最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ

『シャコの目』の話。


Oratoria

今年も兵庫県相生市のペーロン祭に行った。
夏の前の花火、汗だくの漕ぎ手たち。
祖父母が逝って数年経ち、
さびれた商店街はシャッターが閉じ、
帰って来たよと声をかける相手はいないけれど、
そこは私の生まれた町だ。
海が近い。
けれど、漁師も減った。
幼い頃には、それを主食にできるくらい、
バケツ一杯いくらで安く売っていた、
シャコが、祭だというのにスーパーには売っていない。
シャコは死ぬと身がちぢむので、
パックで売るわけにいかないのである。
だから、道の駅に寄る。
そこにシャコはいる。
しかし、祭の客には売れないようだ。
エビに似ているが、シャコはシャコ。
トゲがあり、びっちびち跳ねる。
じっと見てみると、昆虫っぽい。
バッタ……あ、いや。
繁殖力からして、ゴキ……もごもご。
シャコはシャコである。
生まれた地を離れて暮らし、
私も不謹慎な想像をしてしまったが、
味を知っているので平気だ。
指を出してはびちっとシッポで叩かれ、
近づくんじゃないの気持ち悪い、
そう言って子供が母親に叱られている。
生け簀に、カゴで浮かべてあった、数十匹。
ビニール袋に移してくれながら、
おばちゃんは、うれしそうに言った。
「帰ってきたのに、これないと淋しい
いうヒトのために、置いとってよかったわ」
まあ、子供のおやつよりも寿司ネタとして
流通するようになってしまったシャコであり、
年々、値も張るようになっているので、
せっかく獲ってきたのに売れなかったら困る、
という意味での笑顔だったのかもしれないが。
地元では、高価になったシャコを、あえて食べたりしない。
観光客は、その場で食べられない奇怪な生物に手は出さない。
けっきょく、こいつらは、私のために獲られた。
トゲが刺さるし、手が汚れる。
それでも、シャコあっての夏。
タッパーに茹でたの山盛り入れて、
わあいきれいに剥けたと、悦ぶものだ、。
そういえばふだんの私は、カニも、ミカンさえ、
ガワを剥くのが面倒なものは好んで食べないのだが、
こいつだけは、特別。
一匹二匹では意味がない。
積まれていなくちゃダメ。
きっと、もう何度も、こうやって食べる機会はない。
高級食材は科学技術で養殖されて食卓の常連になり、
そばにいっぱいいたから獲って喰っていたものは、
地域性が高すぎて民主主義に負け稀少食材になる。
世界中で寿司もステーキも毎日だって食べられる。
そりゃあ素晴らしいことだけどな。
昆虫みたいな生き物唇切りながら喰う、
こういうのをたぶん、いまわの際に想い出したりしそう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 日本映画なのに日本公開がやっと決まった『デッド寿司(Dead Sushi)』に、牙を剥くエビの寿司が出てくる。



 トマトがヒトを喰うとか、缶詰がヒトに齧りつくとか、そういうホラー映画は二十世紀にたくさんあったが、その国の特産品などをディスるのは外交問題にもなりかねないから、なかなか扱う監督がいなかったところを、自分の国ならいいだろうと日本人監督が日本人を使って寿司に襲われるという図式自体が外国の方にとっては「日本人って」という苦笑に結びつくようで、笑われる側としては誇らしい。
 誇りがないのが誇りです。

(誇りで思い出したが、最近、アメリカのプロレス団体WWEにおいて、日本で活躍していたジャイアント・バーナードが「テンサイ」という名でプレイしているのですが、その件に関し先日、ヨシタツがコメントを出した。

 WWEスーパースターYoshi Tatsu公式ブログ~Sanctuary~『罪と罰』

 どこまでが真にガチなのか不明だけれど。日本人が寿司に襲われる映画撮っているのを笑う感性があるなら、笑えるか笑えないかが重要だと気づいて欲しい。バーナードは好きな選手だけれど、日本から戻ってきたことを売りにして漢字で「天災」のペイント……日本人としてだけでなく、プロレスファンとしてげんなりする。プロレスハッピーでなくちゃ) 

 寿司はいまや世界食だが、それでも生の魚は無いわ、というひとは多いらしく、エビも火が通っていればいけるけれど、生の甘エビとか臭すぎる、なんて話をよく聞く。そういう外国のかたにとっては、シャコの生にぎりなんて、まさにホラー以外のなにものでもないはずだ。
 生け簀で泳ぎもせず、底に這いつくばっているトゲシャコは、エビに似ているがゆえに、しかしエビではない部分が強調され、見るからに妙な進化を遂げている。

 最近の研究では、シャコってほんとにそうらしい、ということがわかってきた。



 要約すれば、シャコは見た目のエイリアンっぽさを裏切らないくらい、宇宙から飛んできた種だといえるほど独自進化した生物であるという話。

 特に目。

 映像で見るとよくわかるが、シャコの目は、トンボの複眼に似ているようでいて、その奥に透けた黒目が動いているのも確認できる。またその透け具合が均一でないのも、いかにもほかの生き物とはちがう働きを持って世界を眺めていることの証明のようである。

 実際のところ、シャコの目は、よく見える。

 それは、よく見える、ということの意味の捉え方にもよるだろうが(人類のなかでも、草原の国で生まれたひとが驚くくらい遠くが見えるということがままあるが、もしもそのひとが大人になってビルと地下鉄の国にやってきて、パソコンを使ったデスクワークに従事したとすれば、眼精疲労が頭痛を呼び起こし、仕事どころではなくなる可能性は高い)、単純に視覚器官としての能力でいうと、シャコの目は地球上のあらゆる動物が見ていない光を見ることができている。ヒトが見る世界よりも、シャコが見る世界はずっとカラフルなのだ。

 カラフル、という表現も適切ではないかもしれない。見える光の種類が増えるということは、ヒトが見ている「赤色」という光の三原色のひとつを、シャコはさらに細分化して見ているということである。そこではもう、赤色は赤色と呼ぶべきものではなく、ヒトにはその世界が見えないから、それを表現する適切な単語もないのだけれど、ともあれ、もっとずっとはっきりくっきり世界認識しているのである。考えてみると、それは困ったことのような気がする。だいたい、三色の発光ダイオードの組みあわせで、ヒトの目にはテレビで歌うももいろクローバーZは五色の女の子たちに見えているのだし、ナショナルジオグラフィックチャンネルではディープブルーな海の蒼さに嘆息さえする。必要充分に世界が見えている気がするのだ。それを、三つどころか十を越える「原色」に変換して見る? それはいったい、なんの役に立つのか。

 簡単なことである。
 同じ衣装を着ている少女たちの色味を細かく分析して見ることで、五色どころか数十色にでもわけられるなら「ギネスにLargest Pop Groupとして認定された」某少女アイドルグループだって、シャコは色を見わけるようにがっちり個人特定できる。ドレスよりも、髪や、肌で見わけたほうがわかりやすいかも。あの頬のきらめき、目の下のくもり、明るすぎるリップ。

 つまりシャコは、我々ヒトがよく陥りがちな、自分とはちがう人種のヒトを見たらだれがだれだか見わけがつかない、という状況にハマりこむことがない。白だろうが黒だろうが黄色だろうが、さらにそれを細かく見てしまえるので、結果的にヒトの目が見ているような大雑把な区分は問題ではなくなるのだ。

 シャコの目を研究して、次世代光学ディスクに生かそうとしているひとたちもいる。読み込める色が増えるということは、書き込める情報量が増えるということにほかならないからである。

 圧倒的な情報量で世界を認識する唯一無二の生き物。
 けっしてだれかをだれかと間違うことはない。
 ならば、シャコの目で次世代ディスクなどという前に、シャコにジャケットを着用させて、立派なホテルマンにしたらよさそうなものだが。

「お帰りなさい、ミスターヨシノギ」

 やつは私を見間違えない。
 だがそれは、進化を理解していない提案だ。
 シャコは、ホテルマンになりたくないから目を育てたのだから。

 唯一無二の超絶分析装置。
 そんなものを瞳の位置に埋め込んだシャコは、多人数アイドルグループを愛せない。いや、たった五人のももクロも愛さない。人数は問題ではない。見た瞬間に詳細分析し、間違うことなく、シャコは決定できる目を持った、それゆえに。

 見る=自分好みか即時判定。

 好みだったら、襲って、食う。
 ヤバければ、逃げる。

 もしも、愛すべき相手と、危険な相手を、見るだけで即時判定できる瞳をあなたが入手したとしよう。するとあなたは、やがてなんの恐怖も感じなくなり、だれかを愛するということもやめる。

 近づいてくる前に、見れば危険だとわかる。
 自分を無条件で受け入れる相手も、見るだけで次々と手に入る。

 あらゆる執着が消える。
 シャコは、なにもおぼえない。
 経験が必要ない。
 だれかとだれかを間違うことはないから、だれかの特徴などおぼえる必要が皆無になる。

 記憶にない相手に執着できる生物はいない。

 なんでも見える瞳を手に入れた。
 シャコは、脳を退化させても問題なくなった。  
 すべてを破壊できる兵器があるならば、狙いなんて定めなくていい。

 そうして、シャコは砂にもぐり、目だけを出して生きることにした。
 もはや、その目は、シャコのすべてだ。
 見る。
 反射。
 隠れる or 手に入れる。
 思考は必要ない。

 シャコになりたいかといえば、微妙ではある。
 考えていないのだから、退屈もないのだろうけれど。

 ネットの発達によって、ヒトは考えなくなったというひとがいる。
 いわば外部脳であるコンピュータが、ヒトの脳ではおぼえきれるはずもない百科事典以上の知識を即座に提示してくれるし、カーナビは道を教えてくれる。近ごろのアプリは、曲を聴かせるだけで詳細情報をくれるので、歌手の名前も歌詞も、おぼえる必要はない。

 うん。確かにね。
 そうしてみると、ぼくらもシャコ化していくのかもしれないね。
 などと、私は思わない。

 機械化がすすむと、人間力が落ちる?

 そういうことを言うひとこそ、だれよりわかっているということである。機械化とは、脳の拡張にほかならないのであって、もともと持っているヒトの脳の容量に空きができるということ。

 空きができたから、考えない。
 それは個人の問題だ。
 多くのヒトは、機械が家事をしてくれるようになって、ぼおっとするどころか、考えなくていいことを考えはじめた。カーナビが道を教えてくれるから、運転席と助手席で、目の前に広がる宇宙の成り立ちについて会話をすることだってできる。

 ひとりに一台のモバイル端末が行きわたった時代に、算数の計算力が衰えるのは当然だと識者が言う。計算機を持っていて、計算する脳が育つわけがないでしょう? そりゃそうだ。でも、この先、人類が荒野にもどる予定なんてないんだし。

 計算力なんて、いらない。

 計算は機械がしてくれるから、またヒトの脳に空きができる。
 しかし我々はシャコにはならない。
 シャコにあこがれていないからである。 
 シャコは、考えずに見ればわかるカラダになりたくて、そうなった。
 進化とはそういうものである。
 高い枝の葉を食べたいから首がのびる。

 ヒトは。
 なにを望んでいるのか。

 からっぽになりたい?
 愛や憎しみから解放されたい?
 いや。
 だったら世界から映画も小説も消えているはずだ。

 機械化は進化である。
 望んでこうなった。その結果「衰えた」とされる人間力とは、ヒトが不毛の大地でサバイバルするための能力である。そんなものはもういらないから、選んで捨てたのだ。

 で、この先は。
 ヒトはシャコにはならない。
 シャコが見ている光を、機械で見るようにはなる。
 しかしその機械を肉体に埋め込んだりはしない。
 そこが確信できるならば、未来予想図はほぼ確定。

 ヒトは自由になる。

 機械化がすすみ、空いた脳の容量と、好きに使える肉体を持つ。
 なんでそれを悲観的にとらえる?

 好きにやっていい。
 だったら、多くの人類は愛しあうことを選ぶだろう。
 趣味で哲学するようになるだろう。
 争うことはゲーム化され、競技になる。
 少数の開拓者たちは、望んでナビのない土地へ行きたがる。銀河系の外の惑星に機械で到達して、そこで自動人工授精すれば、ヒトという種を限りない果てまで飛ばすことができる。いや、別にヒトが行かなくても、無線LANを数珠つなぎしていけば、太陽系の外にまでネットを拡張するのは時間の問題だ。オールトの雲でもネットが使えるなら、ブラックホールの発生する瞬間をストリーム中継することだってできるだろう。

 もちろん、怠惰をむさぼりたいという欲求もでてくる。しかし、外部脳が増えてメインマシンに空きができたなら、これまでやったことのないことに、その処理容量を割り振ってみようと考えるのが、ヒトという種の自然な進化だと思う。怠惰のむさぼりかたも、シャコみたいな退屈に陥らない方向で発展するに違いない。

 ヘンなものを食べだすかもしれない。
 いまは想像もできない新たなセックスのカタチを見つけているかも。

 断言できるのは。
 考えないシャコには、なりたくないから、ならない。
 そのために機械化進化を遂げたわけではないと自覚しているのだから、これからだって、ヒトの脳が休むことはない。
 ただ、ひとむかし前とは、別の用途に使われることになるだけ。

 とか。
 そういうこと考えていたって。
 シャコだって、もはや天敵もなく愛することも超越して、砂のなかで生体機械な生涯を送れるはずだったのに、がっそり網で砂ごともっていかれ、茹でられて殻を剥かれて私にむしゃぶりつくされている無常。

 終末は、勝手にくる。
 いまさらこの夏にエアコンをOFFる?
 スマホを踏んづけて計算ドリルする?
 カーナビ使わないと戦争はなくなるの?
 バカ言ってんなよ。
 もう進化しちゃってんだよ。
 望んだことでしょう。
 悩むなんて、いくじなし。
 
 シャコどころか地球も食い散らかして。
 行けるとこまで行って滅ぶんだ。
 ヒトという種がどこかへ逃げ出せたら、それはめっけものだけれど、基本的には、ヒトは狩りをやめて考えて暮らしたいと望んだんであって。
 残された問題は。
 ヒトは孤独を愛したい。
 けれどヒトに触れて愛したい。
 仕事も勉強も機械にまかせて道に迷わず、宇宙の秘密に哲学しながら、好奇心に負けてブラックホールに飛び込みつつも。
 引きこもってだれかに愛され、愛したい。
 そこんとこ、解決する「機械」を早急に作るべきなんだよ。
 シャコじゃないからできるはず。

 かっさらわれてむしゃぶり喰われるまで。
 欲望にくじけない。
 くよくよ考えることさえたのしむために生まれてきた。
 もっと、もっと!
 それこそが人間力。
 ヒトのえらんだ進化。

TRACKBACK http://yoshinogi.blog42.fc2.com/tb.php/444-5d3c2c41