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『カニを食べるのは面倒くさい』の話。


Crabcactus

七輪、という名の由来は謎なのだという。
もとは「七厘」という字だったとか。
つまり七厘ほどの炭で用を為せる、というのが有力らしいが。
通貨単位の「厘」だとしたら、
「厘」が流通する以前の江戸の世から七輪は使われていた、
というネーミング上のタイムパラドックスが発生する。
重量単位の「厘」だとしたら、
一厘が37.5mgだから、七厘でだいたい300mg弱。
計量カップで二杯もない。
そんな炭の量では、米も炊けないであろう。
なのでたぶん、水戸は東村からやってきた七輪さん、
水戸東村七輪のマジックコンロ!!
みたいな感じで売りまくっていた商人の名に由来するのでは。
七輪を背負って売っていたから七輪と名乗っておった。
ひとりでは七つくらいが限度でしょう。
土を輪に焼いた魔法のコンロを七つ背負ったおっさん。
そんなおっさんの存在を疑うほどに、
なぜにその名なのか謎な装置。
なんとテーブルの上で炭でカニを焼ける。
……ところで。
びぃびぃびぃっっっ!!!
換気してくださいっっ!!
ガス会社からレンタルしている報知器が、
至福の時を壊す。
窓開いてるっちゅうねん。
これ以上どないせいっちゅうんや。
カニ喰うなってことか?
リセットボタンを探しにいくが、よくわからず。
仕方がないので、コンセントを抜く。
一酸化炭素? 危険なんですってね。
毒性高いんですよね。
でも、窓開け放った部屋で倒れるか?
キミ、敏感すぎ。イッたふりでしょ、それ。
まあ、ガス屋も万が一があってはこまるので、
過敏なの置いていったんだろうけれども。
それにしても、同じ部屋で、
窓閉めてファンヒーター点けても、CO警告は叫ばれない。
すごいよ、七輪。
焼きはじめて三十分もしないで、
窓の開いた部屋でヒトの気を失わせるレベルに到達ってこと。
ん。
もしかして、これなんじゃないの、由来。
七輪は茅葺き屋根なんかの少ない都市部で普及したそうだし。
障子閉めて、鍋を七輪にかけ、酒も飲み。
割合の「厘」だとしたら。
七厘は0.7パーセント。
千人がカニ喰ったら、七人くらい倒れる。
妥当な数字ではなかろうか。
気をつけましょう。
(七輪は基本、屋外で調理するための装置です)

7rin

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 実のところ、あまりカニが大好きというほうでもないのですが。
 (手が汚れるのが嫌い。夏みかんとか、手羽先揚げたのをソースにつけたのとか、なんやねんと思う。この冬もみかんは一個も食べなかったし、骨付きフライドチキンはナイフとフォークで食べます)

 このところ、カニづいていて。
 義母の誕生日に、なにが食べたいと訊いたら、なぜか義父が「カニ」ということで、近場のかに道楽へ行き、コースを食したのでした。

 かに道楽名物の動く巨大カニ看板の前で、中国なまりまる出しのホステスさんが年輩の日本人男性に記念写真を撮らせていて、腕を組んで去っていくふたりを見て私は「おごらされて写真撮って、腕組まれたくらいでニヤけてどうする、もと取れよっ」とエールを送っていたのですけれども。
 義父母たちは、自分たちも若いころはよくカニ食べに行ったものだ、と語りだしたので、おう、いまの光景で甘酸っぱい若いころを想い出すのか、と鼻の奥がじんときたり。個人で商売やっているひとたちは、なにかと金銭と過去がからみついて記憶されていて、あんなに無駄に金を使えたあのころ、の話をよく口にする。かに道楽のカニの看板ではしゃぐホステスさんに、ほっこりとできる感性は、この国の高度成長期を実体験で生きたからこそ育まれた、ある意味、純粋さです。

 華やかだったあのころと二十一世紀との違いを、店に入ってからも語り続けていたのですが、メニューを見て、ああ、時代は変わったなあ、と、しみじみ義父が言ったのは、春の限定メニュー。

 チーズフォンデュでした。

 カニを、とろけたチーズにからませて食すコース。

「かに道楽さんも、いろいろやらなならんのやなあ」

 写真のチーズ、なんか、青い。
 カニ味噌チーズフォンデュだそうです。
 値段もお安く設定されていて、新規顧客の獲得に向けたメニューなのでしょうが、誕生日だから奢るよというこちらに遠慮して安いコースをプッシュしていた義母も、カニ味噌チーズを絡ませようかとは言いだしませんでした。
 だって、青いし。
 それに、なんとなく。
 みんなが言った。

「もったいないよね……」

 そして選んだコースは、メインが鍋と天ぷら。
 だれも酒を飲まないなか、ひとり焼酎をボトルで飲む私。

 (余談にして愚痴。かに道楽に行ったことのある酒飲みのかたならご存じでしょうが、あの店は来た客に水も出さずドリンクの注文を強要してきます。私個人としては、そういう店は嫌い。自衛策としては、焼酎をボトルで注文して人数分のグラスを頼むこと。それでも店員さんは「焼酎にはお水と氷かお湯をサービスでおつけしておりますが」と訊いてこられます。いやいやいや。ボトルから焼酎を直で飲めと? 恩着せがましく言わずに「お水とお湯、どちらをご用意いたしましょう」でいいと思うのですが)

 んー。お寿司は美味しいねえ。
 カニの身が剥いてあるから面倒くさくないので美味しい。
 カニ味噌も好き。
 ていうか、カニ味噌と焼酎で充分。

 確かに、このカニ味噌を、チーズにまぜて火にかけるなんてもったいない。
 カニなんてのは、素材そのもので料理が完結しているようなものなので、よけいなことをすべきではないと思う。私は、焼き鶏もだんぜん塩派だ。タレなんてつけないで欲しい。レバーも塩と一味唐辛子でいただきたい。

 そんなことをつらつらと思いながら。
 昔話にあいづちをうちながら。

 天ぷらが出てきて、食べながら思った。

Tempura

「これもそうとうにひどい料理だ」

 小麦粉と卵。
 材料でいうと、ホットケーキ。
 牛乳こそ入ってはいないが、チーズつけて食べるのと大差ない。

 けれど、天ぷらは、格式ある日本料理。
 天ぷらにするなんて、せっかくの良い素材がもったいない、なんて言うヒトは、まあいない。

 この感覚の差って、なに?

 カニに卵のころもをつけて揚げるなんて、おかしな話ではないか。カニは海のもの。卵は陸のもの。日本料理の起源をたどってみるがいい。漁師町。魚肉も魚卵もふんだんに穫れるというのに、あえて鶏を飼ったりするわけがない。機械化もされていないころ、家族総出で漁をするなか、鶏を育てる余裕など、あろうはずがない。

 かといって、新鮮な魚が流通していない内地の農村部で、魚介に鶏卵をまぶして揚げるなどということを考えつくはずもない。

 そういう憶測のうえで考えてみれば。
 おそらく、まったくの推測ではあるものの、天ぷらの黎明期は、鶏の唐揚げと、野菜の天ぷらという組みあわせだったと考えられる。

 鶏ありき、卵ありき。
 そこに小麦粉などという手間のかかったものを使用するところから、現代ではむしろ粗食な材料の組みあわせなのに、高級日本食というカテゴリーに属すこととなったのだろう。

 小麦粉と卵と鶏肉があって、腹が減っているなら、自然な流れとして、小麦粉で生地を焼いて、卵と鶏肉のソテーを添える形になるはずだ。それを、あえて揚げる。試みである。娯楽だったのである。

 近代になってからも、脚気は結核とならぶ二大国民病だった。そこからも、日本人が、いかに米ラブであったかがわかる。白米食ってりゃ動けると米ばっか食っていたらビタミン不足で死んでしまうのだ。ドラマ化もされたマンガ『JIN-仁-』では玄米や黒糖をまぜた餡ドーナツで脚気を撲滅するという設定を使い強調して描かれていたが、そんな特別なことをしなくても、小麦粉が主食の国で、脚気での死者はそうそう出ない。

 栄養価が高く、育てやすいのに、米に負けた。
 日本で小麦が主食の座に敗れたのは、狭い土地のせいもある。狭いということは近い。なにがって、海が、山が。育てなくても、採ってくればいい。魚や肉にかぎらず、海草や野草。ビタミンの宝庫だ。むかしは、それでよかった。
 それが、海を離れ、山を離れ、都市というものができあがり。
 米だけを食うという愚かしいことになった。
 精米技術なんてものが発達したおかげで、食べやすくなったからさらに白米に依存するのだが、その白米にはエネルギーはあっても栄養が足りていないという不幸。

 落語にも出てくるくらいで、小麦粉で生地を作って蒸した饅頭という菓子は、そうとうに古い時代からポピュラーなものであったらしい。ということは、粒のままでは調理しにくい小麦を、粉にして料理に使うという発想も技術も、日本には古くからあったということになる。

 うどんは健闘したが、主食にはなれなかった。
 うどんの国といわれる香川の友人も、うどんはメシではなくてオヤツだと断言している。
 パンケーキもナンもフラワートルティーヤも、白米に負けた。
 おにぎり最強伝説の国で、そうして小麦は、菓子と娯楽の素材になった。

 江戸には、天ぷらの屋台があったんだとさ。
 七輪の普及は、そうした屋台文化によるものが大きい。
 天ぷらだってできる火力が、こんな簡易な装置で!
 水戸東村七輪のマジックコンロ!!

 屋台といっても、蕎麦屋のように、食事目的だったとは考えにくい。天ぷらだけで満腹にはならないだろうし、天ぷらをおかずに白米を食わせるのならば、江戸人がどんなにまぬけでも、天ぷらの屋台ではなく、天丼の屋台を発明できていただろう。文献によると、あくまで、屋台で売られていたのは天丼ではなく、天ぷらであるという。

 夜店屋台の、リンゴ飴のようなものだ。
 飴のかわりに卵のころも。
 中身は野菜。
 野菜にケモノの卵をコーティングなんて、おかしいねえ。 
 おごってちょうだいよ、とホステスさんが笑う。

 つまるところ、黎明期から、なんら変わっていない。
 妙な組みあわせだから。
 主食ではないから。
 家庭料理の対極としての、天ぷら。
 酒のあて。
 中身とのギャップは激しいほうが萌える。

 せっかくのカニに、卵と小麦粉まぶして揚げる?

 かたぶつ生徒会長が文化祭でメイド服、みたいな。
 天然ドジっこにこそ凛々しく白ふんどし、みたいな。
 
 いまでも、その破壊力は健在というわけである。
 で、そうなると。
 最初の、もったいない、に違った解釈ができるようになる。

 チーズにカニ味噌。
 それを溶かして、カニの身にまとわせる。

「もったいない」

 そう思われてしまった時点で、ギャップが甘いのだ。
 逆説的に、我々は全員がそれを、美味しそうだと思ったのである。
 そして、選ばなかった。

 カニは非日常。
 カニにチーズなんて、なんだか日常。

 だから、もったいない。

 考えてみれば、いまや私の主食は小麦粉だ。
 カニ味噌のにぎりが、カニ鍋が、天ぷらが。
 ガイジンさんの夢想する日本的なものが、私にとって……いや……かつての高度成長期を生きた義父母たちにとってまでも、いまや、というか、いまだ、というか、生徒会長のメイド服なのである。

 かに道楽でチーズフォンデュ奢られるなんて。
 記念撮影する出来事じゃない。 

 義母が春の限定メニューを選ばなかったのは、実はそういうことだったのではなかろうかと、ボトルを半分くらい空けたところで思ったのだが、そのころには、別にどうでもいいことにもなっていたのだった。

 ……こういうのも含め、面倒くさい。
 同じものを同じように食べていれば、食べているものについて考えたりせず、考えるべきことを考えながら食事できるような気がする。
 カニなんかたまに食うから、こういう面倒な思考に走る。
 そういうことなのだ。

 奢ってだれかによろこんでもらえるのならば、それはそれで嫌いではないけれど、個人的に焼酎のボトルがあって、つまみを、というのなら、カニ缶がいい。身だけを集めて商品にしたものがあるのに、わざわざ自分で殻からほじくり出すって、野蛮。それってあれでしょ、狩猟本能を満たすってやつでしょ。夏みかんも「ほれ、その皮をめくってしゃぶってやろうかいのう」というプレイがしたいだけなんでしょう? 

 私には、そんなまわりくどい癖はありません。
 なので夏みかんの缶詰は好き。

mikan

 あらゆるメニューが銀色のパウチになっている、宇宙食というやつは、王侯貴族の食事だと思う。食事を摂るときに発生するであろうと考えうるすべての面倒くささを、多数の技術者と、ヒトの叡知科学の魔法によって究極にシンプルにしてある。

 ああ……うん……
 ベビーフードって、そういえば、それ。

wakodo

 ハンバーグランチという名の、缶詰ひとつ。
 ヒトは生まれて死んでゆく。
 いつか、そういうところに戻りゆく。  

 願っているのは、それなのかも。
 
 なにもほじりたくなくなって、なにも剥きたくなくなって、しゃぶってやろうかいのう、なんて気もおきず、ついには缶詰さえにも興味を示さなくなり。
 かつては母乳、老いては酒を。
 ただそれだけを舐めながら。
 奪われることなく、折れることなく。
 生まれたところまで、戻って逝けたら。

 つぶやきながら、食事が面倒くさいのは嫌いだと、慌ただしくかきこんで、その時間をなにに使うかといえば、こんなものを書いている。

 こんなものを書くことが、できている。
 夏みかんの皮を剥くのは面倒くさいと、ぶーたれることができている。
 生きている。
  
 すなおにその幸運を享受するのもだいじだけれども、せっかくなら言えるだけのわがままを言って、ほじってよ、剥いてよ、しゃぶってよ、と、生まれたときからずっと続けている泣き叫びを続けて、疲れ果てたい。

 和歌山の、かに道楽でした。
 義父母の店も家も、そのうち必ず来るという大地震と津波で、確実に飲みこまれる位置にある。ときまさにあの震災から二年。そういうニュースを目にしながら、津波の通知表示がわかりやすくなったって、どこに逃げるのよと、そのひとたちは笑う。

 カニ喰いたいときに喰えるなら喰っとけ。
 愛してると言って抱ける相手がいるなら、いま言って抱いておけ。
 死だけがだれもに平等だと、哲学者が言う。
 おとずれるタイミングの問題にすぎないと。
 だったらば、考える時間だってもったいない。

 きらい、と、すき。
 それ面倒くさい、あれやりたい。
 見つけたら走れ。
 できあがらなかったらイヤだから、計画も立てろ。
 他人もそうだから奪わないように。
 読めないタイミングなんて読んでもしかたない。
 危機に備えるのは戦闘(生き延びること)の基本。
 でもそれ以上に、だれもに平等だと知ること。
 いまなんだよ、いま、しあわせになりたいの!

 支えられ、許されて、幸運もあり。
 いま、そうできるなら。
 だだこねて。いやいやと首を左右に振って。
 これがいいんだもん、と生きていこう。

 ハンバーグが食べたいよおっ!!
 ていうか、食べさせてほしい。

(非日常を感じる食事を考えてみたら、ハンバーグを食べさせてもらうって行為を思いついた。けれど、ある意味、ハンバーガーってそれだ。ガワ剥いて、野菜まで添えて、パンで挟んで手も汚れないように店員ちゃんがしてくださっている。目の前でサンドイッチ作ってくれる店があるけれど、あれもっとつきつめて、カニとか夏みかんとか剥いて食べさせてくれる店……需要ないかなあ、絞れるヒトからは倍取れそうな気もするけどなあ……って、それ完全にホストとホステスさんのお仕事ですね。酒をついでもらうということだけでさえ、面倒くさがる者たちは悦ぶのだと歴史が証明している。ヒトはして欲しいイキモノ……男は、かな)

 ちなみに、ナイフとフォークじゃなくて、指でもなくて。
 プラスチックのハシで食べさせてほしい。
 つるつるすべるので、ふるえながら、そっと。
 そこはゆずれない。


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