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『うめうめ歌え』のこと。



Ume

梅の花が、開きつつある。
咲く、ではなく、開く。
その表現がもう淫靡。
梅、という曲がある。
おなじように厳しい冬を越えて開くのに、
春といえば、桜。
梅はいつだって二番手。
松竹梅だと三番目。
こんなにあたしは良い香りなのに、
花開かぬ竹にさえも負ける要因てなに?
……思うに。
開くのが早すぎるのである。
まだ寒い。
品種によっては年を越えたころに開いたりする。
春のおとずれは、きのう寒かったのに今日はもう、
そういう速度だから、愚鈍なヒトは想像できない。
来月、来週のことなんて。
数えきれぬほどの冬と春を生き、
頭ではわかっているのに、未だ動物。
今日寒ければ、永久に寒いと毎年想う。
そんなひとりの帰り道。
「梅? この寒いのに咲いて。バカ?」
つまるところ。
春の花だと定義されているのが裏目。
温暖化だなんだというわりに、
開花予想は昨年と変わらず。
絶対的な気温ではなくて?
寒暖の差の刺激によって開く仕組み?
ということは。
過去、なのだ。
去年より、十年前より、百年前よりも、
この世の冬があたたかくなったところで知らない。
関係ない。
梅は、来月の春のおとずれを察して開くのではない。
「きのうよりも」
それだけ。
上着の脱げるころになって開く桜など、芸が浅い。
梅の開きを仰ぎ見るがいい。
来る春になど期待もしない。
その頃には散っているのだもの。
あたしはあたしの限界だけを見てる。
きのうだけを見てる。
去年のことなんてどうでもいい。
近い、過去。
さっきのあたしより、開けそうなら、開く。
寒くても開く。
だれも見てくれていなくても、バカにされたって。
開いて、香る。
桜は舞いにたとえられるが、
ならば、梅は、たたずみ。
季節もヒトも関係なく、
行けると感じて生き、開き、誘い。
舞うころには眠る。
淫靡だけれど、陰はない。
松竹梅。松は枯れず、竹は育つ。
梅は……
雪のなかでも開くから、尊ばれた。
三番目、ではない。桜よりも、梅。
春の花でも、冬の花でもなく、梅の花。
空気を読まない。
自分のタイミングで生きる。
閑かにそれができる生命は、美麗。
たたずんで色があり想ったら曲げない。
見た目は可愛らしいけれど、カッコイイ。
春が来たらガンバロウ、なんて、梅に笑われる。
いま、ひらけ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 梅、という曲がある。
 という、その曲は、この曲なのだが。

ume

 ヒャダインこと前山田健一さんの作詞で、例によっての飄々とした作風ながら、ちょっとすっぱく(梅だけに)切ない感じが絶妙で、かなり好き。

 なのだけれど、どこが好きかは書けない。

 数年前、ニコニコ生放送で「Twitterで歌詞をつぶやくのにもJASRACへ許諾が必要」だと偉いヒトが明言したことがあった。Twitterのつぶやきは日本語だと140文字である。前後の流れから歌詞の引用であると判断がつけば使用料を請求する対象となる、という見解だったので、この歌のこういう歌詞が、という文脈も含めると、ひとことふたことの歌詞引用でもあてはまることになる。

 私もよくやるが、出版物からの引用の場合、引用であることを明記して出典を併記する限り、著作権がうんぬんという話にはまずならない。実際的な問題として、あのひとがこういうことを書いていたのだが、ということが引用できなければ、それをもとに話をすることもできず、インターネットを含めた文字文化においては、相互のやりとりはほとんど発展しないことになってしまうからだ。Twitterでも、自動で相手の言葉を引用してそれにコメントを添えるという機能があるが、それをつかまえて「おれの文章を許可なく引用しやがって。著作権侵害だ、訴えてやる」なんてひとがひとりでも出てくれば、ほとんどの会話をネット上でオープンに閲覧できるTwitterは、その営み自体が成り立たすことができやしない(まあ、Twitterしない、というひとのなかには、まさにその自分の文章が引用されてオープンに流布される可能性がある、というところに嫌悪感を感じる向きが多い、というのはちらほら聞く話ではありますが)。

 しかしたとえば、だれかがJASRACへの許可なくJASRAC登録の曲から歌詞を引用してしまった場合、そのつぶやきを、まるまるリツイートした他人も使用料を払う必要が出てくる。こうなってくると、最初に引用したひとのせいでなんでおれが、という話になったりもしかねない。かようにメロディーがついていなくても歌詞は曲の一部、とてもデリケートに扱わなくてはならないのである。

 本当のところを言えば、Twitterで歌詞をつぶやいても、JASRACからの使用料請求はTwitter運営サイドへ行くそうなので、個人への請求などはないのですけれどね。

 でも、歌詞とはそういうものなのである。引用元を明記するとか、そういう心遣いも関係ない。どうなにを明記してだれの目にもあきらかな話の流れのなかでの自然な引用であったとしても、文字として書けば著作権侵害となる。だれに請求が行くとかそういうことはさておいても、そういうことになっている以上、ちゃんと使用料を払って書くか、書かないかの二択である。

 と、いうことなので『梅』という曲の、どこが好きなのかは書けない(笑)。

 書けないが伝えたい。
 だったらどうすればいいか。
 ここで、あれこれ調べてみる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『JASRAC / 作品データベース検索サービス』

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 すると、日本古謡『さくらさくら』の著作権は切れていると知る。
 (ここで注意したいのは、たとえばその後、だれかが民謡コンサートでアレンジして歌った『さくらさくら』ですとか、そういうものには新たに著作権者が生まれる、というところ。あくまで原曲、オリジナルの(作詞者不明なのですが)市井に流布されていた『さくらさくら』の著作権が切れているということなのです)

 さっそく書く。

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さくら
さくら
野山も里も
見わたす限り
かすみか雲か
朝日ににおう
さくら
さくら
花ざかり

さくら
さくら
やよいの空は
見わたす限り
かすみか雲か
匂いぞ出ずる
いざや
いざや
見にゆかん


 作詞者不明 『さくらさくら』

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 書いた。
 これに関して、JASRACからの請求はないはず(ちょっと不安)。
 この歌詞、正確には一番、二番というわけではなく、このような二つのバージョンが、自然発生的に歌われていたということなのですが。どなたかが改変しなければ、新たなバージョンはないわけで、記録がないからだれの権利物でもない、というのも自信満々に言っていいことではないと思うところでもあり。
 せめて、お礼を。
 これらの歌詞を書いたどなたか。引用どころか全文書き写させていただきました。JASRACは抜きにして、敬意を表します。きっともうこの世にはいないのだろうけれど、あなたが書いた、この歌も、私は大好きです。

 そして改変する。
 『梅』を聴いて好きだと思ったその感じを、まったくちがう文字で、私の言葉で、著作権の切れた曲にのせて描写するのは、かまわないでしょう? それとも、タイトルを引用してそれに影響を受けて書いたと明記した時点で許可が必要ですか?
 少しだけ見切り発射的に。

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うめ
うめ
春を見つけて
気づけと香り
孤高に咲いて
知らず散りゆく
うめ
うめ
ひとり花

うめ
うめ
遅れし春に
気づけと香り
誇って咲いて
歌って散った
うめ
うめ
夢見花


 吉秒匠 『うめうめ』

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 こんなん書いたモン勝ちでしょ。
 子々孫々、歌い継いでください。
 で、JASRACへはどうやって登録するんです?

(正解は。「JASRACは作品や著作権の登録機関ではありません。著作権は著作物を創作すると同時に発生します」(『JASRAC/著作権信託契約と入会Q&A』より)。だそうです。というわけで『うめうめ』は、たったいまさっくり五分ほどで書いた落書きも同然ですが、ここでおおやけに発表してしまった事実のあるかぎり、おおっぴらに歌うとJASRACから吉秒へ金を回してくれる仕組みのようです(どうやって?)。こっそりお風呂とかで歌って下さい)

(追陳:どうやって? の正解は、JASRACと著作権信託契約を結ぶ、です。が、その契約を結ぶと、著作権がJASRACに移るので、自分で自分の作った歌を歌うにもJASRACへ使用料を払うということになります。当たり前のことですが、著作権はモノ作るすべてのひとに与えられる権利であって、あなたが自分の作った歌をだれかが歌うたびに権利を主張する気がなく、みんなに口ずさんでもらいたいのなら、自分で著作権を抱きしめているのも、ひとつの賢いやりかたです)


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