある。映画の構成が、原作同様オッド君の主観爆発なものだとすれば、ストーミーの初登場シーンが、単にセクシーで甘ったるいものになるのは納得できるところだ。

(余談だが「ジャンバラヤ とかげ」のように料理名にとかげを添えた検索のほか、「ストーミー オッド・トーマス」という日本語検索でも私が過去に書いた記事がトップで叩き出される(現時点での話)。日本では地味な海外ドラマの端役としてしか知られていない女優アディソン・ティムリンが、映画『オッド・トーマス』のストーミー・ルウェリンとして一躍有名になってくれれば、この『とかげの月』も恩恵を受け、おやおや日本での様子はどうだいと覗きに来られたクーンツ師が目にとめてくれることもあるかもしれない。なんて考えると、私のストーミー像がどうかなどはどうでもよく、セクシーにアピールしてくれているなら、それに越したことはないと受けとめるべきなのだろう)

 そして肝心のオッド・トーマス。

 うーむ。クーンツ師絶賛。そうなのか。
 私はパンケーキアクロバットを子供に向かって披露するオッド君というのは「あれ?」という感じがあった。なんていうか……コケティッシュ。これって師が誉めたということを考えるに、原作に書けるものなら書きたかったオッド君を、アントン・イェルチンが具現化してしまったということなのかも。

 『ウィンター・ムーン』や『デモン・シード』を含めた、自身の過去の作品の全面改稿作についてクーンツは「生きているかぎり作品の寿命を延ばすための努力をするべき」だという考えを述べている。二十一世紀に生きるひとたちは、二十世紀で遭難している主人公に対して「携帯電話持ってないの?」と思ってしまう。そんなことで作品が読まれなくなるというのは実際のところよくあることで、そういった部分に手を加えられるのは作者だけなのだから、直せる機会があるのなら直して次の世代にも読ませたい。
 そんなクーンツ。
 そういう発言からも垣間見えるように、もともとが堅物である。マジメというか、天然に近い感性だと言ってもいい。主人公をヒロインが「トウフ坊や」と呼ぶのがユーモアであると感じて全編それで通してしまったり、突然に犬の視点で書いてみたり。いや、その結果、当たり外れが大きい作品群になる、そこが師の可愛いいところであり、嫌いになれない人柄であり……

 で、そういうひとが、セックス恐怖症の彼女を可愛く愛するダイナーのコックを書いたりすると、どんぴしゃりではまったものが書けてしまった結果の傑作『オッド・トーマス』なのだが。その可愛らしさって、ディーン・クーンツそのものだった。子供のいないクーンツが、自分の息子だと呼ぶオッド君。そう……オッド君はクーンツ自身であるがゆえに、二十一世紀に映画化される小説の主人公であるにもかかわらず、還暦を迎えている。

 『オッド・トーマス』シリーズ第一作執筆の時点では五十代の終わりだったクーンツも、映画公開年となる今年2013年では七十歳目前になる。科学技術の進歩や、世界の様相の変化を次の世代に向けて書きなおし続けるディーン・クーンツといえど、二十歳の純朴な童貞婚約者持ちは、この先、書けば書くほど現実の二十歳青年からは乖離したものになっていくはずである。

 いつの時代にも、通用する可愛らしさというものはある。
 クーンツは、それを自身が持っていて、描く登場人物にも与えられる。

 けれど、だからこそ。
 もじゃもじゃ頭と歯を見せないクールな笑みがコケティッシュなアントン・イェルチンの演じるような「二十一世紀の今日、ダイナーでパンケーキを焼いていそうな」オッド・トーマスを描くことはできない。

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 ボダッハの数は何百ではなかった。何千だった。これほどの大群は見たこともなければ想像したこともない。コロッセオでかなわぬ祈りを捧げるキリスト教徒たちを胸躍らせて見守り、ライオンの登場と砂の上での流血を待ちわびているローマ人の群衆にそっくりだった。
 ぼくは、なぜボダッハが通りから姿を消したのかと考えていたが、答えはここにあったのだ。いよいよ決定的瞬間がやってくる。


 ディーン・クーンツ 『オッド・トーマスの霊感』

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 正体不明な不幸の黒い影ボダッハの大群を見て、オッド君は冷静すぎるほどに冷静だ。
 販促用トレーラーのアントン・”オッド・トーマス”・イェルチンは、ボダッハの大群に両腕をひろげ狼狽えて、悲鳴さえあげそうな表情を浮かべているが、それは原作にはいないオッド君である。

 二十一世紀の観客のためのオッド君だ。

 ボダッハも、なんだかディズニー映画に出てくる悪霊のように騒々しい。正体不明の黒い影のはずが、どう見てもヒト型に造形されているシーンまである。過去の映画作で、謎の地下生物が陳腐なCGモンスターに改変されて師もフリークもがっかりしょぼーんだったことがあるので、謎の存在を具体化している映像を見ると不安になってしまうのだけれど、アントン・”オッド・トーマス”・イェルチンのオーバーアクションな演技を見る限り、超大作ではなく、コンパクトな長さの作品で、原作ではシリーズで徐々に明かされていく謎めいたところを、わかりやすさ重視で描いているのは伝わってくる。野心的なのは素晴らしいことだ。

 よほどのヘマをスタッフがしていない限り、『オッド・トーマス』は、ディーン・クーンツ映画の代表作になるだろう。過去の(はっきり書いてしまうが)駄作と呼べる作品群も私の本棚には並んでいるのだが、そんなふうに泣く泣く買わなくても、いつでもレンタルできるし、オンデマンドでも扱われる作品に仕上がっているような印象はある。

 大ヒットするかどうかは、わからない。
 ただ、クーンツ絶賛の意味は、痛いほどわかる。
 アントン・イェルチンとアディソン・ティムリンの演じるオッドとストーミーのカップルは、この作品を少なくとも過去の駄作群のように「だれも観ない」ものにはしないと確信できる。
 それだけで、ぼくらは泣くほどうれしいのだ。
 生きているうちに「ちゃんとした」クーンツ映画化作が観られるなんて。
 先生、よかったですねっ。

 これは予測だが、ナレーションは原作通り「ぼくの名前はオッド・トーマス」からはじまっているものの、全体の画面から受ける印象からして、原作では重要な設定だった「この物語のすべてをオッド・トーマスが記述している」というそれが、明確には提示されていないのではないだろうか。原作の感想を書いたときにも触れたが『オッド・トーマスの霊感』において、クーンツではなくオッドが書いているのだという部分は、特に驚愕の……そしてこの作品を傑作たらしめている最大の要因である……ラストシーンを読む上で、欠かせないファクターだった。もしもそれが曖昧にされている、もしくは、まったくの三人称視点で描かれているのだとすれば……

 怖れるのは、そこだけだ。

 ラストを改変していないかどうか。
 というか、映画でどうやってあれが描けるのだろう。

 ……原作を読んでいないひとには、まったくなんのことやらな話でしょうが、あのですね。もういちど、私はあなたに勧めておきます。どうせ読んでないんでしょ。でも、セックスを排除したターミネーターにもスター・トレックにも出ている将来有望なコケティッシュ俳優が演じる『オッド・トーマス』。きっと、映画館やわざわざ借りては観ないあなたも、数年後にはテレビで流されているのを観ることになるでしょう。世界のクーンツという肩書きはダテではないのです。だれが触れてもたまらん物語を書くひとなのです。

 映画化されたから、という前に。
 私は、なにも知らない、ディーン・クーンツを知らない、あなたに布教したい。
 だれもが知っている驚愕のラスト、になってしまうのかどうかは、そもそも改変されているかどうかがわからないので言い切れませんが、だからこそ、この一冊が、純粋な一冊の小説として読めるうちに。

 二冊目以降のシリーズ続刊はお好み。
 ただ、一冊目『オッド・トーマスの霊感』それだけは必読。
 ちゃんと完結しています。
 一冊だけでたのしめます。

 映画化されたのがうれしいんじゃない。
 ディーン・クーンツが知られることがうれしい。
 彼のフリークたちが、ああもうたまらんぜあのオッサン、と付き従っていく理由が、わかるはずです。あ、あたしこの映画の原作読んだ、ってアントン・イェルチン指さして言えるのも素敵だと思いませんか。

 またこうして、クーンツを勧められる機会があってしあわせです。
 世界が可愛い女の子や男の子でいっぱいになれば、みんなが自然と動物を愛でるようになれば、だれもがディーン・クーンツの愛読者だったらば。
 地上から争いはなくなります。
 そういう方向で、いきましょう。

odd

(執筆者に利益のいかない中古品をおすすめしたくはないけれど、邦訳四年前の作を定価で買えというのもあれですし。そこそこ日本でも売れたおかげで投げ売られるオッド君の一冊目。今後のことも考えれば、ここは布教優先で中古でも良し。とにかくお手元に一冊どうぞ)

フルイチオンライン

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『Dean Koontz師のサイン本』の話。

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クロムハーツ ピアス  クロムハーツ ピアス  2013/10/23 14:03
『とかげの月/徒然』 映画『オッド・トーマス』の話。