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『Haloだけの王道』の話。



「そのとおりです」ダハクは感情のこもらない声で答えた。「第一帝国の没落後、詳細は不明ですが人類以外の生物がうち立てた星間連合体のひとつが、アチュルタニに破壊された惑星にふたたび生命の種をまきました。地球も、そのひとつです。第二帝国の首都であり、人類の真の母星である惑星マイコスも、そのひとつでした。もっとも、マイコスは七万一千年前に破壊されてしまいましたが。あらゆる地球型の惑星には、同じ起源を持つ動物相が導入されました。したがって地球のネアンデルタール人は、あなたがた人類の祖先ではありません。遠縁の従兄弟のようなものなのです。残念ながらネアンデルタール人は、ダハクの乗員、およびその子孫競争に敗れ去ったようですが」

David Weber


デイヴィッド・ウェーバー 『反逆者の月』

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 というような話を、今回の『Halo4』のキャンペーンモードをプレイしているあいだ、ひんぱんに思い出していた。

 デイヴィッド・ウェーバーは、SF設定の軍事ものを得意とする小説屋さんで、大きな特徴としてサイファイフィクション書きにありがちなトンデモ設定の創造を自重することのできる求道者であることがあげられる。自分勝手に好きな世界観を構築できること……つまり、神、になれること……こそがSF設定で書く唯一の利点だと考えている無数の愚者たちを尻目に、ウェーバーは、チェスをさすように作品を書く。

 それは、彼がもともとミリタリーヲタクであることに由来する部分も大きい。言いかたは悪いが『ソードアート・オンライン』のエロ同人誌のようなものだ。もとの作品がウェヴ連載されていたオーソドックスなスタイルの仮想現実ものなのであって、もしもその作品に感化されたのなら、きみだってそういう作品を書けばいいのに、圧倒的な筆力を持ちながら、他人の作ったキリトとアスナというキャラクターで同人誌を書く。需要があるから、という側面もあるかもしれないが、自分で作ったキャラになんて萌えられないからオリジナルのエロなんて書く気になれない、という根っからのひとも多いはずである。

SAO

 ウェーバーも、そうだ。
 たぶん、自分で考えた創作兵器なんかには萌えられないのだろう。

 だったらなぜSF、と造語テンコ盛り非現実的小説をマスターベーションのように書く私などは思うが、幸運なことに、私は『Halo』と『スタートレック』のファンなので、共感はできないが理解はできる。

 SF……特に宇宙戦争もの、俗にいうスペースオペラのたぐいは、すでにその響きからして設定そのものが古典なのである。もちろん、人類は真実の宇宙大戦争なんて経験してはいない(経験しているのは、ザ・グレート・サスケとその一派だけである。サスケの骨折で今年の宇宙大戦争はどうなってしまうのか心配でしかたない)。
 だが、人類が編んできた設定は積み重なり歴史と化している。

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「あとにしよう。少なくとも二十人のコンバット・アーマーを着けたやつらが近づいて来る」
「ちくしょう!」サンディーは吐き捨てたが、すぐに気を取りなおして、言った。「もしあなたが肉体強化手術を受けているんだったら、こいつらのエネルギー銃が使えるわ」歯をむき出して、にやっと笑う。「敵さんがびっくりすること請け合いよ」


デイヴィッド・ウェーバー 『反逆者の月』

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 コンバット・アーマー(失笑)。
 それはまさしく、チェスであり、将棋の駒の設定だ。
 帝国軍兵士のエネルギー銃は強力だが、非力な生身の人間にはあつかえない。だったらコンバット・アーマー(失笑)を着ればいいのだが、コンバット・アーマー(失笑)も、肉体強化手術を受けていないと着ることができない。

 騎士と桂馬は、二個斜め前にしか進めないが、ほかの駒を飛び越えられる。

「44マグナムを片手で撃てるのはハリーくらいだ」

 ショットガンをバイクに乗りながら片手で撃てるのは館ひろしとアーノルド・シュワルツェネッガーくらいだが、シュワルツェネッガーは設定上アンドロイドなので、生身の館ひろしのほうがむしろSFである。

 かように、現代の現実にある兵器を使ってSFを描くことだってできなくはないが、チェスの駒がもっと多彩だったら、もっと楽しいゲームになるのではないか、という発想もわかる。

 そこで重要なのは、元ネタの世間認知度である。

 長年にわたりウェヴ連載されていた『ソードアート・オンライン』のエロ同人誌がいまになって花盛りなのは、むろん、アニメ化されたからだ。みんなが観た。だからキリトとアスナというカップルも記号化が済んだ。これによって、世界とキャラへの設定は、二次創作では省くことが可能になる。アスナはツンデレ。キリトはニブちん。ツンデレがイキ狂いとか、ニブいはずのキリトが鬼畜とか、描くだけでギャップが成り立つには、元ネタを読む全員が知っていなければならないのである。そうでないと、アスナのツンデレを、キリトのニブさを、いちいち説明しなければならなくなる。

 そういう意味で、ウェーバーの小説群が売れたというのは、SFというジャンルのひとつの熟成を測る物差しだったといってもいい。

 コンバット・アーマー(失笑)。

 思わずそう書いてしまうくらい、それはもはや生粋のSF書きだったら恥ずかしくて書けない単語にまでなっている。新しい設定を生みだすのがそのジャンルのそれたるところだと感じていたら、けっして使うことはできない。

 だけれど、SFチェス・マスターならば。
 視点が違う。

 いまや幼稚園児でも知ってる?
 だったらそれは、駒になる。

 今回の『Halo4』は、新三部作の幕開けと銘打たれていて、事実、これまでとは違う人間関係と、新しい敵がてんこ盛りである。なにが違うといって、主人公マスターチーフが、旧三部作とは比べものにならないくらいによくしゃべる。

 マスターチーフは、コンバット・アーマーを着るために強化手術を受けたヒーローである。

HALO4

 『Halo4』では、ついに人類の起源に話がおよぶ。

 移動のわずらわしさがなくなって物語の展開はスピーディーになった。それはひとえに、ひんぱんにスリップスペース(スタートレックでいうところのワームホール)を通って瞬間場所移動をおこなうからだ。

 プレイしながら、ウェーバーの『反逆者の月』を連想し続けたのは、SF読者でありSFゲーマーである私にとって、うれしいことだった。

 『Halo』の旧三部作とその派生作品たちは、未来兵器を描きながら、現代の白兵戦をモチーフに構成されていた。マスターチーフは「チーフ、チーフぅっ」と部下たちに愛される、コンバット・アーマーを着た圧倒的に強い軍人だった。

 しかし『Halo4』では。
 ほぼ、ヒロインAIコルタナとのふたり旅。
 それによって、マスターチーフもおしゃべりになった。

 コルタナがまた、デレる。
 『Halo』史に残るコルタナの名セリフ、

「Don't make a girl a promise...
  If you know you can't keep it.」

 girlとはもはや呼べないコルタナが、あのころとは違い切羽詰まったがゆえの余裕もしくは投げやりな調子で、「助手席にはあたしをのせてね」なんて約束を窮地の自分の側から口に出したり、チーフとコルタナの関係をさして、はっきり「愛」なんて言葉が出てきたりする。
 肉体を持たないのに寿命が尽きかけている人工知能と、人間では着ることのできないコンバット・アーマーを身につけた改造人間が、逃げた地球軍のかわりに、地球を救うため人類の起源ともからむ神のごとき存在と対峙する。

 ああ、もう!!

 (失笑)を乱発したい物語、キャラクター、
 スリップスペースでびゅんびゅんびゅんっ。
 なのに、胸が熱い。

「本当の目で、本当の空を見ることができない」

 狂い死にかけたAIに語らせるお約束に、笑えず鼻の奥がじんとする。
 それこそ、『ソードアート・オンライン』に出てきたAI少女の反則。
 機械とヒトはなにが違うの。
 ずるいよ、そんなの、慟哭せずにいられない。
 機械にだって心は生まれるけれど、こと人類の社会で生みだされた機械にかぎって言うならば、彼らは圧倒的に奴隷である。道具として生みだされたという大前提の首輪につながれている。

 歴史から消えたにもかかわらず美しき古代エジプト王妃として胸像の残るネフェルティティをモデルに生まれた未来でも唯一の「ヒトのクローンである人工知能」コルタナは、ヒトに近い存在であるがゆえに、よりいっそうはめられた首輪がきわだって見える。

 『Halo』のシリーズ出演を重ねるうちに、コルタナは目を見張るほどに美しく変わっていった。ぶっちゃけ、初代Xboxでプレイした『1』のときには「北米人てこういうのに萌えられるの?」とカルチャーショックだったくらいの見た目だったのだが、Xboxも360になり、『Halo』シリーズ製作技術も向上した結果「ああ、やっぱりこういうのがいいんだ」ということになり、また世界はひとつだと実感したしだいである。

 涙は流せないけれど『4』のコルタナは、もらい泣きできるくらいに泣いている。
 抱きしめたいマスターチーフだけれど、彼女には肉体がない。

 ああ、もう!!

 確信犯的にスタートレックの宇宙観から逸脱しない程度の設定を駒としてつかい、SFを知らないひとにでも理解できる世界でSFを描くという難解な高みを志し、ついに『Halo』は成功した。

 2012年11月13日
 マイクロソフトの発表によると、11月6日発売のXbox360『Halo4』は、発売から二十四時間で全世界収益が2億2,000万ドルを越えたという。

 その数字は、映画『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』や『アベンジャーズ』を上回り、2012年度の米国興行収入における現時点で最大の初日記録である。

 私は映画も好きだけれど。
 ゲームが、映画に勝ったこともうれしい。
 それ以上に、勝った相手が、ファンタジーの定義を塗り替えたシリーズであり、スターウォーズの新作でも勝負するというウォルト・ディズニーの王道アクションSF映画だということが、すごくうれしい。

 スタートレックのテレビシリーズが途絶えたのは、機械生命体(実は人間)という、ややこしく新しいものに手を出した結果だった。終盤は、テコ入れのためにやたらと過去に飛び、進みすぎた世界観についていけなくなった視聴層を引き戻そうと懸命だったが、それがかえってコアなトレッキーたちに愛想を尽かされた形であった。

 逆説的なことになってしまうが、『Halo4』に現れた新たな敵は、あのときのスタートレックに酷似している。そこに心意気を感じる。今作の売上げをとっても、もはや『Halo』シリーズは、スペースオペラの正統王道継承者だ。スタートレックが描いてしまった以上、その設定は歴史になってしまったのであって、遅かれ早かれ駒として使わざるをえない。だったらむしろ物語の核として使う。そこで退いたからトレックは終わってしまったが、あれから世紀も変わった。

 いまの人類は、ヒトという種を遊べる。

 哀しみの改造人間。
 人工知能の憂い。
 それらさえ、すでにお約束。

 神?
 それってヒトを創ったやつのこと?
 でも私たちは、もう生まれ出でてずいぶんたっている。
 いまさら、神のことなんて知らない。
 私たちは私たちの意志で生きる。
 滅ぼそうとするなら、神でさえ討つ。
 それがみずからの歴史を、否定することになっても。

 設定はもう出尽くした。
 だから作家は作家である前によき読者たれ。
 
 言ったのは、我が敬愛する師、ディーン・クーンツだ。
 学んで盗み構築し描け、と。
 『Halo4』に、教科書のような学ぶ姿勢を見た。
 見たことのない設定は、なにひとつ出てこない。
 だから、かえって打ちのめされる。
 
 これでいいんだ。

 私自身が満足しきって震えているのだから、なにを否定できるわけもない。
 王道のまんまんなかを撃ち抜く。
 ひねった作品が多すぎて、リメイクが多すぎて。
 王道の新作を創るということが、どういうことかわからなくなりかけていた。
 この地上に『Halo4』は勝負してきて、それに勝った。

 勇気をあたえられた。

 その言葉を贈りたいのは、物語そのものよりも『Halo4』を世に問うた制作者たちに対して。ウェーバーはヲタで『反逆者の月』がコケたところで、自身の人生のひとときが無駄になっただけだったろうが、『Halo4』は製作費が五十億円を越えているという。ヘタをしたらマイクロソフトそのものが傾く勝負で、SF作品が二十世紀につちかった駒だけで盤を埋めるなんて。

 ペーパーバックのサイファイフィクションの底力を信じていいんだ。
 コンバット・アーマー(真顔)。
 それで、いいんだ!

 よくぞやってくれた。
 大喝采。大満足。
 もう、だれにもすすめない。
 生んだ神の手を越えた作品たちは、死なない。スターウォーズの完結はディズニーによってくつがえされた。『Halo』は、私がすすめなくても、いずれ世界中のだれもが知る。

 まあ、どうせ知るなら早く知るのが人生を無駄にしたっ、って叫ばないで済むのになあ、とは思います。『Halo4』のラストで、制作者たちはいいわけめいた謝辞とともにひとつの大きな決断を私たちに提示する。マスターチーフがシリーズ通してはじめてアーマーを脱ぐシーンも挿入されて、今後の展開が、ラスト近くのそのセリフに集約されているのだと予感される。

「兵士は機械ではない。人間です」

 機械のコルタナが望んだ夢も、ひとつ叶う。
 陳腐な言葉だが、
 おわり、そして、はじまる。
 私が寿命をまっとうしたとして、逝くときにSF界の誇れる歴史になっていることがすでに確定している『Halo』という世界に、飛びこむならここはちょうどよい頃合いだと、言っておきたい。

HALO4

(ないしょの話だけれど、前三部作と派生作品群で、地獄のような難易度だったラスボス戦の多くを思い返し、新三部作開幕戦『Halo4』のラスボス設定のあまりのスケール感に、物語終盤になるにしたがって「最後に待ってんだよな、どんだけ強くて硬いんだろう」……むしろ憂鬱だなあ、と戦々恐々としながら向かっていったのですが。それがあなた、もうっ。素晴らしい演出だったのです。これこそソフィスティケイト洗練というもの。ああ、あれが伏線だったのか、と唸ってしまった。なにかにつけ、今回のスタッフが目指した方向性はちょっと真似のできない勇気に満ちていてグッジョブ。唾まきちらして誉め讃えます)








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