最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ

『宇宙になんて行きたくない』の話。




 最後の最後で体育館。それも壇上を画面中心に据え、あ然とするような大団円を迎える。数メートル四方の舞台に宇宙を顕現させる試みこそ、小劇場舞台脚本家のプライドを魅た。

 というわけで『仮面ライダーフォーゼ』最終回。
 脚本と演出の勇気に心揺り動かされ、仮面ライダーとしてどうかというところに冷静な目を向けることができなくなってしまいましたが。それでも、理事長我望がフォーゼの肩を叩いて言ったセリフ。

「きみの価値観だけが絶対ではないのだよ」

 そこに仮面ライダーの精神はあった。
 主人公の友は人間ではなく、敵なる理事長はヒトという種からの超越を望む。進化は悪ではない。それはなにを望むかという価値観の問題であり、すべての人類が孤高の仮面ライダーになったならば、この世の自殺者は一掃されるに違いなく、それはある種の楽園の完成といえる。

 永続を望むから、エネルギー問題が悩ましい。
 けれど、縄文時代の暮らしに戻ればヒトという種が生きながらえるとしても、この種が地球という土のかたまりの上で生活している以上、資源は有限だし、あらゆる星はいつか塵となる。そういうことに気づいた人類たちが少子化に向かい、自分という個の人生で世界を完結させようと思想するのは、いさぎよくもある。

 そんな気高い孤高の人口減社会の最先端をいく日本で、ヒーローが悪なるはずの敵さえも「おまえもおれのダチだっ」で一括し、友が人間であろうがなかろうが気にはせず、どこかにいるとされる超知性体=神までもを、いつか友達になる相手だと言ってはばからない。彼の言う「ダチ」とは、私の感じるものとは少し違い、まさにその違和感こそが、私が未来へ感じる違和感であり、乗り越えるべき種としての壁なのだと思った。

 友だち百人できるかな、と歌うときの友だちとは、自分に似た隣人を集めての百人なのだけれど、フォーゼが歌った「みんなダチ」は、種や思想さえ超えた、悪のラスボスや神、もしかすると宇宙そのものまで指している。

 それは問題が起きまくりである。数人の自分に似た友だちとの関係でさえ、潤滑にまわすのはむずかしいものなのに、そのメンバーに悪や神や宇宙まで入ってきては。相互理解という前提は放棄せざるをえない。

 つまりのところ、フォーゼが「ダチ」と呼ぶ相手は、フォーゼに理解される必要はないということである。だって悪だろうが神だろうが、ヒトだろうが怪物だろうが、彼は気にしない。
 その事実は、フォーゼの人生を私に考えさせる。

 フォーゼは友だちに恋しない。
 フォーゼは友だちに欲情しない。
 フォーゼは友だちを妬まない。
 フォーゼは友だちを手本にしない。
 フォーゼの友だちは、なにがあっても永遠に友だち。

 ぶっちゃけ、フォーゼは友だちがだれであれなんであれ受け入れて永続させるつもりだから、真の意味での恋人やライバルといったものが現れる可能性はない。実際、メテオもラスボスも、最終回の時点では「ダチ」の一線でフラットだった。

 幸せな人生かもしれない。
 私は違和感をおぼえるが。
 種を発展させるという視点を放棄し、行き着く進化の先までの限られた時間のなかで個を謳歌する、これからのイカした人類のあり方としては頼もしい。

 一方、最終回間近、己のダークサイドを引き出されてしまったヒロインが叫んだ言葉は、私の涙を誘った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 あいつも、わたしなの。
 わかるの。
 わたしも、仲間を蹴落としたり、
 いけないことをしたいって、思う心があったの。
 ヒトを踏みにじってでも、
 宇宙に行きたい。
 それも、わたしなんだ。

B007VB8C4M

 『仮面ライダーフォーゼ』
 (第44話「星・運・儀・式」)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今週、アームストロング船長が逝った。
 なんて文章だろう。
 こんしゅう、あーむすとろんぐせんちょうがいった。
 逝ってしまった。
 はじめて、月に降りた人類が。

 去年の仮面ライダーのテーマに宇宙が選ばれたのは、ガガーリンを代表とする人類がはじめて宇宙を有人飛行してから、ちょうど五十年の記念の年だったから。その仮面ライダーが宇宙人とだってダチになってみせるぜと叫びながら最終回を迎えた週に、アームストロング船長が逝った。
 偶然ではない。
 五十年も経てばヒトは死ぬ。
 当時、肉体的に最強な年代だった宇宙飛行士たちは、五十年も経てば、平均寿命を越えている。

 今年の終戦記念日、新聞各紙は、こぞって、逝ってしまう戦争体験者たちのことを記事にしていた。ロケットとミサイルは双子で、五十年も経てば大量破壊兵器から生き延びたヒトたちも逝く。

 フォーゼのヒロインの叫びは、いまの子供たちに伝わっただろうか。

「宇宙に行きたい?」

 なぜ。
 なんのために。
 原始人なみの知能しかないくせに、宇宙なんて目指した結果は、地球の裏側を狙って撃てるミサイル技術の共有化だった。互いが互いを狙っているから大きな戦争がなくなったが、かわりにそこかしこで小規模なゲリラ戦が繰りひろげられ、いっそう悲惨さは増してしまった。

 宇宙に行けば戦争はなくなるの?
 そんなのは嘘である。
 だったらそんなところになぜ行きたいの。
 他人を蹴落としてまで。

 フォーゼは、宇宙人とダチになるためだとお茶を濁すかもしれないが。
 この五十年の節目に、逝った船長の言葉を借りるなら。

 人類にとってのさらなる大きな一歩を踏み出すためだ。

 言いかえれば、仮面ライダーフォーゼを観て、宇宙に行きたい、ぼくも宇宙飛行士になるんだと夢見るようになった彼がいたとしたならば、彼の肩に掛かる任務は、残念ながら友好的な宇宙人を捜すことではない。
 人類がすべて個に生きて満足するならそうやって滅べばいいけれど。
 ヒトは動物でもあるから。
 生存本能がある。
 宇宙に行きたいと望むのは勝手だが、多くのヒトから集めた税金でそれを成すならば、彼の双肩には重たい命題がのしかかる。

 新天地の創造。
 汚れていない土地はもう地球にはない。
 トウモロコシも足りない。
 じゃあ、火星に行かなくちゃ。
 火星を人が住める星に変えなくちゃ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ちょっと待ってくれ、もしそれが可能だとしても、なんの役に立つ?」
「火星が地球化できれば、人間は火星に行って暮らせるだろ」
「七、八十億の全員が?」
 ジェイスンが鼻を鳴らした。「まさか。わずかな数の開拓団だよ。冷徹ないい方をすれば、繁殖要員」

4488706037

 R・C・ウィルソン 『時間封鎖』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 で、それがなんの役に立つ。
 私はそのころ逝っている。
 火星で新たな人類の一派が繁殖をはじめたところで、私が観察者になれないならば、私にとってその現実は無に等しい。

 いや『時間封鎖』は、まさに地球の時間が封鎖されてしまったから、そのあいだに火星を移り住める星にしようというところから話がはじまる傑作なのだが、もしもそういうことが現実にあって、いまの私という個体を火星の新天地に移住させられるのだとしても、そこになんのメリットがあるだろう。

 隣町への引っ越しでさえ面倒くさいものなのに、火星へ行くなんて、慣れるのに一生かかるに違いない。だいたい、人数が少ないということは、致命的な側面がある。仮面ライダーの新作を作るには多くのヒトの労働が必要だし、テレビ局の運営だって、ネット上の噂話でさえ、膨大なヒトがいてこそ、はじめて盛り上がるのだから。

 SFではなく、現代の地球上にある技術で、すでに火星の地球化は可能なのだそうだ。

 でも、なあ。
 そこで人類は不安になる。
 繁殖要員というけれど、増えるまでの最初のアダムとイヴは、退屈で死んでしまわないだろうか。

 アームストロング船長が逝き、仮面ライダーフォーゼが終わった今月、NASAの火星探査車キュリオシティが火星表面への着陸に成功、次々に画像が送られてきている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 荒れ果てた土地だが、逆に言えば氷の大地やマグマぐつぐつとかいったことでもなく、大気さえ整えれば、タネを蒔いて緑を育てることもできそうだし、掘ればレアメタルの宝庫といったおもむきでもある。

 いま走って写真を撮っているのはラジコンカーだけれど、ロシアでは昨年、火星への有人飛行を目指して大規模な実験をおこなっていた。同種の実験はこれまでもなんどもおこなわれてきたが、五百二十日という具体的数字にもとづいて長期閉鎖実験をおこない、火星到着の瞬間までシミュレートしてみせたことで、世界の注目を集めた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『Mars-500 project』公式サイト

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 実験終了後のコメントが興味深い。

「言い争いのような出来事も起きなかった」

 ん。と私は首をかしげた。
 この実験、人種の違う男ばかり六人でおこなわれたのである。
 公式サイトを見ればわかるが、それぞれに個室があり、ネット接続はもちろんされていないものの、パソコンがある。本人たちのコメントでも、ビデオゲームで時間をつぶしたという発言があったので、完全に自由に使えるスタンドアローンな各自のパソコンに、もれなく各自のお気に入りエロ動画が満載だったことは想像にかたくない。

 男六人は、個室でオナニー三昧だったわけである。
 ていうか五百日以上ともに暮らした男同士が言い争いもしなかったというのは、実験結果として良好なものだとは思えない。そこに友情なんて生まれていないのではないか。ほぼ一年半にわたる火星への有人飛行シミュレーションは、つまりは男六人集まれば、それぞれが個室に引きこもることになる、ということではないのか。

 日本でもやっている。
 おそらく『宇宙兄弟』の映画化、アニメ化で、爆発的にヒット数を増やしているはずのJAXAの公式サイトに、すでに募集は締め切られているが、過去の実験参加者募集要項が残っている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『JAXA|宇宙航空研究開発機構 / 有人閉鎖実験参加者募集のご案内』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 これを読むと、かなりユルい。
 そもそも実験期間が一週間。
 そこに加えて毎日のカウンセリング。
 食事は調理済みのものが外から三食とどけられる。
 正直、そのあたりのアパートの一室で彼女に放置プレイを加えられているM男のほうが、よっぽど過酷な状態に置かれているに違いない。
 というか、どこに過酷さがあるというのか、こんなの。
 おまけに報酬が一週間で二十五万円である。
 押し入れに吊されて彼女の帰りを待つ彼よりも、日給三万円超は、多くのひとにとって苦痛を快楽にさえ変えられる金額だ。

 これに比べると『宇宙兄弟』に出てきた宇宙飛行士選抜のための閉鎖実験は、もう少しキツい。実際にそういうテストが日本でおこなわれているのかどうかは知らないが、報酬と好奇心によって志願した一般人よりも、これから宇宙飛行士になろうと志願する者たちへの実験のほうがハードであるのは、至極当然であろう。

B0080JKCRO

 それにしたって、こういう実験で、本当のところ、未来の火星で起きることを予測できたりするものだろうか。ロシアの実験からわかるのは、言い争いもなかったのはパソコンの故障がなかったからだということで。もしもそこに不具合が起こり、ビデオゲームもポルノスターも摂取できなくなっていたら、男六人が破壊衝動と性衝動をどんなふうに収めることになったのか、考えたくもない。三組の蜜月中のカップルが誕生していたかもしれない。それはそれでハッピーなことだが、次回からの実験には、偏ったひとたちからの応募が殺到して当初の目的とは違ったことになってしまうだろう。日本の実験に至っては、本気でやったら大変なことになるとJAXAが実験前から逃げ腰になっている感さえある。

 まだまだ狂気めいた熱のあった二十世紀の終わりには、かなりニュースになったバイオスフィア2という計画があった。完全に循環する生態系を人工的に作りあげ、そのなかで二年ごとに人員交代して百年暮らすというものだったのだが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『Biosphere2』公式サイト

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 最初の二年を終えて出てきた八人が、この計画は失敗だという証明になり、百年は二年で終了した。失敗のおもな原因は、食料になるはずだったものを含めた植物がまるで育たず、食料どころか酸素も欠乏する状態に陥ったからだが、その結果として現れた目に見える失敗の証明として、八人の精神状態があったと聞く。要は、だれが見たって、ちょっとくらいの状況改善をしたところで、もう二年、人間をここで暮らさせるのは狂気を育むようなものだと結論づけられたということである。

 日本の閉鎖実験では、毎日、単純な頭脳労働をさせてストレスを意図的に与えたそうだけれど、バイオスフィア2でのストレスは生ものである。空腹なのに植物が育たない。家畜は死ぬ。そもそもが排泄物まで循環利用しなければ成り立たない閉鎖空間なのだから、屍体を片付けることはできず、大地に帰すことになる。とはいえ、その大地が居住区域内。植物が育たなかった原因のひとつに、風が吹かないために植物にストレスが加わらず、弱くなっていったという見解があるが、人間にとっても天候の変化がないことは、世界が牢獄であるかのような錯覚をおぼえさせたに違いない。

 火星で繁殖要員がことに励む前に、最初のアダムとイヴたちは、数百日間の宇宙船共同生活が待っている。現状、地球人が飛ばすことのできる宇宙船は、男女ふたりでは飛ばせないし、逆に、多人数のなかでゲーミングPCとオフィスチェア以上のプライバシーを確保することもできない。

 アダムとイヴ「たち」である。
 言い争いもなく火星まで行くには、プライバシーが必要だが、そのプライバシーは火星に着く前に宇宙船のなかで繁殖行為に励めるほどのものではない。ひかえめに考えても、友情よりも、多くの修羅場を生むだろう。

 結果、もっとも簡単な解決策は、肉体的というよりも、精神的に鍛えあげられた現代の宇宙飛行士同等の心の強さを持ったアダムとイヴたちを選ぶことで……火星移住の審査は、そういうものになる。

 キレやすいのはダメだし、天然も困る。
 空気は読めなくてもいいけれど、調和を乱す行為は法度。
 繁殖のための精力は必要だが、これもストレスから暴力や、だれかれかまわずの同性愛行為に走ったりするような弱さをもっていては困る。

 選ばれるのは、まさしく神の創りたもうたようなアダムとイヴ。
 火星での初夜を夢見る優等生タイプの若者たちがいい。

 バイオスフィア2の精神面での失敗は、被験者が科学者だったということも大きい。彼らには知識があった。ヒトがどんなに自由かを知っているために、閉じこめられた境遇の悲惨さが内部増幅された側面はあるだろう。

 優等生なアダムとイヴの次、純粋なる火星生まれの新しい人類は、きっと戦争をしない。戦争というものを知らないのだから、自分たちでそれを発明するまでは、幾世代もかかるはずである。テレビも映画も、ゲームもポルノもなく、純粋な愛にもとづくセックスと、お遊戯レベルの内輪で演じる舞台劇が娯楽になっていくだろう。

 いつか火星をヒトで埋めつくし、また新たな星をさがさなければならなくなるまで、彼らは忙しく働き、争っているひまもないはずだ。

 それはそれで、幸せそうだが。
 アームストロング船長が逝った。
 仮面ライダーフォーゼが終わった。
 キュリオシティが火星を写す。
 二十一世紀の有人閉鎖実験は、娯楽に支えられて成功と喜んでいる。
 私は、思う。

 で、けっきょく、宇宙行ってなにすんの。
 未来で優等生な新人類が火星で繁栄したって、それが私にとってなにかの意味があるかといえば、なにもない。

 フォーゼが最後に言っていた。

「ここが銀河だ」

 いま自分たちのいる、学園を指してである。
 同意する。
 私も宇宙を題材にしたSFは大好きだけれど、現実に月に行った偉大な勇者が死に、火星で走るラジコンカーを見ていると、それらの意味は、そこにこそあるのではないかと思える。

 壮大な劇だ。
 いま、ここにいる人類に魅せるための。
 オリンピックの体操選手や、コーナーポストから飛ぶプロレスラーに向かって拍手する。ええっ、ヒトってあんなことまでできちゃうんだ!
 宇宙に行くってのもそういうことで。
 つまり、宇宙飛行士を目指すのは、舞台の主役を目指すということである。

 それでいいと思う。
 宇宙飛行士の試験で、人類の未来に貢献とかなんとかいうやつは落とすといい。大好きなヒーローのことを話すように、ガガーリンやアームストロングのことを語るやつは合格にして欲しいが、未来の宇宙飛行士の子供時代にもう彼らはいなかったのだから、ぜひとも仮面ライダーフォーゼの名を二十年後に出す志願者がいたら、即合格にしてやって欲しい。

 現実に、火星でヒトが生き延びるかどうかは、どうでもいい。
 地球を脱出する気もない。
 いま、地球に作用する計画を立てて欲しいと、大衆演劇的、プロレス的な、有人宇宙飛行五十周年記念仮面ライダーを観終えて考えた。
 ロケットは、花火だ。
 戦争もやめたくなるような、わあっという花を咲かせて。

 宇宙開発は、戦争に直結していた。
 けれど五十年。
 宇宙はもう、娯楽でいい。
 映画を撮るように、宇宙を作る。
 ヒトは地球を制した。
 だから次は宇宙。
 楽園の創造を望んで戦争に志願する兵士がいるなら、ロケットに乗せて火星に送ってやればいいのに。血気盛んなファイターは宇宙劇の主役になって、空気さえ作り、繁殖だって成すだろう。そんな番組はおもしろくて、地球では戦争だって忘れるかもしれない。

 キュリオシティの画像を見ると思う。
 宇宙キターッ。
 ここで見ている、火星はいまここにある。
 もっと盛り上がっていいと思うぞ人類。
 せっかくの宇宙という娯楽を、有効利用できていないと感じるのです。

 必死なのはわかるけど。
 宇宙を魅せる側も、もっと遊ぶべき。
 仮面ライダーフォーゼはよかった。
 なぜ宇宙に行くのか?
 そこは最後のフロンティアだからだ。
 キターッ! イケーッ!
 それで行っちゃったりするもんなんだ。
 アームストロング船長たちは、そうだった。
 あれは劇であり、プロレスだった。
 そしてだからこそ、彼はヒーローだった。
 そういうノリが、いまの地球に欲しい。

 宇宙になんて行きたくない。
 宇宙を夢見せられて、ここで銀河に泳ぎたい。

TRACKBACK http://yoshinogi.blog42.fc2.com/tb.php/448-f26dc764