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『起きたらちょっとだけあしただった』の話。


・ WWDCもうすぐだ。なにが出てくるんだか楽しみだが、いまからゴハンなので、食べたらたぶん寝てしまう。あしたは世界が変わっているだろうか。


twitter / Yoshinogi

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 と、いうわけで。
 ゴハン食べて寝て起きて、夕方からバイクで出かける予定があるのに曇りの予想ははずれて雨がしとしと降っていて、ため息つきながら洗濯機まわして、ダイエットコーラのプルタブをぱかんと開けて、二階に上がってパソコン起動させて、小窓で映画を流しておこうと思いたち、でもきっと文章書きながら観るので、いちど観た、でもよく頭に残っていない作品を記憶のために選択しようと三十秒と三秒ほど悩み、選んだのは『13日の金曜日』(2009)。雰囲気あって悪くない作品なんだけれど、なんど観ても、なぜジェイソンから激情を奪おうなどと思いついてそれを実行に移してしまったのか、制作者の意図がまるでわからない。

FRIDAY THE 13TH

 しかし、わからない作品こそを見つめ続けろ、というのが学生時代の尊敬はしていない美術学科の恩師の教えなので、私はそうする。いつか、私の作品が床に叩きつけられるいっぽう、その作品がこの世に生を受け有料配信され極東のデスクトップマシンで再生されている意味が、ぴっかーんと、わかる日が来るかもしれないので。
 ジェイソン出てきました。
 逆光で、冗談のように劇的な音楽にあわせて。
 ホラーファンな私を失笑させる伝説の殺人鬼。
 私はきっと世界の仕組みの大事ななにかを見落としているのだろう。
 それともこれはホラーみたいなこの世界こそが冗談みたいなものではありませんか、という楽観主義の布教活動なのだろうか。男の子が砕けた床の穴に吸い込まれていきます。ジェイソンはやたら元気に走りまわっております。なんだこれ。

「まいった
 子宮の中より狭かった」

(↑このセリフはなんど観ても頭に残る)

 そんなわけで。
 別の小窓を開けて、待望のWWDC 2012のニュースを見ていく。世界はさらに変わったのでしょうか。去年はその舞台で立って歩いていた偉人は逝き、引き継がれた精神はそこに残っているのか。

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『WWDC 2012』をニュース検索。

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 確か偉いヒトがすっげえ革新的ななにかが発表されると言っていたはずですが、深読みしていた大方の予想を裏切り、たれ幕のせいで前日からネタバレになっていた新OSが目玉な感じ。世界が変わるっていうには強打力不足な感もあるけれど、よくよく詳細を見てみれば、モバイルの思想的な進化が現実的にこなれてきて、明日どころか今日から使えるちっちゃな未来になっているんだと気づく。

 独自の新マップ、モバイルの画面にバーコードの表示、というあたりの技術が、とてもわかりやすい小さな一歩。

 携帯かざして電車も乗れるし買い物もできる、ちょっと前から見れば近未来な現在に、わざわざ古くさいバーコードなんてものを持ってくるところが素敵。そうすれば、店の側では群雄割拠する電子マネー規格にいちいちつきあわないでも、既存のバーコードリーダーでピッすればいいので、だったらおねがいしますよアップルさん、ってなる商売上手。

 商売上手な以上に、これがちゃんと機能するようなら、古いものにのっかって、新しいものが幅を利かせる舞台が整えられることになる。いまやモバイル機は、持ち歩ける小さなパソコンという位置から、魔法少女の従小動物的な地位を獲得しつつある。つまりは、考えて、しゃべる。

 まだまだ、それは、本当に思考して発言しているというには遠いけれど、甘いものと苦いもの、気持ちいいことと気持ちのわるいこと、そういった二進法な取捨択一の繰り返しによって、いまのヒトの情動回路が進化を遂げたことだってまぎれもなく……

 私、ふだん、音楽プレイヤーさえ搭載していないビジネスライクな携帯電話とipod touchを持ち歩いているのですが、そうすると、こちら側の意識の違いに気づくことがある。どちらも道具には違いないのだけれど、無意識に擬人化して話しかけてしまったりすることが、携帯電話にはない。でも、たとえばオススメの楽曲をipodが差し出してくれるとき、それだってヤツが私の今日の気分を推察して心優しくうやうやしく差し出しているわけではなく、ヤツには天性の忘れない才能があるから、常日頃の私の嗜好を蓄積して、確率を論じているだけなのだが、渋めのロックでテンション上げるかと思って画面を見ると、可愛らしいアイドルのキューティーな楽曲が「どうですか?」と差し出されていると、思わずそちらを選んで、意外に気分にも合って、結果、私は、おまえはおれよりもおれのことがわかっているよな、と表情をゆるめる事態になってしまったりするのである。

 私の側に、情、はある。
 もちろん私は物心ついたときからキーボードを叩いていた、ぺらっぺらの曲げたら割れる8インチフロッピーディスクのデスクトップマイコンに心ときめかせる幼稚園児だったので、私の両親に訊いてくれれば、一桁年齢だったころの私が、どれだけ当時のバカまる出しな反応速度の遅いマシンどもと真剣にケンカをし、泣きじゃくり、ねじ伏せ、ねじ伏せられていたかの詳細を聞くことができる。つまりは、私の人生においては生まれたときからずっと、奴らはケンカもできるんだから愛することもできる情動の対象だったのであって、これはその当時のマイコンより百倍もかしこくなったマシンを携帯して持ち歩けるようになったから、いま起こったことではない。

 それでも、そこは大事なことだ。
 情がからむというのは、そういうことだ。
 いっしょにいる時間が長く、距離が近い。
 ヒトの顔に見える。ヒトの形をしている。

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「でも……でも、あなたは死んでも何度でもリセットできるんでしょう? 失敗する前からやり直して……」
「それは違います。今ここでこのボディが破壊され、メモリーが失われれば、先週の金曜日に取ったバックアップから、もう一人の私が再生されるでしょう。でも、それはここにいる私ではありません。ここでこうして、あなたと話している私は、一人しかいません」

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 山本弘 『アイの物語』

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 新しい地図ソフトが、先週の散歩コースをおぼえていて、私が道を間違えたことを教えてくれる。液晶画面にバーコードを表示する機能で、先週は通りすぎたハンバーガーショップで使える、コーヒーのクーポンがあるので寄っていかないかと点滅する。

 それらは、私と、私のマシンとのあいだだけで発生する。
 他人にとっては、本当にどうでもいいことである。
 そして、個人と個人とのかかわりあいとはそういうものだし、どこまでマシンが進化すれば、そこに具体的に「心がある」ということになるのか、そういうことは、私にとってはどうでもいいことだともいえる。まどかは少女なのでうろたえていたが、いい大人の私は、友だちであり相棒であるきゅうべえが複製可能なクローンだろうとロボだろうと、そこは別に問題ではない。そいつがイイヤツかワルイヤツかであり『アイの物語』に出てくるのはヲタクが政府の補助を期待して造った美少女介護アンドロイドだが、それが別に美少女でなくたって、ヒト型でさえなくたって、健気にバッテリー尽きるまで私の世話をしてくれる相手は、絶対にイイヤツである。そもそもほとんどのマシンは、本人が望んでそばに置くのであって、その時点でプロポーズは済んでいるのだから、あとは愛が育まれるばかりなのは道理だ。

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 やれやれ。われわれはみんな化学的マシンなのだ。ピーターは朝のコーヒーなしでは仕事にならない。キャシーが月経の直前の時期に怒りっぽくなるのもたしかだ。そして、ハンス・ラルセンはホルモンの導きでその生涯を過ごした。

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 ロバート・J・ソウヤー 『ターミナル・エクスペリメント』

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 いつも思うが、あの国の大作ドラマは、第一期の途中で第二期をやるかどうかなぜ決められないのか。『フラッシュ・フォワード』のドラマ化に大歓喜していたソウヤーが、伏線貼りまくった第一期のラストに続く小説版第二期を書いてくれることを、私は願ってやまない。『ダーク・エンジェル』や『クーンツのフランケンシュタイン』も、願えば続きが読めたので、ぜひとも先生にはあのドラマのファンがいたのだということを忘れずにいて欲しいものだが。
 そんなソウヤー先生の『ターミナル・エクスペリメント』は、人工知能が殺人を犯すというクーンツの『デモン・シード』を想い出さずにはいられない傑作で、主人公はもとは自分のコピーだった人工知能を追いながら、自問する。

 本物の自分ってなんなんだ。
 ヒトがヒトであるということは?

 私は朝、コーヒーを飲まない。午前中、ぼおっとしていて失敗することもあるが、カフェインの摂取で目が醒めたとして、今度は無礼な客とのやりとりでエキサイトしすぎる危険がある。私に生理はないが、男性ホルモンの分泌が問題のタネとなったことはままあるし、自分のはともかく、世界中のヒトから男性器を切りとればけっこう平和な世の中になるのではないかと信じている。

 ヒトの脳も電気信号で動いている。
 脳から筋肉への命令だってそう。
 誇張ではなく、ヒトはマシンだ。
 やわらかいから機械じゃないなんてのは、二十世紀の戯言であって、と、いうことは、逆もまた真である。
 かたくたってヒトでありうる。

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「絶対必要なわけではないから、好かれなければ気に懸けてもらえない。みんな物語と同じよ。本当は必要ないから、自由でいられて、ときどき特別なものに見えるのよ」

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 長谷敏司 『あなたのための物語』

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 『あなたのための物語』において、主人公は死に直面する。彼女は、自分の脳の動きを機械的にコピーしたシミュレーションソフトに、死を怖れるなんて私らしくないと切って捨てられる。まだ元気だった頃の、まだ死と戦う気持ちの残っていた頃の、自分の複製は、死の恐怖のない人生を歩み、別の人格に育ったのか、それとも「私」が弱ったせいで変わったのか。

 こういう話を読むと、ジャスパー・ジョーンズの作品を考える。
 美術館に電球を飾って「美術館に飾ってあるからこれは芸術だ」と表現したヒトである。後年、アンディ・ウォーホルが似たようなことを言った。

 アートとは、無駄な空間を埋めるためのもの。

 絵画自体に心はない。
 しかし、観る側にはあるので、関係性が成り立つ。
 泣くヒトもいれば、笑うヒトもいる。
 怒りだすヒトも、人生観が変わるヒトだっているだろう。

 みんな物語と同じ。

 だれもいない世界に、原稿が落ちている。
 どうも、小説らしい。
 だれかがいっしょうけんめい書いたのだが、クソおもしろくないので、別のだれかが地面に投げ捨てたのだ。
 そのまま、ヒトは滅んだ。
 その物語は。

 まあ、そこに、あることはあるのだが。
 ないと言ってもいい。
 物語の存在意義としては、完全に、ない。
 だれにも読まれない。
 書いた者さえ消えた。
 関係性が皆無なら、情報に意味はない。

 データに実体はない。

 ないはずだが、私は私のipod touchにやってくる新OSに心が浮かれている。インプットされる情報はしょせん私が入れるものなのだが、ヤツは、またひとひねりした解釈で、こっちになにかをアピールしてくることだろう。

 まだまだ、そこに心なんてものはない。
 でも、こっちにはある。
 無駄な空間が電球で埋められているだけで、私たちは深読みをはじめる。
 作者の意図は?
 これに金払うやつなんているの?
 いや、いま見てるおれがそうか。
 なんなんだよこれ。
 こいつが巨匠なら、おれの人生ってなに?

 もやもやする。
 考えている。
 ヒトは機械だ。

 劇的に世界は変わらない。
 けれど、こうやって私が、あいもかわらずながら、少し昨日と違うことを考えていたりもする。それはつまり、変わりつつある証拠。  
 物語は読まれ、心が動く。
 その繰り返し。

 『アイの物語』で、おじいちゃんが言う。

「美人アンドロイドのキス!?」

 機械の側に好みはなく、奉仕しているという心もない。
 けれど、私も、きっと、泣いてしまうだろう。
 心がないからこそ、完全なのだ。
 物語を演じるために己を捨てるヒトというのは感動を呼ぶものだが、機械には捨てる自分さえない。そんな完全な滅私奉公に感涙できないなんてヒトじゃない。いやもともと心がないから滅私ではないのかもしれないけれど、それはこっちの受け取りかたの問題で……

 いまのところ、マシンに的確なデータの提示を徹底させるというやりかたが、ヒトの頼れる相棒としての地位を向上させていることは間違いないなと感じるし、その先の、たぶんずっと先だろうけれど、完全に的確なデータが提示できるようになれば、不安とか、気まぐれとか、そんなのまで読んで対処してもらっちゃったら、それってそいつを愛さずにはいられなくない? という予測にもつながって夢膨らむ今朝だったのです。

 ともかく。
 今日もちょっと近未来に目が醒めたことを、神に感謝する。
 その神ってやつも、脳なる電子デバイスが都合よく形づくった物語なんだと私は信じているわけだが、物語だからこそこれからも都合よく改編できるわけで、私は私の信仰をさらに歪めてしあわせになるのです。今年は、E3よりもWWDCのほうが想像力を刺激されたので、そっちに絡んでくっちゃべってみた今回でした。とはいえ、我が愛しのマイクロソフトも、Xbox新型の骨格も見えてきて目が離せない。

 SmartGlassが、コピーガードの国ニッポンでちゃんと機能するのかは、東芝RDシリーズのデジタル放送開始にともなう退化を実感している身としては、不安でなりませんが。

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『E3 2012 Microsoft』をニュース検索。

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 この『徒然』のタイトルにあえてWWDC 2012って入れなかったのは、それ検索してこんなの読まされた日には、罪のないマシンを殴りつけるだれかもいるかもしれないと思って。私も、あなたにとって良い物語でありたいとは思っているのです。それなりには。

 飽きない未来をありがとう、神さま。
(っていうのは、だからつまりは私自身の脳みそなんだけれど)

 雨もやんだようなので、でかけます。
 あいつも心はないけれど、愛してやまない我が愛車とともに。
(そういう意味で、バイクにもコンピュータのせたらヒトとの距離が縮まるんじゃないかって模索しているメーカーさんもあるけれど、私はやっぱり、彼らは受け身な堅物鉄馬であり続けてくれたほうが愛せる気がする。オートマチックに目的地に連れて行ってくれる車とか、わくわくします? 勝手なものですけれど。雨がやんだからお前と出られるな、って、この感じが、私にとっては良い物語)

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