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『アンチョビを作らない』の話。


Anchovy

なんでだか、アンチョビという響きはロシアを連想してしまうのだけれど。
それはたぶん、ウォッカにアンチョビが最適だからである。
ロシアの結婚式で、パンとウォッカが象徴として使われるように、
家庭とはあたたまるためのものであり、
寒い冬なんかにはあぶってとろけたチーズののったパンを
ウォッカで流しこんでがっはっはと笑っていれば、
それで幸せ、ひとの肌もあればもっと幸せ。
でも、そこにもうちょっと塩味があれば。
幸せはもっと奥深くなる。
アンチョビは、ギリシャ時代にすでにあったという。
ていうか、小魚を発酵させると茶色い液がとれるぜ、
しょっぱくてそれは美味いぜ、ということが知られていたのである。
魚醤というやつだ。
しょっつるとか、ナンプラーなんてのといっしょ。
目の前に海があるのだから塩には困らないのだけれど、
発酵ってこれなにツンとくるよ凄いよぅっ、
と人類はいけない味をおぼえてしまったのである。
ウォッカとならぶ生活の酒ワインに目のないギリシャ人どもは、
そうして魚を発酵させては汁を得て凄いよぉぅと言い続けていたのだけれど。
まあ、当たり前だが、発酵させた魚の身が残る。
塩漬けなので、ガツガツ食えるものではない。
しかし、これもクセになる味ではある。
使いやすいようにオイルに漬けてみた。
食べやすくなった。
パン……つまりはイタリアのピザにのせてみた。
うむう。いけるじゃないか。
こうして白米におけるたくあん漬けのごとく、
アンチョビで小麦粉をガツガツいける文化が花開く。
たくあんそのものをつまみにして飲む粋な江戸っ子のように、
アンチョビでワインを飲むギリシャの血も育つ。
……そもそも、アンチョビってそういう……
ありあまっていたものをもったいないから食おうぜ、的な
食品であり調味料でもあり。
私はウォッカもワインも好きだ。
ピザもパスタも好きだ。
アンチョビが好きだ。
だが、買うと高い。理不尽な値段である。
ガツガツ食おうと思えば百貨店なら棚買いしなくてはならない。
だったら美味しい肉をつまみに食うほうを私はえらぶ。
アンチョビの原料であるイワシは、この国でも安い。
あろうことか天然のイワシが養殖魚のエサにされているくらい、
あたりの海にいっぱいいるのだ。
だったら作ればいい。
古代ギリシャ人が作れたものが現代日本人に作れないわけがない。
理不尽に高級食材のごとく扱われている缶詰を買わなくても。
こんど安いカタクチイワシを見つけたらまとめ買いするぞ。
おっきなガラス瓶にいっぱいのアンチョビを作るんだ。
そう私は心に決めていたのだけれども。
さっき近所の業務スーパーに寄ったら、
先週まで売っていなかったアンチョビが売っていた。
100g(固形量60g)で¥298。
あ。これでいいや。
で、パンにのせて焼きました。
いまから食べる。
需要があればいっぱい売られるようになる。
業務用も出回って安くなる。
ありがたいことですね。  
適正価格で買えるなら作らない。
こうやって、たくあんも家で漬けなくなったんだろうな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 しかし業務スーパーさんのいつものことで、ある日現れた輸入品は、ある日突然消え去って二度と現れない。あー、もうトーストどころかサラダなどにまでアンチョビ入れるようになっていたのに、売るなら一生売ってくれないと困るなあ。

 どこぞに在庫ありませんかね。
 とググってみたら。

 ふつうにAmazonさんで大瓶を売っていた。

 

 最近、それらを買っては試す日々。
 しかし私、どうもアンチョビのハズレを感じる舌を持っていないらしい。どれも美味しい。となると、安くてもいい。となると、太陽嵐が吹き荒れてインターネットが使えなくなったりしない限り、たくあん買うくらいの感覚でアンチョビを一生、買えちゃう。

 そんなわけで、業務スーパーのアンチョビを撮ったときには、近いうちに手作りアンチョビをビンいっぱい作ってグロい写真をアップしようと画策していたのですけれど、どうやら一生アンチョビ作ることはなさそうですし、瓶詰めの大量アンチョビは、自転車のクロネコさん(なぜだか最近、Amazonの荷物は自転車のおねえさんが届けてくれるのです。それも12時~14時を指定すると、12:05に決まってチャイムが鳴る。もしかすると近所のひとなのか。玄関の前で指定時間がくるまで待機してくれているのか。不思議なシステムだ)が届けてくれたもので撮影できるし。

 ほら、こんなの。

Anchovy2

 これ、700g入りのビンなのですが。
 何匹でしょうねえ、三百匹くらいだろうか。
 カタクチイワシ。
 アンチョビは、イワシを油と塩につけこんだおつけもの。
 ちなみにカタクチイワシはスーパーで一パック数百円の大衆魚ですけれど、その数をさばこうと思えば、時給は払って貰わないと困る。なんてことを考えると、金額の面から見ても、あえて自作するメリットが皆無。

 ときまさに春。

 私、野菜苗を売る仕事をしているのですが。
 きゅうりとか、ナスビとか、カボチャとか、一苗入った小さなポットが90円で、朝から晩までおそろしい数が売れ、トレーで何十ポットとか買ってくれる本業のかたはともかく、レジで滞るのが、四個か五個のポットをカゴで持ってくる個人消費のお客さま。量的にビニール袋に入れるサイズなのですけれど、ポットの中は土ですから。どうしても、もたもたっとした動きでレジが混む。

 まったく春ってのはねえ、と店員同士が閉店後の会話では、決まり文句のように続けてこう言います。

「自分が食べるだけの野菜なんて買ったほうが安いのにね」

 売っていながら不思議です。
 ニンニクの苗とか一ポット買って行かれるひと、それを庭で育てているのでしょうか。ひとつの苗にできるニンニクはひとつ。わーいできた、って食べる日を楽しみに育てていらっしゃるのでしょうか。そんなひとが、スーパーに行ってネットに三個入って90円とかのニンニクを見て、さみしい気持ちになったりはしないのでしょうか。

 野菜も、ペットみたいに愛し育てるということなのかなあ。
 まあ、考えてみれば、花なんて食べられもしないのに育てるわけですから、食べられるぶん、実際的に意義のある趣味なのかもしれませんけれども。

 そういうことを考えると、自分の価値観に気付きます。

 私、買うより安いから自分で料理するのです。
 買ったほうが安いなら、楽しむための料理なんてきっとしない。
 たとえば今日、保険の更新にバイク屋へ行ったのですけれど、オイル交換も頼んだ。オイルの交換くらい、自分でもできます。でも、カタクチイワシをさばくのと同様、その作業は匂うしベタつくし、時間を食う。今日、自分でオイル交換をしていたら、きっとこのブログを書く時間はありませんでした。
 そういうの含め、妥当なら買う。
 妥当さを計るとき、私はどうやら、時給換算と、匂うかどうかに重きを置いている。

 魚とか、土とか、オイルとか。
 買ったほうが安いなら、さわりたくない。
 そうなのですよ。
 アンチョビが高いから作ろうかと思っただけで、そうでないのなら、手作りする気なんて最初からまったくなかったのです。

 安いのが売っていてよかった。
 作らないですんだ。
 とてもうれしい。

 なんの話でしょうね、これは。
 つまり、結論としてはこういうことです。
 臭い魚をさらに臭くする発酵作業を、妥当な価格で他人にやってもらえた。
 こうやって、たくあんも家で漬けなくなったのでしょうが、それはそれで悪いことではない。あっちも売れてしあわせ、私もしあわせ。経済の循環。実はすべての仕事が、そうなのです。
 テレビドラマを観るのは、ドラマを自分で作るのは割に合わないから。
 自分が聴きたい曲や、読みたい物語なんて、自分が自分のことを一番よく知っているのだから、自分で書けばよさそうなものなのに。他人が書いたものを買う。
 必要は発明の母。
 汚れ仕事は金になる。

 アンチョビ作ってもらって、オイル交換してもらって。
 歌ってもらって、読ませてもらって。

 自分でもできないことはないけれど、妥当な価格でだれかにやってもらいたい臭い仕事って、ほかになにかないかなあ、と考えたとき。 

 ものすごく、ああこれ、買えるなら買いたい、というものをひとつ思いついたのですが、ここには書けないではないか! ということにいま気付く。テーマが悪かった。つまりはこれ、大金払っても妥当だと自分が考える変態的プレイを書くってことだ。

 あらためて結論。
 ほかのひとにできないプレイができるなら時給は上がる。
 なんか……ものすごく当たり前のところに着地。
 でも当たり前こそが真理。
 すべてのお仕事は、自分にできて他人にはできないプレイの提供である。
 さあ、なにができる!?
 だから、つまりそれも書けないのですけれども。
 言えないことをやってもらって、言えないことをやってあげる。
 経済とはギブアンドテイク。
 ひとは他人のために汚れて生きる生き物。

 いや、アンチョビだってけっこう、世界中でこの大瓶売ろうと思えば、そのカタクチイワシ大発酵工場って、ものすごい現場だと思う。作っているひと、お風呂入ったって臭いまくりのはず。自分の魚臭さに夜も眠れないとか、かなりなプレイです。
 経済という名の金で他人に汚れてもらえる世界。
 そこで成り立つ私の晩ご飯。
 感謝だ。

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