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『煙った塔での悟りかた』の話。



「地階から一〇〇階まで登る途中でした。疲れがひどくて、ぼくは階段の踊り場で一休みしようと思ったんです。でも、荷を下ろして座ったらそのまま眠ってしまって」
「危険行為だぞ。〇階台の戸外で眠るのは」
 重工業エリアは空気が悪いうえ、いつガス漏れが事故が起きるか分からない。防毒マスクなしには過ごせないエリアだ。そんな場所の戸外で眠ってしまうとは迂闊過ぎる。


 縞田 理理
 『ミレニアムの翼 (1) ~320階の守護者と三人の家出人~』 

Millennium Wings

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 去年のいまごろ、私は、塔の物語を書いていた。

 某誌に売り込むためのもので、ちょっと個性的なその雑誌のカラーにあわせて、かなりひねった設定を盛っていた。結果として、その原稿はいまだ私の手元にあり、今後のことも考えると設定の多くは語れないのだけれど、端的に表すなら、スチームパンクな匂いが強い作品である。

 スチームパンクというと、セガサターンの名作SRPG『バッケンローダー』を想い出す。とにかくあちこちでぷしゅうぷしゅうと蒸気が鳴いていて、爛れた街には奇病が流行し、人々は己が暮らす大地そのものに怯え、主人公は半身である妹を喪った……

Wackenroder

 シミュレーションパートがグダグダだったという評が散見されるが、当時、エンディングを見た私の記憶は、いまではグダグダなゲーム部分がすっかり削ぎ落とされて、媒体を問わずのスチームパンク傑作を選出せよと言われたら、五本の指の一本にこれを入れるくらいの好印象。

 スチームパンクは、スチームでパンクである以上、大前提からして暗いものになる。

 なぜ街のあちこちで蒸気が噴き出しているのか。
 ほかに使えるエネルギーがないから。
 燃やしているのだ。
 なにかを。

 どんなエネルギーだって突き詰めれば熱交換の技術によって人類の生活を支えているのだけれども、スチームパンク世界において蒸気の描写が重要なのは「漏れている」ことを表すのに便利だからである。『バッケンローダー』が私の記憶に残っているのも、そこだ。とにかくプレイしているあいだ、ずっと漏れている。音がする。画面の向こうだから熱くもないし、臭くもない。
 でも、何時間、何十時間となると、脳内では、不安が育つ。

「発電所から漏れてますっっ!!」

 だれかが叫んだら、現代では、みんなが死を覚悟する。
 まして閉鎖した空間で、世界を支えるほどのエネルギーを発生させている機関。ほんのわずかなエネルギーだって、あまさず熱や位置に変換して利用しなければならないのに……

 ぷしゅうぷしゅうと、漏れている。

 漏れる蒸気、それは、エネルギーがコントロールできていないことの象徴。スチームパンクとは、コントロールできない不安定なエネルギーを最後の礎としてすがりながら、滅びを待つ人類の物語である。

 私のも、そうだった。
 塔の外は、汚染されている。
 塔の中も、下の階層は人の住めた環境ではない(ということになっている)。
 物語の舞台は、塔の上層部で、なんとか人間らしい生活をしているひとたちの住む場所。とはいえ、人類の歴史も末期なので、いろいろ、破綻している。どんなに広くても、塔という建物のなかで滅びを待つ、そんな状況で正気をたもてるほど人類は強くない。奇抜な者の奇抜さは行きすぎて、達観する者の思想は悟りを超え、産みだそうとする者は狂信者となる。

 まあ。深くは語らないが。
 設定が暗いぶん、希望に満ちた物語を書いていた。
 そしてそれは、無事、書きあがったのだが。

 ちょうどそのとき、売り込む先のその雑誌で、新連載がはじまった。

 読んで泣いた。
 感動して、ではない。
 感動しなかったということではなく、そんな余裕もなくすほどに、衝撃的だった。

 汚染された地上。逃れるための高層都市。エネルギー問題。階層による差別。いや、そういうもろもろの部分をとりあえず置いておいても、無視できない基本設定のダダ被り。

 くわしくは書かない。
 こんなこともあるのだな、と感じた。
 ちょっと悟ったような気になった。
 偶然ではありえない、これは、私も含め、この時代に生きる多くが共通して感じてしまった、もはや拭えそうにもない、空気感なのだろう、と。

 私が私の物語を書きはじめたのは、東のほうで起きた地震の一年後、遅々として進まない復興とならんで、エネルギー問題が、おかしな方向へ向かって議論されはじめたころだった。私は、西のほうで起きた大震災のとき、神戸付近に住んでいた。自身も死にかけたし(巨大なステレオセットに頭蓋を割られるところだった)、道路が裂け、ガスの臭いが充満する街を、トランクに水を積んで車を走らせた。

 怖かった。
 ぷしゅうぷしゅうと漏れるガスは。
 怖い。
 そのなかを、ガソリンを爆発させて推進力を得る装置で走るのである。
 現実だから、怖い、と思えたが、小説の設定で読んだら、馬鹿である。ガスの臭いがしているのに、燃焼機械が走りまわっているなんてリアリティねえなあ、と酷評されることだろう。しかし、友人や恋人が、水が止まったと言っていて、自分の部屋では出て、電話はつながるし、道路もなんとか走れるような状況なら、ヒトは走るものだ。

 狂気が、ふつうになる。
 地震で崩れたのは一部だったので復興なんてことが言われるが、もしも、地上ぜんぶがだったら、どうだろう。人類が、高くそびえた塔のなかでしか生きていけない種になったらば。

 凡庸とは、どういう定義になるのだろう。

 『バッケンローダー』を私がプレイしていたのは、1998年。あらゆるサブカルチャーが、世紀末という言葉を意識せずにはいられなかったなかで、荒廃のスチームパンク嘆美が愛でられたのは、ある種、自然のなりゆきだった。

 それが、思えば、2001年から2100年までの新しい百年期。
 最初の十年で、スチームパンクが帰ってきた。

 そびえる塔。
 充満するガス。
 制御できない破滅的な機械たち。
 飛行艇。
 発明卿。

 それらの単語を詰めこんだら、スチームパンクになる。
 長く暗いトンネルをすべり落ちる導入部というのも印象的だ。

 SF界を代表するローカス賞SF長篇部門の2010年受賞作は、ネオ・スチームパンクと呼ばれた。

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「さあね。あと百年か、千年か。だれにもわかりゃしないよ。だけどここの連中はガスの中で生きる方法を編み出してる。完璧な方法じゃないけど、なんとかやっているだろう? いつか世界じゅうが、あたしたちのやり方を覚える羽目になるかもしれない。あたしの考えが極端すぎるとしても──そんなことにはならないとしても──これだけは断言できるよ。近いうちに、<郊外>もこの汚いガスに浸かることになるだろう。壁の外の連中は生き延びる方法を覚えるしかなくなるだろう」


 シェリー・プリースト
 『ボーンシェイカー ぜんまい仕掛けの都市』

BONESHAKER

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 類型的なスチームパンクである。
 それが、世紀末を越えて、十年。いや、2009年発売だから、作者が書きはじめたのは、新世紀が明けて、ほんの数年であろう。
 古い世紀を生き延びたのに。

 生き延びたから。
 少し、我に返って考えた。

 世紀末、盛り上がっていたなあ……

 次の百年って、なにが変わるわけ?
 いや変わっていないでしょう。
 むしろ、世紀末文学が、現実になりはじめている。
 ネオ・スチームパンクと呼んではみるものの、この数十年、爛れた煙たい都市の物語を摂取せずにはいられない人々は絶えずいて、ネオでもなんでもなく、描かれるものは変わらない。

 地震のせいだったけれど、身近でエネルギーが暴発し、そんなことを気にも留めていなかった人々まで言いはじめた。私は、どちらかというと、人類は滅ぶまで突き進めという思想の者である。人体を改造して長生きできるのなら、そうしないのは馬鹿だし、地球を食いつくしたら、塔に篭もるよりも、次は火星を食い散らかすしかないと考えている。ぷしゅうぷしゅうと漏れる蒸気をなんとかしなければならないとは思うが、それでもスチームパンクの世界観にリアルが感じられるのは、漏れているからたった一個残った電球を消して暗闇に暮らしましょうなんて選択を、人類はしないと、だれもが知っているから。こんな地球にしておいて、いまさら温暖化だとかなんだとか。

 地球は、いまやヒトの棲むために改造された閉鎖都市。
 外には、毒どころか空気がない。
 ガスマスクをしたって、生きてはいけない。

 私の書いた塔の物語も、だからどこかで需要はあるだろう。
 ダダ被りはまずいので手をくわえる手間は惜しまないが、脳天気にイッてしまった内容の薄さは、そのままにしておきたい。書いているさなかはスチームパンクというジャンルを意識しないで設定を積み重ねていたものの、書き終えてクールダウンしてみると、実は自分がものすごく類型的に新世紀に悟ってしまったひとりに過ぎないということを知る。

 ところで、私は、薬屋さんでもある。
 数年前、店頭でマスクが品切れになりまくったことがあった。
 鳥インフルエンザという、奇病が流行ったせいである。
 商品を仕入れようにもどこにもないので、やむなくバイヤーは仕入れられるマスクを大量に仕入れて、店に送りつけてきた。

 いわゆる、工業用マスク。
 SF読みで書きである私は、棚に並べた防毒マスクの群れを見て、スチームパンクやなあ、と感慨深かった。

 さすがに、売れなかった。
 効果はあっても、なにせ大げさで、息苦しい。
 そんなわけで、数千個単位で倉庫に残った。

 それが今年になって、完売した。

 インフルエンザも流行っていた。しかし、そっちのマスクは潤沢に残っている。

 防毒マスクが売れる時代になったのだ。
 ちなみに私が勤務しているのは大阪で、隣の国から流れてくる光化学スモッグもそうなんだけれど、震災がれきの焼却がはじまったことに、驚くほど反応する人々がいた、というのも大きい。

 いまさらなにさ。
 と、私は売りながら、書きながら、思う。

 今日、防毒マスクして生き延びたところで、明日は地球が美麗清浄な丸い球に生まれ変わるとでも?
 これだけは断言できるのでーす。
 もう遅い。
 ローカス賞受賞作みたいに、あと百年か、千年か、そんなにはない。塔を建てるにしても、火星を地球化するにしても、本気で逃げる気なら、もうはじめていないと、遅い。

 マスクって(笑)。

 汚染された地から逃げて閉じこもって生きるヒトの話が、サイファイやファンタジーの王道になる時代、だったら次の暗い設定を考えないとならない。

 息ができない近未来。
 これ以上、なにがある? 

N95

 ↓大気観測アプリ (iOS)


 
 エネルギー問題に特化した設定でならば、ネビュラ賞長篇小説部門(2009)、ヒューゴー賞長編小説部門(2010)、ローカス賞第一長篇部門(2010)で、三冠受賞と呼ばれるパオロ・バチガルピの『ねじまき少女』もスチームパンクの類型。

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『リリス斬首、ねじまき少女、日本人』のこと。

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 こうしてみると、設定ありきで「まとまりねえなあ」と一部に酷評されるのが、ネオ・スチームパンクの定義かもしれない。もっとずっとひどい世界を創造するのに必死で、それを描けたときに満足してしまうのだと思う。人類なんて、まして個々の感情の起伏なんて、なんの意味もなくなってしまうような無常観こそが味わい。どうせ意味なんて消え去る膿んだ世界、ならば目の前の欲するものを欲せ、愛せ、夢を見ろ! そういうことにならざるをえず、好き嫌いがわかれることになってしまうのであろう。

「世界観だけが記憶に残る」

 スチームパンク作品に対しては誉め言葉なのだけれど、ネオ・スチームパンクの一員になってローカス賞を奪取したいわけでないのならば、言われないよう、おぼえておくべきフレーズかもしれません。

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