最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ

『近未来娯楽スポーツの王様』のこと。



 彼は、準決勝で負けた。
 リレーでは決勝にまで残って、本人は四年後を目指すと宣言していた。
 笑顔だった。

 ほかの選手に比べて有利だという根拠がない、というのは、つまり判断のしようがないということで。
 判断できないから、困って。
 偉いヒトも、単純に考えてしまったのだろう。

 いかにもタイムが競りあっておもしろそうだったから。

 エンタメ目線での決定である。
 これが、あきらかに健常者よりもかっとばして高速だったならば、認めることはなかったはず。

 判断の要となった生物物理学者さんたちによる見解「義足が人間の足よりも優位であるという十分な証拠はない」というのは、そもそも、それをもとに話しあうという土台からしてズレているように感じる。

 彼は、ブレードランナーと呼ばれている。
 プロレスでいうところの二つ名というやつだ。
 ブレードの脚を持つランナーなのだから、ヒネりもなんにもないが、もちろん、その名を冠して登場する彼を見て、多くのSF小説好き、映画好きは、連想する。

Blade Runner

 レプリカント。

 ヒトに似た機械。
 K・W・ジーターの描く映画公式続編小説『ブレードランナー』の2と3において、レプリカントたちは人間と変わらぬ「人生」を求め、それを成す。
(邦訳されていない4もありますが、なぜ邦訳されないのかは推して知るべし)

Blade Runner

 だがしかし、見た目に人間と変わらない機械生命体が、人間同様の人生を手に入れるという物語が当の「人間」である読者にうったえかける時点で、その物語が描かれた当時の人類には「マシンごときが」幸せになれてよかったなあ、という見下し感がありありだったことはいなめない。

 時は流れ。
 二十一世紀。
 ブレードの脚を持つランナーがパラリンピックで無敵の王者となる。
 映画『ブレードランナー』の近未来はあと数年のことになったあたりの人類は、彼のことをブレードランナーと呼ぶ。その響きが、人間ではない機械生命体レプリカントを連想させることを充分に意識したうえで、彼本人も、それを許している。

 高度なジョークを許容するようになった、といえる。

 数年前、全日本プロレスに、義足のレスラーが登場した。問題行動でアメリカ最大のプロレス団体WWEを解雇されたザック・ゴーウェン。彼は、昭和の全日本プロレスで戦っていた三沢光晴の大ファンだと公言していて、その三沢が全日本プロレスを離脱して新団体を作ったことを知らないはずはないのだが、仕事に飢えていたのだろう、あこがれの全日本プロレスにやってきました、と、ジャパンマネーを獲得すべく文字通り飛んだり跳ねたりしていた。

 彼は、ときどき、義足がはずれる。
 彼の義足はブレード状のものではなく、おそらくはFRP強化樹脂製の、マネキンの脚のようなものである。はずれたそれを使って、彼は敵を殴ったりする。

 それは凶器であろうか。
 絵としては、樹脂製の棍棒を手に持って敵レスラーを殴っているのだから、ハードコアマッチではない通常ルールのうえでは迷うことなく反則である。しかし、それは彼の脚なのだ。自分の脚を手に持って敵を殴りつけているとき、彼は当たり前だが、片脚である。プラスマイナスはゼロだから、質量保存の法則にのっとればそれは、脚が抜けて飛んでいったハイキックであると言えなくもない。実際に、抜けて飛んでいっているのだし。

 彼は、これはぼくの脚だと言い張る。
 レフェリーが困る。
 プロレスを解する観客たちは、笑う。

 それもまた、かなり高度なジョークである。

 古くはアブドーラ・ザ・ブッチャーの尖った靴や、最近では沖縄プロレスのハブ男が長いシッポで敵を殴りつけていたりする。実況するアナウンサーは決まって言う。

「でもまあ、あれはカラダの一部ですから」

 凶器ではない。
 それがプロレスの奥深さである。
 そういえば、昭和のリングには、ヤスリで歯を尖らせたレスラーもいた。その尖った歯で噛みつくのが必殺技で、入場シーンからさっそく鮫のような歯を見せびらかしているのであるが、プロレスにおいて、そもそも噛みつき攻撃は反則なのだった。噛むために歯をヤスリで削ってきたのを見た刹那にレフェリーは不戦敗を宣言すべきだと思うが、そんなことは起きなかった。

 暗黙の了解、というものだ。
 二十世紀からすでに、かなりレベルが高い。

 たのしければいい。
 それがエンターテインメントだ。
 プロレスは娯楽スポーツとみずから名乗っている。

 ひるがえって。
 オリンピック。

 そこに違和感をおぼえる。

「義足が人間の足よりも優位であるという十分な証拠はない」

 オリンピックで広告は禁止というのは明文化されたルールだが、それを拡大解釈してタトゥも御法度というのが暗黙のルールとしてあり、某日本人格闘家が、かつてのオリンピックで両腕のタトゥを隠すためにバンテージをぐるぐる巻きにせざるをえず、まったく腕がすべらなくなって敵の関節技にがっちりはまって負けたという出来事があった。それが、今回のオリンピックを観ていると、やたら五輪マークのタトゥをこれ見よがしに入れている選手が多い。オリンピックのスポンサー、コカコーラ社のライバル、ペプシのタトゥを入れた選手はさすがに隠したそうだが、男子400メートルハードルの銅メダリストは、五輪のマークに並べて、日本が誇る音速のハリネズミ、ソニック・ザ・ヘッジホッグを腕にタトゥしていた。
 ソニックは、公式ゲームにも出ているしOKなのだろうか。

m&s

 しかし、彼がソニックを腕に刻んだのは、ゲームの広告のためではない(広告にしては、デザインレベルの低いタトゥでもあった)。彼は、ソニック好きなのだ。あの音速のハリネズミのように障害物を飛び越えまくって世界最速の男になりたかったのである。
 そうして、事実、彼はトップではないものの、立派なメダルを手にした。

 ソニックのタトゥがなくても、彼は勝てたかもしれない。
 けれど、そのレベルの選手たちにとって、精神の安寧こそが最強の武器であることはまぎれもなく、多くの選手が五輪マークを身に彫るのも、己が人生の一大イベントだと肉を越えて心に刻むためだろう。

 そういうタトゥは許される。

 ならば、コスプレしたら速く走れるという主張をしてみてはどうだろうか。
 ハンマー投げの屈強な男子選手が、たとえば、

「ぼくはミニスカセーラー服を着るとテンションが上がる」

 だから着てよいか。
 ダメだろう。
 たぶんダメだけれど、五輪の偉いヒトに理由を問いただしてみたい。だって、ミニスカートもセーラー服も、どう考えたってハンマー投げという競技において、着ることでほかの選手よりも「優位であるという十分な証拠はない」はずだから。

 義足のランナーは認められ、無事オリンピックは終わった。

 その先に、なにが起きるのかを、彼らは考えたのだろうか。
 間違いなく、次の選手が現れる。
 そして審査する。
 今度は、ダメだと言われるかもしれない。
 しかし、そのときの理由は絶対にこうだ。

「その人工的な肉体のパーツはほかの選手に比べ優位になる」
 から。

 ここはもう近未来。

 幼いころに視力を失ったが、電気的に見えるようになった。
 彼女は、中学校でアーチェリーをはじめるかも。

 幼いころに全身に大やけどを負った。
 彼女は、まがいものの肌色ではなく、エメラルド色の肌を選んだ。
 新体操の芸術点はどうなるだろう。

 さて、オリンピックを目指そうか。
 そこで、彼女たち専属の技術者たちは、なにをするか。

 オリンピックに出られるように。
 ふつうの人間並みの視力を持つ義眼を用意する。
 ふつうの人間にまじって違和感がない皮膚の色にする。

 つまり、徒競走においては。
 現在の人類最速の選手のタイムと競りあう程度の速度が出せる義足の開発。
 それがおこなわれる。

 当然、近い未来もなにも現時点においてすでに、競技用義肢開発の方向性は「速すぎるとマズい」ということである。最新のテクノロジーを注ぎ込んで、100メートルを5秒フラットで駆け抜ける脚が造れたとしても、それを装着して審査会にのぞめば「なにを考えているんだきみは?」とオリンピックの偉いヒトは言うだろう。

 でも、ほんとなに考えてんの?
 パラリンピック二連覇の無敵の王者。
 彼が、五輪の精神にのっとって競技に挑むなら、オリンピックの決勝で競ることではなく、文字通りの人類最速を目指すべきである。パラリンピックの王者たちが出す記録は、ヒトの域を超えてぜんぜんかまわない。ハンディをアドバンテージに変えて驚愕の記録を叩き出そうとするとき、その行為はエンターテインメントにまで昇華されて、あらゆる人類の希望になる。
 そうでなくてはいけない。

 なぜ、オリンピックに持ってきたかが違和感なのだ。

 オリンピックの王者に、義足のランナーはなれないと偉いヒトは思った?
 現実に、彼は準決勝で敗れたのだから、現在の技術の粋をもってしても、そこが限界なのかもしれない。
 でも、車椅子のマラソンランナーは、とっくに脚で走るよりも速い。
 生身の脚で走る選手が、この先、さらに1秒早く100メートルを走れるかといえば疑問符がつくが、機械の脚ならば、科学技術が絶対にそれを可能にするだろう。

 選手の夢を叶える姿勢は素敵だけれど、その結果が、彼が王者になり、みんなが戸惑うというものであれば、その先には映画『ブレードランナー』の原作が描いた悲劇が待っているかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「アンドロイド」とプリスはつぶやいた。「アンドロイドのやりそうなミスだわ。そういうことから、ばれてしまうの」彼女は立ち上がってイジドアに近づき、それからおどろいたことに、彼の腰に腕をまわして、つかのまぎゅっと体を寄りそわせてきた。「桃をひときれいただくわ」
 彼女はうぶ毛の生えたピンクとオレンジのぬるぬるしたひときれを、長い指でそっとつまんだ。とつぜん、桃を頬ばる彼女の目に涙があふれてきた。つめたい涙が頬を伝い、ドレスの胸にこぼれた。イジドアは途方に暮れたままひたすら食べつづけた。

Blade Runner

フィリップ・K・ディック
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 彼らはレプリカントでもアンドロイドでもない。しかし、おなじオリンピックで競ううち、彼らは彼らを彼らと呼ぶようになる。彼らは進化が可能になっても、正体を隠す必要に迫られる。彼らよりもあきらかに優れていることが暴露されれば、彼らとまじって競技することはできなくなるのだから。彼らは越えられるタイムを越えず、観客の動員数を上げるために「競る演技」をみずから選び、上手くなる。記録とはすなわち、いかに観客を熱狂させる脚本を見事に演じきるかという妥協点になる。限界を演じるためには、限界を越えた肉体が必要であることは明白だ。

 プロレスに変わって、娯楽スポーツの王様が生まれる。

 オリンピック。

 機械の肩を持つ男と、アブトロニックX2を四年間肩に巻き続けて筋肉を肥大させた「生身の」男が、どちらが槍を遠くに投げられるか競技するのを、私は見たい。なんなら、そこに筋肉増強剤の生きた成果を参戦させてもたのしいだろう。

 だが、多くのスポーツ信仰家たちにとっては悲劇ではないだろうか。

 オリンピックが、娯楽性を追い求めれば、現れるのは、闇でうごめく「演技派」たちである。そういう国もあるし、そういう選手もいるはずだ。極論だが、幼いころになにかを失えば、それを機械に置きかえてもオリンピックに出られることになった。オリンピックに出るために手術してはダメだが、十年がかりの計画でならば可能ということだ。

 単純な話として、義足のランナーはかなりプロレス的だった。
 プロレス好きとして、言っておきたい。
 娯楽スポーツを舐めてもらっては困る。
 純然たる記録を追い求めるストイックなドキュメンタリーに、観客の顔色をうかがって混ぜ込んだ娯楽性は、いずれ、すべての調和を台無しにする。

 私は彼、ブレードランナーがとても好きだ。
 だから、ものすごく残念だった。
 パラリンピックの王者が強すぎるから、オリンピックで走らせたい。
 それならば、そういう大会を新設すべきだったのだ。
 エキシビションマッチとして舞台をもうけるだけでもよかった。
 それこそ、新時代スポーツの夜明けになったかもしれない。
 それなのに、本人が希望したから?
 希望したら出られる大会でしたっけオリンピックって?

 ドキュメントにせよエンタメにせよ。
 ブレると醒める。
 これも単純な話。
 パラリンピックとオリンピックの両方に出場できる選手がいる、という事態こそが、レフェリーの裁定としてありえないと思う。パラリンピックってオリンピックの下位大会じゃないでしょう。そこで絶対王者になったらオリンピックに出られますとか、ブレすぎている。

 機械の脚だからこそ、100メートル5秒なんて記録を真顔で目指せる。そういう人類が存在することこそ、ヒーローというものの体現である。カーレースによって市販車の性能が上がるように、義肢の開発技術の向上は、ほとんど直接的に、すべての人類の未来に作用する。

 彼には、人間の可能性を超えてもらいたかった。
 オリンピック出場の夢を叶えたのに、四年後のオリンピックを目指すという言葉。
 彼の脚は人類科学の結晶なのに。
 オリンピックで名を売ったのに。

「オレを光速で走らせることのできる脚をだれか造れないのか!」

 そう、叫んで欲しかった。

TRACKBACK http://yoshinogi.blog42.fc2.com/tb.php/446-a2e5feec